スプートニクの帰路 第七十六話
「こんな大胆で良いんですか? ベルカさんの立場が危うくなりませんか?」
右後ろをついてきているアニエスが雨音で聞き取りにくいがそう言った。
「大丈夫だ! ベルカが共犯だって知ってるのは俺たちだけだ。言わなきゃいいさ!
正体不明の誘拐犯よりも俺たちがやりましたって堂々としてた方が北公も安心だろ? 俺たちは重罪人だけどな! はっはは!」
アニエスは悪そうな笑顔を浮かべながら頷くと
「指示を出してください! セシリアを抱いたままではポータル開きにくいでしょう? 私が開きますよ!」
と雨で濡れて重たくなった上着をまくり上げて杖を持ち上げた。
「そうだな! 頼んだ! 行き先は君に任せる!」
セシリアは腕の中でコートを握りしめて強く目をつぶり「んーふふふ」と心を躍らせているような無邪気な笑い声を上げている。
基地の真ん中にある芝生の水たまりを蹴散らして、足下が泥だらけ水浸しになろうと走り抜けていた。中庭の丁度中心くらいに来てからやっと非常ベルが鳴った。
「ベルカのやつおっせーな! 仕事ちゃんとやれよ! アニエス、ポータルを!」
同時にジャッジャッと鉄扇を開くような音がすると四方が白くなった。強い光を当てられたので立ち止まり、腕でセシリアと顔を覆った。
目を細めて腕の上から様子を窺おうとしたが光源はとても眩しく、直視することは出来ない。
明るさに目が慣れてくると、基地の壁の上にはいくつもの線が引かれた丸い光源が見えた。どうやらスポットライトで照射されているようだ。
「アニエス、準備を!」というと彼女も腕で顔を遮りながら移動魔法を唱え始めた。
降りしきる冷たい雨に濡れた照明機械は、光源の放つ熱で湯気を上げている。その横に人影がいくつか見えた。
どうやら北公軍兵士とルスラニア王国兵、長い会議のせいでぼんやりした顔をしているストレルカ、その隣にはカルルさんもいるようだ。
「君たちは包囲されている! 女王を解放しなさい!」
そこにいた北公の兵士が拡声器で解放を要求してきた。
「包囲なんか俺たちに意味はねぇよ! 捕まえられるモンなら捕まえてみろ!」
雨音にかき消されないように大声で言い返した。すると兵士の横にいたカルルさんが拡声器を奪い取り、「何をしているんだ、イズミ君! また犯罪者になりたいのか!?」と焦った声で呼びかけてきた。
「カルルさんよぉ! 女王様は貰ったぜ! わははははは! 俺は女王誘拐の大悪党イズミ様だ! 忘れるなよ! 俺はセシリアの、この世界にたった一人の父親だ!」
すると突然、セシリアが身体を乗り出すと光の方向へ手を思い切り振った。
「カルルのおじさん、ありがとう! ベルカおじさんとストレルカさん、いつも傍にいてくれてありがとう! ゾウ耳先生も、軍の人も役人の人も、みんな、みんな、大好き! ありがとう! でも、ごめんなさい! 私はパパとママと幸せになるの! みんな、ばいばい!」
セシリアは口の中に雨水が入ることさえも気にせず、強く降りしきる雨音に負けないほど大きな声でそう言った。
スポットライトの強烈な逆光の中にいたカルルさんが驚き引きつった顔で硬直しているのが見えた。
中庭に出てきた兵士たちは俺たちを円形に包囲しており、銃口を右下に構えて低い姿勢でにじり寄って円を小さくし始めている。
準備の整ったアニエスが「いけます!」と言うと同時にポータルが開かれた。
ポータルから乾いた風が吹き込むと、懐かしい埃の匂いに包み込まれた。行き先はクライナ・シーニャトチカだ。
連盟政府だが、北公でもルスラニアでもある微妙な地域。問題にならない地域を選んだのはさすがだ。
開かれたポータルを見たカルルさんは「と、捕らえろ!」と慌てて指示を出したので、取り囲んでいた兵士たちは一斉に金具を揺らして銃を構えた。
「待て! 銃は使うな! 女王を、三人とも傷つけるな!」
兵士たちがセシリアに向かって銃口を向けたことでカルルさんはさらに焦った様子になり、混乱した指示を出していた。
銃は汎用性も威力も高いが、調整が利かない。しかも天候は雨。こういうときに威力の加減が出来る魔法は便利だ。
取り囲んでいる兵士の中にも腰に杖をつけている者も少なくない。だが、皆銃の力を過信して、杖を抜こうとはしないのだ。
俺たちはポータルをくぐると同時に閉め始め、見えなくなっていく兵士とカルルさんに手を振り見送った。




