スプートニクの帰路 第六十二話
「年頃の娘とは。いや、年頃でなくとも、難しいか。次、親指と中指」
親指と中指の先を物を摘まむように合わせたが、博士が娘の話をしていることに気がつき顔を上げて見つめてしまった。
視線に気がついた博士も顔を上げて見つめ返してきた。そして、
「確かに、娘は難しい。生物学的に父親を嫌うように育つのが普通だからな。
かたや、こちらは自分の娘。本当の父親を知るのは母親のみと言われるが、自分を父親と呼び、そうだと認めて育っていくのなら、何を言われようとも可愛くて仕方が無い。
反抗期が無いのは親には楽だが、子どもには非常に良くない。
嫌われて何かを言われるのも仕方が無いと言えば、まぁ。
だが、あの少女は君を父親なんかじゃない、とは言わなんだ。私よりマシではないか」
と赤いリボンを弄った。顔に表情はなかったが、感慨深そうにしている。
まるで父親であることが当たり前で、子育てをしていたような反応に驚いた。
「博士には娘さんがいらっしゃるんですか?」
思わず聞き返すと、「うむ、八つだ」と大きく頷いた。
「思ったより幼いですね。どんな子なんですか?」
血のつながった娘ではなかったが、短い間だけでも子育てをしていたので、そして、年も近い娘という似たような状況に少し嬉しくなってしまい、興味本位で尋ねた。
「明るくて元気な子だ。いつも走り回っていた。妻に似て美しく、オリーブの色をした長い髪だった。私と同じ琥珀色の瞳をしていたよ。いずれ私のように賢くなっただろう」
「会ってみたいですね。年も近いしセシリアと友達になれるかも」
博士は手が止まった。そして、しばらく息が止まったかのように黙り込んだ後、「もう、会えんよ」と鼻から息を出した。
「まさか離婚して親権で揉めた、とか」
節操もないことを聞いてしまった上に、もう会えないという言葉に動揺して謝るよりも先にさらに失礼な質問を重ねてしまった。
「いや、どこにもいない。少なくともこの世界にはな」
博士は再び黙り込んだ。そして、義手の調整に集中するように手が素早く動き出した。像耳は最低限よりも大きく動かなくなった。
義手の内部の材質と同じ素材で出来た工具が乾いた音を立てている。
「ごめんなさい」
小さな部品がこすれ動く音が聞こえるほどの沈黙と、触れてはいけない博士の深淵に土足で踏み込んでしまったことへの申し訳なさに耐えきれず、絞り出すように謝った。
「妻と共に二十年前の魔力消失事件のときに、な。八つだ。いや、正しくは八つになったときだった。
八つになったあのときから、時間は進んでいない。何十年経とうと、八つの姿から進むことはない。親指と薬指」
「嫌なこと思い出させてしまいましたね」
「気にするな。私の時間は止まっていない。二十年以上も前のことだ」
作業していた博士が止まりこちらに視線を送ると、ホレ、と顎を動かした。話し始めた博士に顔を向けていて指を動かすことを忘れてしまっていたのだ。
慌てて親指と薬指の先を合わせた。すると頷いて作業を再開した。




