ヒューリライネンとハルストロム 中編
椅子を引き女神を座らせると、早速パーティーが始まった。
立食パーティーのほうがフランクで自由に話せるのでいいのだが、カトウがどうしてもということでコース料理になった。ウミツバメ亭のいつもの椅子は奥へ片付けられて、厨房にほど近いところに長いテーブルが置かれていた。
これからどんな料理が出てくるのだろうか、サプライズのためメニュー表も置かれておらず全貌は全く知らなかった。だが、カトウの気合がだいぶ気合を入れていたらしく、おいしいのは間違いないはずという期待は十分だった。
アミューズ、前菜、スープ、魚料理、口直し……順番に出てくるのだが、説明を聞いても全く分からなかった。そこまで食べていて、とにかくおいしいことだけはよくわかった。肉料理の時に出てきた料理はどこかで食べたことのある味だった。デジャヴ(既視感というより既味感)だろうと気にもせず食べ終わり骨だけになった時に、お皿の上の光景は見たことのあるものだった。それはかつてなぎさと食べたことのある懐かしいアヒル料理だったのだ。偶然にしてはあまりにも出来過ぎていて、まさかと思い真横にいた女神のほうを向いてしまった。
「もしかして、なにかしたんですか? これアヒルですよね? カトウはアヒル料理なんか知らないですよ?」
「さぁね~。神の啓示でもあったんじゃな~い?」
首を傾けて視線を上に向けて、あたし知らないと言わんばかりだ。白々しい。
俺がカトウの報告をしに行ったとき、彼を支援してくれと冗談で言った。直接現物を上げるのはダメだからチャンスはくれてやるみたいなことを言っていたので、彼の頭の中にジビエ料理のありとあらゆる知識を叩き込んだのではないだろう。インスピレーションはセーフなのか。先日レアから聞いた話では、カトウは突然何かを閃いた様子だったらしいので間違いないのではないだろうか。情報の急な過剰摂取で彼が発狂しないといいが。
どうやら料理の味は誰が食べても本当においしい様子で、あのククーシュカが酒以外を嗜んでいる様子を初めて見た。すらりと伸びた背筋、カトラリーの使い方、食べるしぐさどれをとっても美しく、彼女の骨董品のような白い肌も相まってまるでどこかの貴族のように優雅だった。
そして、用意されていたのは普通のワインだったはずだが、これまで飲んだこともないようなほどおいしいものだった。それは料理に合わせたカトウの絶妙なチョイスのおかげかもしれない。しかし、隣にいるのが女神となると、もしかしたら何か手を加えているのではないかと疑ってしまう。
しかし、何はともあれ、すべて美味しいから良しとしよう!
一通りの料理が出たあとは食後のコーヒーと小菓子の時間となった。ここにきてなぜかビュッフェ形式に移ることになり、店の奥のスペースが会場となりそこには大量のスイーツが置かれた。おそらく歓談するための配慮だろう。
俺はコーヒーと小さなチョコレートケーキを持って女神の横へ行った。小さなお皿に山のようにケーキを皿に盛った女神は上品だが素早くそれらを口に運んでいた。
「女神様がいると本当に何でもありですね。エウリピデスのアレみたいですよ」
「デウス・エクス・マキナ?」
「それです。とりあえず困ったら神様が出てきて話を片付けるみたいな」
「ほう、エウリピデスとはいいところをついたなぁ、キミィ」
ケーキの盛られた皿をテーブルの上に置き、肩に腕を回して手繰り寄せた。
この人はどれだけ飲んでいるのだろうか。食事中もお替りを頻繁に繰り返していた。しゃべるたびに白ワインの匂いが猛烈に漂ってくる。
「何がですか?酔ってます?」
「デデン! エウリピデスと言えば?」
「ごめんなさい。世界史は四大文明の前で止まってます。高校の歴史教師が俺たち理系で必要ないからってウンコと思い想うことの話ばっかりしてたんで何にも聞いてなかったです。日本史は縄文時代。そのかわり、ケッペンの気候区分は分かりますよ」
「なぁによ、それ。もう。じゃなんでエウリピデスなんか知ってんのよ?」
「デウス・エクス・マキナて創作じゃ手垢まみれじゃないですか」
「あそ。もう少し一般教養身につけなさいよ。いつかのご飯の話は今日のでチャラね」
「はいはい……。やっぱなんかしてたんすね……」
女神は不機嫌そうに鼻から息をすると、再びケーキを食べ始めた。それに続いて俺も小さなチョコレートケーキを小さく切って口へ運んだ。
それからしばらく歓談をしていると、用を足しに行くと言ってオージーが席を立った。それを見送った女神も遅れて席から立ち上がり、アンネリのもとへと向かった。
「あなたたち、フルネームでアウグスト・ヒューリライネンとアンネリ・ハルストロムよね?ということは、二人ともスヴェリア地方の生まれよね? その服装からするとスヴェンニーかしら?」
「……そうですが? なんですか?」
スヴェンニー、という言葉にアンネリが少し眉をしかめた。
「不思議よね、縁って。広啓派と神秘派が結ばれるなんて。あたしが知らなかっただけで、今までもあったのかしら? 姓はどっちを名乗るのかしら?」
「あたしは彼のヒューリライネン姓を名乗るつもりですけど……」
女神は少し暗い顔をした。しかし、すぐに笑顔になった。
「……そう、まぁ大丈夫よね。何年も経ってるから。気にしないで」
アンネリにとってあまりいい気分にならない話題だったのだろう、表情はさらに曇ってしまった。そして女神を睨みつけるようになった。
「もしかして、あたしたちのこと馬鹿にしてます? あたしたちスヴェンニーが迫害を受けていたってことぐらい知ってますよ。それが錬金術業界にも影響してるってことも。今でも時々……。それに、なんとか派っていったい何なんですか?」
「それはむかしむかーしのお話。迫害も昔のお話。新しい時代には必要ないの。新しい正義の前に消えてなくなるものよ、ふふ」
女神はアンネリの隣に座ると、思い切り彼女に顔を近づけた。そして、首を傾けのぞき込むとうっとりと見つめた。
「そういえば、スヴェンニーのこんな伝統を知ってるかしら? 新郎か新婦、どちらかが一瞬でも退席したら、その間は残ったほうにキスしていいって……」
「げ……。何で知ってるんですか……?それが嫌だからこっちで、少数で開いたのに……」
「有名じゃなーい!」
「い、嫌です! イズミともカトウともキスなんかしないわよ!?」
「男どもはどうでもいいのよ。イズミくんにそんな度胸無いし、したらしたでキレそうな子もいるし、カトウくんはアルエットちゃんにぞっこんですもの」
「え、じゃ誰が……?」
何かを察したのか、突如アンネリの目が恐怖に揺れ動いた。
「あ、た、し……、うふふふ」
女神は嘗め回すようにアンネリの肩に手を回し、人差し指と親指で彼女の顔を自分のほうへと向けた。反対の手の指に髪を絡めている。
「なんでよ!? なんであなたなんですか!?」
目の色を変えて驚き避けようとしたアンネリの顔を今度は両手でがっしりとつかみ、艶めかしい吐息をしながらゆっくりと近づけていった。
「いいじゃなーい。今やダイヴァーシティは世界に広がりつつあるわ。はぁ……はぁーっ……。あたしとキスするといいことあるわよぉ……。いざ糸を引くような濃密な口づけを……はぁーっ……」
「ん”に”い”ぃぃ!? い”に”ゃでずぅ! イ”ズミ!? イ”ズミ”ー!! ヘールプ! い”や”あ”あ”あ”!」
歯を食いしばり皺の寄ったアンネリの顔は、まるで予防接種を嫌がり後ずさって首輪が引っ掛かった柴犬のようだ。
止めはしない。女神とチッスできるとは幸運なものではないか。はっはっは。
「大丈夫よ……ふぅー……建物に使われてる錫の質量でも頭の中で計算してるうちに終わるわよ……。それに」
そして耳元で何かを呟いた。するとアンネリの暴れる力が少し弱まり、えっ、と隙ができた。その瞬間、待ってましたと女神はがばっと顔を近づけて、ほとんど無理やり彼女にキスをした。そして、アンネリの腕はだらりと力なくうなだれて、暴れる様子もぴたりとおとなしくなってしまった。ざまぁ、さっき俺をシスコンとののしった仕返しだ。だが、タコが吸い付く音でもしそうなほど濃厚な接吻で、ちょっと可哀そうなことをしたなと思った。
だいぶ長い間、覆いかぶさっていた女神の顔が離れるとアンネリの顔が見えた。
真っ赤な顔の呆けた彼女の表情は、離れていく女神を見つめる目は虚ろに輝き、半開きの唇は赤く膨らんでいて、口と口の間に引いていた糸ははじけるように消えた。その光景は男性陣からすれば如何ともしがたいほどで、俺の視界は瞬く間にアニエスの汗ばんだ手のひらしか見えなくなった。
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