失うことで得るもの 第三十六話
「立ち止まりそうな返事を聞いて、あなたはこのままただの良い保護者になってしまうのではないかと不安を感じていました。ですが、あなた自身、現状に焦りを感じているようですね」
手をかけると窓を大きく開けた。陽射しと春の風が部屋に吹き込んでくると、鼻の奥がむずむずするような苦い匂いがした。
「今の一言を聞いて、安心しましたよ」
窓の方から身体をこちらに向けて笑った。
ムーバリは何を感じていたのだろうか。
原因はわからなかったが、何故か自分の中に恥ずかしさがこみ上げてくるような感じがしたのだ。心臓を強く打つような、動機のように嫌なものではなく、背中を叩き押されるようなものだった。
身体の血が巡り体温も上がるような気がして、自分の顔が赤くなっているのでは無いかと左手で顎を擦った。義手は冷たかった。
「あなたの力、アニエス中佐も持つ移動魔法は明らかな強い力です。そして、それ以外にもあなたの魔力は中佐の比でありません。血筋のある中佐ですら北公では随一だというのに。
何処で修得したのか知りませんが、エルフの言語からブルゼイ語も、地域ごとに方言や発音が変わっていたとしても問題なく話せてしまい、噂では商会の暗号まで解読できるとか。
実に多様で使い勝手がよく、何気ないときにも使える持て余さない便利で素晴らしい力です。
ですが持っている力がどれほど強かったり便利であったとしてとも、ただの力に過ぎないのです。
では、その力を使って偉くなればいいかもしれない。力を行使するということは、その使い方の上手い下手に関わらず必ず誰かを傷つけるということです」
ムーバリは再び椅子に戻ってきた。何を思ったのか、冷めきった苦いコーヒーを飲み始めたのだ。
「ですが、あなたは誰かが傷つくことを好みません。もう、その時点で偉くはなれないのです」
「馬鹿にしてんのか?」
「そういうわけではないのです。元々あなた自身、立場を得ようとしないではないですか。それはこれまで行動を共にしてきたのでよく知っています」
「向上心なくて悪かったな。食ってくだけなら魔法で何とかなってたんだよ。こっちじゃ魔法は一般的だけど、全員が使えるわけじゃない。
毎日使うペンでだって物理的に人を殺せる。だからやり方次第で日々の暮らしは何とかなるんだよ」




