失うことで得るもの 第三十三話
「ストレルカはどうなんだ? あいつも王家尚書諸侯のコズロフ家の末裔だろ」
そのうちの一つというのは、もちろんセシリアなのだ。彼女を女王というよりも公人にはしたくないのである。普通の女の子として、その生涯を終えて欲しいのだ。
セシリアの次にブルゼイ王族の特徴を顕著に発現していて、コズロフ家の末裔であるとほぼ確定しているストレルカを引き合いだした。往生際が悪いことなど分かっている。
あいつは立場に飢えているかもしれない、それなら差し出しても良いという、最低な理由で言い訳をして犠牲にしようとしていることも。
ムーバリは「お気持ちは分かります」と目をつぶりしみじみと頷いた。全て見通しているかのようで、俺はますます恥ずかしくなりコーヒーカップを意味なく持ち上げた。
「彼女はもうすでに相当な地位に就いています。学がなく何も出来ないお飾り官僚かと思いきや、かなり賢いのです。
おそらくブルゼイ族の執行部として選ばれたのは、閣下も見抜いていたからなのでしょう。
物事の飲み込みも早く今後の成長を見込めば、いずれ重要な仕事を任せるに値します。故に今の立場でいなくてはならないのです。
尤も、優秀か否かでは無く、正統ブルゼイの王族であることが一目で分かるセシリアでなければいけないのですが」
ダメなことなど分かっている。では集まってきたブルゼイ族から顕著なのを探し出してその人に任せればいい、というのも不特定の誰かの犠牲で自分の中の罪悪感を薄めようとしている。
犠牲を厭わない。でも自己犠牲は嫌いだ。だが、世界の平和の為に自分の大事なものを捧げろとというなら、犠牲とは言わずに捧げたかもしれない。
犠牲とは、大いなる欠損を伴うものだ。だが、行いが犠牲などと高尚な名前で呼ばれる為には、大いなる結果を伴わなければならない。結果によって、その行いが犠牲か否かを判断される。
犠牲か否か、それを判断するのは時間と犠牲を払わなかった者たち。
誰がどう見ても無駄な損失を犠牲など呼ぶ行為は、価値のない損失に尊さを見いだす為の張りぼてに過ぎない。
世界の為にイズミは娘のセシリアを犠牲にした。
彼は生涯を通じて娘に恨まれるかもしれないという恐怖と悲しみ、傍にいることが出来ない、未来を見ることができない、という大きな犠牲を払うことで平和を手にした。
というのは犠牲者の美談として俺以外が話せば、とても素晴らしく聞こえるかもしれない。
だが、そこに俺やセシリアはいない。
犠牲として捧げるに値するものが“者”である限り、その捧げられた当人の意識と感情、時間があるのだ。
自分はその半身である娘を世界の為に捧げたと慟哭を繰り返した挙げ句、山奥で厭世家を気取るかもしれないが、それはある種の罪悪感への自己陶酔でしかなく、セシリア本人の感情は完全に無視されている。
自分の中にある犠牲を厭わないというのは、結局どこかで犠牲を自分以外に擦り付けているというのがにじみ出てくる。
自己犠牲は自己満足だから自己犠牲が嫌いとか言うのは、きれい事でしかない。
自己犠牲で捧げる命の価値を問われたときに、値段が付けられないと答えるその命というのは、自分の命だけなのだ。
考えるだけで胸の辺りに熱い液体がみるみる溜まり、こみ上げて食道を熱くするような気分になる。
矛盾を抱えつつも、俺はセシリアを差し出したくない。
そして、それ以外にも理由はある。
「俺が首を縦に振りたくないのには理由があるんだよ」
「あの子の、セシリアの意思ですか? 彼女の意思を無視していると」
「それだけじゃない。もっと個人的な理由だ。
これからお前らの要望に対して、俺が首を縦に振ろうと振らなかろうと、セシリアが嫌といえば俺は彼女の意思を尊重する。
だが、それだけじゃないんだ。毎回毎回立場のある人たちに言いくるめられて、それが最善であるような気にさせられて、それを選ぶんだ。
でも、結局毎回、良くない方へ向かうきっかけになってる。カルルさんの救出、共和国金融省長官選挙、ユニオンの五大家族、そして、黄金探しだ。
今ここで、俺がお前の言ったことに首を縦に振ったら今度は何が起こるんだ? 何を起こしてしまうんだ?」
ムーバリは両目両眉を上げて、首を突き出した。ほんの一瞬だが、驚いたような表情を見せたが、「そんなことですか」とすぐさま立て直し、軽く笑った。
「何だよ、その言い方」
俺にとってそれは“そんな”程度ではない。こいつがどれほど修羅場を駆け抜けてきたかなんぞ知ったことではないが、そんな程度と一蹴された。
これまで何度もこいつには腹を立ててきたが、そのほぼ全ては照れ隠しのための感情の裏返しじみたものだったが、簡単な一言でまとめて言われたこのときばかりは本心で腸が煮えくりかえりそうになった。
義手は正直で、左腕の肘関節がキリリと鳴った。




