失うことで得るもの 第二十五話
それから数回の密談を経たのち、奇妙なシステムができあがった。
クライナ・シーニャトチカの統治は引き続きピシュチャナビク領が行うが、北公の役人が現地に訪れてブルゼイ族の管理を行うことになったのだ。
クライナ・シーニャトチカの住民は西と北の果てで起きている戦争のことなど全く関心が無く、未だに新聞も流通しておらず知りもしない者までいるので、北公が居座ることには問題が無さそうだった。
クライナ・シーニャトチカ暫定戸籍管理部という役人の集団が置かれることになった。
だが、それが今後連盟政府に伝わり、追い出す為に軍を割いて進軍してくる可能性もあった。(戦線が北と西にあるので、東の果てであるここにまで大規模展開をすると補給線が伸びきってしまうのでないというのが参謀の見立てだった)。
役人という体ではあるが、実質的に戸籍管理等の事務仕事をする人材は一割にも満たず、その他全てが軍人である師団規模の軍隊だった。事実上の進駐軍である。
この件についてはムーバリが計画を先導していた。帰属従属の議論は却下していたが、これだけの規模の軍を置くというのは北公側にもそれなりの意図があるのが覗える。
村人はまたしてもいきなり人が増えることに警戒するかと思われたが、かつて村を活気づかせた共和国軍がいたおかげで、軍人が村にいるという感覚にはすっかり慣れているようだった。
北公軍の兵士とも盛んに交流も持たれた。まだ一応連盟政府側なのでそれは如何なものだろうと領主が何か言うかと思ったが、何も一言も言わなかった。
ニカノロフ氏は密談の度に従属の話を繰り返していたが、師団が派遣されることを伝えられるとぱったりとそれについて言わなくなり、兵士が来てからは「進駐軍は良い人ばかりだ。何処ぞの中央の役人とは違う」と村人に言って回っているそうだ。
思った通り、彼の思うところからすれば師団がいてくれた方が良いのだろう。そして、例の若くして左遷されてきた村長も、共和国が撤退してまた血色が悪くなっていたが村に再び活気が出たことでほくほくしていた。
最終的に、クライナ・シーニャトチカ他、ノルデンヴィズを含めた北公主要都市部に集結したブルゼイ族は数十万人規模になった。
国家としてはまだ小規模だが、北公の領土内のみでこの人数であり、連盟政府やユニオンや友学連、果ては遠く共和国にまだいる者たちを合わせればおそらく充分な人口になるだろう。
増えすぎた人間への雇用、食料、住処の提供を解決するために代表者が決めらることになった。新たに設けた戸籍を利用し投票を行おうと話が持ち上がった。
だが、ブルゼイ族は離散していたので、誰がどういう人物であるかをブルゼイ族のコミュニティ内では決めることが出来ず、さらに時間もあまりないということで、ブルゼイ族集結のきっかけをもたらした功績があるベルカとストレルカ(本人たちはたまたまだと言っているが)が仮代表者の席に就き、それから北公からの人間がアドバイザーに就いた。




