失うことで得るもの 第十四話
ちょうどアニエスが剥いて小さく刻んでくれたリンゴが出てきた。セシリアも別のお皿に盛られて食べ始めているので、独り占めして良いようだ。
食べようと左手でベッドサイドテーブルの上に置かれた器を持ち上げようとした。
しかし、これまで当たり前にしていた“摘まむ”という仕草は、指先の皮膚の柔らかさで包み込むという、筋肉の力加減だけではどうすることも出来ないような思った以上に繊細があったようだ。
弾力がない義手の指先で持ち上げるのは力加減が難しいのか、持ち上げると同時に皿が割れてしまった。
慌ててタオル持ってきてくれたアニエスに俺は謝った。
これでは生活が出来ない。ゴム手袋をするか、博士に柔らか新素材でも作って貰うか。この模様が出ないから透明なモノになるだろうな。
ムーバリはその様子を見ておやおやと言うと、「精巧な動きは出来るようですが、力加減は難しいようですね。あなたの言うとおり、ここはのんびりリハビリが必要なようですね」と両眉を上げた。
「大丈夫だろ。しかし、最初に掴んだものが皿でよかったな。お前だったらうっかり絞め殺してたかもな」
「それは怖い。ご冗談を」
お互いに目が合うと、ハッハとやや大きめの声で中身無く笑い合った。
落ちてしまったリンゴを綺麗にして盛り直してくれたアニエスがお皿を持ったまま眉と口を曲げて、俺の姿を見つめていた。
無理をしているとでも思っているのだろうか。その悲しさと憐れみの溢れた表情を見ると笑い続けられなくなってしまい、ムーバリから視線を逸らすようにして笑うのを止めた。
開け放された窓から風が吹き込んで、笑い声の余韻がある病室のカーテンを静かに揺らした。風はもう刺すような冷たさはないが、暖房で火照った身体にはちょうど良い冷たさだった。
ここがどこの建物かは分からないが、おそらく北公の領土にある。寒さの厳しい地域ばかりの北公でこれほどに穏やかな風が吹き抜けるのは春が近いのだろう。
しばらく沈黙して俺はその風が頬を撫でる感触を楽しんだ。
「だいぶ余裕があるようで安心しましたよ」
揺れて外の光を波打たせて返すカーテンを見ながらムーバリは再び話を始めた。
そうなのだ。身体に倦怠感はあるが、自分でも驚くほどに精神的な余裕はある。無理はしているつもりはない。
「これからどうするかの前に、まず話を具体的に聞かせてくれ。あれからどうなった? お前はどうでも良いが、セシリアもアニエスも無事なのはよかった」
「あなたは破砕機に巻き込まれた後、私が機械を壊して止めました。
イルマとオスカリによって引きずり出されて止血され、それからノルデンヴィズに運ばれました。すぐに治療が施されましたが、状態は……」
ムーバリは義手をちらりと見た。
「そこは具体的に言わなくても分かりますね。残念ながら保存厳しく、その義手が取り付けられました」
「とりあえずお前のおかげで助かったことには礼を言う。だが、俺の話はいい。生きてることは自分で分かってるからな。腕も思った通りに動かせるから、これからどう感じるかは分からないけど、たぶん不便はない。それよりもだ」
右手を持ち上げて拳を握りながら「シバサキはどうなった? とっ捕まったか?」と尋ねた。




