失うことで得るもの 第六話
俺は聞こえないことが分かっていたので大きめ声ではっきりと尋ねたが、またしても、ああん? としゃくり上げるような声と共に耳に掌をあてがい寄せてきた。
「あんたァ、いったいどこの、どなたなンすか!」
聞こえないから聞き返すのは仕方ないとは思いつつも、聞こえるように言ったはずなのに届かなかったことに苛立ち、言葉に過剰な勢いをつけて尋ね方が乱暴になってしまった。
だが、遠い遠い耳の奥に届いた瞬間がまるで分かるように、突然目を見開いて両眉を上げて嬉しそうに首を小刻みに震えさせながら姿勢を正すと、
「私か!? 私のことか!? よくぞ聞いてくれた! 私はー、バーンハード・アスプルンドだ!
本名はもっとだらだらと長ったらしいが、連盟政府のしきたりは時代遅れだ! 短くて呼びやすいからこれでいい! 好きに呼びたまえ!」
と名乗り、両手で包み込むように右手を握ってきた。この人がかのアスプルンド博士なのか。
アスプルンド博士は名前から考えるとスヴェンニー系だ。色白で青い目をしているので、間違いなくそうなのだろう。
肌はスヴェンニー特有の青に近い青白さはあるが、包み込む掌を改めてよく見ると両掌、特に指の先はことさらに陶器のように不健康な白さになっている。
学生時代にテキストで写真を見たことがある。レイノー症状だろうか。
これまでに話の中で何度も聞いてきた名前なので、初対面のはずなのに初めて会う人ではないような気分になった。
「あなたがあのアスプルンド博士なんですか」
「ああ? な、な、な? 何? 何だって?」
博士は手をにぎにぎしたまま、困ったような顔をして右耳を突き出してくると聞き返してきた。
どうせ聞こえていないだろうというのは分かっていたが、今は気分が良いわけではない。
大声を出すことに疲れてしまった。まだ先ほどの腕がないことの動悸が完全には治まっていないのだ。
大声を上げる度に血流が増え、どくどくと首筋が震えるような感覚が強くなってくると頭痛がし始めた。
「いや、もう、ちょっと……。勘弁してください。いま、大きい声が出す気分じゃないですよ……」
目眩と拍動性の頭痛で重くなった頭を抱え込んで縮こまろうとした。さすがに病身であることは一目瞭然なのだからもう突っ込んでは来ないだろう。
それに会話の流れから察してくれるはずだ。そろそろ放っておいて……。
と思ったが、思い切り肩を掴まれて身体ごとぐるりと回されて博士の方を向かされた。
さらに眉間に皺を寄せて睨み上げるような顔を目の前に近づけてきた。そこまで顔を近づけてきたのは、記憶の中ではアニエスとセシリアくらいしかいなのではないだろうか。
博士はそこで目を血走らせると、
「だぁに!? もう一遍言ってくれ! 私はー耳が遠くてな! 君の声はー、非常に聞き取りづらい! 先ほどのは辛うじて聞こえたがな!」
とふんがふんがと荒い鼻息を吹きかけてきた。
クソ野郎……話のやりとりなんだから、ある程度予想できるだろうが! コミュニケーションは七割が非言語だぞ!? なんで何度も何度も同じ様なことを言わなきゃならないのだ!
アンタに対して一度でも抱いた尊敬の念が吹き飛んだよ!
「あ・ん・た・がぁー、・あ・の・有・名・な、・ア・ス・プ・ル・ン・ド・博・士、・な・ん・で・す・か!」




