翠雨の別れ 第十話
集合時間よりもだいぶ早めに職業会館に向かい、オージーとアンネリの委任状を受付に貰いに来て、手続き待ちをしている時だ。
「キサマがやったのか!?」
ラウンジの窓を揺らしてしまいそうな声に驚いて振り向くと、およそ大声を上げるようなことはないような上品な色の鎧を着た女性が、正反対なまでに薄汚れた鎧を着た男性の胸倉に掴みかかっていた。その女性はほかでもないカミュの姿だ。表情は少なくても品性を感じさせるその顔に怒りをゆがませ、見覚えのある中年に、シバサキに掴みかかっていた。
そこにはワタベも来ており、二人の横に立ち、諍いを止めようとしているふりはしている。
「するわけないだろ!僕をなんだと思ってるんだ!」
彼はすぐさま反論した。珍しく焦りの表情を見せているシバサキは、首のあたりをがっしりと掴むカミュの腕に手を回し、軽くゆすって振りほどこうとしている。目を泳がせる彼の姿はカミュの怒りをさらに増長させた。
「稀代のクズ勇者だ! 妊婦転ばしてまともでいられるわけないだろう! 勇者は清濁併せ呑む英雄だが、キサマは汚濁そのものだ!」
ぎりぎりと歯を噛み締めて怒り狂った感情を隠すこともないカミュの表情は、ただ怒りの感情をぶちまけるだけでは無く、どこか悲しいようなものが漏れ出していて見ていられない。それが仲間を傷つけられたことによるものか、その男によって不義理を働かせられることによるものか、はたまた両方か、俺にはわからなかった。
今にも涙を流しそうな、ただただ、悲しく虚しい顔だ。
チームリーダーがシバサキになって以来、抑え込んでいた感情が爆発してしまったようだ。ここまでよく耐えた、耐えてくれたものだ。それに俺は感謝しなければいけない。
なぜなら、その苦行を仲間に押し付けたのはほかでもない俺で、冷静に考えれば常軌を逸しているとすぐにわかるはずの判断によって起きたありとあらゆる事態は、すべて俺の責任だ。女神は責任をとるといった。
しかし、それが俺をつけあがらせたのだ。女神に頼ればいいという、ある種の甘えの中で鈍った判断力のせいで仲間を危険にさらし、気分を害し、チームの空気を悪くしてきた。安易に図に乗らないと信じて、任せろ、と言ってくれた女神にも申し訳が立たない。
だが、それももう終わりだ。昨日の夜の部長女神の発言を俺は録音していたのだ。(というよりも、フロイデンベルクのときから録音装置をずぼらにも付けっぱなしにしていて、寝起きにふと思い出した)。
そして、目が覚めた後、実はただの幻だったのではないかと半ば肩を落とし気味に録音装置の確認をしてみると、喜ばしいことにばっちりと残っていたのだ。これは逃してはいけない好機だ。
女神へただの報告だけで終わったはずが、揺るがない証拠までも提示できるのだ。すぐにバックアップを取った。装置本体のほかに杖と魔石二個のトータル三つあれば十分だろう。そして、魔石のうち一つを役員女神に渡せばいい。
それが終われば俺はカミュ、レアを率いて離脱し、そして彼次第ではあるがオージーも勧誘して新チームを作り再開する。しかし、これだけギスギスしてしまった後に、みんなついてきてくれるだろうか。
「転んでぶつかっただけじゃないか! それに僕はそのあと……」
「カミーユくん、落ち着いて。ここは人目につくところだよ。そんな大声出しては迷惑だし、はしたないよ」
シバサキの首が閉まってかすれた声を遮り、ワタベはカミュを止めようとしている。あくまでふりだが。まぁまぁ、と両手を前に突き出し、薄目を開けた赤ら顔で笑いかけている。ワタベのほうを見たカミュの腕は少し力が弱まったようだ。シバサキの苦悶の表情が収まった。
「殺そうとした人間を放っておけるか!」
「殺そうとしただ!? んなわけないだろう!? 転んでぶつかっただけじゃないか。それに僕は……」
カミュの腕をつかみわさわさと焦りながら話すシバサキを、ワタベは再び途中で遮り話を始めた。
「みんな、常識的に考えたまえ。リーダーが、ましてや心優しい勇者であるシバサキくんが人を殺すわけがないじゃあないか。怪我人が出てしまって冷静さを欠いているのだよ。冷静ではないときにあらぬこと言ってしまうのはよくない」
集合時間も迫り、メンバーはその場にはすでに皆揃っていた。職業会館はこれからごった返す時間帯で、自分たち以外の人間もたくさんいる。ワタベはラウンジ全体を見回し、メンバーだけではなくその場にいるすべての人間に語り掛けているようだった。依頼の掲示板からほど近い位置で言い争う三人の様子をうかがっていた人たちは、ワタベの言葉が気になったのだろう。そのときまでチラチラとしかなかった視線が、その一言でゾッとメンバーである俺にまで一斉に集まり背中が熱くなった。
昨日の夜の部長女神の話は誰にもしていない。あくまでまだシバサキではないという可能性であり、本当にそうではないのかは判断できない。ワタベの言う通り、心優しい勇者さまは犯人ではないかもしれないのだ。
もし、ここでカミュを止めてシバサキの疑いに疑問を投げかけると、話がこじれてしまう。そのうえ、不用意にワタベに賛同するようなことを言えば、またしてもいらぬ亀裂ができる。時間はかかるかもしれないが、アンネリの気持ちが落ち着けばいずれは、彼女の口からあいつの名前を言い出すだろう。
それに、柳眉を逆立てているカミュはこの場で安易に剣を抜いて彼を滅多刺しにはしない。血に塗れていても誇り高い剣は彼女そのものだ。
ゆえに、この場の言い合いを止める気は俺にはない。レアもククーシュカも同じようだ。
集まる視線を感じたのか、カミュはゆっくりとシバサキを放した。
解き放たれたシバサキはせき込んだ後息を吸い込むと、服を整え手で軽く払った。
「それについては僕知らないからね。まぁ、とりあえず今日の依頼受けてくるから、その間にみんな冷静なって」
というと、カウンターのほうへと歩き出した。
「そうだね。シバサキくんの言う通りだ。確かに昨日のアンネリくんは出血も多く、息も絶え絶えでつらそうだった。妊婦がお腹を蹴られてしまうのは危ないなんてもんじゃない。それにあんな汚れた状態で怪我をするのも非常に危なかったね。でも、結果的に何もなかったのだからいいじゃないか。過ぎたことを悔やんでも仕方がない。それにこの件でいつまでも揉めていてはアンネリくんがかわいそうだよ」
ワタベも背中を向け、シバサキの後をついて行こうとした。しかし、立ち止まり首だけをこちらへ向けた。
「ところで、少し聞き取りなのだが、第一発見者は確か、レアちゃんだったね?」
体を向けずにレアを見下すようにして話をつづけた。
「わしは君を疑っているわけではないのだよ。でも君のこれまでの言動を見るとね。普段の行い、とでもいうのかな」
「つまり、アンネリさんに暴行を加えたのは私だと言いたいわけですね」
ワタベは彼女のほうへ大げさに振り向き、杖で指した。
「むむ……、そこまで直接的に言ってしまうのは、心の中に何かあるからじゃないのかね?」
レアは眉色一つ変えず、何も言わなかった。おそらく昨日の件について不可解な点が多くあることを彼女も感じているのだろう。沈黙は金だが、この場合、雄弁は銀にも銅にも劣ることはわかっているようだ。
「黙っているだけでは疑いは晴れないよ。レアちゃんね、君は彼女を見捨てようとしたそうじゃないか。なぜその場でできる最善の努力を怠ったのかな?それでは犯人と同じだよ?」
立ちはだかる様にのしのしとワタベはレアに近づいた。
「それに、怪我をした直後に間に合うなんて言うのは話ができすぎているんだよ。すぐについたなら犯人の姿が近くにあるはずで、何かしら見ているはずだよ。霧も晴れていたんだし。彼女のことが心配ならそれをまず報告してもいいと思うのだが……。わしならそうする」
そして、彼女の目の高さを合わせると、
「まだ若いのに隠し事は良くない。ああ、でも幸い彼女はもう命に別状はない。きちんと話せるまでゆっくり時間をかけるといい」
と感慨深そうに微笑んで、再びシバサキの後を追っていった。
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