白く遠い故郷への旅路 第五十話
シバサキの言葉に俺は耳を疑い、再び足の力が抜けるような感覚に襲われた。それは先ほどのような安堵からではなく、まるで足場が突然崩されて暗闇に足が囚われていくかのようなものだった。
セシリアの父親はシンヤではないのか――。シバサキ自身がセシリアの実の娘だといった。
そんなはずはない。認めたくない。
だが、どこかでその可能性を完全に否定できなかったのは事実だ。
駆け抜ける足が砂を進むほどに、速く走ろうとして息が上がるほどに、記憶は酸素の足りなくなった頭の中を駆け巡る。
ヒミンビョルグのあの山小屋、焦げたガラス越しに炎を揺らす薪ストーブの前でアニエスと共に読んだレナート・ウリンツキーの手紙によって、俺はセシリアの、ククーシュカの父親はシンヤだと思っていた。
妙に素早く結論を口に出し、それを事実だと思い込もうとしていたのだ。
「思い出したぞ。セシリアとか言ったな。お前、髪も目の色もあの女にそっくりだ。クラーラとか言う女だ」
シバサキは腕にしがみつくセシリアを払おうと振り回しながら言葉を続けた。
そう。セシリアの母親はクラーラ・ウリンツカヤ。何故シバサキが知っているのだ。
何故、などというのも、もはや自らの言葉に白々しさすら覚える。
「僕の見つけた山小屋に最初から勝手に巣くってたクズどもだ。最初からいれば自分のモンみたいに使いやがってよ」
“見た目は黒い髪で、勇まし■■男”
“仲間の女性とはぐれ■■まいヒミンビョルグで遭難したときに偶然家に■■り着いた”
“彼の移動魔法を頼■■遠出する”
シバサキが何かを喋るほどに、手紙の内容を思い出す。
シバサキはセシリアを破砕機の一メートルもない縁にさらに強く叩きつけた。衝撃にセシリアは手を放してしまったが、器用に縁の上に乗り、シバサキから後退るように離れた。
「寂しそうにしてたから抱いてやったらあっさりガキなんか作りやがってよ。親子共々ふざけんてんな」
“長い間の留守にシ■■という男が来■クラーラにツェツィーリヤを授けてい■た。”
レナートの文字は独特だった。名詞を書くときに、文字が細くなるクセが彼にはあった。シ■■は、シンヤではなく。
思い起こすことは止められない。記憶は脳から溢れ、意識を支配していく。
ククーシュカはかつて昔の話をしてくれた。
父親レナートが行方不明になり、そして母クラーラが死に、孤独に苛まれて衰弱していくセシリアがいる山小屋に突如現れたシバサキ。
彼女はそのときをファーストコンタクトだと言っていた。それはただ物心が付くか付かないかのときだ。
そして、その後すぐにシバサキにより怪しい養育施設に預けられた過去がある。
さらに後年、やがてククーシュカになりシバサキと再会し共に暮らしていた。そのときシバサキは彼女に近づかれることへ嫌悪を抱いていた。
いくら片っ端から力尽くで抑え込んで暴行するシバサキであっても、自分の血のつながった娘にはさすがに手を出さなかったのだろう。
シバサキと袂を分かった後、病気の発作により瀕死の状態に陥っていたククーシュカは俺の“相対的時間減衰”によってセシリアに戻った。
時を戻せば記憶も無いものになる。しかし、戻した年齢までの記憶は消えない。
俺が戻したのは母親クラーラを亡くしたおおよそ直後までだ。だから、シンヤが実の父親であるならば多少の記憶があってもおかしくない。
物心ついていなくても、母親から名前くらいは何度か聞いていて、その名前に懐かしさを思えてもおかしくない。
第568部の手紙の文章中に出てくる名前を全て半角カナで書いていたのですが、半角カナが反映されないので全角カナになっています。




