白く遠い故郷への旅路 第四十九話
焦げた硝煙の匂いよりもさきに立ちこめた血の臭いがすると、走り続けて既に上がっていた心拍は心臓を握りつぶすかのように一度強く打ち、そしてさらに加速した。
明確な殺意を持って引き金を握ってしまったセシリアへ、俺は不安と焦りに苛まれた眼差しを向けた。
銃口から登る細い煙の先でシバサキの頬には一筋の赤い線が出来て、それを遡った先にある耳たぶは千切れている。
丸く抉れた傷口からは玉のような血が膨らむようにあふれ出てきていた。
シバサキは無事だ。セシリアは、ククーシュカは、また無駄に手を汚さずに済んだ。かすり傷でも傷つけた事実は変わらないが、致命傷よりもマシだ。
それに致命傷を与えていたら、おそらくセシリアは落ちていただろう。シバサキは潰されても元に戻るが、セシリアは死んでしまう。俺は目の前の事実と自分に向けた咄嗟の言い訳を考えた。
そして、彼女の銃の腕前は非常に悪いことに加え、不均衡な回転軸で回る破砕機が起こす振動が銃口をぶれさせたという、運に近い何かにより自らの願いでもあった誓いを守れたことに安心し、足腰が震えるようになった。
だが、それは恐怖でもあった。シバサキが怒りをまき散らせるほどに無事であるなら、彼への攻撃は彼を激情の渦へと駆り立てるからだ。
これ以上引き金を握らせない為にセシリアを助けなければ。しかし、そちらへ向かえば二人とも失う。
自らに言い聞かせ、そして、ムーバリを信じて再び足に力を込め直した。
防ぐまもないほどの至近距離で撃たれ、両手が塞がっているシバサキは引きつった顔をしている。
腕が動かせない分の震えを顔全体に漲らせているのか、皺という皺が寄り始めた。
小刻みに振るえながら首を動かし、耳から垂れる血に、その生暖かさと、破けたマントの肩に滴り青と混じり濃紺の点が振り始めた雨粒のように出来ている様子を横目で見た。
そして、息をハッと吸い込むと、
「おい、お前。今僕のことを撃ったのか?」
とセシリアの方へと顔を向け、血管が切れてしまうのではないかと思うほどに血走った目を見開き、裏返り震えた声でそう言った。
次第に歯を食いしばり始め、額に汗と筋を浮かべると、「答えろ! 撃ったのか!? クソガキ!」としがみつくセシリアを大きく振り回し始めた。
「お前、しかも今僕の目を狙っただろう! 卑怯にもほどがあるぞ!」
シバサキは左腕にしがみつくセシリアをまるで腕に付いた埃をたたき落とすかのように破砕機の角に何度もぶつけ始めた。
破砕機はすでに動いており、もし彼女が痛みに負けてしまいその手を放してしまえば、不自然なまでに高速回転をする岩をも砕くいくつもの巨大な羽に飲み込まれてしまう。
セシリアは背中を金属に幾度となく打ち付けられ内臓や骨に響く痛みに耐え、苦しそうに咳き込みながらも必死にしがみついている。
許せない。どうすればそのような仕打ちが出来るのか。セシリアに何の恨みがあるのか。
シバサキの彼女へ向けていることの全てに、底知れない恨みとそれを霽らすかのような悪意が満ちあふれている。
「放せよ、クソガキが! 血の繋がった実の父親の目を撃とうとするとはどういう了見だ!」




