白く遠い故郷への旅路 第四十六話
アニエスの名前を呼んだが反応はなかった。まさか首の骨を折られてしまったのではないだろうか。
彼女の名前をもう一度呼ぼうとしたときだ。シバサキはチッチッチと舌を鳴らした。
「大丈夫だ。殺してない。
僕はなんでモテるかって、すごい力を持っているけれどそれでいて冷静で調子に乗らず、女性に対して紳士的な態度を取れるまさに異世界転生のヒーローだからだよ。
君みたいに弱くて何にも無いくせに粋がったりしないからさ。
それにしても、本当に何にもないよね、イズミはさ。唯一許された魔法なんて奇跡があるのに、それを強くしようっていう努力もしない。でも、努力できるってことも才能だからね。仕方ないのかな。
ああ、本当のこと言われたからって喚くなよ、うるさいからな」
死んでいないならそれでいい。ゴチャゴチャよく喋るのも勝手だ。
「なんでアニエスにまで手を出したんだよ!」
無視して喚くように尋ねるとシバサキはムッとしたようになったが、「たった一つだけ」と首を掴んでいた掌の人差し指を立てた。
「それさえ犠牲に出来れば人が助けられるのに、そのたった一つの贄さえも差し出せない強欲でワガママな君に、選択肢を自ら作り出せない優柔不断な君に、僕が選択肢を用意して上げるためだよ」
「たった一つだ? 嘘つくなよ。たった一つって言うのはお前にとって都合の良いたった一つだろ? それが俺にとってはその二人どっちもたった一つじゃすまないんだよ!」
「この青白クソガキと赤髪の女どっちがいい? 僕のおすすめは君がガキを選んで僕がこの赤髪の女を貰うのが良いんだけど……」
シバサキは掴んでいたアニエスを見て眉間に皺を寄せた。
「ってなんだ貫通済みかよ。きめぇな。世界にいる女はみんな僕のために処女じゃなきゃいけないのに。もう用済みだな。ババァと一緒にモルモットにしてやるよ」
そして、足で破砕機の縁を大きく踏むと、エンジンのかかる起動音がして機械全体が大きく揺れた。低く唸るような回転音が大きくなるにつれて破砕機の羽が回り始めた。
だが、回転音は不揃いで、回転軸に対して左右不均衡なものでも回しているかのようであり、小刻みだが振れ幅の大きい振動は機械の脇にぶら下がる道具を揺らし、金属の鳴子が一斉に揺れるような不気味な音を反響させた。
「何か回転数多いな……。クソメスガキユリナの持ちモンだし、どうせキチンと整備してないんだろ……」
揺れる機械の上でシバサキは足下を見つめて怪訝な表情をしている。
だが「まぁいいか」と気を取り直したのか顔を上げると俺を見下ろしてきた。
「僕が悪だと言った者は全て悪。その悪が選んだものも全て悪。悪は粉々に砕かれて死ななきゃいけない。
さぁ、どっちがいいか、選ばせてやるよ。肉穴と血のつながりのない娘、どっちがいい?
さっさと選びなよ。本来なら選ぶ権利なんか無いのに感謝しろよ。君はどっちを悪にするのかな?
僕も忙しいんだ。腕も疲れる」
「黙れよ。あんたのしてることは正しいことじゃない。俺は二人とも助ける! それにお前も止める!」
「ちょっと言ってる意味が分からないな。
僕は女神様に指示されてやってるんだ。神様の言うことだから正しいに決まってる。僕の行いの全ては正しい世界の救済になる。
神様が僕をヒーローに選んでいろんな力をくれたんだから、僕を邪魔するお前のやる事なす事全部悪なんだよ」
「二人も救えないヤツに世界の救済なんか出来やしない」
言い返すとシバサキは真顔になり瞬きすらせずに止まった。そのまましばらく黙っていたかと思うと「ちょっと待ってよ」と目を丸くした。
「その言い方するってことは自分がヒーローだとでも思ってるのか、お前?」と早口になった。
「違う。俺は二人を助けたいだけだ! 誰かを殺しても英雄面出来るんなら、俺は英雄なんか頼らない! なりもしない!」




