白く遠い故郷への旅路 第三十八話
「先生! 何やってるんですか!? あなたは逃げるなり自分のことだけ考えてください!」
「なぜ? 私が戦えないとでも思ってんのかい? 年寄りは魔法もショボくれてると思ってんのかい?」
エルメンガルトはそう答えると不敵に笑いだした。そして気合いを入れるように腕をまくると、杖を三度振り回した。
「先生やってると、若いのが心配で仕方が無い。洟垂れ、あんたぁ壊すことに集中して、さっさとその子だしておやんな。怪我はしてないようだが痛そうじゃないか。好きな女は大事にしな」
エルメンガルトは小さな背中を向けたままそう言った。
しかし、その歳で丸まった背中はまるで子亀のように小さくとも、悲しいものは一切無かった。
自分が盾になり時間を稼ぐというような自己犠牲ではない何か、それどころか自信に満ちあふれており、ある種の畏怖の念さえ抱くほど大きく見えた。
「年を取ると、魔力が弱まる? 寝ぼけるんじゃないよ」
エルメンガルトが両手で杖を横に持ち、天に掲げた。すると不穏に風が上昇するように渦を巻き始めた。
「逆だ」
杖で何かを引くようにゆらゆらと動かすと、晴れていたはずの上空に重苦しい暗雲が立ちこめ始めた。やがて暗雲は彼女の動きに合わせてぐるぐると禍々しく渦を巻きはじめた。そして、目をつぶり杖を右手だけで持ち始めた。
そうしている内に男たちは車をよじよじと登り始め、目立つ行動を取り始めた彼女に警戒して杖を向けた。
彼らが突撃しようとした、まさにそのときだ。
自分たちの周囲にあった小石や砂が震えだしまるで天に引き寄せられ浮かびあがる光景が視界に入った。
さらに身体の毛も天に引かれるような感覚が全身に走り、やがて身体そのものまでもが引かれ無重力になったような感覚に包まれた。
そして、音さえも天に奪われたかのような静寂が刹那に訪れた直後、突然目の前が白く飛び、耳が詰まったように聞こえなくなった。
白く飛んだ世界が元に戻ったので辺りを見回すと、車を中心に集まっていた男たちは全て倒れて湯気を上げて痙攣を起こして倒れていたのだ。
空を見上げると僅かに切れた暗雲の隙間に巨大で鈍く光るカナリア色の魔方陣の一部が顔を出していた。丸くカーブを描くはずの魔方陣の一部が直線にすら見える。一体、どれほどの規模の魔方陣なのだろうか。
彼女は杖先ではなく遙か上空に魔方陣を作り上げ、そこから雷を落としていたのだ。
「元だが――」と言いながら首だけを回して俺とアニエスを見ると、「エイプルトンの教室長をナメるンじゃぁないよ」と呟いた。
アニエスと二人でその凄まじい魔力にあっけにとられていると、「洟垂れ、ボサッとすんな!」と怒られてしまった。俺はすぐにアニエスを解き放つために金属を壊し始めた。
エルメンガルトの強烈な召雷攻撃に圧倒され、取り囲む男たちに焦りが駆け抜けると動きが止まり、そして、明らかに殺気を強めた。
「先生、それ後どれくらい出来ますか?」
俺は外れかけた金属を力で曲げながら尋ねると、「さぁね」と低い声が返ってきた。
「年寄りをこき使うのかい。だが、何発でもやってやるよ! 何十年も使わずに糞詰まり起こしたババァの魔力はまだまだ余裕さね!」
そう言うと、離れた集団にまたしても稲妻を落とした。落とされると地響きで僅かに地面が揺れた。
落雷地点では大きな砂埃が舞い上がり、その中からさらに幾人もの軍人が遅れて飛び出してきたのだ。
これはいける。しかし、エルメンガルトは余裕そうだが、負担はあるはずだ。急がなければ。
「アニエス、ちょっと暑いけど我慢してくれ」と言って杖を超高温にして金属にあてがった。
すると、するすると融け始めてくれた。アニエスは触れている部分を自分の得意な氷雪系の魔法で冷やしていた。
熱で脆くなり、二、三度力尽くで捻ると金属疲労を起こして柔らかく折れた。金属を投げ捨ててアニエスの手を引きあげた。そして、三人で車の上で揃って立ちはだかり取り囲む男たちを見下ろした。




