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翠雨の別れ 第五話

 ストスリアはノルデンヴィズよりもはるかに南にある。その分、陽が暮れるのも早い。傾き始めた陽は橙に建物の壁を照らしている。しかし治療施設の中は薄暗い。


 古くからある建物につながる様に建てられた治療施設は、構造上の理由なのか日光が入り込みにくいようだ。まだ陽の高い時間にもかかわらず、照明が点いている。それは魔法で動いているのだろう、ネオン管の放つような低い小さな音がする。

 無機質なドアが繰り返し並び、奥までまっすぐに伸びる廊下は石造りの壁でできていた。日光に当たらないそれは廊下を冷やし、動く物音をよく響かせた。歩くと自分の足音が反響し、後ろから聞こえてくる。それはまるで誰かにつけられているように。以前いたときから、俺はそれが不気味で仕方なかった。


 あのとき、長くいることができたのは、俺の部屋からは辛うじて外の木とわずかな空が見えていて、無機質なものに囲まれた中にも命の営みが見えたからかもしれない。


 病人をこんなに鬱屈としたところに収容して大丈夫なのだろうか。よく考えれば、俺もアンネリも本来死ぬべき状況にあった人間だ。そういうのが運ばれてくるから病人というよりもモルモット同然なのだろう。人権もクソもなさそうだ。


 かつていた大学の地下にあった陽の一切差さない、タイマー照明でのみサーカディアンリズムを調整される動物舎ような長い廊下を進み、アンネリの部屋に向かう途中、廊下の端に置かれたソファにオージーが腰かけていた。彼は手を合わせて口に当て何かを考えこんでいる様子だった。落ち着きなく膝をゆすっている。


「オージー、アンネリの意識は戻った?」


 オージーははっとすると俺のほうを見た。考え事で頭がいっぱいだったのだろう。誰かがいるのに気が付かず、突然話しかけられて驚いたようだ。その顔は先ほどとさほど変わらない血色の悪いままで、休憩はあまりできなかったようだ。


「あ、ああ。戻ったみたいだ」


 たどたどしく引きつった笑顔で答えた。無理に笑っているのだろう。


「これからアンネリに聞かなければならないことがあるんだけど、大丈夫か?」

「な、何を聞くんだい……?」


 オージーは不安そうに俺を見た。


「アンネリの受けたダメージがあまりにも大きいから、意図的なものを感じる」


 それを聞くと、膝の上の手を強く握り始めた。


「それは、つまり、誰かが……」

「否定はしない。もしそうなら今回のこれは殺人未遂だ。何もなかったからいいと許されるものじゃない。早めに話を聞きておきたい」


 覚悟を決めたのか、大きく息を吸い込んだ。手をついていた膝をパンと両手で叩き、立ち上がった。そして俺の顔をまっすぐ見つめた。身なりを整える彼はまだ不安なのだろう。


「わかった。でも、アナの様子次第で止めてもらえないだろうか」


 俺がうなずくのを見ると、オージーは部屋へ案内した。

 本当のところ、話を聞いたところでどうしようもない。警察に突き出したいところだが、残念なことにそんなものはいないのだ。代わりに存在している自警団のようなものに突き出せば、ただの私刑で終わってしまうだろう。それに、ノルデンヴィズの管轄の裁判官にはあまりいい思い出がない。



 ベッドの上で体を起こしていたアンネリは開け放した窓から外を見ていた。見えるはずもない遠くを見つめるようなまなざしを外に向けている。その眼には何が映っているのだろうか。

 彼女は俺たちが部屋に入ってきたことに気づき、顔をこちらへ向いた。


「ベッド、硬いわね……」

「体は問題ない?」

「たぶん。……あ、あかちゃんも大丈夫だと思う」

「そ、そうなのか!?」


 突然、オージーが体を乗り出した。アンネリの状態が安静になったあとも心配そうな様子が収まらなかったのはこのせいだったのだろう。無事を聞いて喜びよりも、体の動きが先行してしまったようだ。

 それに驚いたアンネリはほほを染めて、彼から視線をそらした。

そして「……女の勘だけど」とぼそぼそと照れ臭そうに言った。

俺は近くにあった椅子を寄せ、逆向きに座り背もたれに顔をのせた。


「いずれにせよ、しばらくは安静にしてもらわないと」


 アンネリはうつろな目で再び窓の外を見始めた。風が吹き込み、飾りを外してほどかれた髪がなびかせた。


「……そうね」


 ぽつりと呟いた。

 あれだけ休業を拒んでいた彼女も、これ以上は無理にしかならないと悟ったのだろう。悲しい顔はしていない。何かを終わらせたかのような顔をしている。その表情に、やっと落ち着ける、という気持ちが込められていることを俺は望んだ。


でも、その前に少しだけ、話を聞かせてもらおう。できる限りはっきりさせておきたい。


「どこまで覚えてる?」

「辛うじてだけど、あんたが目閉じろって言ったところまで。痛くて死ぬかと思ったわ」

「ほぼ覚えてるみたいだね。レアと安全圏に出てからの話を聞かせてくれないか?」


 ため息をすると、膝を手繰り寄せて抱えた。


「面倒くさいわねぇ……」


再びため息をすると話を始めた。


 レアとアンネリが安全圏に出た後、二人で終わるのを待っているときだ。しばらくしてレアに商会本部から連絡がきて、レアは少し離れて話してくると言って木の陰に入っていった。それからだいぶ長い話をしていた様子で、なかなか戻ってこなかった。

 待っている間にシバサキが遅れて現れ、アンネリのことを見ると、ゲッと言ったらしい。彼がどうするつもりかはわからなかったが、そこで一緒に待ち始めたらしい。何かされるのではないかと最初はピリピリしていたが、特に何かするでもなく、言うでもなく時間が過ぎていったらしい。

 しかし、しばらくしてシバサキはイライラし始めて、タバコを吸おうとしたようだ。すかさずアンネリは、止めてください、と言うと、珍しく何も言わずにしぶしぶ止めた。そのとき舌打ちをしたが、何にも言わない分余計に感じ悪かったそうだ。


 その後、気まずい沈黙の中でしばらく待っていたら、シバサキは落ち着きなく動き始めた。何をしていたのかは知らないが、石につまずいたらしくて、アンネリの前で転んだらしい。


「そのとき、肩に手を突かれたのね。後ろに倒れて背中をちょっと打ったの。そのときはまだ……でも……そのあと……」


 アンネリは途端に口数が無くなった。

 みるみる肩が震えだして、手のひらを眺め始めた。その手のひらも震えていて、汗をかいているのか、てらてらと光りだした。

 しゃべらなくなると同時に、あ、あ、と絞り出したようなかすれた声を出し始めた。息もみるみる荒くなっていく。


 何かが起きた瞬間を鮮明に思い出してしまったようだ。どうやら、まだ聞くのは早かったようだ。何も言わないがアンネリの口は動いている。

 突然、アンネリは顔を強く押さえた。そして、大声を上げた。


「あいつが、あいつが、あたしのこと、あたしたちのこと殺そうとした! 前かがみに……うずくまったら……おなかを……足で!!」


 大声を上げて泣き出してしまった。オージーが駆け寄り、アンネリを抱きしめた。


「大丈夫、もう大丈夫だから」


 彼女は抱きしめられると、オージーの背中に両手を回して強く服を掴んだ。握りしめられて皺が寄る彼の服はいまにも破れてしまいそうだ。どれほどの恐怖を味合わされたのだろうか。

 オージーは俺のほうを見ると、「イズミ君、すまない。もうこれ以上は」と悲しそうな顔をした。


「わかってる。俺もいないほうがいいな」



 アンネリをなだめながらオージーは続けた。


「それから、ボクたちはチームでの活動をしばらく休ませてもらっていいかい? 傷つけた張本人がいるかもしれないチームに、これ以上アナを連れていくわけにはいかないし、一人では心配だ」

「何も言わなくていい。手続きはする。君たち二人が落ち着いたら、委任状にサインをしてくれ。カトウの件で知ったんだけど、委任状は二、三日後でも大丈夫らしい」

「そうか。すまない。恩に着るよ」


 俺はアンネリの泣き声の響く部屋を後にした。不気味な廊下にまで響いていた声は、ゆっくりとドアが閉まると小さくなった。

 閉まったドアに寄りかかり、頭をつけて天井を見た。彼女の泣いている声がまだかすかに聞こえる。

 アンネリの話に違和感を覚えたことは黙っておこう。カミュにもレアにも、オージーにも。


 ドアから離れて俺はノルデンヴィズへポータルを開いた。

読んでいただきありがとうございました。

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