(仮題)カエルとヘビの事
その年の晩秋は、ぬるま湯のような陽気が居座り続けておりました。
山に棲む動物たちもそれに似て、
「北風サマが風袋の口紐を縛りすぎて、其れをほどくのに体を暑くされてるんだろうね、きっと」
「ウン、きっとそうだ。いっそのこと、いっぺんくらい春まで汗をかいてくださらないかな」
と、どこか呑気で間延びしたような心地にありました。
ところが、言葉に吐くと願いの表裏が返ることはあるもので、あくびした背中を刺すようにして、つと凍てつく風がゴウゴウと転がり込んできました。
それに肝を潰した動物たちは「冬がきたぞ!」と慌てて方々に退散しました。
そんなある夜のこと_
カチカチに凍ったアスファルトに向けて、冬支度に遅れたカエルがぴょんと飛び出しました。すると、着地したところは乾いた氷になっていてカエルの湿った手足をたちまちジュウと凍らせて焼き付けてしまいます。
「いけねえ!あとさきを考えずに飛び出しちまった」
カエルは参ったと、あたまを搔こうとしましたが、地面にすっかり貼り付いた手足が離れることはありません。無理にでも引き剥がそうとすれば皮膚ごと地面に残してしまいそうです。
結実の役目を終え、生きる執着をすっかり失せてしまった一年草たちを必死に掻き分け、巣へ戻ろうと行き急いだ矢先の出来事でした。
「ウウム」
どうしたものかと困り果てたカエルは、唯一満足にうごくこうべをあげてみると、西の空から、真っさらな水に墨汁を滲ませたような漆黒の雲がもくもくとこちらへ流れてくるのが見えました。よく効く鼻をかっぴらいてスンスンと嗅いでみると、どうやら湿り気を帯びた空気を運んできたようです。
「しめた。これは一雨きそうだぞ」
地面が雨で塗りつぶされれば、貼り付いた手足も離れると読んだカエルはじっとして、待ちました。待つあいだ、ニンゲンが使う乗り物とかいうものが上を通って潰されませんよう、喉を精いっぱいぐぅぐぅと鳴らしながら、何度も空へ祈りました。
何とかその願いは叶い、いよいよ小雨が降り始めて、これで巣穴を拝めそうだと一息ついたころ、運悪く今度は正面からヘビがやってきてしまいました。
「しめしめ。カエルめ。さては手足が貼り付いて動けないな?」
どうやらヘビも冬支度に遅れ、痩せた体であくせくと方々を這いずり回っていたところのようです。
ヘビはカエルを睨み、サァいざ飲み込まんと口をかぱりと開けてにじり寄りました。
「ひえ」
自分がこれから収まる真っ赤な口を覗いてカエルはすっかり痺れてしまい、めいうんも尽きたと悟りましたが、動く口を使って最後に命乞いをしました。
「まってくだせえ!あなたさまのためにも、いましばらく!」
かぱりと大口を開けたヘビは飲みこんでやろうと決心していましたが、カエルが言った『あなたさまのため』、と言う言葉がどうにも気になり、噛みつくのを止めました。
「どういう意味だ?」
ヘビがそのこころを問います。
「あたくしは毒をもっております。飲めばたちまち肚をひっくり返して死んでしまいます。ですので、飲むことはやめてくだせえ」
「ふん、にわかに信じがたい」
いままで色んな生き物を飲んできたヘビは、毒になどやられたことが無かったので、カエルの言うことを戯れ言だと鼻で笑いました。
しかし、カエルは続けて言います。
「飲んでみればわかります。しかし、飲まれちゃあ、あたくしも助かりませんので、やはり命乞いをします」
都合のよい言い分にヘビは苛立ち、カエルの『言葉』に噛みつき始めました。
「嘘を吐くな!オマエの模様、かたち、色はわたしが知っている好物のカエルそのものなのだ。毒など持ち合わせておらん。そうであろう」
しかし、カエルは必死に弁明します。
「色や形で判断しないでくだせえ。見た目は似ていても、そいつらとは違うものでございます。なにとぞ、お見逃しを、なにとぞ」
ポロポロと目に雫を溜めてはこうべを垂れて落とし、また雫のおかわりをしてはこうべを垂れて落とし、何度もカエルはうったえました。
「見逃す?目のまえのご馳走を前にしてそんなことをするものなどいるものか」
すっかりヘビはカエルの言葉に噛みつくことに夢中で、それらをすべて飲み込むまではカエルを飲んでやろうという気配が見当たりません。やりくいさえ上手に出来れば、いのちを繋げるのではないかと考えたカエルはヘビとの会話を繋ごうとします。
「おりますとも!たとへばニンゲン」
「ニンゲンだと?それは何者だ?」
聞いたことがない生き物の名前にヘビはまた関心を持ってしまいました。
「この道を作った生き物です。ニンゲンは賢く尊いので色んなことが出来ます」
カエルは卵から生まれてオタマまでの時分、ある家の水槽に飼われていたことがあったので、ニンゲンのことをよく知っていました。
「この忌々しい、地潜りはおろか草木も満足に生えぬ地面を作ったものか。そんなもののどこが賢く尊いのだ!」
ヘビはすっかり噛みつく相手を取り違えていて、カエルの術中にいました。
しかし、このままだといかりが通り過ぎて何かの拍子でバクリとやられてしまう心配があります。かといって、ヘビとの話を止めてもバクリとやられます。
何とかここはニンゲンを担ぎ出して、ヘビの気を引き続けるしかありません。
「ごもっとも!ごもっとも!ところが、ニンゲンはあたくしたちの助けになることもあります」
「同胞以外のものから恩に預かった覚えはない」
「ほんとうに覚えはありませんでしょうか。たとへば、いっとき異国の言葉を扱う余所者のタヌキどもが威張り散らしていたでしょう」
「それは覚えているとも。何にでも襲いかかる気性がやっかいなタヌキか。一度鉢合わせてほうほうの体で逃げたことがある」
ヘビは大変厭な思いをしたようで、掘り起こされた覚えにゾウと顔を青くしてとぐろを巻きました。
「やはりあなたさまも経験がおありでしたか。しかし、あのわきまえ知らずが、ちかごろはとんと見ませんでしょうが。あれを払ったのがニンゲンです」
「なんと。確かにやつらを見ることはとんと無くなった。ニンゲンとやらが退かしたのか?」
「へい、なんでも全体の兼ね合いを保つために払ったとかで」
「兼ね合いだと?どういう意味だ?」
「へい、あたくしはたいそうなオツムを持ち合わせておりませんので、満足に説明を差し上げれませんが、等しく生き物たちが暮らすためにタカの目よりうんと高いところから全部を眺めているそうです。草木も植えたりします。」
ニンゲンというものがやらかす仕事にたいそうヘビは驚きました。
「あの硬い地面をこさえたり、タヌキを溶かしたり、タカより高いところから眺めて調和に努めたりと、それは神サマの使いか?」
カエルもニンゲンのことを語っているうちに、なんだか自分も偉くなったような心持がしてきました。
「へへへ、それだけじゃあないんだよヘビさん。ニンゲンは木を使ったり、石を使ったりして頑丈な巣を建てたり、我々を食べるキツネを食わずに毛皮だけ剥いででしまったりして、寒さを凌ぐものに仕立てたりするのさ!」
すると、食わずして毛皮にするという言葉にヘビが蘇らせることがあったようで鎌首をあっちにかしげます。
「食わずして殺す生き物・・・。つながったぞ!ニンゲンとはわたしの知るヒトとかいうものの方言だな。同胞なんぞはきゃつらが命のように後生大事にする貨幣などというものを入れる袋や、音が鳴る楽器とかいうものに化けてしもうたわ!そんなものを・・・」
ヘビは怒りで目を真っ白にしてわなわなと震え上がります。
その貌をみたカエルはこの風向きを返ることはもはや叶わないと思い、氷が溶けた手足が地面から離れるのをそおっと確認すると、そろりと草むらに飛び込もうと背を向けようとします、しかし
「油断ならん恐ろしいやつめ、ニンゲン。危ない、危ない。そして、それを持ち上げるカエルめ逃さんぞ、エイっ!」
「あ、まっ…」
待てと言う間もなくカエルはヘビに飲まれてしまいました。
ヘビは飲んだカエルが喉元を通りすぎたところで、
「きさまの甘言に惑わされて、ヘビとしてのほんぶんを忘れるところであったわ。危ない、危ない」
と、深くため息をつきました。しかし、まもなくして、腹の奥のほうまでボコリと膨らんだ凸が移動すると、
「ぐぅ、苦しい!これは毒だ。このカエルは毒ガエルだ。あいつの言うことは本当のことだった。ああ、でももうだめだ、カエルよ堪忍」
そういうとヘビは泡を吹いてバタリと死んでしまいました。
「信じては貰えなかったか。あとさきを考えずに飛び出してしまったことと、ニンゲンを担ぎ出したのが、そもそもの間違いだった。しかし、もうこうなっては助からない、仕方がない、さようなら」
カエルもヘビの分厚い体から出れずに苦しんで死んでしまいました。
どこかわからないここで、死んだカエルとヘビは次の生まれる先を何かに聞かれていました。
二匹は生きてる間、仲間への徳を積んできましたので、何にでも生まれ変わることを選択することが出来ました。もちろんニンゲンにも。
しかし、カエルは
「あたくしは、前の世で子を成し次にいのちを繋ぐことが出来ました。最後こそ自分のいのちが惜しくなりましたが、先に命を託すことが出来て充分に満足しています。この満足は代えがたく、もう一度味わってみたいものです。ですので、次も願わくばカエルとして生きたいと思いやす」
ヘビは
「俺は食べ物を獲る名人として、たった一匹の力のみで名を馳せてきた。最期こそ自分に奢ってしまい、痩せた上に毒にやられて死んでしまったが、次こそはもっと立派なヘビとして生きたいと思う」
二匹ともニンゲンは愚か、他の生き物にも生まれる選択はしませんでした。