王子様との出会い②
「ヴィクトリア……どうしたのその顔、眠れなかったの?」
メイドに支度を整えられている時、お母様が心配そうに私を覗き込んだ。ドレッサーの鏡に映る顔に、少しクマが出来ている。
部屋に送り届けられた後、悔しさのあまり一睡も出来なかったせいだ。
「枕が変わったからかしら…それとも」
ちらり、とお母様の目が泳ぐ。すぐに気を取り直して殊更明るく私の頭を撫でた。
「大丈夫よ、ヴィクトリア。何があってもこのお母様がついていますからね」
その慈しむような目を見て、気が付く。そう言えばお母様の中で、私は王子が好きなままなのだ。
「お母様、勘違いしてるようだから訂正するわよ。私は別にあの王子様のこと好きでもなんでもないのよ。むしろ…」
「わかっているわ、ヴィクトリア」
全てを包み込む日向のように温かい眼差しだった。
「わかってないでしょうお母様!!私はあの王子様なんか好きじゃないの、むしろ昨日のことで嫌いになったわ!」
「そんなこと言うものじゃないわ。自分が後で苦しくなるだけよ…」
「な・ら・な・い!!!!」
朝から妙な押し問答を繰り広げながらも、メイドが運んできた朝食を食べて扉を出る頃には、双方淑女の顔をしておしとやかにお茶会へ向かった。
薔薇園のアーチをくぐり抜け、早々にかけられたその声に口元が引きつった。
「おはよう、ブラットリー嬢。昨日はよく眠れたかい?」
「…ええ、お陰様で」
寝不足でクマの出来たこの顔を見て、よくもまあそんな言葉が出てくるものだ。こめかみがピクピクと痙攣するのを感じながらも、人前のため笑顔を保った。
「それは良かった。今日もあなたと会えて嬉しく思うよ。ほら、席に案内しよう」
白々しくもニコニコと笑って、王子は私の手をとった。
「は……」
昨日は一言話せば別の令嬢に話を振って、また別の令嬢に振って、と八方美人をしていたのに、王子は何故か私だけをエスコートした。いけない、ここで驚いていてはまたあちらのペースに持っていかれるだけだ。
助けを求めてお母様を振り返るも、彼女は目にうっすらと涙を浮かべて頷いていた。
……これは頼りにできない。
「あの」
「どうかした?」
「あちらのご令嬢が紅茶を零してしまったようですわ」
「そのようだね。うちの使用人に片付けさせよう」
そうじゃない。
「ほら、恐縮そうに俯いてかわいそうですわよ」
「本当だ。こう言う時はそっとしておいてあげようね」
フォローしに行ってこい、と言外にほのめかしているのが何故わからない?
イライラとし始めた私に気がつかず、王子はテーブルの上のお菓子を皿に取り分けた。
「このクリームはうちのシェフ特製でね、スコーンにつけるととても美味しいんだ。出来たてだから、熱いうちにお食べよ」
「はあ、そうですのね」
別に常に横について説明してもらわなくてもいい。鬱陶しいと目だけで訴えかけても、どこ吹く風で王子はこちらに皿を差し出している。
仕方なく少しスコーンを齧れば、自慢なだけあってかなり美味しかった。
「どうかな」
「……美味しいわ!」
見上げると、いつの間にか近くにその顔があった。
「そう、良かった」
金色のまつ毛が下まぶたに影を落とし、ふわりと微笑んだ。
そのガラス玉のような青い瞳が、私を見つめていた。
絵本から抜け出たような、王子様の姿に無意識に見惚れていた。
じっとその光景を見つめていると、その彫刻のような整った顔立ちが、ゆっくりと唇を動かした。
「いつも、普段はそうやって猫を被っているのか」
「……………は、…?」
ぼそり、と密やかに告げられた言葉の意味が分からずポカンとする。
表面上は美しく微笑みながら、王子は目を細めた。
「昨日の話し方と、全然違うね」
言われて気がつく。
そういえば昨晩、敬語を使うのを忘れていた。
「僕は、昨日の方が好きかもしれないな」
顎を撫でながら、王子がそう言った。
その言葉に、どこか既視感を覚える。当たり前のように笑って、こちらを見下ろした。
“あの薔薇が欲しいかもしれないわ”
フラッシュバックした、自分の声。庭師の嬉しそうな顔、芳しい匂いの薔薇が視界を覆う。
ああ、そうか。
望んだものが全て手に入ると、それが当たり前だと、分かり切っているのだ。
「あら、……なんのことでしょうか?」
これ以上ないくらい、美しい笑顔を貼り付けて私はそう言った。
その目を挑むように見返す。
「それより殿下。花屋から美しい花々を取り寄せるのは顧客の勝手ですが、間違って入ってきた非売品はちゃんと業者に返してくださいね」
「……花屋……非売品……?」
流石に家畜に例えるのを口にするのは憚られたため、綺麗に花に例えて忠告した。
すると王子はしばらく言われたことを噛み砕いていたようだが、やがて身体を震わせて笑い出した。
「なるほど、噂通りの甘やかされっぷりだな」
「はい?」
「いや、なんでも」
ぼそりと呟かれた言葉は聞き取れず、胡散臭い笑みを乗せて王子は向き直った。
「母上、決めました。彼女にします」
「まあ、そうでしょうね。そんなあからさまに見せつけられれば、言われなくても分かります」
少し離れたところに座っていた王妃様は、呆れてため息をついていた。
「ヴィクトリア嬢、それでは息子をよろしく頼みますよ」
「え…………」
微笑む顔は、何処と無く王子の面影がある。
「みなさん、この度はありがとうございました」
は?今何が起こった?
養豚場で豚を買い付ける時だって、もっと色々順序があるのでは?
そこらへんの出店で子供がひよこ買うよりも軽いノリで私は今、この王子の婚約者になった……?
庭園に拍手が鳴り響く、その中心で叫び出したいのを私はすんでの所で令嬢としての矜持がこらえた。
「…………あの、先ほど私が、申し上げたこと理解できませんでしたか?」
怒りを堪えすぎてブルブル震える私に、王子は首を傾げた。
「いや、理解はしたよ。だけどね、……間違えて納品した業者にも非はあるだろう?」
口の端を上げて笑う顔に、言葉を失う。
「あと、王子の婚約者たる者、防御魔法くらい使えるようになってくれ」
青い瞳が蔑むようにこちらを見下ろした。言うだけ言って、手を振って立ち去る。
呆然とする私にお母様が悲鳴のような声を出して駆け寄った。
「まあまあまあまあ、なんてことでしょう!!!良かったわね、良かったわねヴィクトリア」
お母様が何かを言っているが、全く頭に入ってこない。担ぎ上げられるようにみんなに押され、祝福されながら、気がつけば帰りの馬車の中にいた。
「お母様。私、私、負けませんわよ……」
「なあに、ヴィクトリア」
「絶対に、あの腹黒男を見返して、婚約破棄させてやるわ!!!!」
「ヴィクトリアは照れ屋さんねぇ」
ほけほけとしたお母様の笑い声と、私の叫びが馬車の中にこだまする。
ここから、私たちの長い戦いが始まった。
……しかし、どんなに頑張っても頑張ってもあの男を出し抜けず、一向に婚約破棄出来ないまま、やがて魔法学園に入学することになるとは……夢にも思わなかった。
あとはクリスティーナ視点を書いて終わりにしようと思います。