《7》
気がつくと、俺は超満員のスタジアムの客席に座っていた。
スタジアムの中心では、一体の赤いP・Sが手を振っている。
配線やギアなどが剥き出しのボディ。
けっこう旧式のP・Sだ。
『第三四回『P・S・Bワールドカップ』優勝はぁ~…、『キング王国』代表『ジェフリー・キング・ペンドラゴン』選手とその愛機『レッド・ドラゴン』だぁーッ!』
ハイテンションな会場アナウンスが流れると、P・Sが両腕を上げてアピールを決める。
その瞬間、会場の観客が一斉に立ち上がり、歓声と拍手を始めた。
座っているのは俺だけ。
と言うより、立ち上がろうとしても体がまるで動かない。
『はぁ…、負けちゃったか…』
会場の盛り上がりとは裏腹に、俺の前の席に立っていた少年が椅子にドサッと腰掛けた。
『………』
その少年の隣に立つ少女は、空を見上げて微動だにしない。
(……あぁ、そうだ。これは…)
『残念だったな? デグおじさん、勝てば優勝だったのに…』
『‥仕方、ないさ…。お父さんよりも、ペンドラゴン選手の方が、動きが見事だった…』
そう言って被っていた黒いキャップを外した銀髪の少女は、はたして幼い頃の妖子だった。
頬を伝って、涙がこぼれている。
その隣に座る子供の頃の俺は、どう励ましていいのか解らず、インタビューを受けるペンドラゴン選手の様子を眺めていた。
『…えー、それでは次に、惜しくも勝利を逃した白井選手にインタビューを…』
幾分トーンを下げたアナウンスが流れると、レッド・ドラゴンの影に隠れるように佇んでいた黒いP・Sに大きな声が向けられた。
しかしそれは先程のような声援だけでなく、野次やブーイングを含んだ物だった。
この日、セントラルにある国立競技場では、P・S・Bの世界大会『P・S・Bワールドカップ』決勝が行われていた。
プロP・S・B選手であった妖子の父、デグおじさんこと『白井・レオ・デグランス』さんは、ニホン代表として大会へ挑むも、決勝の相手であるペンドラゴン選手に、あと一歩のところで惜敗してしまった。
『何負けてんだーッ!』
『馬鹿野郎! 辞めちまえーッ!』
第三四回のワールドカップはニホンが開催国。
開催国選手だったデグおじさんへの周囲の期待は大きく、その分負けたことに対する罵倒は大きかった。
何より、ニホンに帰化しているとは言え、デグおじさんは異星からの移民。
つまり、純粋な地球人ではない。
その事も余計と、批判に拍車をかけた。
俺と妖子の周りからも、デグおじさんをなじる声が次々上がる。
この掌の返しようは、実に不愉快だった。
いくつになっても、こう言うのを見聞きするのは嫌だ。
『白井選手、ずばり敗因はなんだったのでしょうか?』
マイクを向けられたデグおじさんは、短く切り揃えた銀髪を撫でる。
少し疲れた様子だった。
『ピットクルーや家族は、今日まで良く私を支えてくれました。全ては私の操作技術が、ペンドラゴン氏に及ばなかったことが原因です』
そこでデグおじさんは一度言葉を区切り、俺たちが座っている席の方を向く。
『私の勝利を期待してくださった皆様、本当に申し訳ありませんでした』
そしてその場に跪くと、土下座をして謝った。
アレは、試合を見に来ていた俺と、なにより妖子に向けられた物だと今でも思っている。
元々、誠実さと謙虚さが売りの選手だったデグおじさんのその姿に、人々は唖然として、罵倒は徐々に減少していった。
『ふざけんな―ッ!』
『謝罪で優勝する気かよーッ!』
しかし一部のサポーターはそれでも治まらず、しまいにはフィールドにビールの空き缶やメガホンなどのゴミを投げ始めた。
特に比較的若い、二十歳そこそこと思われる若い奴等が、赤ら顔で騒ぎ立てている。
その連中が、俺たちの前に陣取っているのが尚たちが悪かった。
『このクソ酔っ払いども…。おじさんの事、好き勝手言いやがって…』
『アルト…、この手の人達は、責める対象が居たら誰だって良いんだ。相手にすること無いよ…』
『でも妖子…』
『僕は大丈夫。…一番悔しいのは、父さんだよ…』
妖子は拳をキツく握って耐えていた。
『やる気あんのかー! この、ヘタクソ!』
『俺が乗ったほうが良いんじゃね?』
『ゲラゲラ! 弱い奴は引退しちまえー!』
しかしこの発言だけは、俺が許せなかった。
『お前らいい加減にしやがれ!』
子供の俺は前に座っていた、特に口の悪い男の後頭部を思いっきり蹴っ飛ばした。
子供とはいえ、体重を乗せて蹴れば結構なダメージになるだろう。
『取り消せ! 白井選手はヘタクソなんかじゃねーッ!』
蹴飛ばされた男が前の通路に倒れ込み、更に追い討ちにと、俺は倒れた男の背に馬乗りになって髪の毛を引っ張る。
『な、何だコイツ!』
『何しやがんだこのガキ!』
取り巻きが俺を引き剥がそうとする。
『っるせ酔っ払い! 白井選手の苦労も知らない奴が、好き勝手ほざきやがって!』
『痛ってぇ! は、早く引き剥がしてくれ!』
『やってるっての! でもこのガキッ…、離れやがらねッ!』
俺は全力で男の髪を掴んでいた。
その為、俺を引っ張れば男にもダメージが掛かる。
『この…、いい加減にしろやクソガキッ!』
『グハッ!』
俺の下で暴れた男の肘が、偶然右目に当たる。
当たり所が悪かったようで、瞼が切れて血が吹き出した。
『アルト!』
妖子が悲鳴にも似た声を上げた。
『コラそこの! 喧嘩は止めなさい!』
子供一人に大人が数人がかりで襲い掛かるという図式は、直ぐに注目を浴び、程なくして集まってきた警備員が俺たち全員を取り押さえた。
(……?)
不意に視界がぼやけ、今度は白を基調とした部屋に場面が変わる。
(ここは確かぁ…。そう、競技場の医務室だ)
立ち上がった覚えも無いのに、俺はカーテン開けっ放しのベッドの脇に立っていた。
ベッドには先程同様、俺と妖子が並んで座っている。
『ほ、本当に大丈夫? 血があんなに一杯出てたのに…』
『大丈夫だって。血の割りには、怪我はそうでもなかったから』
今だから言えるが、実は結構痛かった。
目の上には、一生物の傷跡として今も残っている。
『どうしてあんな無茶を…』
『だから悪かったってば。でも、許せなかったんだよ。デグおじさんは寝る間も惜しんで、毎日トレーニングしてたってのに、何も知らない連中が偉そうに。子供の俺すら引き剥がせない様な奴らだって解ったら、ますます頭に血が上っちゃって…。……ごめん』
『…なんでアルト謝るのさ? あの時のアルト、格好よかったよ』
『俺のした事、怒ってたんじゃ…』
『ううん、むしろ感謝してる。アルトが蹴飛ばして無かったら、きっと僕が殴ってたよ。あーあ! どうせならドサクサ紛れに僕も一発、パンチしとけば良かった!』
妖子はファイティングポーズをとり、拳を二度突き出す。
『それじゃあ、二発だろ』
『あぁ、そうか。でも一発殴っても二回殴っても一緒だよね?』
『ははっ、違いねぇ』
『ふふっ…』
二人が笑いあっていると、天井がビリビリと震える。
『ん、始まったみたいだね。えーと、テレビはぁ…』
妖子は周囲を見回し、立っている俺を見て「あった」と言う。
向かってくる彼女に一瞬ドキッとしたが、妖子の伸ばした手は、俺の腹を突き抜けた。
そう、これ昔の夢。
本来ここに、俺は居ない。
『客席でのアクシデントにより一時中断していた優勝トロフィーの授与式ですが…』
背中に抜けた妖子の指が、俺の背後にあったテレビのスイッチを入れる。
映像は優勝トロフィーの授与が行われようとしている、まさにその瞬間だった。
『やっぱ、綺麗だな…』
レッド・ドラゴンが頭上に掲げたトロフィーは、人一人分はある大きなクリスタル製の物。
スポットライトに照らされ、キラキラと乱反射した光が会場全体に広がり、幻想的な光景を作り出していた。
『うん…。世界中のプロのP・S・B選手『テンプル』の人達が、手にする事を夢見る栄光の優勝トロフィーだから…』
そうつぶやく妖子の声に、震えが混じっていた。
『……妖子、また泣いてんのか?』
『あ、あれ? 可笑しいな、今になって、また涙が…』
妖子は苦笑いして涙を拭っていたが、一度タガが外れた所為か、次第に表情や声がどんどんブレていく。
『もう、ちょっと…、あと少しで優勝できたのに! うぅ…、ヒクッ…』
やはり相当、悔しかったのだろう。
妖子は顔を覆って、声を殺して泣き崩れた。
テレビでは相変わらず、輝くトロフィーがアップで映し出されている。
その映像と妖子の姿に、俺はある決心を固めた。
『…よし、決めた! 俺、大きく成ったらテンプルになる!』
『グスンッ、…え?』
『テンプルになって、あのトロフィーを手に入れる!』
そう、この日だ。
この日こそが、俺がP・S・Bを始めるキッカケだった。
『実は俺、いつかデグおじさんみたいなテンプルになるのが夢だったんだよ。俺にしては珍しく、ちゃんとP・S・Bの本とか読んで勉強してんだぞ?』
『…アルト、公式大会はチーム戦だから、一人じゃ出られないよ…』
『なら、妖子もテンプルになれ!』
『え、ぼ、僕が?』
『いつか一緒にプロになって、ワールドカップで優勝して…。そんでデグおじさんの代わりに、あのトロフィーを手に入れようぜ!』
『で、でも…、女の子がP・S・B選手なんて…』
『大丈夫だって! 妖子はデグおじさんの娘なんだぞ。妖子なら絶対、強くなれる!』
『……なれるかな? トロフィー、取れるかな?』
『取れるさ。俺と妖子なら! それに万が一、妖子が負けても、俺が勝てばチームメンバーの妖子も勝つ。俺が負けても、妖子が勝ってくれれば俺も勝つ。だから約束する。俺が妖子を勝たせてやるよ!』
『じゃ、じゃあ、僕も約束! 僕がアルトを勝たせてあげる! 絶対に!』