最強の二人
ザン。
砂地に足を踏み出した彼らは、龍神兄弟。
高天原最強の中学生。
高天原最強のコンビ。
そして、高天原最強の戦力。
吽禍を打倒する可能性を秘めた、天児と和御魂。
時神鈴と、風間辰人。
その二人が、今ここに立つ。
「久しいな、風間辰人。時神鈴。」
初めこそ驚きこそすれ、冷静に吽禍は告げた。
「だが、惜しいな。おれの前に二人が立つということが如何なるものか、知らぬわけではあるまい。」
何故、吽禍の前に時神鈴のみを送り込んだのか。
その理由は簡単だ。
吽禍はその特性上、精神を破壊するという特性を持っている――。
「喰らえ食物、喰らえや土壌。水を飲み干し、大地を犯す蟲共は、我が御前へ立つ者許さず心を喰らう。心失くした痴愚共は、欲を満たせと互いに喰らう――『心喰津崇』。」
その言の葉は、総てを狂わせる言霊となる。
吽禍を恐れた総ての者は、『破壊』の特性を受け、その精神を壊される。心を壊された者たちは敵味方の判別すらつかず、互いに殺し合う。
その、ハズなのに。
「どうした、吽禍。何も起こらないな」
時神鈴は、笑った。
何故。
何故、狂わない。
吽禍の疑問に、辰人は告げた。
「忘れたのか? お前の『破壊』の特性は、お前の力に恐怖した者のみに通じる精神破壊だ。お前を恐れない敵が相手なら、まるで意味は成さないぜ」
鈴も、辰人も、吽禍の恐ろしさはよくわかっている。なにしろ、彼らは一度、吽禍の手の内へ落ちているのだから。けれど、抜け出した。そして再度、吽禍の前に立つことを決めた。苦しんで死ぬかもしれない。残虐に殺されるかもしれない。だがその恐怖を乗り越えてでも、成したいことがあった。
であれば、彼の『破壊』という特性に付属する精神破壊などは意味がない。
彼らは既に、吽禍の精神破壊を看破するだけの精神力を持っているのだから。
「――ならば、この手で潰す他ないか。」
目の前の塵虫は、殺虫剤では死なぬ。ならば、この手で潰すのみ。
手間はかかる。手が汚れることもあるだろう。けれど、構わない。邪魔なのだ、お前たちは。手間をかけてでも、潰す価値がある。
「ようやく分かったか。なら――」
時神鈴は、右拳をぐっと突き出して。
「――始めようか」
吽禍を見据え、怯むことなく臆することなく、告げた。
「――く。」
対する吽禍は。
「――くは。」
くひっと笑い、口を三日月に釣り上げた。
「くははははははははははははははははははッ!」
今、眼前の塵虫は何と言った。
始めよう、と、彼は言った。
――何を?
決まっている。殺し合いを。
この、おれと。殺し合うと。
吽禍は、笑いが止まらない。
つい数時間前、吽禍に負けたのは誰だった。ついさっき、吽禍の手に落ち黒く染められたのは誰だった。――時神鈴だ。
なのに思い出すのは、嚆矢の言葉。
――君、怖いんだろ。
否、怖くなどない。一度おれに敗北した者を、どうして恐れる必要がある。
「貴様如きが、このおれに勝てるとでも。」
このおれと、戦えるとでも。
たかが十数年生きた若造が、幾億幾兆もの時を長らえ殺戮の記憶を刻んできたこのおれに勝てるとでも、思っているのか。
「ああ、勝てるさ」
――君は、時神鈴は怖いんだ。
何かが、切れた。
ここ数億年感じたこともない感情が、吽禍の内で爆発した。
「舐めるなよ、この若造がぁあああアアアアアアアアアッ!」
吽禍の胸から大きな角が突き出された。
鋭く空間すらも切り裂けそうなそれは、嚆矢の肉体を貫いたものと同じもの。
速度があった。威力もあった。十分な殺傷能力、そして殺意。しかし決定的に欠けたのは、冷静さと正確さ。もともと高速世界での活動に慣れがある二者には、この程度の速度では焦りなど見せない。
胸は焔のように熱く燃えている、しかし頭は冷静に。
分析、状況判断し、その場における最少最適の動きで鈴と辰人は寸前のところで躱す。
後、その視線を互いに向けた。
「さぁて。鈴、反撃と行くか」
「ああ、当然だ」
「……遅れんなよ」
「そりゃあ、こっちのセリフだっつーの」
二人はぐっと、腰をかがめる。
振動する。大地が、空間が、そしてこの星さえもが。びりびりと、これから起こる振動に畏怖を抱き、震える。
そして――。
「「行くぞぉおおオオッ!!」」
――爆発。
二つの弾丸が、吽禍へ向かう。
先んじて飛び出したのは、辰人。
「ぉおおおおおおおおッ!」
吽禍の眼前へ姿を現した辰人は、その顎を下から左拳で殴りつける。
「――ぐぅ。」
軽く宙に浮いた胸に、左拳。
しかし吽禍は辰人の拳が当たる前に横蹴りを繰り出した。
だが辰人は止まらない。骨が砕け散るのを覚悟で右手で頭を庇い、そのまま拳を一気に振りぬく。
大気に衝撃。
辰人の拳などは本来、吽禍にとっては大した傷にもならない蟲の一刺し。刺されたからといって、痛むわけでも痒くなるわけでもなく、ただ木の葉が触れた程度のものである。
しかし――吹き飛んだ。
それも、遥か後方へとと吹き飛んだ。
距離が存在しないこの空間に後方というのも変な話だが、吽禍はその肉体に傷を負い、そして意識が一瞬二人から離れた。
何故、ここまでの損傷を負ったのか。
考えたが、答えは一つ。
嚆矢との会話による、勧善懲悪の崩壊だ。
嚆矢は吽禍の足止め、時神鈴の魂の解放、そして吽禍の核とも呼べる祈りの矛盾を指摘しその存在を極端に弱体化させた。
当然、中でも大きな活躍は、吽禍の弱体化だろう。
吽禍は存在意義の崩壊により、元来ならば届かない時神鈴と風間辰人の拳が届くほどの弱体化を強いられたのだ。
悔しいが、状況が悪い。
しかし、それを立て直す時間も、場所も彼らは与えない。
「つぁあああああああああああッ!」
後方へ吹き飛んだ吽禍、その後頭部に衝撃。
いつからいたのか、時神鈴がその拳を振っていた。
炸裂した時神鈴の拳は、吽禍の肉体を半回転させた。頭が下になる。先ほど二者へ向けて伸ばした角が、大地に埋まって当たってへし折れる。が、吽禍にとって大した問題ではない。そのまま回転を続け、前方宙返り。地へ足を着ける前に蟲の力を足に付加する。それはさながら、バッタか。恐るべき跳躍力、そして背に生えた羽を駆使し、大地を蹴りあげる。
しかし二者の攻撃はこれぐらいでは終わらない。悟った吽禍は、その複眼に、こちらを睨む時神鈴を捉えた。
空を踏みしめ、吽禍へ走る時神鈴。
蟲の羽によって空を飛ぶ吽禍とは異なり、時神鈴は駆けていた。空を足場にするが如く、縦横無尽に駆けていた。
「穿て、放て、駆逐せよッ。」
吽禍の言葉に応えるように、両肘から溢れた数百の蟲たちは、針を向け、時神鈴へと飛んでいく。
その様はさながら無数の弓矢。戦場を駆ける兵士たちを一人残らず撃ち貫くもの。
だが鈴は止まらない。
数百程度の針の蟲がどうしたという。
衣の羽衣に比べれば、こんなもの大したものでは無いだろう。
弾く。弾く。拳で、手の甲で、数百もの投擲された蟲たちを弾く。捌き切れない蟲たちが、頬を裂いた。目蓋を切った。皮膚を破り、肉を削ぎ、血が噴き出した。けれど、止まらない。
足が動く。拳を振える。ならば十分、この手は届く。
肉体の損傷も構うことなく駆けた鈴は、見事吽禍の腹部へ潜り込むことに成功する。
そして。
「おぁらぁああああああああアアアッ!」
まず、一発。
腹部へ、時神鈴史上至高の一撃を――叩き込む。
「か――ッ!」
大気の爆発、次いで打撃音。爆風をまき散らし、その拳はタタリ神の腹部に、かつて――千年も前に受けたもの――この吽禍を退かせた者の一撃と同等か、それ以上の衝撃を与えた。
ここにきて初めて、吽禍の表情に苦痛が混じる。
この拳が、届く。
鈴はそれを確信し、一気に攻め落とすべきだと超高速の連撃を繰り出した。
拳を当て、蹴りを当て。回転するように、流れるように。
一部の隙も無く、また逃れる時間も与えず、さながら舞うように――。
「攻むは稲妻」
攻撃、攻撃、攻撃、攻撃。ひたすらに攻撃。
「守るは堅石」
攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃。
「此の身は天津神より賜りし天之麻迦古弓。なればこの腕は天津神より賜りし天之波波矢なり――」
攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃攻撃――。
幾度も幾度も幾度も幾度もただひたすら攻撃を繰り出し、大地へ向けて吽禍をただひたすらに攻撃。
そして連撃を繰り返す中で、下方から声。
「この身が天より賜りし弓ならば、この拳は天より賜りし矢であろう。天より賜りし断罪の矢、今此処に放つ――」
声の主、空中より降下する鈴と吽禍を待ち受けるは――風間辰人。
時神鈴の綴る祝詞と同様の意味を持つ辰人のそれは、やはり同様の効能を発する。
すなわち。
「神魔ァ――」
「――滅裂!」
同様の力を、此処に発揮できるということだ。
鈴の右拳がブレると同時、辰人の左拳がブレる。
これこそが、彼らの腕がこの世の法則から外れたことを意味しており、現在過去未来総ての拳がこの時間に収束していることを意味していた。
本来存在せぬはずの、異なる時間の己の拳を出現させることにより、時間のみならずその空間すらも歪める。空間を歪め、対象のみならず、その空間に存在するあらゆる物体を時間ごと分解する時間振動を発生させる。その拳に触れた総ては、千切られた数秒前後の何処かの時間――現在過去未来の異なる時間の中へと放り込まれ、否が応でも分解される。
それが天児、時神鈴の必殺。そして和御魂、風間辰人の切り札。
そう、神だろうが悪魔だろうが、その拳の前では総てが無意味。そこに存在している以上、その拳が届く以上、引き裂き滅する断罪の一矢。
「喰らえ――」
拳を強く握りしめ。
「行くぞ――」
大地を、空を踏み抜き。
「「――瞬牙散ッ!」」
吽禍の正面、そして後方から、二人の拳が同時に放たれた。
分解する。分解、分解、分解。ひたすら分解する。
時を分解、空間を分解。眼前に迫る脅威を、大切なものを害する怨敵を、ありとあらゆる障害をこの拳が分解し、砕き伏せる。
この拳の前では、ありとあらゆる矛は無駄。ありとあらゆる盾も無駄。ありとあらゆる物体を時間と空間ごと引き千切るその様は、まさに光陰すらも超えて突き進む矢の如く。
「ぐ――ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
胸を抉る。
背を抉る。
抉る抉る抉る抉る――。
両者の拳は吽禍を削り、その体内に生きる蟲たちをも削っていく。
――倒す。
強く、時神鈴は誓う。
お前は倒す、ここで倒す。
守りたい人がいる。助けたい人がいる。人々の幸福な日々、未来への憧れをお前が奪うというのなら、お前を倒す。
お前の過去は見た。
裏切られ、排斥され、奪われ、死んだ。
悲しいと思う。辛いだろうとも思う。それでも、それでも――。
「ここで倒れろッ、吽禍ァアアアアアアア!」
鈴が力を込めると同時、辰人も力を入れる。
――助ける。
強く、風間辰人は誓う。
あんたを、倒す。
守りたい約束がある。叶えてあげたい願いがある。人々の幸せとか、そんなものはどうでもいい。ただ、あんたが人を殺す度に悲しんでいる奴がいる。あんたの代わりに、泣いているやつがいる。
その子の、ルゥのためにも、俺はあんたを救う。
人を憎み、人を殺し、人を祟るだけの悲しい呪縛から解き放つ。だから――。
「ぶち抜けぇえええええッ!」
そして。
「「おおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」」
二人の拳が、吽禍の肉体を貫いた。




