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虚ろな少女


 ――ルゥ――


 目が覚めたとき、そこは暗闇だったの。

 目が覚めた、というよりは、意識が覚めた、というのが正しいのかな。

 暗くて、暗くて、そこは少しの光も見えなくて。寒くて。怖くて。誰かがいないかな、そう思って手を伸ばしたら、何かに当たった。

 それはとても冷たくて、痛くて、触れた場所が熱くなって、何かがこぼれていくの。わたしの大切な何かが、こぼれていくの。

 一人は怖い。誰か、傍にいないの?

 手を動かしたら、今度は暖かい何かに触れた。

 何かが、誰かと話している。

 誰か、いる。

 お父さんかな、お母さんかな。それとも、■■■■■かな。

 よかった、わたしを迎えに来てくれたんだね。わたし、これで家に帰ることができるんだよね。

 安心に涙がこぼれたら、痛かった。どうしてか、塩水に目をつけたようなヒリヒリした痛み。けれど、あまり気にならなかった。

 これで、帰ることができるんだから。また、いつもみたいな生活に戻れるんだから。

 手に絡まっていた何かが、取れた。

 そこからはもう、あまり覚えていない。

 ただ、痛かった。ただ、不快だった。

 気持ち悪い何かが、わたしの体をまさぐった。

 気持ち悪い何かが、わたしの体を引き裂いた。

 痛い。

 痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いの。

 何が起きたのか、わからない。

 耳元で、誰かが荒い息遣いで何かを言った。

 けど、わたしには何を言っているのかわからなかった。

 ただ声は荒くて、息も荒かったことだけは覚えている。

 痛かった。こぼれた。熱かった。こぼれた。冷たかった。が、こぼれた。涙が出ると、目が痛かった。何かが、こぼれた。わたしが泣き叫ぶと、誰かは笑った。わたしの中のたくさんの何か、大切な何かが、こぼれていった。

 体に何かをたくさん入れられた。何をされているのかわからないまま、たくさん入れられた。硬い。熱い。汚い何か。鉄、鉛、粘ついた熱い何かが垂れる。痛い、熱い、苦しい、息ができない。赤い匂いが染み付いて、むせる。

 気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。痛い、痛い、痛いの。

 不快。痛い。苦しい。そして、怖い。

 この恐怖に耐えきれず、わたしは、助けを求めた。

 お父さん、助けて。

 お母さん、助けて。

 ■■■■■、助けて。

 お父さんは、どこかへ行ってしまった。

 お母さんも、戻ってこなかった。

 最後まで傍にいてくれたのは、■■■■■。

 それを思い出したわたしは、救いを求めるように、助けを乞うように――なにより、声を出して目の前の痛みから目を逸らすように、叫んだ。

「■■■■■……」

「■■■■■……!」

「■■■■■っ!」

 何度も。■■■■■。何度も。

 ■■■■■、■■■■■、■■■■■。

 誰かが笑う。■■■■■。助けて、■■■■■。助けを乞う。■■■■■。あなたなら、きっと助けてくれるから。■■■■■。

 助けて。わたしを助けて。また、笑顔でわたしの手を引いて、■■■■■。

 そのうちに、わたしは眠った。

 こんなに痛いのに、こんなに気持ち悪いのに。こんなに熱くて、こんなに寒いのに。どうしても眠たくなって、わたしは。

 眠ったの。

 眠ったその先には、お父さんがいる。お母さんがいる。そしてきっと、■■■■■がいる。

 またみんな、楽しく暮らせるの。笑顔でいられるの。

 だから、怖くないの。目が覚めても、怖くなんか――。

 ない。


 ない。

 ……ない。

 ――何も、ない。

 目が覚めたとき、わたしの視界には何もなかった。

 広がる黒い空。たくさんの色をごちゃまぜにしたような汚い黒。汚い太陽。広がる乾いたの砂世界。

 誰も、いなかった。

 木々は枯れ、草木は残らず消え去り、乾いた大地だけが残ってた。

 ここは、どこなんだろう。

 周りを見渡して、体が軽いことに気がついた。体がとても軽い。まるで、空を飛べそうなほどに。

 空を飛ぼうとしてみると、本当に飛べた。

 しばらく空を飛んでいると、不意に寒さを感じた。

 それはもしかすると、一人でいることへの恐怖、誰もいないことへの寂しさだったのかもしれない。

 どこかに、誰かがいないかな。

 そう思って、わたしは空を飛んだ。たくさん、たくさん探したあと、一人の男の人が泣いているのが見えた。

 その人の周りには、なにもない。

 その人は、白い肌に、長くて白い髪(髪の先だけは黒かった)、赤い瞳を持った人。髪の先ぐらいしか黒い部分はないのに、黒かった。ただ、黒かった。白いはずなのにその人はとても黒くて、そしてきっと、その両手は血に染まっていた。

 怖い人だと思った。

 わたしは、その人を「シロさん」と名前をつけた。

 シロさんはたくさんの時間泣いて、悔やんで、そのあと、何かを探して歩き始めた。

 わたしはどうしようと思ったけれど、帰る場所はないし、他に行くあてもない。だから、シロさんについて行った。

 シロさんは、旅をした。一人で、砂漠の世界を歩き続けた。

 オアシスはない。人が住む気配も、なにもない。ただ、「死」があった。骨――人の死。荒れた砂――草木の死。広がる荒野――世界の死。

 死に触れるたび、シロさんは悲しそうな顔をした。

 こうして旅をしているなかで、シロさんはあるとき、変な扉を作れるようになった。

 シロさんは変な扉を簡単に作れるようになって、たまにその中を除いていた。そしてある日、シロさんは扉に入った。わたしもこっそり、一緒に扉へ入った。

 扉の中は、不思議な世界だった。

 この世界の全部が見える。この世界の全部がわかる、そんな気がする場所で、とても綺麗な万華鏡を思わせる世界だった。

 シロさんは最初、すぐに扉から出てしまった。

 わたしもシロさんに見つからないよう気をつけつつ、急いで出ると、扉は消えた。

 シロさんは変わらず死の世界の旅を続けたけれど、たまに扉を作った。そしていつの日か、砂だけの死の世界を旅するのではなく、扉の中の世界を旅するようになった。

 わたしは、シロさんについて行った。


 シロさんは、旅をするように扉の中を歩いていった。扉が見えなくなっても、戻らなかった。ずっとずっと、万華鏡のような世界を歩いていった。

 シロさんは寝なかった。食べなかったし、トイレにも行かなかった。わたしも、眠くならなかったし、食欲もなにもなかった。

 たくさん、たくさんの時間をかけて、歩いた。何年、何十年? それくらいの時間をかけたような気がするし、ほんの数時間程度歩いただけのような気もする。

 シロさんは歩き続けたし、わたしも疲れなかったから、ついていった。だから、歩いた。ずっとずっと、歩いた。

 そのうち、寂しくなった。

 二人で歩いていたけれど、これはきっと二人じゃない。独りと、一人。

 一人は、寂しい。

 いつしか、わたしはこの人と話がしたいと思うようになった。

 たまーに、その人に姿が見えるよう、歩いてみた。けれどその人はわたしには気付かなかった。勇気を出して目の前に姿を見せてみても、わたしには気付かなかった。

 わたしの姿は、シロさんには見えないのだと思った。

 話しかけても、返事はなく。目の前で手を振ってみても、気付くことはなく。

 ただ、シロさんは歩いた。

 わたしも、ついていった。


 あるとき、緑の森が見えた。

 それに、シロさんは気づいた。気づいて、歩いていった。

 わたしも、シロさんについていった。

 そこは、緑の国だった。人がいた。貧しい生活をしている人達がいた。

 ――けれど、わたしたちは遠くからその人達を見ることしかできない。どうしても触れないし、どうしても届かない。

 シロさんはずっと見ていた。

 わたしも、ずっと見ていた。

 緑の国の人達は、国の外に住む悪い人たちに虐められていたのだと思う。数少ない食べ物を、奪われて泣いていた。

 家族をかばい、小さな国の人をかばい、数少ない森で取れる木の実と、それを食料にする動物たちを食べて、かろうじて生きていた。

 なのに悪い人たちは、寝て起きて、食べるだけ。一生懸命に生きてなかった。

 緑の国の人たちを見て、わたしは自分の家族のようだと思った。

 強い人が全部を持っていて、弱い人達は全部を奪われる。わたしの生きた世界は、そんな世界だったから。

 シロさんは何日もその人達を見た。

 わたしも、何日もその人達を見た。

 あるとき、貧しい人の親が悪い人に殴られすぎて死んだ。「お前は死んだ方がみんなのためだ」と、そう言われて、たくさんの食料を奪われて、殴られて、殺された。

 子供は、泣いた。たくさん、泣いた。そして、悪い人を恨んだ。

 そのとき、シロさんは怒った。

 とてもたくさん、怒った。とてもたくさん、泣いた。

 どうして、悪いことをする。どうして、誰かを犠牲にしてまで楽をしようとする。どうして、自分のためにみんなを不幸にするのかと。

 泣きながら、シロさんは怒ったのだ。

 それを見て、わたしは思う。

 この人は、優しい人なのだと。

 誰かのために泣くことができる。誰かのために、怒ることができる。そんな、優しい人なのだと思った。


 親が死に、毎日、子供は祈った。

 神様、助けてください。どうしてぼくたちがこんなにも怯えなければいけないのですか。

 その姿を、シロさんは見ていた。ずっと、見ていた。

 子供たちが成長し、大人になった。

 けれど、やはり悪い人たちは変わらず食料を奪いに来る。

 だから、彼らは祈った。

 誰か助けてください。

 シロさんは、助けたいと思った。彼らを、悪い人から助けてあげたいと思った。

 そしたら、あの扉ができた。扉は万華鏡のような世界から、どこか別の場所へ続いていた。シロさんはその扉を潜った。わたしは、行かなかった。

 扉をくぐると、そこは緑の国だったようで、万華鏡の世界には緑の国にいるシロさんが映った。

 シロさんは、とても強かった。怪力とかそういう次元を超えて、とにかく強かった。その強さで、悪い人から彼らを救った。

 シロさんがどうしてそんなに強いのかはわからない。けれど、強かったのだ。そして、初めてわたしがシロさんを見たときのことを思い出す。

 シロさんは、血に汚れていた。けれどそれは、自分の怒りによって血に染まったんじゃない。きっと、誰かのために怒って汚れたのだと、思った。

 シロさんはもう酷い目にあわないようにと、彼らに自分の力を与えた。そして扉をくぐり、わたしのいる万華鏡の世界へと戻ってきた。

 もう、彼らはいじめられなかった。


 しばらく月日が経った頃。

 彼らは誰にも負けない力を振りかざし、国の外に住んでいた悪い人たちの村を攻撃した。そして、植民地にした。

 無理と知りながら労働をさせた。まともな食料も与えなかった。いつしか、真面目に生きることをやめた。

 そして、悪い人たちを過剰労働で殺した。

 悪い人たちの子供は泣いた。

 どうして、自分たちばかりがこんな目に合うのかと。

 この世界に、神様はいないのかと。

 もともと、悪いことをしていたのは子供ではなく、その親だ。

 シロさんは複雑な顔をして、緑の国を見ていた。

 他人の不幸は蜜の味。その味をしめた緑の国は、他国をいじめた。誰より強い力を持った彼らが先頭に立ち、皆をいじめた。

 誰より、この世の理不尽を知っているはずなのに。誰より、家族を奪われる悲しみを知っているはずなのに。

 彼らは、たくさんの人を奴隷にした。従わない者は殺した。そして、誰もが祈るのだ。

 誰か助けてください、と。

 シロさんはきっと、泣いていた。

 どうしてと、泣いていた。

 やがてシロさんは、決心する。

 この世界が助け合いの世界になるよう、総てを奪うと。

 シロさんが作った大きな扉からは、たくさんの怪人が出てきた。ツギハギの怪人だった。

 怪人は全部を食べた。食料、動物、草木、全部を食べた。すると、今度は食料を巡ってたくさんの国が争った。

 譲り合いはなく。助け合いはなく。自分のためだけに、争った。

 シロさんは、泣いた。

 そして、世界を壊した。

 みんな、殺した。

 善は、勧めるべきこと。悪は、懲らしめるべきこと。この世界に善がないのなら、全てを壊すだけだから――と。

 シロさんは、誰一人いなくなった緑の国を離れて旅をする。

 わたしもそれに、ついていく。

 それからは、多くの国を見た。

 海の国。砂漠の国。森の国。黄色の国。赤の国。科学の国に魔法の国。わたしの知らない物質の国もたくさんあった。

 シロさんはそこを回っていく。わたしも、ついていく。けれどいつも、結果は同じ。

 誰かを助けても、何をしても、最後には己の利益のために人は争いを繰り返す。それを嫌ったシロさんが、世界を壊すのだ。

 あるとき、シロさんが言った。

「やはり、この世界で輝くものは一つのみ。……家族の愛のみか。」と。

 シロさんは、家族の名前を寂しげに呼んだ。最後に、「ルゥ」と言った。

 その時にわたしは、シロさんが誰なのかを知った。

 体は二倍近く大きくなっているし、髪は伸び、目の色も変わっている。それでも、この人が誰なのかを理解した。

 彼は、わたしの兄だ。優しい優しい、わたしの兄だった人だ。

 何が兄をここまで変えたのか、わたしにはわからない。もしかしたら知っていたのかもしれないけれど、もう思い出せない。けれど、兄は『正義の味方』であろうとしたのだと思った。

 いつか、兄が語ったことがある。

 弱きを助け、強きをくじく。それが、正義の味方なのだと。

 幼かったわたしは、かっこいいと言った。兄もまた、そうだろうと自慢気に話した。

 おそらくは父の影響なのだろうが、その生き様は、わたしたちの生きた世界では異端だったことを覚えている。


 シロさんは――兄は、正義の味方であり続けた。

 弱きを助け、強きをくじく。勧善懲悪を具現化したような存在で在り続けた。

 なのに、誰もが兄を裏切った。裏切って、裏切って、裏切って裏切って裏切って。自分のために、自分のために、何もかもを自分のために、裏切った。

 与えられた力を過信し、勝者が全て正義であると豪語し、かつて受けた屈辱を他の者に悪びれもなく与えた。

 かつて言われた言葉を――自分が幼かったとき、弱かったとき、死ぬほど悔しく、殺したいと思うほど憎らしかったその理不尽な言葉を――平然と、告げるのだ。

 ――力のないお前が悪い、と。

 数万年の月日が流れた頃、兄は、やがて泣かなくなった。数億年もすると、怒ることを忘れていった。

「どうして、裏切る。どうして、踏みつける。お前たちは、どうして奴等のような顔で命を踏みにじる……。」

 そうして兄は――。

「この世は汚泥に満ちている。真に美しいは一つのみであったのだ。ならば、万象輝くはただ一つ。我らが家族の絆のみ。故に貴様ら、愛を唄うな。故に貴様ら、情を尊ぶな。どうせ貴様ら、偽善の仮面をかぶった道化だ、汚れた泥だ。」

 ――狂っていった。


 彼はいつしか、破壊の神とされるようになった。

 人を恨み、人を呪い、人を祟る神となった。

 惑星規模で人を破壊し、その亡骸を使役する悪魔となった。

 そして正義の味方になるという目的は、この世界に存在する唯一の愛を証明するという目的へとすり替わっていった。

 故に愛を壊す。故に情を壊す。互いの為ならば命すらも惜しいと思わない家族愛。それに勝る愛はないのだから、この世界に『(あい)』はないのだから。

 さぁ、喰らい合え。己の醜態を晒し、総てを裏切れ。この世界の総てが醜いと証明されたとき、我ら家族の絆は永遠普遍の宝石となる。その証明がため、おれは世界総てを喰らおうぞ。

 わたしは、泣いた。

 兄が可愛そうだった。

 せめてこの言葉が伝われば、兄を止めることができる。もう、誰かを助けなくていい。もう、誰かを殺さなくていい。二人で、万華鏡の世界で暮らそうと言ってあげたかった。

 でも、届かない。この声は、届かない。

「お兄ちゃん……」

 わたしの声は、万華鏡の世界に溶けていく。


 泣かなくなった兄の代わり、わたしが泣いた。

 怒らなくなった兄の代わり、わたしが怒った。

 どうして、人を裏切るの。どうして、人を踏みつけるの。

 ――どうして、人の不幸を甘い蜜のように啜っていくの。


 どれくらい、時間が経過しただろう。

 兄はわたしの存在に気付くことはなく、一人たくさんの国を旅した。

 たまに、兄と同等の力を持つ人がいて、怪我をした。けれど、兄は構わない。壊した。全部を、壊した。

 そのうちに、わたしは寂しくなった。

 兄はもう、誰からも愛を与えられることはない。

 兄はもう、誰も心から信じることはできない。

 それが、長い年月の間でわかってしまったから。

 あるとき、お猿さんの国にいた変な動物が兄の隣にやってきた。

 鵺、とかいうらしい。わたしは少し寂しかったけど、兄が寂しくないのはほほえましかった。

 兄は、一人ではなくなった。けれど、心は独りのままだった。結局、兄は鵺すらも信用することが出来なかったのだ。もう、こんな悪い旅の夢なんて終わらせてあげてほしい。

 誰か、兄に手を差し伸べて。兄を、裏切らないで。兄を信じて、兄を笑顔にしてあげて。

 助けて、あげて。

 

 しばらく経ったあるとき、青と緑の国へ来た。

 この国は、一度来たことがある。やはり此処でも裏切られ、総てを兄が壊そうとしたところ、兄に匹敵するかそれ以上の力を持った男女がいて、その二人に兄はこの国から追い払われたことは、記憶に新しい。

 おそらく兄も、覚えているだろう。


 ――力が欲しい。

 青と緑の国の人たちは、願った。

 力が欲しいのならば、よかろう。

 兄が何人かに力を分けたが、彼らの目的は理不尽な攻撃だった。

 自分の非を認めず、他を否定し、攻撃するという自己中心的なものだった。

 学校の教師、会社の上司、暴力を振るう夫に、生意気な後輩。それらが気に喰わないからと、力を与えられた彼らは攻撃した。ただ攻撃するだけならばまだいい。しかし彼らは己の力を過剰なまでに振るった。下げた頭を踏みつけた。痛みに苦しむ声を聞いて笑った。謝罪の言葉を握りつぶした。

 みんながそんなだったから、兄はいつものように言った。

「滅びよ。」

 貴様らは無用の存在と、この国の破壊を心に決めた。

 

 鵺とツギハギ怪人が何度かその国へ行き、帰って来たとき、兄は一人の少年を造りだす。

 殺した人の肉体を再び形作って、魂を入れる。これは兄が行った初めての行為だった。何を思ってそんなことをしたのかは知らないけれど、そうして兄の右腕となる存在が誕生した。

 彼が願うのは、己の変革。とある人物になりたいと願う、狂気にも匹敵する祈り。それだけが、彼の心を支配していた。他者との関わりなんて、彼にとっては意味がない。

 彼は親友を助け、その拍子に、鵺に殺されてしまった可哀相な人。

 名は――風間辰人。

 わたしは何万、何億、何兆もの時の中、初めてわたしの存在に気付く人に出会った。

 ある種の運命を、感じた。

 これまで一人だったわたしに、彼は気付くことができる。

 その事実に高揚した。

 たくさん、話したいと思った。いろんな話をしたいと思った。これまでの旅のこと、これまで見てきた人のこと。そして――兄を、助けてあげたいと思っていること。


「あなた、どこから来たの?」

 わたしが問いかけても、彼は無視をした。

 無視をして、青と緑の国を見ていた。

 青と緑の国にある、日本という島。そこにいる、「レイ」と「アスカ」を見ていた。

 何度も問いかけた。けれど、返事をしてくれない。それでも、わたしは諦めなかった。

 彼が、兄を……お兄ちゃんを助けられるカギになると思ったから。

「ねぇ、こっちを向いて」

 両手で彼の顔を掴んで此方に向けようとすると、頬に触れることが出来た。

 これまで、わたしは何に触れることもできなかった。なのに、彼には触れられた。彼はわたしのトクベツなのだと、思った。

 久々に触れた人のぬくもりは、心地よかった。優しかった。とても、暖かかった。

 涙があふれるほど、安心できた。自分が此処に居るんだと、そう思えた。

「あれ……。あれ……?」

 泣くつもりなんかなかったのに、涙が出た。ぽろぽろと、とめどなく。

「おい、なんで泣いてんだよ」

 これまで無視を決め込んでいた彼は此方を向いて。

「なんかよくわからないんだが……ほら。これ、使え」

 彼が差し出した布きれは、ハンカチと言うらしい。それで、わたしの涙を彼が拭いた。

 これが、わたしと彼の初めての会話だった。


「どうしてあなたには、わたしが見えるの?」

「何の話かよくわからんが、他の奴には見えないのか」

「うん。触ることもできないの」

「そうか」

「あのさ、タツヒト」

「どうみても俺のが年上だろ、呼び捨ては止めろ。辰人さん、せめて辰人くんと言え」

「タツヒトは、どうしていつも、あの二人を見ているの?」

「無視かよ」

「ね、なんで?」

「……わからん」

「どういうこと?」

「あいつらは俺にとって特別なやつらだ。けど、あいつらが幸せになるのは、なんか、嫌なんだ」

「嫌なら、見なければいいのに」

「ここじゃ、全部が見えちまうからな。見たくないけど、同じくらい見たいんだ」

「ふぅん、よくわかんない。結局、辰人はどうしたいの?」

「さぁな。人間、自分のこともわからなくなることだってあるさ」

「そういうものなの」

「そういうものなんだ」



「ねーねー、タツヒト」

「辰人様と呼べ」

「あのさあのさ、辰人はどうしてわたしにハンカチ? を貸してくれたの?」

「なんだ、藪から棒に」

「いや、さっき青と緑の国のね――」

「地球な」

「そうそれ、地球。地球の人たちを見てたんだけど、けっとー? を申し込む時に相手に投げてたんだけど」

「そりゃ手袋だろ」

「ん? 手袋?」

「手袋にはいくつか用途があってな、西洋では貴族の装飾として扱われたりしてる。民衆が言う手袋はただの防寒具だが……どーせ事細かに説明してもわかんねーよお前じゃ」

「……よくわかんない」

「お前バカだもんな」

「そんなことないし!」


「ねーねー、タツヒト、タツヒトっ」

「…………」

「無視、ダメ、ゼッタイ」

「だってお前、五月蠅いもん。関わるの嫌だもん」

「そんなこと言って、なんだかんだ話してくれるよね。タツヒトって、つんでれ?」

「どこでそんな言葉を覚えてくるんだよ……」

「青と緑の国――」

「だから、地球な」

「そうそう、チキュー。そこのニホンっていう島を覗いてたんだけどね」

「アニメでも見てる奴らがいたのか」

「うん、それそれ。それでね、言ってることと逆のことする人は『つんでれ』なんだって」

「俺もう二度とお前と話さねーから」

「いやぁあああああああ! タツヒトごめんんんんんん!」


「あのさ、タツヒト」

「なんだ」

「なんでタツヒトは、わたしの名前を呼ばないの」

「俺はお前の名前聞いたことねーよ」

「そうだったのか」

「そうだったのだ」

「わたしはね、ルゥ。今度からはお前じゃなくてルゥっ呼んでね」

「嫌だ」

「むーーーーっ!」

「やめろ腕を抓るな痛い痛い!」



「タツヒト、お兄ちゃんと何話してたの?」

「お兄ちゃんってどれだ? ツギハギ多すぎてわからんぞ」

「あの変な怪人じゃなくて、あの白くて黒い人」

「……まさか、あのラスボス?」

「うん」

「アレ、お前の兄貴だったのかよ。似てなさすぎだろ……」

「昔は似てたんだけどねー……。それより何話してたの?」

「何でもないさ。ただ、親に手紙を届けたいってね」

「てがみ?」

「ああ。何かを言葉で伝えられない状況で言葉を伝えるために伝えたいことを書いた紙の事だ」

「なんで、手紙?」

「俺はもう死んだ人間だ。死者は、言葉では何かを伝えられないからな」

「ふーん……そういうものなんだ」

「そうなんだ」


「……タツヒト、またあの二人を見てるの?」

「ああ」

「まだ、嫌になる?」

「……ああ」

「寂しい? 辛い?」

「――そうだな」

「…………」

「ルゥ、なんでお前が泣きそうになってるんだ」

「だって、タツヒト可哀相。ホントだったら、タツヒトも二人と一緒にいられたのに。お兄ちゃんのせいで……ごめん」

「いや、気にするな。もともと、こうあるべきだったんだ。あの二人の中には、俺が入る余地なんて無かったんだよ」

「ウソだ」

「……うるさいな。死んじまったもんはしょうがないだろ」

「ねぇ、前に話したこと覚えてる?」

「たくさん話されたことならね」

「レイとアスカを、不幸にしたいって話」

「したな、そんな話。どう考えても俺が間違ってるのに、お前は止めなかったよな」

「わたしは、たくさんの人を見てきたから。自然死じゃない人はみんな、タツヒトと同じで「自分がいなくなったらみんな不幸になれ」って言ってたから」

「んで、それがどうした?」

「……まだ、不幸にしたいって思ってる?」

「いや……なんかバカらしくなっちまった。誰かの不幸を願うより……お前とこうしてくだらない話をしてる方が、何倍も楽しいしな」

「……そっか。そっかそっかっ」

「ま、一応感謝はしてやるよ。お前がいなきゃ、多分俺の心はずっと荒んでた」

「……たっ、タツヒトがデレたーーーーっ!」

「ち、ちげーし! そういうんじゃねーし!」

「つ、ツンデレだぁああああ!」

「だから違うっつってんだろツルペタが!」

「あるし! わたしAAカップはあるし!」

「それほとんどねーから!」


 彼との日々は楽しかった。

 とても、とても楽しかった。

 幸せで、大切で、わたしにとって、遥か過去にある幸福な日々に勝るとも劣らないほどの幸福だった。

 けれど、楽しい時間は長くは続かない。

「……タツヒト、行くの?」

 タツヒトは兄を楽しませると約束した。そして、タタリを始める。

 だというのに彼は、笑って言った。

「約束だからな。お前の兄ちゃんとの」

「みんなを、不幸にするの?」

 その問いには答えず、タツヒトはわたしを見る。

「…………なぁ、ルゥ。お前、ホントは兄ちゃんを助けたいんだろ」

「……知ってたの?」

「お前、二言目には兄ちゃんだったからな……。それはともかく。お前、俺に兄ちゃんを助けてほしいんだろ」

「……ごめん」

「謝ることでもないだろ」

「でも、わたし最初、タツヒトを使ってお兄ちゃんを助けようとしてたから……」

「俺も、ルゥにとある女の子の姿を重ねててな。……おあいこだ」

 騙していたわけではないけれど、騙していたような申し訳なさがあった。だからか。

「あのね……わたしね、今はタツヒトのこと好きだよ」

 わたしは言った。

「そうか。俺も、ルゥのことは嫌いじゃない」

 目を合わせることなく、タツヒトは言った。

「もう、帰ってこない?」

 問うと。

「……多分な」

 答えた。

「わたし……もう、一人はやだよ」

「一人にはさせないさ。みんなが幸せになれるように、俺が行くんだ」

「みんなが?」

「俺も、ルゥも。ルゥの兄ちゃんも、鈴も、飛鳥も。みんなが、幸せになれるように」

「……どうやって?」

「さぁな。けど、きっと助けるよ」

 きっと、助けてくれる。タツヒトなら、きっと。――きっと、兄をこの呪縛から解き放ってくれる。


「悪いな、鈴。飛鳥。これより地獄が始まる」

 これで、いいんだろう?

 地球に降りたタツヒトは、かつての友人に謝罪し、わたしに問いかける。

「ありがとう、わたしの願いを聞いてくれて、本当にありがとう」

 兄を助けたい。とんでもない無茶で、とんでもない我儘。

 それを聞いてくれて、ありがとう。

「いいんだよ、ルゥ。キミがいなければ、俺はきっと堕落していたから。助けられたのはむしろ、俺なんだ」

 やさしく頭を撫でてくれた彼は――死んだ。

「俺はきっと、最高の幸せ者だったのさ」

 最後にそういって、死んでしまった。

 彼の計画は、どうなったのだろう。わたしは、どうなるのだろう。

 兄は、助けられるのだろうか。

 不安になったわたしの前に――。

「吽禍、ここからは俺たちが相手だ」

 あの時、頭に手を置いたタツヒトのぬくもりは、まだ残っている。

 ぬくもりが冷める前に、彼は再び姿を現した。


「「俺たちは、龍神兄弟だ」」


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