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神VS神

 ――時刻は少し、遡る。


「誤った答えを導いた者に正解を与えると、その者は突然怒り出す。まさしく今の状況がそれなわけだけど、これをなんというか知っているかい。」

 顔の左半分を右手で覆った嚆矢は、

「逆ギレ、と言うらしい。」

 その右手を、左目に付いた穢れでも祓うように振って吽禍へ向ける。

 左目には、紋章。瞳に描かれたそれは、五芒星。かつて存在した陰陽師、安倍晴明が使用したとされる陰陽術の紋様が、彼の右目に浮かび上がっている。

「あんたりをん、そくめつそく、びらりやびらり、そくめつめい、ざんざんきめい、ざんきせい、ざんだりひをん、しかんしきじん、あたらうん、をんぜそ、ざんざんびらり、あうん、ぜつめい、そくぜつ、うん、ざんざんだり、ざんだりはん――」

 祝詞ではない。嚆矢に――神にその力を使うための祝詞や詠唱は必要ない。

 しかし嚆矢が唱えたそれは確かに必要なものである。この詠唱は陰陽道において、敵を気絶させるための呪いのものだ。

 パンッ!

 右掌底と左掌底、その双方をぶつけて空間を震わせる。

 その振動は嚆矢を中心に波紋のように広がり、吽禍を波紋の中に捉えようとしたとき、吽禍は即座に後方へ旋回し、嚆矢と距離を取る。

 距離という概念が存在しないこの場所だが、嚆矢の呪術は神のものでなく、人の編み出したものだ。故に距離が存在しないこの場でも、距離という概念に縛られてしまう。

「どうしたんだい、吽禍。ぼくに近づいてもいいんだよ。」

「貴様、それは呪術か。」

 咄嗟の判断で後方へ下がった吽禍の判断は正しい。もう少しでも回避が遅れていれば、吽禍といえど、意識を数秒は奪われていた。

「ああ、呪術だよ。」

「しかし、それは貴様元来の力ではないな。人の作りし脆弱な呪いだ。何故、かような呪術を使するか。」

「さて、どうしてだろうね。」

 フッと笑った嚆矢。対する吽禍はニヤリと笑った。

「答えぬか。なれど、構わぬ。大した脅威ではない故に。……征け。」

 体内の蟲へ命じた吽禍は、諸手を交差させるように振るう。するとそこから数百もの蟲が飛び出した。

 その蟲はさながら蜂のようで、独特の羽音をかき鳴らしつつ超高速で嚆矢を刺殺さんと、矢のように迫る。

 前方より毒虫。ならば。

「払うだけの事。」

 ボッと、嚆矢の右腕が燃える。

「唸れ炎龍。その火閻(かえん)にて薙ぎ払え――急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)。」

 嚆矢の言葉通り、燃えた右腕は火龍が如くに形を成して咆哮し、焔を吐いた。その焔は一直線に伸びていき、矢のように嚆矢に迫る蟲たちを悉く燃やし尽くした。

 しかし蜂のような羽虫は吽禍の牽制。

 嚆矢の周囲を、堅殻に覆われたいくつもの大きな蟲が取り囲んでいた。よくみてみれば、蟲たちには大砲のような突起物が存在している。突起物に中央、その空洞が怪しく輝く。

 蟲たちは嚆矢に向けて、弾丸の如き何かを全方位から打ち出す。その数、実に数万。

 一直線上ならば先の火龍が有効だが、全方位にまで向けられては守り切れない。

 しかし、嚆矢に焦りは見られない。

「東海の神、名は阿明(あめい)。西海の神、名は祝良(しゅくりょう)。南海の神、名は巨乗(きょじょう)。北海の神、名は禺強(ぐきょう)。汝ら四海の大神、百鬼を退け凶禍(きょうさい)を祓え――。」

 嚆矢が両手を左右に開くと同時、足元から多大な水が出現し、嚆矢の全身を包み込む。全方位の視界が遮られる代わり、数万の弾丸を残らず吹き飛ばした。

「なるほど、よく躱す。が、それもまた――。」

 一息つく間もない。今の百鬼を退ける呪術によって一時的に全方位の視界を塞がれた嚆矢は、吽禍を目で追う。しかし。

「――牽制だ。」

 目が追いつく前に、吽禍の声は背後より迫る。

 その場を離れようとするも、遅い。吽禍の右腕には蜂の針のようなモノが形作られており、その手の甲より突き出した針が嚆矢の胸を貫いた。

「――く。」

 貫かれたことによる激痛はまだいい。だが、吽禍の甲より突き出した針からは地球上に存在しない毒物が流れ込む。これが拙い。

 嚆矢の視界は歪み、身体が思うように動かず硬直する。

 毒は速攻性、それも神経毒の類のようだ。

 吽禍は胸を貫いた嚆矢をそのまま持ち上げ、嘲るように、嚆矢の弱点を見透かすように、その赤い瞳を揺らした。

「お前、呪術以外に守の法も攻む法も無いな。」

 その通り。嚆矢は知識の神。知識こそあれど、戦う力は有していない。これまでの呪術は蓄えてきた知識のほんの一部で、その総てが人の作りし呪術ばかりだ。確かに強力なものもあるが、所詮神の力を借りた人の技である。

 神の力があれば、もしか神をも打倒することはできるかもしれないが、相手が悪すぎた。

 災厄、暴食の象徴。惑星規模で文明を食い潰すタタリ神を前にすれば、人の技など無駄な抵抗に過ぎない。

 嚆矢の無言を肯定と受け取った吽禍は、なるほどと頷いた。

「お前がこれまで前線に出なかったわけだ。おれに勝てぬと悟り、死を恐れたか。」

「――も不肖。――も不肖。」

 嚆矢はやはり、答えない。代わり、なにかしらをぶつぶつと呟いている。

「貴様、何を。」

 何を、言っている。

 猛毒によって完全に動けなくなったハズの嚆矢を、吽禍は見る。

「――一時の夢ぞかし。生は難の池水つもりて淵となる。鬼神に横道なし。人間に疑いなし。教化に付かざるに依りて時を切ってすゆるなり。下のふたへも推してする――。」

「貴様、一体なにを――。」

 嚆矢が唱えたのは除霊の詠唱。

 そも、吽禍はタタリ神――すなわち怨霊の一種である。この除霊は吽禍に対して有効だ。また、その毒に対しても除霊の効果を発揮する。

 身体の内の猛毒を浄化した嚆矢は、その場を離れようとした吽禍を逃すまいと、続いて次なる詠唱を口ずさむ。

奇一(きいつ)奇一、たちまち雲霞(ウンカ)を結ぶ。宇内八方(うだいはっぽう)五方長男(ごほうちょうなん)たちまち九籤(くせん)を貫き玄都(げんと)に達し、太一真君(たいいつしんくん)に感ず。奇一奇一、たちまち感通(かんつう)――。」

 詠唱を終えた嚆矢は、その右手(うて)で吽禍の頭部を殴りつける。

 その威力。その速度。その精度。

 その総てが、かつて吽禍に敗北を刻んだ『彼』と『彼女』の同等のもの――否、それ以上。ただの一撃が、吽禍に致命的な一撃を与えた。そして、吽禍の腕にある時神鈴の魂が零れる。

 すかさず、嚆矢はぶつぶつと何かを呟き、鈴の魂と言えるものを本来あるべき位置へと戻そうとする。

が、タタリはそれを許さない。

 嚆矢の一撃に遥か後方へ吹き飛んだ吽禍だったが、この場におおよそ距離という概念は存在しない。時神鈴の魂を逃すまいと、魂に手を伸ばす。

 させまいと嚆矢はすかさず走り、その左手(ゆんで)を振るった。

 咄嗟の判断ですらなく、もはや反射ともいえる動きで嚆矢の腕を受け止めた吽禍は、その複眼で鈴の魂を見て、嚆矢を踏み台に跳躍。その魂を掴もうと――。

「逃すかぁああああああああああああああああッ!」

「させるかぁあああああああああああああああッ!」

 魂を吽禍が掴もうとする直前、嚆矢がその足を掴み、一気に引きずり降ろしてその腹部に強烈な一撃を叩き込んだ。

「――か、は。」

 僅かに吐血した吽禍は、殴られた勢いのまま遥か後方へと吹き飛び、大地を荒らし、海に波紋を呼び、雲を切って氷塊を砕いた。

 その隙に嚆矢は言葉を紡ぎ、その魂は本来あるべき場所へと帰る。

「これでようやく、一仕事。あとは、彼らが来るまでの時間稼ぎだ。」

 ふうと一息ついた嚆矢は、先の氷塊へと意識を向ける。

 ギロリと、氷塊より姿を現した吽禍は嚆矢を見た。

「なるほど、これはアレらに並ぶ神格をその身に宿すものか。」

「如何にも。ただ長くは持たないからね、一気に行かせてもらう。」

 かつて吽禍を敗北たらしめた『彼』と『彼女』。それに並ぶかそれ以上の実力を秘めた日本神話において最高神ともいえる神。それを一時とはいえ嚆矢が身に宿した以上、そして時神鈴の魂を逃した以上、吽禍には油断など許されない。

「であれば、楽しみもここまでか。」

 薄ら笑いが消えた。

 これまで吽禍が本気を出していなかったために保たれていた均衡が、此処に崩壊する。

「滅びよ。」

 突如、吽禍の胸部から剣に酷似した蟲の角のようなものが突き出し、嚆矢の胸を深く切り取った。

 完全に予測の範疇を超えた攻撃に対処できず、もろに攻撃を受けた嚆矢は吐血する。が、嚆矢の瞳の光は未だ消えない。

「いや、滅びるのはキミだ。」

 己の胸を貫いた角を握ると、手のひらから血が伝った。

「例えぼくがここで敗北したとしても、ね。」

 やはり、こいつの言うことはわからない。

 吽禍は嚆矢の言葉に苛立ちを感じ、「消えよ。」剣のような角を更に二本、胸から突き出した。

 ごふり。

 更に大きく吐血した嚆矢。にもかかわらず、彼は笑う。

「表情に余裕がないよ、吽禍。一体何が不安なんだい。」

「……不安など、ない。」

「ならばどうして、キミの意識はさっきから四方八方へ向いているんだろう。」

 ここまで圧倒的な戦力差を見せつけられて尚、嚆矢の余裕は消えない。

「――怖いんだろう、時神鈴が。」

 血が、流れる。

 神の命が、零れていく。

 それでも嚆矢は、手を伸ばす。

 己は弱い。己では吽禍に勝てない。他でもない、知識の神である己はそれを一番理解している。それでも、それでも。

「ならば貴様に、何ができる。」

 吽禍の問いに。

「一つだけ、出来ることがある。そしてそれは――。」

 胸に刺さった角を引き抜いて、嚆矢は告げた。

「――今、成されたよ。」

 ニヤリと笑った嚆矢は、その場に膝を着いた。

「すまないが、後は頼んだよ。」

 消えそうな声を残して、嚆矢は『門』を構築、その場から姿を消した。

 今すぐ嚆矢の構築した癒しの結界に身を運べば、おそらく嚆矢が消えることはないだろう。

「ああ、任された」

 消えた嚆矢に代わり、何者かの声。

「……む。」

 一体、何が成されたのか。嚆矢の目的はなんだったのか。吽禍が声の先へ意識を向ければなるほど、そこには二つの存在があった。

「よう、待たせたな」

 少年と。

「吽禍、ここからは俺たちが相手だ」

 少年。

「貴様らは――。」

 そう、彼らは――。

 

「「俺たちは――龍神兄弟だ」」


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