望んだ世界
舞う風。吹き飛ぶ砂塵。
黒い太陽、その下で、親友同士の殺し合いは過激を極めていた。
「おらァッ!」
辰人の拳が鈴の顔面を強打し、鈴の身体は砂に埋まる。
跳躍し馬乗りになり、辰人は鈴の胸倉を掴んだ。
「おい、鈴。お前何やってんだよ。吽禍を倒すんだろ? なんでお前、俺と戦ってんだ」
漆黒の髪。漆黒の業天。漆黒の瞳。時神鈴は、答えない。
代わりに、その拳を辰人に向けて突き出した。
幾度か拳を避けた辰人は、後方へ跳躍。再び鈴と距離を取る。
「だんまりかよ。お前らしくもない」
呟いた辰人は舌を打つ。
現状、鈴の攻撃は辰人には当たらない。しかし、辰人の攻撃もすぎて、鈴への決定打になりえない。なにより、ここで鈴を説得し吽禍と戦おうとしている以上、辰人の攻撃が軽くなるもの当然だ。
しかし、鈴に加減は無い。
一体何があったのかは知らないが、鈴は本気で辰人を殺そうとしている。
その何があったのかが分からない限り、辰人にはどうしようもない。だからこうして何度も鈴に語り掛けているわけだが、辰人の声は届かない。鈴のその目は、辰人を見ていない。
それでも、こいつは親友だから、いつかは届くからと、辰人は再び鈴へと向かう。
「正義の味方に、なるんだろ!」
無言。
鈴の攻撃を回避。
後方へ跳躍、距離を取る。
――ダメだ。何を言っても、届かない。
辰人の言葉は、届かない。ならば、誰の言葉なら。考えた時、辰人は鈴と戦ったときのことを思い出した。どうして今まで思い至らなかったのかはわからない。もしか、無意識的に拒んでいたのかもしれない。
けれど、ここまで来たら止まってなどいられない。
「共に飛鳥を守るって、誓ったろうが!」
辰人は、鈴を本気で怒らせるために彼女の名を口にする。
「飛鳥を守るんだろ! 吽禍を倒すんだろ! 吽禍の味方なんかしてたら、みんなが――飛鳥が殺されんのが関の山だ! お前なにやってんだよッ!」
鈴の目つきが、変わった気がした、
やはり、時神鈴にとって水無月飛鳥は特別な存在だ。
恋愛だの友人だのといった関係ではなく、それとはまた別の――魂の繋がりとでもいうべき絆がある。だから辰人は、その隙を逃さない。
「てめぇ、飛鳥を泣かせるつもりかァッ!」
叫んだ辰人に、
「それを……」
鈴は、
「それをお前が言うのかぁあああああああああああああああああああああああッ!」
本気の加速を以て辰人の眼前へ現れ、その拳で辰人の顔面を強打した。
転がった。辰人の肉体は急斜面を転がるボールのように易々と、平面の砂地を転がった。
砂塵を巻き上げ、遥か後方へ吹っ飛んだ。
最後に砂山に衝突した辰人は大きなクレーターを造り、その中央に埋もれてさながら磔の如くになる。
これはしばらく身動きが取れないな。思った辰人は身体の麻痺が解けるのを待とうとすると、鈴が眼前に現れた。
「ようやく口を開いたか」
少しずつ解けてきた麻痺の中、砂に埋まった身体を引き抜きながら、辰人は言う。
その様を見下すように見た鈴は、強く歯を噛んだ。
「どういうつもりだ、辰人」
最後に左足を砂から引き抜いて、辰人は「何がだ」と問う。
「どうして俺の邪魔をする」
「そりゃこっちのセリフだろ」
「あの時誓ったろうが、飛鳥を助けるって。なのになんでお前は、俺の邪魔をする」
「だから、それは俺のセリフだっての。お前は一体、何をしようとしてる。なんだよ、その業天の色は。黒く染まってんじゃねーか。お前の輝きは一体どうしたんだよ」
「俺の……輝き?」
「お前の精神だよ。正義の味方になるって気持ちだよ」
「ああ……」
今初めて思い出したような風に鈴は嘆息し、そして。
「捨てたよ」
何でもないことのように、言い放った。
「――――は?」
あまりの豹変ぶりに、辰人は驚愕を隠せない。
時神鈴から正義感を奪ったら、あとは何が残る。残るのは、腕っぷしだけだ。
暴力だけだ。
時神鈴が持っていたモノの中で真に尊く価値があったのは、正しき怒りを胸に秘めたその精神。これは総ての人間にも言えることだが、理性を失ってしまえば人も獣と大差ない。理性があるからこそ、ルールの中で生きるからこそ、人は人足りえる。
なのに、それを捨てたと彼は言う。
なんでもないことのように、彼を人たらしめていたものを、彼がなにより大切にしたものを、捨てたという。
「なに言ってんだよ、お前……」
辰人が鈴に憧れたのは、その強い正義感故だ。
誰かのために馬鹿になれる。そんな時神鈴が堪らなく羨ましく、同時、堪らなく好きだった。そしてそんな時神鈴と親友でいられる自分が、堪らなく誇らしかった。
なのに、なのに――。
「言った通りだ。俺は正義の味方を辞める」
「……っけんな」
「あ?」
「ふざけんなっつってんだぁあああああああああああああああッ!」
自分でも自覚しないうちに、辰人の拳が鈴を殴りつけた。
突然の攻撃に対応できなかった鈴はしかし、数歩後方へ下がるだけだった。
「痛いな、辰人。なにしやがる」
「なにしやがる、じゃねぇだろ……。お前正義の味方だろ? 正義の味方になるんだろ? それがなんで、吽禍の下僕なんかに……」
泣きそうになるほど、辰人の声は震えていた。
どうしようもなく、悔しかった。どうしようもなく、悲しかった。
時神鈴が、目指した正義の味方をやめたという一言が、どうしても許せなかった。
――なんで。
震える問いに、鈴は「簡単なことだ」と嘆息する。
「救えないんだよ、この世は」
鈴は不快感を吐き出すように言った。
「この世界は、汚すぎる。信じても結局裏切るんだよ、人は」
「そんなこと、無いだろ。信じた分だけ、人は――」
「信じても、裏切るさ。どいつもこいつも、自分の事しか考えない。それが人の道で、それが人の世だからだ。だったらどうしてそいつらを守る価値がある。助ける意味がある。正義の味方なんて、大衆にとっては都合いいだけの存在だろう」
それでは、救えない。それでは水無月飛鳥の笑顔が、守られない。
真に守るべきものは、汚い素顔を仮面で覆い隠した者たちではなく、守るに相応しい輝きを宿す者。己を裏切ることはないと、確信できるもの。
世界総ての人間は醜い。けれど、水無月飛鳥の輝きは時神鈴にとってかけがえのないモノだった。絶対に裏切らないと確信できる、大切なものだった。
彼女は自分に尽くしてくれる、それは純粋な善。善は勧めなければならない。
彼女を傷つけるもの、それは穢れた悪。悪は懲らしめなければならない。
この世には彼女を傷つけるもの――悪――が多すぎる。
――然り、然り。この世は泥に塗れている。穢れた泥に、宝石が埋もれているのだ。
誰かが言った。そしてその『声』は、鈴にあの情景を見せる。
あの日。あの時。あの公園で。
彼女を殴った者がいた。彼女を蹴った者がいた。彼女の心を犯した。彼女は泣いた。その甘い蜜を、啜った者たちがいた。
なのに――誰も彼女を救おうとはしなかった。
ああつまり、これが人の世だ。誰も彼が良い顔をしながら、結局自分の事しか考えてはいない。正義の味方として守るべきものが、この世には水無月飛鳥を除いて他にないのだ。
だから鈴は、正義の味方をやめた。
飛鳥の敵は、鈴の敵。その敵が飛鳥を除いた全人類――ほぼ総ての人間なのだから、正義の味方は名乗れない。
「俺は飛鳥の味方だ。この世界が飛鳥の敵だってんなら、俺は世界を敵にする。この世界を、破壊する」
天秤がある。
世界と、一人の少女。どちらを選ぶのかと、悪魔は問うた。
世界は数だけは多いが、しかし汚物にまみれた汚いモノ。言ってみれば、蛆の集合。
少女は宝石。どこまでも美しい普遍の輝きを持つ、尊いもの。
どちらを守るかと問われた正義の味方は、輝きを選んだ。かつて信じた幸福な世界などないと信じ込まされ、己の目を隠されたのだと気付かないまま、かつてあったあの日のように、たった一人の少女のため、世界へ喧嘩を売った。
助ける、今助ける、必ず助ける。その手は絶対離さないからと。
しかし。
「なにを言ってんだよ、鈴……」
辰人には、鈴が何を言っているのかわからない。鈴の豹変を、許容できない。
「正義の味方は、どうした?」
「言ったハズだ、捨てた」
「世界を破壊するって、なんだよ……」
「文字通り、総てを壊すことだ」
「たくさんの人を殺すって……事かよ」
「それが飛鳥の為だ」
「弱きを助け、強きを挫くんだろ? お前が弱者を虐めてどうすんだ……」
弱きを助け、強きを挫く。
弱い者いじめと助けることは違う。
許す心こそが、お前の大切にしたものだったんじゃないのか。
「なぁ、辰人。この世界は、救えないんだ」
「……はぁ?」
いくら信じたところで、人は必ず裏切る。どれだけ優しそうなやつでも、我が身可愛さにすべてを捨てる強さを持っている。正直者ほど馬鹿を見る世界なんて、間違っている。
強い奴が世界を決める。弱い奴は従うだけ。ほら、こんなにも世界は不平等だ。
こんな世界じゃ、飛鳥は生きていけない。
どうして頑張ってるヤツが馬鹿を見る。どうして、正直者が騙される。こんなアクに満ちた世界なんて、壊れてしまえばいい。鈴は言う。
揺れる心を落ち着かせ、辰人は一度深呼吸してからいった。
「……確かに、それは俺も思ったことはある」
世界はどこまでも不平等だ。
平等故に、不平等だ。
総てを欲しがるものがいて、総てを持っているものがいる。
苛められるものがいて、苛めるものがいる。
この不平等に、辰人の心は一度悪に染まった。
「だから、俺が飛鳥の代わりに壊すんだ。壊して、あいつの笑顔を守るんだ。お前だって、それを望んでいるだろう?」
「ああ。飛鳥が笑顔でいるに越したことはない」
「なら、どうしてお前は邪魔をする。俺とお前が揃えば無敵だ。共に、飛鳥を脅かすこの世界を怖そう」
「言いたいことは分かる。けどな、鈴。それじゃあ、誰も救われないんだよ」
世界を壊す。こんな不平等な世界を破壊する。それは一度辰人が考え、しかしそれは違うと小さな少女に正された考えだった。
――吽禍が、鈴の思考を誘導しているのか。
辰人は、その結論を導き出す。
対する鈴は、やはり陶酔するように語り続ける。
「飛鳥が救われるだろう。なら十分だ。それ以外の人間は、救う価値がない」
「なら、お前の父親は。母親は。これまで共に生きた友人は、お世話になった人達は。お前を助けてくれた人達は、どうなる」
一瞬、鈴の目が細まった。
「俺の大切な人――?」
「ああ、そうだ」
「俺は――あぐッ!?」
突如、鈴は頭をかかえた。
「壊す――全部壊……いや、俺は、助けたい。そういう人達を、助けたいと――ッ違う! 俺は世界を――」
くぐもった声をあげ、膝をつく。
やはり、吽禍が手を引いている。そして、自分の声が届いている。ならばやることは一つと、辰人はここで一気に畳みかける。
「お前は助けたいんだろ! 正義の味方になるんだろ!」
頭をかかえる鈴に、何かが囁く。
――戯言だ、聞き流せ。お前がすべきは美しきものを守ること。塵芥の戯言に耳を貸すことではない。
俺は……助けたい。
守れなかったものがある。取りこぼしたものがある。
もう二度と、無くすわけには――。
――であれば、何を成すべきかは明白よ。守れ。守るために――壊せ。
「お前は何になりたいんだ! 答えろ、鈴ッ!」
「俺は……俺は……ッ」
鈴の脳裏には、かつての光景。
あの日、あの時、あの公園。
踏んだ。踏んだ。踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ踏んだ……。
鈴の目の前で踏んだ。
泣いた彼女を踏んだ。
踏んで踏んで、踏みつけて、踏みにじって、溢れる蜜を啜った。
誰も彼もが助けない。誰一人助けようとしない。こんな世界はいらない。飛鳥が悲しむ世界なんて、いらない。
――然り。ならばこそ、壊せよ。
壊せ。
――壊せ、壊すのだ。この世界は、汚泥に塗れているのだから。
壊せ、壊せ。
――立ちはだかるもの全て悪。真の正義は、我等のみ。正義の名の下に――壊せよ。
そう、飛鳥のために。そう、正義のために。
壊せ、壊せ、壊せ、壊せ。
壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ壊せ……壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セ壊セコワセコワセコワセコワセコワセコワセコワセコワセコワセコワセコワセコワセコワセコワセコワセ――。
「壊す! 全て壊す! もう誰にも傷つけさせない、触れさせない!」
顔が、離れない。
わたしを殴って。そう告げた飛鳥の顔が離れない。
嫌だ嫌だといいつつ、飛鳥を殴っていったクラスメイトの顔が離れない。
「俺が守るんだ!」
自分が守らなければ、弱い彼女は生きていけない。かつて抱いた思いが、蘇る。
「本気で言ってんのか、鈴」
震える拳を押さえつけ、声だけは冷静に辰人は問いかけた。
「守る価値なんてもう、無いんだ。穢れすぎたんだよ、この世界は!」
鈴が、駆けた。
「いい加減目を覚ませ、鈴ッ!」
同時、辰人も駆ける。
正面衝突。
殴り、殴られ。
防御や回避なんて考えなかった。
己の主張を拳に込め、ただ殴る。
いい加減にしろと、目を覚ませと、互いに殴り合う。
「とっくに目は覚めた! 誰かを信じて誰かが裏切られる世界なら、必要ないだろうがッ!」
その言葉が、かつて自分が鈴に向けたものに似ていると辰人は思った。
こんな世界は壊すべき。速く目を覚ませと。
それでも「お前は間違っている」と言ってくれたのは、鈴だ。
これまで生きた自分の道が間違っていなかったと思わせてくれたのは、鈴だ。
だから辰人は負けられない。これまで時神鈴が歩んだ正義の道を否定はさせない。
お前は間違ってなんかいない、お前はお前のままでいい。バカみたいな理想掲げて、バカみたいにみんなの幸せを願ってほしい。
なのに今の鈴は、飛鳥の幸せすらも考えてはいないのだ。
ふざけるなと、辰人は己の心が沸騰するのが分かった。
「腐れ脳みそで何を考えたのは知らねぇけどなぁ、お前の一存で世界を壊すだぁ? おい……てめぇ一体何様のつもりだァ! 釈迦かブッダか! キリスト様かァッ!?」
「こうでもしなきゃ、飛鳥が救われねぇんだよ!」
「それが何様のつもりだって言ってんだ! 世界がどうの、飛鳥がどうの……。なにを勘違いしてんのか知らねぇが、んなことする必要がない大前提を教えてやるよ!」
グッと握った右拳。
振るおうとした辰人の顔面に、鈴の一撃が入った。
メガネが粉々に砕けたが、気にしない。首から上が吹き飛びそうな衝撃があったが、気にしない。
この言葉だけは、伝えなければならない。
「――飛鳥はそんなに弱くねぇんだよォッ!!」
叫ぶと同時、その拳を鈴の顔面へとぶつける。
「――がッ」
よろめく鈴に、辰人は畳みかけるように拳を振う。
「世界を壊すだ? んなことして本当に飛鳥が喜ぶと思ってんのか! あいつはな、お前が傷つくぐらいなら、自分が犠牲になるって考えるようなバカ女だぞ!」
『――鈴くん、わたしを殴って』
あの日、あの時、あの公園。
鈴に向けた飛鳥の笑顔が、辰人の脳裏に蘇る。
「飛鳥は、飛鳥はなぁ――」
――お前が虐められていると先生にチクったら、時神も一緒に虐めるぞ。
辰人は、飛鳥を虐めから救った。どうにもならない闇の連鎖を、説得というカタチで収めた。その時に加虐者たちから聞いたことがある。
これは鈴が知らないことだろうが、飛鳥は鈴を虐めに巻き込まいと、教師に虐めの事を伝えなかったのだという。鈴は飛鳥を守ろうと何度も教師に申告したそうだが、肝心の飛鳥は、鈴を傷つけまいと虐めを否定した。
『鈴くんが虐められるくらいなら、わたしはこのままでいい』
飛鳥は、加虐者たちにそう言ったそうだ。
これを聞いた時、辰人は加虐者たちに怒りを感じるよりも先に、飛鳥らしいと思った。
そして、飛鳥のそういうところに惹かれていった。だから、確信できる。
「飛鳥は誰より優しいヤツなんだよ! そんなヤツが、世界全てを犠牲にした幸せなんか望むワケがないだろうがぁああああああああッ!!」
飛鳥は絶対に、そんな幸せを望んでなんかいない。
いい加減に気付けよ、鈴。お前ならわかるだろう。
辰人の連撃の隙を見つけた鈴は華麗に一撃を躱し、その拳を突き出す。
「それでも俺は、あいつだけは泣かせないと決めた! アイツの涙だけは二度と見たくない! だから、俺は――」
「そもそもの論点がズレてんだお前はァッ!」
鈴の拳が当たる前に、鈴以上の加速をもった辰人の拳が鈴の頬を強打し、鈴は倒れこんだ。
その鈴に歩み寄り、辰人はその胸倉を掴み上げる。
辰人を睨み付けて拳を握った鈴の手が、緩んだ。
辰人は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「今のお前を見て、飛鳥がどう思うのかもわからねぇのかよ!」
「飛鳥が、どう思うか……?」
「飛鳥は、ずっとお前を見てきたんだ! お前の望んだ未来を、一緒にみたいと思ってたんだぞ!」
辰人が、飛鳥に告白した時のことだ。
『俺と、付き合わないか?』
その問いに、飛鳥は。
『……ごめんなさい。わたしはやっぱり、鈴くんが好き』
大した間を置くこともなく、そう告げた。
『例え鈴が、飛鳥以外の女を選んでも?』
その時に辰人は、どうしても飛鳥を諦めきれなくて、こう聞いた。
嫌な質問だっただろう。自分でも、嫌な質問をしたと思う。けれど飛鳥は、はにかんで。
『鈴くんがいてくれるだけで、わたしはいいの。鈴くんはいつも、みんなに笑顔でいて欲しいって言ってるでしょ? そんな鈴くんがわたしは好きだから。そして、鈴くんの隣にいる人は、そういう人であるべきだから』
わたしは、人を心の底から信じることはできないんだと思う。わたしじゃきっと、鈴くんの隣には並べない。
それでも構わないのだと、飛鳥は言った。
鈴の夢である、『誰もが幸福な世界』を見たいといった。誰もが幸せになれる世界を信じたいと言った。
『けど、それじゃお前が幸せになれないじゃないか』
辰人の言葉に、飛鳥は首を横に振る。
『鈴くんの幸せが、わたしの幸せだから』
なんで、そんなことを言う。なんで、そんなことが言える。
辛いだろ、自分が幸せになれなかったら。辛いだろ、好きな人に選ばれなかったら。なのにお前は、どうして笑顔で言うんだ。どうして、幸せそうなんだ。
『どうして、だろうね。鈴くんが他の女の子と幸せになるのを見るとね、とても辛いと思う。きっと、泣いちゃう。それでも、鈴くんの幸せだけは壊しちゃいけないの。鈴くんの幸せだけは、守ってあげたいの。きっとそれが――』
――わたしにできる、ただ一つの恩返しだから。
その時の微笑みが。
悲しそうだけど、幸せそうな微笑みが。
辰人は、忘れられないのだ。
そして、鈴の望んだ『誰もが幸福な世界』の実現こそが、飛鳥が幸せになれる唯一の未来なんだ。
その未来を、鈴が壊すなんて耐えられない。
「飛鳥は、今まで通りのお前が好きなんだよ! 正義の味方を目指すお前が!」
飛鳥の幸せを、鈴が壊すなんて耐えられない。
鈴が世界を壊す様を見た飛鳥の気持ちを考えると、とても、耐えられない。
「お前が本当に望んだ未来は……全部壊して何もないところで生きるとか、そんなものじゃないだろうが……。誰もが仲良く、誰もが笑顔で! それが、お前の欲しかった幸せじゃないのかよ!」
「俺は、俺の幸せは――」
再び鈴の頭に、声。
――甘言に惑わされるな。何かを得るためには、何かを捨てねばならぬ。取捨を選択しるのだ。そして、この穢れた世界を捨てるべきなのだ。
「何度も言わせんな、飛鳥は弱くねぇんだよ!」
――アレは弱い。ならばこそ、守らねばならぬ。真に美しいものは、守り通さねばならぬ。
うるさい。
「お前が辛いとき、助けてくれたのは誰だ! お前が倒れそうなとき、支えてくれたのは誰だ! お前を俺の死の苦しみから救ったのは、誰だった!?」
――お前が助けるべきモノは何だ。守らねばならぬモノは何だ。
うるさい。静かにしてくれ。
「お前だってわかってんだろ、飛鳥はそんなに弱くねぇ! 飛鳥を馬鹿にすんのも大概にしろよ!」
――これ以上は耳を貸すな、所詮塵芥の戯言よ。
ちょっと、黙ってろよ。
「信じろ、飛鳥の強さを!」
――奴も踏むぞ、お前の『大切を』。
……だから、黙れって。
「俺を信じろ、鈴!」
――思い出せ、信じられるものは己のみだ。
「だから、黙れよお前はぁあああああアアッ!」
鈴は胸倉を掴んでいた辰人を振り払い、大地を叩く。同時、声が消える。
ぱらぱらと、弾けた砂が零れ落ちた。
辰人の正面に出来た砂の柱、その中心に立つ者は、銀の少年だった。
銀、銀、銀。その髪も、その姿も、その瞳も。
辰人にできない『正義』を、平然とやってのける、親友が。
誰よりも眩しく、なによりも輝いていた、世界で一番かっこいい男が。
「俺の道は、俺が決める!」
――時神鈴が、そこにいた。
「――ッ」
頭痛がひどいのか、頭をかかえた鈴は周りをゆっくりと見渡して場所を確認しようとする。
「目ぇ覚めたか、鈴」
辰人が問うと、何かを思い出したようで、鈴は納得したような顔をした。
「そうか、俺は吽禍に負けて……」
そこまで言って、鈴は再び辰人の顔を見る。
「待て。辰人……お前、どうして此処に?」
「そんなことは、今はいい。それより、俺たちには行かなきゃいけない場所がある」
「お前も、一緒に……?」
「ああ、そうだ」
頷いた辰人に、鈴は思わず笑顔を向けた。
「そりゃあ、心強い」
どうしてかはわからないが、辰人が此処に居る。そして、共に戦える。今はそれで十分だと思う。
「さぁ、行こうぜ鈴。龍神兄弟、最後の大戦争だ」
人助けのために始めた『龍神兄弟』が、世界を救う。正義の味方になる。
自分でも、誰かを助けることが出来る。誰かのために生きることが出来る。なにより、隣に最強の相棒、風間辰人がいる。その事実が、どうしようもなく嬉しくて。もう一度この親友と戦えることが、堪らなく嬉しくて。
「ああ」
頷いた鈴の声は、きっと涙に濡れていた。




