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勧善懲悪

「吽禍。こうして顔を合わせるのは初めてだね。」

 新たに構築した『門』から姿を現した青年は、白髪赤眼の美青年に告げる。

「……お前、■■■か。」

 白髪赤眼は、問いかけた。

「ぼくの真名を知っているんだね。ありがたい話だよ。てっきり、キミが覚えているのは『彼』と『彼女』の名前だけだと思ったのだけれど。」

「アレらは全て、お前の采配によっておれを負傷させた。アレらの力は凄まじいものではあったが、お前の頭脳も恐るに値する。名を記憶するは当然だ。」

「それは光栄な話だね。」

「――して。」吽禍は問いかける。

「戦う力のない、知識だけが取り柄のお前が、何をしに来たのか。」

「決まっているだろう。彼の心を返してもらおうと思ってね。」

 青年――嚆矢が目を向けた先には、白銀に輝く球体のナニカ。それはさながら光のようで、今にも消えてしまいそうなものである。そのナニカが、吽禍の手の内に捕まっていた。

 その視線に気付いた吽禍は、ナニカを嚆矢に見せびらかすように手の上で転がして、ニンマリと笑う。

「――此れの事か。」

「あぁ、それの事だよ。」

 それは、時神鈴の心。魂ともいえるべきモノ。

 吽禍が奪った、明星の輝き。

 嚆矢は鈴の心を見て、やはり彼は美しいと思う。本来具現化した心――魂というべきものは、多少なりとも汚れがあるものだ。しかし、彼の心に黒点は見当たらない。とても純粋なもので、故に明星たりえるにふさわしいと感じた。

「しかし――。」

 コロコロと手のひらの上で魂を転がして、吽禍は目を細めた。

「お前に此れが奪えるか。」

 ニヤリと挑発する吽禍に対し、嚆矢は極めて冷静だった。

 もともと彼は知識の神、拳を交えた喧嘩では勝てなくとも、口喧嘩に関してならばおそらく、彼の右に出るものはない。

 口喧嘩において大切なのは、冷静であること。

 故に嚆矢は揺るがない。

「ねぇ、吽禍。」

 ため息をついた嚆矢は、問いかける。

「どうしてそんなにも彼を――時神鈴を嫌悪するのかな。」

 質問の意図がわからないと、吽禍は眉を寄せた。

 構わず、嚆矢は続ける。

「奪うときに君も見ただろう。彼の心――彼の過去、時神鈴という存在のあり方。彼の生き方は、人とは思えぬほどに美しいだろう。」

「それが如何した。」

「彼は君の駆逐の対象ではない。むしろ彼のような人間をこそ、君は守るべきではないのかな。」

「何を――。」

 何を、言っている。

 吽禍は嚆矢が何を言っているか、理解できない。

 ――否、理解を拒んでいる。

「君が恨むのは、人の皮をかぶった外道畜生だ。しかし時神鈴は獣ではなく、どころか純粋な神格に匹敵するほどの精神を持ち合わせた、聖人とでも言うべき存在だろう。ならばどうして、君は彼を嫌うのかが、ぼくにはわからない。」

 わからない。

 吽禍には、嚆矢が何を言っているかはわからない。

 わからないけれど、此れ以上は――。

「君、怖いんだろ。」

「はッ――。」

 何を戯言を。笑い飛ばしたい心とは裏腹に、気持ちが焦る。

 此れ以上は、言わせてはならない。

「君は怖いんだ。彼は君の家族愛を遥かに凌ぐ愛を受け、また仲間たちにそれを与えている。それが、たまらなく羨ましいとい思うと同時、これまで自分が信じたものが否定されたように感じて――」

「殺せァアアアッ!」

 嚆矢が言い切る前に、吽禍の咆哮がその場に響く。針のように鋭く尖った拳ほどの大きさもある蟲たちが、吽禍の手のひらより手裏剣のように解き放たれ、嚆矢の肉体に幾十と突き刺さった。

 ごぷりと嚆矢の口から血が溢れる。

「う、あ……。」

 どさりと倒れる嚆矢に、吽禍の蟲たちが群がり喰らう。

「力もない輩が、このおれを語るな。穢らわ――。」

「ぼくには、見えているよ。」

 穢らわしい。

 言い切る前に、吽禍の耳元で声がした。

 この空間に距離という概念がないために、耳元というのはおかしな話ではあるが、確かにその声は耳元から聞こえていた。

 とっさに嚆矢がいるべき場所に目をやると、そこに嚆矢の骸はない。あるのは、蟲に刺し殺された一匹の殻人だった。

 一体、何処へ――。

 視線を迷わせた吽禍の背後、現れた嚆矢は告げる。

「怖いんだよ、君は。認められないだけなんだ。――君たちの家族愛に勝る愛がこの世界に存在することが。」

 ピシリ。

 (ヒビ)割れた。

 世界が罅割れた。

 存在意義が、破綻した。

「否。否。否、否、否!否否否否否否否否否否否否――――!」

 そんなことはない。

 違う、違う。違う。違う違う違うんだ絶対そんなことはない違うんだこの世界でこの宇宙で一番美しいのはおれたちの愛でお前のそれではなくて違う違うやめろ否定するなこの世界は汚いんだ全てが汚ければいいんだ醜いもので溢れていればいいだからやめろ見せるな綺麗なモノを見せるなやめろやめろやめてくれ自分が好きなものを信じて何が悪い自分が美しいものをこの世界で最も美しいと証明して何が悪いやめろやめろやめろやめろやめろやめろ――!

「お前ぇええええええええエエエエッ!!」

 吽禍の瞳は蟲のソレ――複眼へと変化し、肌の半分は緑に変色。肩からはイナゴのような羽が生え、羽音を鳴らして外敵を破壊するために飛翔する。

「誤った答えを導いた者に正解を与えると、その者は突然怒り出す。まさしく今の状況がそれなわけだけど、これをなんというか知っているかい。」

 顔の左半分を右手で覆った嚆矢は、

「逆ギレ、と言うらしい。」

 残る右目で吽禍を見据えた。


        ☆


 吽禍はそもそも、陰と陽の属性を持つタタリ神である。

 元は『人』であったものなのだから、それは当然といえば当然であるが。

 多くの神は人と同じく、基本的に陰と陽――すなわち善と悪の属性を持ち合わせている。

 例えば怨霊、菅原道真。彼は確かに、恨みによって対象をタタリ殺すという凶悪な一面をもっている。が、それのみならず、天神様(てんじんさま)という学問の神の一面も持っている。

 吽禍はその悪性が大きく出るために悪神と思われがちであるが、全てをタタリ殺すという吽禍にも善性はある。

 それが――勧善懲悪。

 彼の場合『勧善懲悪』というよりは『勧善殺悪』とも言えるほど残酷なものであるが、しかしその実態は大差はない。


 ここに、踏めば金が出る他者がいるとする。

 その金を踏み続ければどうなるか。

 あぁもちろん、踏み続ければいつしか億万長者になれるだろう。

 ならば、どうするか。

 その者を踏みつけ、溢れる金を諸手に喜ぶか。

 例え己で踏まずとも、その金を分けてもらえばお前、同罪だ。

 例え金を分けられずとも、少しでも金が欲しいと片隅で願ったお前、同罪だ。

 それとも、踏んでは可愛そうだとその者を助けるか。

 しかしその者を助けても見ろ、今度はお前が踏まれるぞ。

 金出す他者を寄越せ、おれは金が欲しいのだ。寄越さぬならば良し、まずはお前から踏んでやろう、と。

 踏め、踏め、踏め、踏め。

 他者を踏みつけ天を執る。それが人間、それが人。

 かような自己中心的な生命は、懲らしめてやらんといかんよな。

 ――故の、勧善懲悪。


 しかし勧善懲悪故に、悪人を殺すことはできても善人を殺すことは叶わない。

 が、それは些細なことだ。

 この世には神聖なる――完全なる分子配列に相当する、究極的な美を持つ宝石(せいしん)を持つ者などはいないと言ってもいい。

 金が手に入るのならば金が欲しい。何かが手に入るのならば何かが欲しい。

 人とは、実に欲深い生き物である。

 ここに、人の幸せを定義しよう。

 貴方にとっての幸せとはなんだろうか。「これがあれば幸せになれる」というただ一つの夢を、此処に思い浮かべてみて欲しい。

 それは腹一杯に好物を詰め込むことか。好意を抱く相手と性交をすることか。それとも、永久に眠ることか。

 もしか別のことかもしれないが、それを一つ、思い浮かべて欲しい。

 それが叶ったとき、貴方は幸せになれることだろう。

 ――が、それが当たり前のように続けばどうだろう。

 好きなだけ物を食べられる。好きなときに性交ができる。そして好きなだけ眠ることができる。

 この夢のような幸せが叶ったとして、そしてそれが何年も何十年も何百年も続いたとして、貴方はまだ己は幸せだと、声を大に言えるだろうか。

 幸せはやがて「当たり前」となる。それが人の世の道理である。

 この世界に変わらないものはない。それが人の心であろうとも、例外ではない。

 百年の恋などなければ、冷めない怒りもない。時とともに、かつての感情を失うものだ。

 貴方は初めて怒ったときの気持ちを語れるか。どうして怒ったのか、何が許せなかったのか思い出せるか。そしてそれと全く同じだけ、今この瞬間に怒れるか。――無理だろう。

 同様に、確かにあった幸福な瞬間も、その感情も、人は忘れてしまう。

 故に、人は変わらずには満たされない。

 幸せが手に入れば、また新たな幸せを。その幸せが手に入れば、また新たな幸せを。

 そしてこの当たり前となった幸せが欠けることを、人は不幸と呼ぶ。

 理不尽なものだ。

 もともとは存在していなかったものを手に入れる、それが人の言う幸福。存在しなかった幸福が消えて元に戻る、人はそれを不幸と呼ぶ。

 それはさながら、積み木のようなものである。

 ――親から無事に産まれることができた。

 コトリ。最初の積み木が積まれた。

 ――親は死なず、経済的にも問題なく、そして立派に育ててくれた。

 コト、コト……。一、二、三……積み木が積まれた。

 ――友達ができた。

 ――恋人ができた。

 ――勉強ができた。

 ――小遣いがもらえた。

 こつこつと、積み木が積まれる。

 ――恋人と喧嘩して、別れてしまった。

 積み木が一つ、減った。

 ――若くして親が死んだ。もしくは離婚した。

 積み木が一つ、減った。

 ――親が借金をした。

 ――事故で足が動かなくなった。

 ――視力を失った。

 ――友人と喧嘩をした。

 積み木が一つ、減った。

 積み木が一つ減ったその時、貴方はどう思うだろうか。

「自分は不幸だ」

 心のほんの片隅でもそう思ったのなら、貴方は人間だ。新しい幸福を手に入れなければ幸福を感じられない、現代を生きるありふれた人間だ。

 人は変わらずには満たされない。

 新たな幸福を得て己の世界を変革しなければ、幸福足りえないのだ。

 だからこそ、人は(こうふく)を求める。

 金が出るのならば他者を踏む。例えその者が不幸になろうと、己の幸福のためならば他者を犠牲にできる。

 例え実行に移さずとも、心の片隅で思うのならば同じこと。

 心の片隅に思い描きながらも実行には移さない、それが人の美しさであり強さであるとハワード・マクラウドは述べるが、吽禍はそうは思わない。

 心の片隅にでも思えば、貴様は悪だ。故に死ね。

 これが吽禍の勧善懲悪――その懲悪(あくせい)である。

 そして吽禍のいう勧めるべき善とは、完全な分子配列を持った宝石の如き曇りない聖人のような精神である。

 悪の心など持たぬ純粋無垢な純情可憐の精神である。

 それを持てぬのならば貴様は要らぬ、ここで死ね。

 だから吽禍を前にして、多くの人は生き残れない。

 ――ここに踏めば金出る他者がいる。それを、お前はどうするか。

 かつて、それに似た問いを投げられた少年がいた。

 ――殴らなければ、お前が殴られる。ならばどうする。

 コレから金はこぼれない。

 ただ、己が痛い思いをしないために殴るのだ。

 けれど、同じこと。

 金が出ようと出まいと、その質問の核は変わらない。

 『殴られない』という(こうふく)を拾うか捨てるかという簡単な二択問題だ。

 他者を殴ることで自分が殴られないならと、誰もが他者を殴った。殴った。みんな殴った。その他者が可哀想と思っても、殴った。その他者のことを愛していた者もきっと、自分の番になれば殴っていた。

 何故なら、それが人間なのだから。

 ここで自分が殴らなかったところで、他の誰かが殴ることに変わりはないし、下手をすれば次に『他者』として皆から殴られるのは、自分になるかもしれない。――なにより、ここで自分が殴られたところで、始まったこの状況(ながれ)は変えられないのだから。

 ――殴らなければ、お前が殴られる。ならばどうする。

 この問いに。

 人ならば迷うこともない、この実に簡単な問いに。

 ふざけるなと、少年は世界に喧嘩を売った。

 迷わず、そして欠片も己の内に潜む悪魔に耳を貸さず、大きな声で吼えた。

 小学生という、世間を知らぬ小さな世界。その世界全てを敵に回そうと、気に入らないものは気に入らない。俺は俺の正しいと信じた道を行く。

 少年の叫びは、他者(しょうじょ)を救った。

「てめぇら、ぶんなぐってやるよ!」

 時神鈴は、水無月飛鳥を救った。

 故に少年こそ――時神鈴こそが、吽禍にとっての天敵である。

 完全な分子配列を持った宝石の如き精神構造であるが故に、吽禍は『勧善懲悪』の特性上、己の認める悪ではない時神鈴を殺せない。

 心を喰らい消滅させ、殻人にすることもできない。

 だから心を奪った。その精神を奪った。

 そして親友である風間辰人、そして水無月飛鳥をその手で殺めせることにより、時神鈴の心に闇を作り、吽禍の悪の定義に無理矢理にでも嵌め込もうとした。

 それを、嚆矢に見抜かれた。

 元は勧善懲悪であるはずの吽禍は、己の都合によって勧善ではなく勧悪した。そして懲善しようとした。

 この事実は、吽禍の存在に深く亀裂を入れた。

 それも当然か。己の手で己の存在を否定したのだから。タタリ神となってまで証明しようとした人の善性(あい)を、己の手で悪に染めようとしていたのだから。

 それでも、吽禍には証明したいものがあった。

 例え己の存在意義を否定することになっても、認められないものがあった。

 ――時神鈴を中心とする『絆』だけは、彼の持つ『愛』だけは、認められない。

 この世界に存在する愛は、ただ一つのみ。そしてそれは、今はもう、吽禍の胸の内にしか存在しない。

 ――己が死ぬとわかっても、相手を想う、他の何より尊い家族愛。

 それこそが吽禍の知る唯一の愛。そしてそれこそが、この世界に存在する唯一の愛だと証明したかったもの。

 己の知る唯一無二の愛は、この世界で最高の愛でなければならないのだ。

 故に、認めない。

 己の知る愛を超える愛など認めない。他の愛を全て否定してでも、この愛こそが至高のものであると証明して見せる。

 だから悪であれ。だから悪となれ。森羅万象、この世界の全ては総じて醜くあるべきなのだ――。


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