神の運試し
多くの殻人と天児の戦争の中、空には金色の光が舞う。
眼前の殻人を手にした聖剣で貫いた男の天児は、偶然背中を合わせた女の天児と共に空を見上げた。
「戦闘が始まって数時間。流石に、皇のお嬢さまも限界らしいな……」
「らしいね。あの子は十分すぎるほど頑張ってくれたけど、このままじゃ――」
このままでは、高天原を守れない。
稲妻が落ちる。落ちた場所には人一人程度の穴が開き、そこには色のついた高天原――すなわち本来の高天原が姿を現す。
無数の殻人たちはその穴に飛び込み、高天原を犯そうと必死で走るそれは、食料のために危険を顧みず、民家へ侵入するゴキブリを彷彿とさせた。
「行かせるものですか!」
稲妻によって生まれた結界の穴。そこに殻人を行かせるものかと、一〇〇人近い天児たちは殻人を倒し続ける。
殻人は個体としての性能は決して高いものでは無いが、しかし数が多すぎる。また、皇美龍の体力が尽きかけているのか、落ちる稲妻の数が明らかに増えている。穴が多くなってしまうと、一〇〇人程度の天児では殻人を止められない――。
「はっ……はあっ……――」
稲妻が落ちた。
稲妻は大地を焼き、木々を焼き、家を焼き。ありとあらゆるものを燃やし破壊し消滅せしめんと、その神の怒りを体現する。
これまで降った稲妻は実に数百。それらを凌いだ少女の肉体は既に悲鳴をあげるが、それでも異能を排斥する左腕を前に、その稲妻を打ち消した。
「――――ッ!」
少女の腕に、激痛。
本来一つの稲妻を打ち消すだけでもかなりの負荷がかかるというのに、それを数百。
初めの一は、腕が砕けるかと思った。
次の十は、食いしばった歯が砕けるかと思った。
次の百は、もう肉体が意識に無理やり保たれ、腕を前に出しているだけだった。
「きっついなぁ、咲姫……」
少女――皇美龍は呻く。
「正直、ここまで要求されるとは思いませんでしたね。これは嚆矢様に文句の一つ二つでも言ってやらねば気がすみません」
メイド服から白い和服へと姿を変え、皇美龍を乗せた伸縮自在の薙刀を振るう女――流川咲姫は、額から汗を流しながらぼやいた。しかし、稲妻は止まらない。
これ以上は流石に、防ぎきれない。
だがここで稲妻を防ぐ手が止まれば、嚆矢の造りだした結界は砕け、高天原には貞観地震と同等の災厄が降り注ぐ。
それは、見過ごせるものでは無い。
無理だと分かっていても、任せられた。ならばやるしかない。
信じられることこそが、己の力になるのだから。
「咲姫、次だァッ!」
今にも千切れ跳びそうな左腕を構えた皇美龍。
その瞳に映るのは、数十の稲妻。
そして――。
「やぁ、美龍。よく頑張ったね。キミはよく尽くしてくれた、ありがとう。」
巨大な防壁を展開して数十の稲妻その総てを防ぐ、神の姿。
美龍が一つ消すのでも苦労した稲妻を、涼しい顔で無効化した彼は、美龍の額に手を当てる。
「期待以上の活躍だった。もう、休んでくれ。」
ふっと、美龍の意識がなくなった。
それは神の力によるものか、それともこれまでの疲労からか。
どちらにしても、眠る少女を戦場に置いていくことはできないだろう。
「彼女の守護は任せたよ、咲姫。」
「ですが、この場の守護は――」
抱きかかえた少女を従者に預けた彼は、何も言わず稲妻が降り注ぐ先を見た。
「東方、阿迦陀。西方、須多光。南方、刹帝魯北方、蘇陀摩尼――この地を守り給え。」
パンと両手を合わせた彼――嚆矢は、その両手を高天原に構築した大規模な結界へとその両手を押し付ける。
嚆矢を中心に奇怪な陣が構築され、その陣は結界の四隅にまで行き届き、高天原全域を覆った。
「これで、多少なりとも抑えることが出来るだろう。」
それにしても……。
笑っているような、困ったような。複雑な表情を浮かべて、嚆矢は独り言ちる。
「この時を待っていた、というべきか。それとも、この時が来てしまったというべきか。」
彼は神。それも、知の神である。
彼は戦闘に向かず、これまで後方での作戦指揮を任されていた。彼の采配は素晴らしいものであるが、しかし彼自身は正直弱い。
将棋の駒を進めるのは得意だが、己自身が駒になったところで大した力は望めない。
もしかしたら、死ぬかもしれない。
別に自分としては死ぬことは怖くないし、むしろかつて地球で起こった戦争で皆が悉くいなくなったことを考えれば、よくも今まで生き延びてきたものだとも思う。
――孤独な戦いだった。
それでも己は、生きなければならなかった。
地球のために。かつて死んだ神々の死が、無駄ではなかったと証明するために。
「……どこへ行かれるのですか、嚆矢様」
「運試しに、少しばかり散歩だよ。」
流川咲姫の問いに、神――嚆矢と名乗る者は苦笑し、『門』を構築した。




