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第二ラウンド

 水無月飛鳥は、ようやく立ち上がれる程度に回復した体に鞭を打って、金色の翼を広げた。

「鈴くんを、助けなきゃ……」

 胸騒ぎがする。

 時神鈴が敗北したと、虫の知らせともいえる何かが飛鳥に警報を鳴らす。

 今助けなければ、手遅れになると。

 けれど、どうやって。

 足を引きずりながら、鈴の去った先へと進む飛鳥の膝が崩れ落ち、飛鳥は倒れた。

 肉体は既に疲労で重い。これから連戦を行うとなれば、殻人相手でも正直難しい。

 その時に、業天『乙姫』から何かが零れ落ちた。

 それは、ボロボロになった紙切れ。

 業天の内にあったとはいえ、それはただの紙だ。けれど、飛鳥にとっては大切な紙切れ。

 ――風間辰人からの手紙。

 飛鳥はこの手紙の総てを、まだ読んではいない。

 文頭に『二枚目はまだ読むな』と表記されていたためである。

 一枚目は読んだ。

 主な内容は謝罪、そして、時神鈴と幸せになれという文面だった。

 そして、二枚目。何故かはわからないが、今が読むときであると、藁にも縋る気持ちで飛鳥は座り込み、手紙を開く。


 ――水無月飛鳥へ。


 この二枚目を読む頃、飛鳥はきっと鈴の危機を感じていることだろう。

 それ以外の時にこの手紙を読んでいるのなら、今すぐ閉じろ。もし鈴が危機にあると感じているのなら、この手紙を読み進めろ。

 さて、本題だ。細かいことを説明しても仕方ない、単刀直入に述べる――。

 

 飛鳥が読んだ手紙の内容は、正直己の目を疑うようなものだった。

 けれど、信じるしかない。もしこの手紙の内容が正しく、その通りに事が運ぶとするならば、助けられる。

 時神鈴を、救える。

「お願い、神様。もう一度、わたしに力を――」

 願う飛鳥の内に眠る神は、目覚めない。

 既に力を消費して、眠りについているかのようだった。

 しかしここで眠られてしまっては困る。起きてほしい。

 何度も語り掛けるが、しかし返事はない。

 辛うじて残った天運報効の欠片――金色の翼も消えかかり、その効能はもうなくなるのだと分かる。

 神様――。

 願う飛鳥だが、しかし神は答えない。

 そもそも飛鳥の祈りは『恩返し』だ。

 なにかしら大きな恩返しの機会があれば神は目覚めるかもしれないが、しかしその機会が無ければ目覚めない。時神鈴を助けたい、いくら願ったところで、時神鈴には既に恩を返した。これまでの恩総てを『降運』というカタチで返してしまったために、飛鳥には成す術が無かった。

 これでは、ダメだ。力を貸して――。

 祈るように手を組んだ飛鳥。しかし神は目覚めない。

 焦る気持ちが尚更飛鳥の精神を揺さぶって、統一などさせてくれない。

急がなければならないのに、その焦燥感が一層飛鳥を惑わせる。

 どうしよう――。

『だから、違うんだよ。それじゃ神は目覚めない』

 なら、どうすれば。

 疑問に思う飛鳥に、声は告げる。

『俺に恩を返したいと、祈ればいい』

 飛鳥が祈る。同時、神は瞳を開く。

――それならば、仕方ない。では、彼に恩を返そうか。

 目覚めた神は、飛鳥の口を本人の意志と無関係に動かし始めた。

「姫曰く。()汝等(いましたち)(こと)は聞かじ。(かれ)ここに八十神(やそがみ)怒りて、神殺す。ここにその御祖(みおや)(みこと)()(うれ)ひて、(あま)参上(まゐのぼ)りて、我に(まを)しき時、すなわち支佐加比売(きさがひめ)宇武賀比売(うむがいひめ)とを遣はして、作り活かさしめたまひき――」

 殺された男。

 悲しむ母。

 そして――。

「ひとふたみよ、いつむななや、ここのたり。ふるべ、ゆらゆらとふるべ」

 甦る。

「――再生祈願(さいせいきがん)創身報効(そうしんほうこう)

 男は、此処に蘇る。

 死者蘇生。

 この力こそ、彼女の宿す神の持つ『生成』、その究極の形だ。

「悪いな、恩を売ったみたいな形になっちまってさ」

 飛鳥の死者蘇生を以て、少年はここに蘇る。

 現れた少年は言うが、飛鳥はそんなことはないと首を横に振る。

「あなたは、こうして助けてくれる。今も、昔も」

 ありがとう。

 その時できる最高の笑顔で、飛鳥は彼に告げた。

 これがきっと、彼に言葉を伝えられる最後の機会だと思うから。

 飛鳥の笑顔を見た彼は、頬を指先で掻いて目を逸らす。

「気にすんな。俺は俺のやりたいことをするだけだ」

「それでも、ありがとう――辰人くん」

 飛鳥は、此処に蘇った彼の名を口にした。

 風間辰人――時神鈴の親友、龍神兄弟の片割れ。吽禍の右腕となり、時神鈴と戦った少年。

 それが今、かつてあった面影のまま、飛鳥の前に立っている。

 飛鳥の祈りは、『恩返し』。

 辰人に受けた恩を、飛鳥は生き返らせるというカタチで返した。

 これは本来許される行為ではないが、しかし生き返らせたいという飛鳥の想いと、生き返りたいという辰人の想いが一時的に可能とする。

 辰人は一度死に、そしてその肉体は吽禍に蝕まれた人ならざるものだ。それでも、生き返りたいと願った。生き返りたいと願った理由は、言うまでもない。

 吽禍を助けたい。

 それこそ風間辰人が誓ったことで、最後の脚本に描いた幸福な結末(ハッピーエンド)を手に入れるための最低条件だった。

「なに、礼を言うのはこっちの方だ。生き返らせてくれてありがとな。飛鳥」

 やはりいつもの面影のまま笑った辰人は、飛鳥に手を差し出した。

 手を取り、飛鳥は立ち上がる。

「ところで辰人くん、どうしてわたしが蘇生の力を持っているなんて――」

 立ち上がったところで、飛鳥は疑問を口にした。

 そもそも、辰人には飛鳥がどんな神の御霊を宿しているかを知らなかっただろう。飛鳥自身ですら、今現在もどの神が内に宿っているかわからないと言うのに。鵺と戦い、ようやく神の本質を理解してきた飛鳥。なのに、どうして辰人は既に飛鳥に宿る神の本質を――。

「お前は天児の中でも特殊な存在だろ。ほら、おやじさんだよ。だから、分かったんだ。ちなみに鈴の中にいる神も検討はついてたぜ。俺を倒した『瞬牙散』、その祝詞で何の神を宿しているのかを確信した」

 飛鳥の親父――すなわち水無月春樹。

 なるほど確かに、彼を辿れば水無月飛鳥に宿る神が特定できるのかもしれない。

「そっか、お父さんから……」

「勝手に調べて悪かったな。けど、必要なことだったんだ」

「ううん、それはいいの」

 それより気になるのは、どうして辰人がこの世に留まっていられたのか。

 飛鳥の『再生祈願・創身報効』は確かに蘇生の業であるが、しかし大まかな力は魂の収まる(うつわ)を構築するものである。それ故、蘇生の条件は非常に限られてくる。

 一つ。飛鳥がその者に恩を感じていること。

 一つ。飛鳥がその者を生き返らせたいと願うこと。

 一つ。その者が生き返りたいと願うこと。

 一つ。――その者の魂が飛鳥の近くに存在していること。

 辰人の肉体は既に数日前に消え去り、魂はとうに昇華していてもおかしくはない。なのに何故、彼の魂はここにあったのか。

 なに、簡単なことだ。くいっと、辰人はメガネを持ち上げた。

「俺を殺したのは鈴だ。でもって、俺が死んだのは高天原中学校」

 吽禍が『門』を開いたのは、偶然にも高天原中学校の上空。

 そして飛鳥と直前まで共に行動していたのは、偶然にも辰人を殺した鈴。

「死んだ場所、そして殺した相手に魂が惹かれるのはよくある話だ。でもって、鈴は『断罪』だけじゃなく、『鎮魂』の特性を秘めていた」

 鎮魂には大きく、二つの意味合いがある。

 死者の魂を慰め、鎮めること。

 そして、遊離した――もしくは遊離しようとする魂を鎮め、肉体に繋ぎとめること。

 今回鈴が行ったのは偶然にも後者である。もっとも、繋ぎとめる肉体が消えたために魂が行き場を失い、中学校付近を浮遊していたのだが、数日のうちに吽禍が地球を滅ぼそうとしていたことを考慮すれば計算通り。 肉体が無くても、数日ならば魂はこの世に留まれる。それもすべて辰人の死を拒もうとした鈴の心理による働きかけに起きた結果によるところが大きいが、それすら辰人の想定内だった。

「結構な賭け事だね……」

 飛鳥は呆れ顔で言う。

「俺からしてみれば、そんなことはなかったがな」

 飛鳥からしてみれば賭け事に見えたかもしれないが、辰人からしてみればほとんどが分かりきった結果だった。鈴と飛鳥に宿る神の力は既に調べていたし、鈴が自分の死を拒むだろうと予測していた。天児と吽禍の眷属、誰と誰が戦うかということも、おおよそ推測はできていた。

 唯一の僥倖は、吽禍が中学校上空に『門』を開いたことだ。

 何故吽禍がそこに『門』を開いたのか。それはおそらく、辰人に対する当てつけだ。

 鈴との戦闘の際に吽禍を拒絶し、裏切った辰人。ならば辰人が大切にしていた場所をまず壊そうと考えたのだろう。

「ま、今重要なのはそこじゃないさ」

 言った辰人は、飛鳥から目を離し、これから向かおうとしていた方向を見た。

「どうしたの?」

 問いかける飛鳥に、彼は告げる。

「離れろ、飛鳥。こっからは俺の恩返しの番だぜ。この肉体の分ぐらい、ちゃんと返したいんでな」

 彼――風間辰人は、一時的に蘇った。

 これまでの恩――虐めから救ったという恩を、己を一時的に蘇らせるというカタチで返してもらった。

 ならば、生き返らせてもらった恩ぐらいここで返すと、辰人は眼前に現れた少年を見る。

 黒、黒、黒。総ての色を掻き雑ぜたような、汚い黒。

 銀であるハズのの髪は漆黒。その瞳も、業天も。

「おいおい、どうしたんだお前。銀に髪染めた時も驚いたが、今度は何で染めたんだ? ヘドロか? 汚泥か? 肥溜めか? なんにせよ、少しぐらい相談してくれよな」

 辰人の前に立つ少年は――時神鈴。

 漆黒に身を包まれた、吽禍の下僕。

「唯一の救いは、俺みたいに身体を一から作られたわけじゃなく、心を奪われただけってとこか。どうやら、吽禍は俺たちを殺させてお前の手を汚したいらしいな」

 鈴の心だけを奪い、時神鈴の肉体に辰人と飛鳥を殺させる。そのあとで心を戻すなりして、鈴の苦悩を楽しむつもりでいるのだろうか。それとも、そうしなければならない理由でもあったのか。

 どちらにせよ相変わらず歪んだ悪趣味野郎だが、今はそれが有り難いと辰人は呟いた。

 その肉体は確かに、時神鈴のものだ。

 心だけが吽禍に奪われている。ならば心さえ取り戻してしまえば、時神鈴は辰人や飛鳥の知る彼に戻るだろう。

「――というか、戻ってくれないと困るんだがな」

 苦笑した辰人は、再度飛鳥に離れるように言った。

 今の飛鳥は力を消耗しすぎて、足手まといになりかねない。なにより、もし己が負けた場合――殺しをさせたくなかった。鈴が飛鳥を襲えば、飛鳥は戦える戦えない以前に、何も抵抗できず殺されるだろう。鈴が飛鳥を殺せば、その重圧に鈴は耐えられない。

 この二人には、殺し合って欲しくない。

 風間辰人が幸せになってほしい二人だから、互いに悲しい思いをしてほしくないのだ。

「辰人くん、これは一体――」

 いまだこの場から離れない飛鳥を、辰人は睨む。

「さっさと離れろ、邪魔だ」

 飛鳥に歩み寄った辰人は、業天『乙姫』の襟をひっつかみ、思いっきり彼方へ放り投げた。

 悲鳴をあげながら、目に見えない彼方へ去った飛鳥。落下した時に大けがをするかもしれないが、この場に居るよりは遥かにマシだ。どうか、落下した衝撃で死んでくれるなよ。

 自分でも縁起ではないなと思いつつ、辰人は十字を切って、飛鳥の無事を祈り黙祷する。

「……それで、だ」

 散々隙を見せているのにも関わらず、存外待ってくれた親友であったものに、辰人は視線を向ける。

「あの時は吽禍の邪魔が入ったせいで俺が負けた、なんて言い訳をしてみてもいいか?」

 時神鈴は答えない。

「……だんまりか。ま、いいけどよ。ただな、今回ばかりは、俺も絶対に譲らない。あの日の続きだ――第二ラウンドと洒落込もう」

 グッと、辰人は拳を握る。

 今の彼は飛鳥の手によって蘇った和御魂(にぎみたま)――現人神(あらひとがみ)、風間辰人。その肉体構造は荒御魂(あらみたま)であった頃の辰人と変わりはない。最後にあったカタチを形作るのが、飛鳥の創身報効であるからだ。

 この身は既に人のものでは無い。けれど、構わない。

 もともと辰人は死者で、本来ここに居るべきでない存在だ。ならば、人である風間辰人に価値はない。しかし現人神――戦う力を宿した風間辰人であるならば、高天原の戦力として役立てる。

 にらみ合う二者。再び対峙する彼らの立場は、逆転しているように見える。それ故か、あの時の緊張とは異なる緊張がこの場に流れた。

 時神鈴が、動いた。辰人の横を抜けようと走る。

 助けたいと願う時神鈴の祈りは加速。及び時間遅延である。であるのに、時神鈴の速度は大したものではない。辰人の目にはしっかりと映っている。十分、追える。

 辰人は敢えて正面に立ちふさがり、自分の拳を鈴に打ち込んだ。

 対する鈴は驚いた様子は見せたものの、即座に己の拳を振って辰人の拳に打ち込む。

 ――筋肉が痙攣し、腕が悲鳴を上げる。

 現在の辰人の祈りは、死ぬ直前の祈りであった『時神鈴を超えたい』から変化はしていない。その気持ちは今も変わらぬものであるからだ。なら総てにおいて時神鈴の一枚上を行くはずであるのに、拳で押し負けた。

 その時に辰人は確信する。

「やはりな。お前の心が眠ってるから、身体だけを吽禍が操ってんだろ」

 もともと吽禍には『暴食』だけでなく、『使役』の特性も存在する。

 であれば、人間一人、天児一人とて使役できてなんら不思議はない。

「しかし、舐められたもんだ。祈りがなけりゃ鈴が俺に勝てる道理は――」

 ――ない。と言おうとしたとき、時神鈴の姿が消えた。

 咄嗟に、辰人は振り向き腕を顔の前で交差させる。

 今の加速は、彼の祈り。時神鈴の特性。

 心を奪われている以上、時神鈴は祈ることができない。故にその祈りの発動は不可能であるハズだ――。思った辰人だが、右腕と呼ばれた己の他に、もう一つ吽禍の片腕が存在していたことを思い出す。アレは吽禍とは別に孤立した神格だ。眷属とはいえ、己の意志を持って吽禍と共にいた。だとすれば――。

「お前、操られてないのか?」

 辰人は、鈴に問う。

 やはり鈴は、答えない。

「……そうか」

 怒ることもなく、悲しむこともなく、辰人はフッと笑った。

「闇落ちしたのか、それとも視界を歪められているのか」

 時神鈴が己の信じた『正義』を捨てて吽禍へ下ったか。

 それとも、吽禍の何かしらの細工によって本来の知覚を歪められ、味方を敵として認識しているのか。

 いや、どちらでも構うまい。どちらにせよ、やることは一つだけなのだから。

「――てめぇぶん殴って、その目を覚まさせるだけだよな」

 風間辰人は、祈る。

「この世の始まり、開闢(かいびゃく)の日。神らは空に立ち高天原に降臨す――」

 かつて時神鈴の使用した、一定空間の時を止めて空を自由自在に走り回るために業天を進化させたあの祝詞。それを己の祈りとして、辰人はここに顕現させる。

 風間辰人にはもう、足場は必要ない。この場に存在する総ての存在が、足場となる。

天地(あまつち)初めて(ひら)けし時、神ら、高天(たかま)の原に天踏みて立てり――」

 まるで辰人に便乗するかのように、漆黒の少年もまた同じ効能の祝詞を唱える。

 二者は互いに向けて超加速し激突し、その拳をぶつけ合う。

 辰人の祈りは『時神鈴を超えたい』。であるのに、即座に鈴を超えられない。祈りの面では勝っているのに、何故か眼前の時神鈴を超えられない。それはきっと、眼前の時神鈴を風間辰人が時神鈴として認めていないからであろう。

 これは違う、アイツじゃない。

 だからこそ辰人の祈りは力を発揮できず、故に力は均衡する。

 土俵は同じ。であれば、この場に於いて勝敗を分けるのはどちらであるか。

 ――決まっている。純粋に勝利を求めた者が勝つ。

「これはまるであの日の続きだな、鈴」

 夜の学校、満つる月。廃墟と化した学校に、殺し合う二人の少年。

 ほんの数日前の出来事を思い出して、辰人は困ったような、けれど笑った顔で言った。

「覚まさせてやるよ、お前の目。今度は俺が、お前を助ける番だ」

 風間辰人がこれまで理想として、またこうありたいと強く願った『正義の味方』を志す少年。それが今では、黒く染まり悪魔の手先と化している。彼自身が守ると誓った大切なものを壊そうとしている。

 ならば、助けるしかないだろう。

 どんな状況だろうと、助けるしかないだろう。

 だって時神鈴は風間辰人の親友、その半身。龍神兄弟の片割れなのだから。

 だから助けてやるよ、何度でも。助けてやるよ、その悪魔の呪縛から。

「行くぞ鈴、歯ァ食いしばれッ!」


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