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勝者

「顕現――神威(カムイ)()神咒(カジリ)胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)外金剛院(がいこんごういん)衆合地獄(しゅうごうじごく)――」

 白月(しらつき)は叫ぶ。

 入道の拳は確かに効いた。しばらくは動けなくなるほどのものであったがしかし、まだ動く。

 次は正真正銘、最後の一撃。これを使えばもう、残る力はないだろう。だからこそ落とす、確実に。

 白月の赤く光る瞳から危険を感じ取ったのだろうか、入道は咄嗟にその場から離れようと試みる。が、遅すぎた。あの巨体では、どこに逃れようと意味がない。その大きすぎる肉体が仇となる。

 さぁ、浴びろ。この炎こそが我の怒り。千年前に受けた屈辱を、今こそ返す時。

 力を貸せよ閻魔。地獄の業火によって、あの巨人を昇華する。

火盆(かぼん)(ほむら)ぁあああアアアアアアッ!」

 瞬間、入道の右足そのものが根元から消え去った。

 炎の爆発、マグマの奔流。地獄の業火が白月より吹き出し、その熱波によって入道の右足が完全に蒸発した。

 のみならず、その炎は多くの殻人を飲み込み、焼いていく。

 数十秒間もの間辺り一帯を燃やし、焦土とする。

 焼ける焼ける、焼ける。

 そこに木はなく、また火が燃え移るようなものもない。

 にもかかわらず、焼ける。砂が焼けた。空気が焼けた。万象総てを焦がす地獄の業火、それこそが彼女の衆合の獄炎――『火盆の焔』。

 骨は残さない。皮も肉も何もかもを燃やし尽くす。目を開けば目を焦がす。口を開けば口を焼く。

 泣け、叫べ、貴様ら一人も残さない。此処より先も後ろも、行かせるものか。

 『門』の外へは行かせない。

 そこには多くの天児が高天原を守るべく命を懸けている。これ以上危険な目に合わせるものか。

 吽禍の奥へは行かせない。

 そこには“草枕”が、アーヴァンが、そして“明星”がいる。これ以上不利な状況にさせるわけにはいくものか。

 故に貴様ら燃えろ。

 燃えろ、燃えろ、燃えろ、燃えろ――。

「燃え尽きろォオオオオッ!」

 最後に大爆発を起こし、辺り一帯を炎が包んだ。

 やがて炎は消え去り、白月はガクリと膝をつく。

 あまりの熱量からか、白月の周囲の大地が溶けて大きなクレーターが出来ていた。その中心で、白月はもともと何もなかった砂地が――殻人が一匹残らずいなくなったことで――更に殺風景になったところを見、そして空に立つ入道を見る。

 入道は片足を失ったが、しかしそこまで。いくら白月の地獄の業火といえど、あの巨体を完全に蒸発させるほどの力は無かったらしい。もしか、蒸発させるだけの力を有していたかもしれないが、力を失い過ぎて本来の力を発揮できなかったのかもしれない。

 どちらにせよ、白月の終わりが見えた。

 振り下ろされる巨大な拳。

 今あれに踏みつぶされれば、今度こそただでは済まない。

「終わりだ、天児」

 まるで入道がそう言ったかのように、巨腕が白月の眼前へ迫る。

 白月は、虚ろな目で空を見つめる。どうやら力は完全に使い尽くしたらしい。身体がもう、動かない。あと出来ることが一つあるとすれば、それは倒れることか。

「こんなものか。」

 最後に、白月の頭にこれまでの人生が振り返るように流れ始めた。

 道具として扱われた過去。

 嫌な場所から離れて幸せな生活を手に入れたのも束の間、奪われた過去。

 また幸せを手に入れても、結局これだ。

 何も守れない。何も成せない。

 ……無力だな。

 吽禍の眷属を倒す。それすらも、叶わない夢だったか。

 夜明けの光を見たかった。

 誰もが幸福で、笑い合える世界。あわよくば自分もそこで、笑っていられる、そんな世界を見たかった。

「ああ、けれど……。」

 けれど、届かないのだな、明星には。

「…………届かない、のだな。」

 こうして死ぬのか。虚ろな瞳で空を見上げ手を伸ばそうとした時、ふと思う。

 自分が死んだとき、泣いてくれる誰かはいるのだろうか。

 ……鈴、お前は泣いてくれるか。飛鳥、お前はどうだ。アーヴァンは、ハワードは、オーガストは。……悲しんで、くれるか。

 もし悲しんでくれたのならば、我は――。

「……我は、幸せ者なのやもしれぬな。」

 どこまでも続く空を見つめる白月に、舞い落ちる金色の羽が見えた。


 ――まだ、早いよ。


 声が聞えた。

 誰だ、貴様は。……否、我はこの声を知っている。

 この声は誰のものだったか。考える白月に、声は語り掛ける。


 ――諦めるには、まだ早いよ。


 まだ早い、か……。なれど、我にはもう力が残っておらぬ。指先一つ持ち上げることも、ままならぬのよ。どうすることも……。


 ――なら、わたしが最後の力をあげる。これまであなたから貰った大切なもの、それを今こそ返す時だから。――あなたに、恩を返す時だから。


 幸運を下ろすという彼女の祈願は、自分にとって都合のいい未来を天運というカタチで選択し、それを手に入れるというものだ。それは何も、彼女の身にのみ起こる幸運に限らない。己が恩を受けた総てが、報効の対象である。

 故に降運祈願(こううんきがん)。故に天運報効(てんうんほうこう)


 ――それこそが、わたしの恩返し。


 これより十秒間、白月は彼女の天運による報効を受ける。

 これより起こる事象の総ては白月の味方だ。例え敵の攻撃だろうが、地震だろうが津波だろうが竜巻だろうが、隕石だろうがなんだろうが、その総ての物事が白月にとって物事を有利に運ばせるものとなる。

 天運報効、その効果時間の最中は、その時『起こり得る未来』という選択肢の中から、白月にとっての『最善の未来』を選び出し、その『最善の未来』を恩返しとして与えるものだ。

 例えどんな死地にいたとしても、「もしこうなったら」という希望が僅かでもあれば、それを実現してしまうほどの幸運を与えるのである。


 ――勝って。衣、桜花。


「……はッ。」

 鼻で笑う白月。その隣を、何故か、当たるハズだった入道の拳が通過した。

「ははッ。」

 白月の放った地獄の業火によって熱された大地はマグマのように焼けただれ、どうやら運がいいことに、ちょうど入道の足が沈み込んだ。バランスを整えたい入道だったが、しかし運よく片足が無くなっているために支えられず、その拳は見当違いの場所を殴りつけたようだった。

「――はははははッ!」

 ああ、なにをやっているのだ、我は。

 守るのだろう。それこそが我の祈りなのだから、存在意義なのだから、守ることを放棄してはならぬだろう。

 キッと、赤い瞳が入道を見た。

 その目は既に虚ろではなく、輝きに満ちている。

「立てよ入道。待ってやる。」

 どこにそんな力があったのか、白月は再び立ち上がる。

 自分でも、何処にそんな力があったのかわからない。

 けれど、立てた。

 自分はまだ、限界を超えていなかったか。それとも、とうに限界を超えていても、最後の最後の飛鳥の言葉に奮い立ち、こうして立ったのか。

 どうでもいいか。

 重要なのは、そこではない。

 立てよ。白月の言葉に、入道はその巨体を立ち上がらせた。

 立ち上がった入道の視線は、もはや高すぎて視界に入らない。けれど、攻撃が来ることを白月は悟った。

 一度、飛鳥の支援により死は免れた。だがとうに一〇秒は経過し、飛鳥の祈りは消えて、幸運はなくなった。けれど、ここで負けてはつまらんだろう。

「正真正銘、最後の最後だ。決着をつけようか」

 我にとって重要なのは、ただ一つ。

 ――守れたか、守れなかったか。

 今度こそ、守るのだ。二度と、失う悲しみを味わうものか。

 結局のところ、戦いしか能のない白月に出来るのは、武力をもって守ることのみ。ならば守るだけだ。全身全霊、命を懸けて。それしかできないのだから、迷うことなど必要ない。負けを恐れることすらも、彼女には不要のはずだ。

 何故なら――。

「征くぞォッ!」

 跳躍した白月と同時、入道もまたその巨体より拳打を放つ。

 ――汝は外道。汝は鬼畜。()が民犯す悪鬼なり。我が民犯すこと許さぬ、(われ)が汝ら百鬼を退けよう。例え外道の法則、悪鬼の契り、如何なる法も結ぼうぞ。報いも裁きも受けようぞ。故に力を寄越せ第三天。我が民犯すこと、仮に天津神(あまつかみ)とて見逃せぬ――

 何故なら我は――鬼女であるから。

 ああ、我は外道。我は鬼。

 同害報復(どうがいほうふく)怨敵退散(おんてきたいさん)、滅、滅、滅。我は閻魔(えんま)の眷属、罪を裁く白金の夜叉(やしゃ)なり。故に罪人、首を差し出せ、その罪狩りて(たま)喰らう。

 第三天、その力をもって汝を浄化せん。

 胎蔵曼荼羅(たいぞうまんだら)外金剛院(がいこんごういん)衆合地獄(しゅうごうじごく)――。

紅蓮火焔刃(ぐれんかえんじん)――鉢頭摩(はちずま)ぁあああああああアアアッ!」

 白月の辺りを浮遊する羽衣が針のように尖り、硬質化し、入道の拳を破壊せんと迫る。しかし入道の拳は、砂の特性を得たために非常に硬質だ。砕けない。

 押しつぶされる。

 誰もが思う情景だがしかし、白月は負けなど微塵も考えない。

 己にとって重要なのは結果だ。守れたか守れなかったか。しかし守れないと言う結果に価値はない。ならば勝利以外はあり得ない。

 では、勝利を得るためにはどうするか。

 簡単だ。

 この拳をぶち抜いて本体を落とせばいい。

 再び振るわれた白月の羽衣は、いとも容易く入道の拳を切り裂き、突破した。

 ――何故。

 驚愕にその大口を開いた入道が見たモノは、紅蓮に燃える白月の姿であった。

 あの紅蓮はおそらく炎。それも、先ほど入道の片足を蒸発させた地獄の業火。それを身に纏い、圧倒的な熱量で溶かし切り裂いたのだ。

 腕を駆けのぼる白月を見て、入道は敗北を悟る。

 なるほど、紅蓮火焔刃とはよく言ったものだ。さながら紅蓮華の如き美しさをもって火焔を纏い、白月はその羽衣(やいば)を振るう。

「おおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 入道の肉体を貫き、そしてその地点から花火のように羽衣を咲かせる。

 花火が咲く。花火は敵を焼き、切り裂く。

 地獄の業火の如くに赤く。地獄の針山の如くに鋭く。

 咲き乱れた鋼鉄の紅蓮華は、その熱量をもって入道の総てを焼き尽くした。


 総てが燃え尽きて、砂すらもマグマのように溶けだした世界の中で、一人の少女と一匹の狐は空を見つめる。

 とうに体は動かず、仰向けに二人は倒れていた。

「……勝ったのか、桜花。」

 問いかける少女に、

「……ああ、勝ったのだろう。」

 狐は答える。

「……そうか。…………勝ったのか。」

「ああ、勝ったのだ。」

「そうか。そうか……ははははっ。」

 少女は、笑った。

 どうしてかわからない。けれど、今まで吽禍を仇のように見て、吽禍を憎んで、その存在を消滅させようとしていた自分が、とてもちっぽけに見えた。

 ああ確かに、吽禍は自分の大切なものを壊した。

 ああ確かに、許せない行為だ。

 けれど、いつまでも千年も前の事を根に持っていた自分が、なんだか滑稽に思えてきたのだ。

「小さいなぁ、衣たちは。」

「……ああ、小さいな。妾も、己の矮小さを思い知ったよ。」

 二人が思い出すのは、飛鳥の祈り。

 あなたに、恩を返したい。

 人間にとって当然の感情を、彼女は祈りとなるまでに強く願った。そしてそれを、天運報効というカタチにした。

 どこまでも人の幸せを願うその様はまさに神の所業だ。ああ確かに、水無月飛鳥は『明星』である。

 夜明けの象徴、雨上がりの空。希望の光。

 なるほど、まさしくその通り。

「この勝負、勝ったな。」

 衣が言うと、桜花は笑った。

「如何にも。妾たちに敗北はあり得んよ。何故なら、“明星”がいるのだからな。」

 時神鈴は、必ず吽禍を打ち破る。

 そこに実力差などは考慮にいれない、ただの勘だ。けれど、確信にも近い気持ちで、金色夜叉は思うのだ。

 ――“明星”がいる限り、負けはないと。


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