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“明星”の輝き

『万物、幸福たれ』

 飛鳥の内に潜む神が、祈る。

「――あなたに恩を返したい」

 助けてくれたあなたに、恩を返したい。

 眼前の鵺、その祈りは『呪い』。すなわち自分を除いたすべての不幸。対する飛鳥、その祈りは『恩返し』。すなわち自分を含めたすべての幸福。

 鵺の祈りが呼ぶ現象は、対する相手の運気を下げること。であるなら、飛鳥の祈りが起こす奇跡は――。

「其は、殺されし神の(みみ)に生れる物」

 鈴くん、助けてくれてありがとう。幸せを教えてくれて、ありがとう。あなたがいたから、わたしは今ここに立っている。わたしはこうして生きている。感謝なんて、してもしたりないから、一言だけ。

 本当に、ありがとう。

「二つの(まなこ)稲穂(いなほ)()る」

 桜花、衣。二人にも、ありがとう。あなたたちが鍛えてくれたから、わたしは今戦える。大切なものを守るために、戦える。年下でまだまだ青いわたしたちを引っ張って、『暴食』の眷属だけじゃなく、殻人までも止めて、そして此処までたどり着かせてくれた。ありがとう。

「二つの耳に(あわ)()る」

 アーヴァンさん、ありがとう。いつもは前にでないけど、あなたはあなたでみんながバラバラにならないよう支えてくれる。桜花や衣がリーダーならば、あなたは縁の下の力持ちだよ。

「鼻に小豆、陰に麦、尻に大豆(だいず)、ここに()る。故ここに我これを取らしめて、種と成しき」

 ハワード、そしてオーガスト。正直わたしはあなたたちが苦手。けれど、助けてくれた。大人の謝罪を見せてくれた。――恩を受けた。だったら、わたしは恩を返すしかないじゃない。

五穀豊穣(ごこくほうじょう)森羅万象(しんらばんしょう)(さち)あれ――」

 飛鳥の祈りが起こす奇跡は――言うまでもないだろう。

 ――ありがとう。

 みんながいたから、わたしはここに生きている。

「――降運祈願(こううんきがん)天運報効(てんうんほうこう)

 飛鳥の業天『乙姫』、その背中の部位に取り付けられた二つの水晶が光を放つ。

 まるで翼のように広がるその光は大きく開き、さながら天使のようにその羽根を散らした。

 飛鳥が何をするのかと警戒していた鵺は、その羽根が散っても何も起きないと判断して、飛鳥に襲い掛かる。

 ――憎い、憎い。この世の総てが憎い。その目でおれを見るな。おれを蔑むな。おれに触れるな関わるな――。

 漆黒の闇をまき散らし、鵺はその爪を光らせた。

 鵺の力は敵の不幸を呼び込む力。その力は、敵が憎いと思えば思うほど強くなる。

 お前たちはおれの左腕を負った。傷を追わせた。許せない。ここで呪い殺す。

 以前の戦闘では発動しなかった祈り。それを開放し、飛鳥を不幸の奈落へ突き落とそうと爪を振るったが、飛鳥はその爪を華麗に受け流し、鵺の腕を掴んだ。

 ザッと地に着けた右足を砂の上で滑らせて弧を描き、残る左足を踏みしめ大地を抉る。

 瞬く間に、鵺の巨体を真下へ叩き落とした。

 一本背負いだった。

 肺の空気が余さず外へ放出される中、鵺は驚愕する。何故、爪を避けられた。何故、敵の攻撃が決まった。

 考えながら、軋む肉体で飛び起き、一旦飛鳥から距離を取る。

 鵺の祈りは敵の不幸を呼び込むものだ。であれば、どれだけ実力差があろうとも、攻撃が避けられることもなければ、鵺が攻撃を受けることもなくなるはずだ。仮に自分の能力の発動が甘かったとして、しかしそのどちらもが成功することなど0に近い確率である。そう、自分の運気でも上げない限り――。

 そこまで考えて、鵺は思い至る。

 降運祈願――すなわち幸運が降りることを祈願する祝詞か、と。

 鵺が振りまく自分以外への不幸。それを飛鳥は、自分に幸運を降ろすことによって中和したのだ。となれば、残る決着の決め手となる要素は非常に単純。

 純粋な実力差である。

 すなわち本来、どちらが強いか。どちらが弱いか。

「その通り。さっきの祝詞は幸運の祈願。だから、ごめんなさい」

 彼女の内に眠る神は生成を司る神である。

 そして先の祝詞は、五穀の起源を語ったものだ。

 この祝詞はこれまで彼女が用いた創造型祝詞とは異なり、彼女に宿る神の領分に関する、神話上起こされた奇跡を象る祝詞――既成型祝詞。そして、彼女に宿る神の最も得意とする生成の能力の一つ。

 その神からしてみれば、神話上行った行為を再度行うことなど容易いことだ。

 彼女の作り出す種より、五穀は豊穣する。

 五穀とはそも、米、麦、豆、粟、黍を指す日本人の代表的な主食である。これらの豊穣は幸福を意味し、生活が豊かになる――すなわち、幸福になるということを表している。

 水無月飛鳥の背に生えた金色の翼。そしてその羽の一枚一枚。それこそが、五穀を豊穣させる『幸運』だ。故に金色の羽は幸福を呼ぶ。

 その金色の光に触れるだけで、五穀が刹那に実のるほどの豊穣力――すなわち奇跡を呼び込む。

 これが彼女の報効(ほうこう)。これが彼女の祈りであり、祈願。これが彼女の『恩返し』。

 これが――降運祈願(こううんきがん)天運報効(てんうんほうこう)

 この日本において原初に近い神の祈りは、鵺の誘う凶荒を豊穣によって打ち消した。

 故に。それ故に――。

「――あなたの『呪い(いのり)』は、届かない」

 鵺の願いは、叶わない。

 たとえ鵺が一柱の荒御魂であったとして、その祈りを現実に行う力があったとして、そしてその力が非常に強力なものであったとして、しかし彼女には及ばない。

 彼女の内に宿る神は、そういうものだ。 魂の規格が、そもそも違いすぎるのだ。生まれて数百数千程度の魂で、誰かを呪う程度の祈りで、そして民の居ない空の惑星程度の信仰で、内に眠る神を目覚めさせた飛鳥に、鵺が太刀打ち出来る道理はない。

「だから、ここからは実力勝負」

 飛鳥の天運報効は非常に強力だ。

 鵺の不幸を打ち消し、それどころか更に飛鳥へ幸運を呼び込むだけの力を有している。けれどそれでは平等ではないし、なにより助けたい人達が、恩を返したい人達がいる。

 そちらへ力を割くと、飛鳥に残るのは不幸を中和出来る程度の幸運だ。

「では。純情可憐に、始めましょうか」

 けれど、十分。

 純情可憐に正々堂々、あなたときっちりと勝敗を分けるには、これで十分だと彼女は言う。

「――水玉・流円!」

 飛鳥が飛んだ。

 どうやら吽禍が食い散らかしたこの世界にも水分はあるらしい。右掌に水を集め、辺りの水分を幾つもの水弾へと変えて鵺へ向かう。

 右掌に作り上げた、野球ボールほどの大きさの水弾を放った。

 迫る水弾に、鵺は臆さない。

 ただ鵺は水弾を見つめ、その口を開いた。

「――故に此処では死ねん。負けられぬのだ、貴様のような小娘に――」


        ☆


 ――これは、もう千年ほど昔の話になるのだろうか。

 小さな惑星。

 おおよそ人が生まれない獣の星。

 そこで生まれた一匹の獣は、従来の肉体と異なるモノを持っていた。

 明らかに他とは違う。多くの生命を集めたような容姿は、さながらツギハギの怪物だ。それこそ、神話の世界に登場するような異形であった。

 どうして皆と異なる肉体で生まれたかは知らない。

 誰かが造った生命か。それとも単に運命の悪戯か。

 どちらでも獣には構わない。ただある事実――自分は他の獣とは違う醜いものであるということだけが、獣にとっての総てであった。

 当然嫌われた。貶された。けれど力だけは強かったものだから、幾千もの時と共に、やがて多少知恵のついた猿どもに、恐れられ祟られる神格となった。

 その力は大したものでは無い。

 相手を呪い、そして殺すだけ。

 猿どもの獣神となった獣にとって、呪い殺すことだけが総てになった。

 頼まれれば殺す。祈られれば殺す。小さな惑星、大して知性も持たない獣と木々だけの世界で、大きな力を持つことなく獣は崇拝された。そんなある時、ソレは現れた。

 傷つき血を流しながら現れたソレはまるで、宇宙から落ちてきた隕石のような存在だった。

 隕石のように唐突に出現し、そして隕石のように爆心地を広げ、たちまち小さな星の総てを奪っていったのだ。その傷を癒すためだけに。

 総てを喰らった。腹が減ったからと、多くの異形を引き連れて総てを喰らい尽くした。

 木々は枯れた。命は消えた。ありとあらゆる生命が絶えていった。

 そして喰らい続ける中で、ソレは獣の存在にようやく気付く。

「なんだ、貴様は。何故その肉体が尽きぬのだ。」

 ――この身は既に神格。生きる物ではあらぬから。

「なるほど、なるほどな。しかしだ。貴様を信仰する生物は残らず尽きた。貴様の血肉は信仰だ。血肉が消えた以上、貴様は消えるしかないな。」

 冷静に告げたソレは、獣神などいなかったように歩き出す。けれど不意に、歩みを止めた。

「貴様、世界は憎いか。」

 何故か、ソレはそんなことを獣に問いかけた。

 獣は答える。

 ――ああ、憎い。世界を憎まずにはいられない。けれど所詮、己は獣神。創世の玉座に至れない。ならば、壊すまで。総てを呪い殺すまで。

 しかし、獣神の血肉(しんこう)はなくなった。ただでさえ少なかった己を崇めるものがいなくなったのだ。己を崇め奉るものがいなければ、神は存在が薄れて消える。当然神格である獣もその例外ではなく、やがては消えるだろう。

 獣は己が消えることに恐怖を感じなかった。苦しみもなかった。ただ、こんな自分を世に産み落とした存在を憎んだ。こんな自分を生かした世界を憎んだ。――総てが不幸になればいいと、思った。

「なぁ、貴様。」


 おれと、来るか。


 不意に、ソレは告げた。

「おれは総ての『人』を殺したい。お前は総てを呪いたい。利害は大方一致するであろう。ならば貴様、おれと世界を壊さぬか。(もっと)も、お前の呪いがおれの殺しに該当しないのであれば、その利害は合わぬのだが。」

 なにを言っているか、獣神にはわからなかった。

 ただ、これだけは分かった。

 ソレは、獣と同じ立場でものを語っているのだと。獣に、手を差し伸べているのだと。

 ――この醜き肉体を、汚らわしいと思わぬのか。

「ふむ……ならば問うが、貴様が何故醜いのか。真に醜いは、綺麗の皮をかぶって人を惑わす悪魔の子よ。貴様は呪いの獣だ。そしてその身は異形の身。なれば、その身は貴様にこそ相応しいだろうが。恨みの心に異形の身、生れ落ちたその時より貴様は(まが)った存在だ。であれば、上等。その身その心は『凶獣』に相応しき血肉であろう。……それで、どうする。おれと来るのか、来ないのか。おれとしては、貴様が欲しい。が、嫌なら果てろ。おれが喰らってやろうぞ。」

 ソレは言う。

 俺の仲間になるか。それとも、死ぬか。

 その二択はあまりに理不尽な二択で、普通ならばどちらもお断りだと言うに違いない。けれど、獣神は違った。

 ――共に行っても、良いのか。

 初めて、獣神は個人として必要とされた。初めて、個人として認められた。相手を呪い殺す神格としてではなく、相手を呪いたいと祈る一獣として、ソレは獣を見ていた。

 それだけと言えば、それだけ。

 けれど獣は、救われた。

 獣に涙腺があったのなら、涙が零れていただろう。

 数千も昔に受けた生の中、獣は、一度として得られなかった『友』を、数千年の時を超えて得たような気がした。

 確かにそれは、友というには余りに歪。

 ソレからしてみれば獣神は、殺戮の道具だ。より多く、より早く、より効率的に『人』を破壊するためだけの道具なのだろう。けれど、己を認めてくれたことが、獣には堪らなく嬉しかった。

 これまで否定されるだけであった獣を肯定する存在が、獣の心に溢れる何かを生み出した。

 だから言った。

 ――連れて行ってくれ。使ってくれ。この身、この心を、永劫、御身に捧げよう。

 その日、獣神はソレの片腕となった。


 気味が悪いと否定され、疎まれたその身体。けれど主となったソレは獣を決して否定せず、どころかまるで『友』のように語り掛ける。

「呪いの調子はどうか。」

「次はあの星に攻め入ろう。」

「どうだ。此処の空気は。おれたちにとって美味かろう。」

「おれはな、お前の星へは逃がれるために行ったのだ。『地球』とかいう星の神は存外手ごわくてな、それ故のあの様であった。……くく、情けないものだろう。」

 心から、獣は救われた。ソレが『人』にとってどんな悪かは知らない。ただ獣にとって、ソレが生涯得ることができなかった幸福を与えてくれた、大切なのはそれだけだ。

「なぁ、鵺よ。」

 人を殺す時のみ笑う悪魔(ソレ)に、涙はない。

「人はどうして、傷つけ合うのだろうな。」

 けれど、それを鵺に問いかけたソレはきっと、泣いていた。

 鵺には、ソレがどうしてその問いをしたのかわからない。ソレは人の友情を壊し、愛を壊す悪魔の化身。人同士が争いあうことを至高とする存在が何故、人と人との争いを悲しいと感じたのかわからない。

「妙なことを聞いた、忘れよ。所詮人は、他者を蹴落とし踏みつけるだけの、醜い生物であったな。」

 それでも確かに、ほんの刹那かもしれないが、ソレは人と人との争いを嫌だと感じていたようだった。

 故に獣は願う。

 主であるソレ――吽禍の望みが叶いますようにと。

 吽禍の真の望みは分からない。人の撲滅か。それとも自分と同じく、誰かからの愛が欲しかったのか。わからない。わからないけれど、獣は誓った。

 必ず、主の願いを叶えると。その願いを見届けると。

 ――故に。


 ――故に。

「――故に此処では死ねん。負けられぬのだ、貴様のような小娘に――」

 吽禍と共に旅をし、総てを滅ぼす。それこそが鵺の総て、鵺の存在意義であると鵺は考える。憎まれ蔑まれた己の生、それに理由をくれたのは吽禍。救ってくれたのは吽禍。

 ――だから己は、吽禍のためならば総てを投げ出せる。

 咆哮し、鵺は眼前に迫った水弾を残らず弾いた。一つ残らず弾いた。

 己の筋力では、一つの水弾を弾くたびに腕が千切れるほどの衝撃が来ることを知りながら、この場で敗北しないために総てを弾いた。

 骨が砕けただろう。肉が削げただろう。

 だが、まだ鵺は此処に居る。立っている。では、負けではない。

「オオオオオオオオオオオオオオッ!」

 鵺は再度咆哮する。

 負けられぬのだ。

 譲れぬのだ。

 『友』の為にも、此処での敗北は許されぬのだ。

 故に(まが)れ。貴様に禍あれ。禍れ禍れ禍れ禍れ禍れ――。

 まさか今の攻撃に耐えられるとは思ってもみなかったのか、飛鳥の表情は驚愕に満ちている。すぐに次弾を放とうとする飛鳥は、不意に体制を崩した。どうやら、此処に来て鵺の祈りは最高潮に達したらしく、一時的に天運報効を超えて飛鳥へ『凶』を降ろしたらしい。飛鳥の足場が崩れたようだった。

その隙を縫って、鵺は疾走する。

 負けられぬ。負けられぬ。負けられぬ。如何なる理由があろうとも。

 血まみれの拳を握り、飛鳥の顔面にその槌を振り下ろす。

 飛鳥は咄嗟に十字を組んで、鵺の拳を受け止めた。

 中・遠距離では飛鳥が有利だろうが、しかし筋力では鵺には叶わない、近距離は獣の距離だ。

 飛鳥の腕ごと頭蓋を砕かんという勢いで叩きつけられたそれを受け止めた飛鳥の両足は、大地に沈まんとする勢いで地面を抉る。

「――くぅ……」

 飛鳥の腕から、鮮血が零れた。

「まだ、その祈りは強くなるのね」

 苦悶の声をあげる飛鳥。しかしその顔に、諦めは見られない。

「けど、この程度ならわたしは負けてなんかあげない。あなたが負けられないのと同じぐらい、わたしも負けてなんかいられないの」

 ぐぐっと、鵺の腕が持ち上がった。

 何故と、鵺は思う。

 水無月飛鳥は非力だ。彼女の祈りは、アーヴァンや鈴、ハワードのように身体能力を強化する祈りではない。その祈りは生成である。であるのに、どうして潰れないのか。

 鵺は、更に力を籠めようとして――。


「その祈りは、誰のため?」

 

 不意に訪れた問いに、力が逃げる。

「あなたの祈りは、誰のための祈りなの?」

 鵺は何も答えない。

「あなた一人のための戦いなら、そこまでする必要はないはずよ。痛いなら止めればいい、苦しいなら逃げればいい。あなたはもしかして、吽禍のために戦っているの?」

 図星だ。

 鵺は、吽禍のために戦う。吽禍のために存在している。

 それこそが、鵺の存在意義。生きる意味をくれた吽禍への――。

「恩返し」

 心を読んだかのように、飛鳥は鵺を見た。

「あなたも、恩を返したいのね」

 飛鳥の淡い水色の瞳が、鵺を映していた。

「――ッ」

 違う、おれはお前とは違う。お前たちはただ、おれたちに滅ぼされていればいいのだ。

 鵺は咆哮と共に再度拳を振り下ろす。

 けれど、飛鳥は耐えた。

「なら、わたしたちは似た者同士だね」

 ――違う。

 おれはお前とは違う。

 皆から嫌われた。疎まれた。お前は醜い、お前は気味が悪い、お前は要らない。何度も己の存在を否定され、いつしか世界は敵になっていった。家族も同族も何もかもが、敵であると感じていた。

 お前のように仲間はいなかった。おれとお前は同じではない。

 しかし刹那の動揺によって鵺の力は僅かに緩み、その隙を見た飛鳥は鵺の顎を蹴り上げて後方へと離れた。

 鵺は飛鳥を追って、肉弾戦に持ち込む。対する飛鳥はもう距離を離そうともせず、己の周りに水の帯を生成して鵺の攻撃を華麗に捌く。

 時折捌き切れず、飛鳥の身体は血を吹いた。

 けれど、飛鳥は逃げず、正面から鵺と対峙する。

『――ね、――――――なんだ。付いてきてくれるかい』

 飛鳥と肉弾戦を繰り広げる中、鵺に何かが聞えた。

『いやだよ、はなれたくないもん!』

 不意に、鵺の頭に見たこともない映像が走る。

『どうして? どうしてわたしだけ……』

 自分は小さな少女。その目に映るのは、鵺の知らない地球の男と女。

 男と女は此方を見ている。実際は困った表情をしているだけなのだが、何故だろう。鵺には、それが悪魔のように見えた。己が一番大切にしている「トモダチ」を奪おうとしているように見えて、気味が悪かった。

『どうしてと言われても、お父さんの仕事の都合で……』

『泣くのは止めなさい。そんなことをしても、決まったことだもの。変わらないわ』

 男は困惑し、女は眉間に皺を寄せた。

『いや、いやなのに……』

 ただ、嫌だった。弱虫な自分と仲良くしてくれるのは、隣の家に住む少年だけなのだ。彼がいなくなったら、自分はどうすればいいのか。人が怖い。みんな怖い。お父さんも、お母さんも。学校の友達も、先生も、みんな、みんな。怖くて怖くて、逃げ出したいのに逃げ出せなくて。どうすればいいのかもわからなくて、自分一人じゃどうにもならなくて。それがわかって、また怖くなって。

『いやなの……。わたしには、れいくんが、ひつようなの……』

「――――――ッ!」

 幾度も振るった拳を、幾度も寸前で道筋を逸らして致命傷を避ける少女の姿と、鵺は自分自身の奇妙な幻覚の子供とを重ねた。

 その過去は、一体誰のものか。

 己か、それとも少女のものか。

 今のは、なんだ。今のはこの雌の――。

 思ったとき、鵺は此処が何だったのかを思い出す。

 此処は吽禍の生まれた星にとっての天津国。次元が異なる世界であるが故に、その世界法則は鵺の知るものでは無い。これまでこの場で敵と対峙したことがなかったために忘れていたが、ここでは過去現在、万象世界の総てが目に映る。それこそ――敵の過去ですらも。

 つまり、今のは過去だ。眼前に立ちはだかる少女の、過去。

 誰も彼もが怖かった。己の味方はただ一人だけ。

 似た者同士だね。告げた彼女の表情が蘇る。

 悲しげに、そして優しげに。まるで「その気持ちはわかるよ」と言っているようだった。

 仲間がいるお前にはわからない。世界を呪うことでしか己を保てなかった己を語ることは許さない。だから鵺は、違うと否定した。

 けれど、なんだこれは。

 振り払おうとしても、彼女の過去は流れ続ける。見たくないと願っても、流れ続ける。心の底では、鵺も彼女という存在を知ろうとしているからだろうか。戦いの最中、鵺は彼女の過去を見る。

 誰も彼もが、彼女の敵だった。

『あすかのとーさん、しんだ』

『しんだ、しんだ』

『ひとりは、さみしーね』

 彼女の父は死に、そして虐めが始まった。

 苦しい。逃げ出したい。今すぐこの場からいなくなりたい。――いっそ、総てが無くなってしまえばいいのに。

 彼女が世界を呪う、一歩手前だった。

「わたしもね、あなたと同じでみんなから嫌われていたの」

 幻覚とは異なる、眼前の彼女が言った。

「だからね、みんなが敵だと思ってた。両親ですら敵だと思ったこともある。そんなのだったから、自分なんてこの世界に生まれるべきじゃなかったんだなーって、思ってた。でもね、手を差し伸べてくれた人がいたの」

 彼女の過去には、白銀の少年。

 鵺の脳裏には、赤眼のタタリ。

『おれと、来るか』

 かつて、忌み嫌われるだけだったこの異形を、欲しいと言ったモノがいた。

「その人のために、わたしはきっと戦っている。あなたも、そうなんでしょう? 自分以外の誰かのために戦っている」

 鵺は、吽禍のために戦っている。

 それは確かに、その通り。己のためでなく、己以外のもののために戦っている。不満ではあるが、似ているというのは事実だろう。

 だが、それがどうしたと鵺は拳を振るう。

 似ているから、だからどうした。それで仲間意識を抱くだの、こんな戦いはやめようだのとのたまうつもりか、この雌は。

 今までにない速度、そして破壊力を以て鵺は飛鳥を潰しにかかる。

「わたしとあなたは似た者同士。だからこそ、わかるの」

 お前に何が分かる。お前にはわからない。

 顔面を狙って振るわれた鵺の拳。それを上半身を柔軟に逸らして回避し、飛鳥は鵺の胸元へと潜り込む。

「わたしもあなたも、お互い勝ちを譲る気はないということが」

 飛鳥の華奢な腕が鵺の胸に添えられ、その掌には水弾。

 飛鳥に、負けは許されない。しかしそれは、鵺にとっても同じこと。

 すべては時神鈴のために。彼の笑顔のため、そして、いつか差し伸べてくれた優しい手……その恩を返すためにも、命を懸ける。

 すべては吽禍のために。おれに差し伸べた救いの手が無駄であったなど、言わせない。お前のためならば、命すらも捨てられる。


「水玉・流円ぁああああああッ!」

「オオオオオオオオオオオオッ!」


 これまで行われた派手な戦闘に比べると、決着は実に呆気のないものだった。

 放った飛鳥の水玉は、鵺の胸を貫いた。

 振るった鵺の拳は、飛鳥に届かなかった。

 それだけ。ただ、それだけ。

 膝を着いた飛鳥の前で、鵺の巨体が崩れた。

 荒い息を繰り返す飛鳥とは対象に、鵺の呼吸は細くなっていく。

「……すま、ない……」

 呟いた鵺の肉体は、風に舞う灰のように空に溶け、消えていった。

「っ、勝っ……た……」

 金色の翼を広げた彼女は、鵺が消えゆく様を眺めた。

 この勝負は、どちらが勝利しても不思議はなかった。しかし、飛鳥が勝利した。

 強いて言いうなら、飛鳥が勝った理由はただ一つ。

 彼女の金色の翼は、彼女の命以外のものも背負っていたということか。


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