惑星の役割
ドン、太鼓をうち鳴らすような音がする。
同時に、爆発音。
その後、花火が舞い散るが如きパラパラという何かが降り注ぐ音。
ドン。ドン。ドン。
幾度も途絶えることなく鳴り響くその音は、この空間を揺るがし、振動を与え、さながら震源地の如くある波紋の中心点から発せられている。
大地が波打つ。波打つ振動に耐えきれず、膨れあがった大地は爆発し、砂を撒き散らす。
ドン、ドン、ドン。
「オラァアアッ!」
「――ぬん。」
巨体の男が拳を振るう。
その拳を拳で受け止めた赤鬼。その間には空気の爆発。
拳と拳、物理と物理の真っ向勝負。この拳が誇り。この力こそが俺の特性。故に譲れない。こればかりは、負けられない。
二者は譲れない拳を懸け、激突する。
アーヴァン・ゲーテンブルグ。彼の身に宿るは、腕力の神。他の神の追随を許さないほどの腕力を有した、力の神である。
潰鬼。コレは吽禍の特性が一、『破壊』の具現。破壊をもたらす究極の拳こそが彼の本領で、正直なところ、それぐらいしか持たない。
二者に速度はない。相手を焼くとか、凍らせるとか、変わった特性があるわけでもない。ただ、自分の肉体は頑丈だった。そして、最強の拳を持ち、それを誇っている。それだけだった。
故に互いの生業をぶつけ合う。
殴る。殴られる。耐える、また殴る。
その繰り返し。
言ってみれば、彼らの戦いは人間同士の格闘技の試合に比べても幼稚なものである。
牽制がなければ、威嚇もない。
ただ殴る。
己の拳に己が最強だという自負を込め、殴るだけ。
潰鬼は確かに、『破壊』の具現という意味で敵の精神を砕くという特性を持っているがしかし、それは所詮、物理的破壊の副産物に過ぎない。
家族を破壊する。友を破壊する。愛を、友情を、建造物を文明を、そして命を破壊する。
破壊されたとはつまり、何かしらを無くしたということだ。ものを無くすということは確かに、次へ進むためのバネとなるかもしれないが、圧倒的なまでの破壊を行われればバネとなる前に精神が砕かれる。
親を殺した者がいた。子供は親の仇討ちをしたい。しかし仇である敵が強すぎた。であるならばどうするか。
多くの子供は仇討ちを諦め、その仇と二度と顔を合わせないよう生きる。一生その影に怯えながら生きるだろう。
これに近いもの――一種のトラウマともいえるものが、潰鬼のもたらす精神の破壊という特性である。命乞いを求め、死を思わせる。その時に僅かでも死に対して恐怖を抱くのなら、その者の精神を破壊するという能力が潰鬼には備わっている。
しかし、己に恐怖を抱かぬ者には意味をなさない。彼の精神破壊という特性は、彼の尋常ならざる破壊の拳ありきの特性であり、その副産物というわけだ。
これまで潰鬼が相手をしてきた輩は、この副産物たる精神破壊によって倒れていったものが殆どだ。思えば、これほどまでに潰鬼と拳を撃ち合った者はいないだろう。
皆始めの一撃で沈んだというのに、この男はそれを「この程度か」と笑った。そして、見事なカウンターと共に潰鬼を殴りつけた。
「我は、貴様のような者を待っていたのかもしれないな」
赤鬼は笑い、アーヴァンの胸部を殴りつける。
速度がないその拳だったが、途方もない筋力と破壊という特性から、空間を揺るがすほどの一撃となる。
しかしアーヴァンの肉体はそれに耐えた。
肉体そのものが業天。
これは他の天児になく、また有利な状況を生み出すアーヴァンの特徴の一つだ。
そも業天は、簡単には破壊されない。それは業天そのものが神を降ろすための儀式場であるためで、人間の領分ではなく神の領分であるためである。
確かに業天を纏えば天児本体の耐久力なども格段に上昇し人を超えた力を発揮する。しかしそれは業天ありきである。業天の力によって守られているだけにすぎない。
が、肉体そのものが業天となる彼の場合、業天が肉体を守る必要性がなくなる。本来肉体を守るために消費する力を業天を強化することに使用すれば、防御力は格段に上昇するのだ。
肉体に衝撃を受け、内蔵が破裂しそうなほどの攻撃を受けたとする。
業天はまず、肉体の守護を優先とするため、業天自体の防御力は僅かながら減少し、その力を臓器を守ることに使用される。
だが、アーヴァンにその必要はない。
敵に攻撃する際、腕が壊れるほどの威力で攻撃したとする。
その場合もやはり、業天は肉体の守護を優先とする。攻撃力は攻撃部位に加算され、そして防御のための力は腕が壊れないよう攻撃部位に当てられる。
変わらぬ攻撃力。変わらぬ防御力。ある種の器用貧乏と言えるアーヴァンの特性だが、しかしその攻撃力も防御力も並外れて高い。つまり単純な攻撃力と防御力に特化したバランス型というわけだ。
バランス型と一点特化型が勝負した場合、バランス型の平均値と一点特化型の突飛具合、他のステータスによって勝敗が分かれる。対して、アーヴァンと潰鬼――現在のようにバランス型とバランス型が勝敗を競った場合は単純だ。
合計値の高い者が勝つ。
故に負けられない。
己の肉体こそが最強だと自負しているから――。
「テメェはここで堕ちろやァ!」
故に負けられない。
破壊という生業こそが己の役割、他に持つものなどあらぬから――。
「我が力の証明を見せるのみ!」
二者の拳が同時に放たれ、互いの頭を殴りつけた。
あまりの威力にお互い後ろへ傾きかけるが、それすらもバネにして再び拳を振るう。
互いの拳が衝突し、お互いの拳を破壊し合う。
――おれは一人では輝けない。いつまで経っても惑星で、誰かの光があって輝くもの。だがそれでも構わない。歴史に名が残らずとも、おれは光を支えよう。永劫の輝きを守るため、敢えて縁の下を持ち上げよう。それこそが己のすべきことであるが故に――
アーヴァン・ゲーテンブルグの祈りは、自分以外の他者を輝かせたいというモノである。
アーヴァンは凡夫だ。大きな特技はない。
人間時の身体能力は時神鈴にもそれほど劣らずと言ったところだが、スポーツ選手でなければ、その運動神経を生かすことはできない。勉強もできなくはないが、けれど勉強ができるからと社会で役に立つことはない。
だから彼は、ただのサラリーマンだった。
特に突飛した業績を持つわけでなく、ただの筋トレが趣味なサラリーマン。
普通の、人生。
彼は自分が特別な存在ではないと思っている。
アーヴァンには夢がない。こうしたい、ああしたいと思うことはあっても些細なものであり、行動には移せず、結果安定した道を歩いていた。そんな自分が嫌いでありながら、けれど変えられない。
自分には大きな夢がない。だからこそ、夢を持つ人の夢を応援したい。
アーヴァンの妻は、そこそこ著名な小説家である。ベストセラー作家というわけではないが、最低限の生活費を稼げるぐらいには本が売れている。アーヴァンが愛しているその彼女は、小説という才能を持つ代わり、身体が病弱だった。
学生時代にデビューした彼女は偶然にもアーヴァンと通う学校が同じで、それを知って以来、彼女のファンとなったアーヴァンは、病弱な彼女を献身的に支えた。
自分にはない才能を持つ彼女。自分に有る丈夫な肉体を持たない彼女。
アーヴァンは彼女を心の底から支えたいと願い、気付けば彼女に引かれていた。
彼女もまた、自分に尽くしてくれるアーヴァンを心から信頼し、引かれていった。
彼女を支えたい。彼女を輝かせたい。
自分は光の放てぬ惑星のままで構わない。けれど、彼女だけは恒星として輝かせたい。彼女の夢だけは叶えたい。まるで自分の夢の事のように、アーヴァンは彼女の夢を応援し、彼女が結果を出す度、自分の事のように喜んだ。
誰かを支え、太陽のように輝かせること。
それこそアーヴァンの祈りで、力の源。
ある日家に押し入った強盗を止めた時、アーヴァンは妻を傷つけるものかと奮闘し、撃退する。そして、他にない才能が自分に有るのだと知った。――天児として目覚めたのだ。
それでも、他の者にない神の才能が有ると知った後でも、彼の本質、彼の内に眠る神の本質は変わらない。
変わらず誰かを輝かせ、その光を自分は見たい。
――故に。
アーヴァン・ゲーテンブルグは、其の業と能力からここぞという場面でこそ役に立たないために意味がない。
しかしだ。
俺を置いて先に行け、というのは、俗にいう『死亡フラグ』――すなわち死亡への布石となる。が、彼の場合はむしろ、それこそが勝利宣言に等しい。己は主役にはなれない。彼がそう思っている以上主役にはなれないが、しかし最高の脇役という舞台を用意すれば、無敵の力を発揮することが可能なのだ。
そして今の状況はまさに、彼にとって最高の条件である。
時神鈴、水無月飛鳥を先へ行かせ、そして自分はこいつを食い止める。まさに脇役、まさに『俺を置いて先に行け』。
――故にアーヴァン・ゲーテンブルグは、此処に過去最高の力を発揮することが可能となる。
「爾に高天の原皆暗く、葦原中国悉に闇し」
潰鬼と撃ち合いつつ、アーヴァンの口から洩れた言葉はそれだった。
アーヴァンはこれを知っている。この祝詞は、彼の肉体を極限まで強化し、その神の力を最大限発揮する必殺を放つモノだ。
「此れに因りて常夜往きき。太陽、稍戸より出でて臨みます時に、その隠り立てしし神、その御手を引き出しき」
天の岩屋戸。それは日本神話において、太陽神である天照大御神が身を隠したものだ。
太陽神であった彼女が機嫌を損ねて身を隠してしまったために、この世界には闇が訪れ、悪なるものがはびこった。これを何とかするために活躍した神のうちの一柱が、アーヴァンが身に宿す神である。
彼は天の岩屋戸から顔を覗かせた天照大御神を引っ張り出すために、天の岩屋戸をこじ開け、そして彼女を引っ張り出したのだ。
己は世界を救えない。けれど天照大御神にはその力がある。であるなら。
――才無き己は輝けないことを知っている。だから己は、才ある者を輝かせよう。
「太陽出でましし時、大三千世界、自ら照り輝き――」
天の岩屋戸を粉砕するほどの腕力で敵を一撃で沈める最強の拳。その威力は白月の必殺にも並ぶもので、単純な物理力だけで言えばまさに最強。当たれば瀕死は免れない。しかし、「主役を目立たせる」という彼の祈りとの関係から、トドメに至らない場合が多い。
その祈りさえ異なれば間違いなく天児一の攻撃力であるのだが、その祈り故の攻撃力でもあるため非常に厄介な問題である。
だが、今の状況はどうか。
アーヴァンが潰鬼を倒してしまっても、彼は脇役という域を抜けられない。
何故なら主役は時神鈴。吽禍という巨悪を倒す役割は、彼に一任されている。
そして、ここで潰鬼を落とすことこそが、この配役を任された自分にすべきこと。『俺を置いて先に行け』と言った。ここで眼前の敵を倒しても、構わないのだろう。
ならば全霊だ、一切の加減はない。
「――森羅万象・山砕腕」
対する潰鬼は、アーヴァンの異常を感じ取る。
これから放たれるのは、これまでで最大至高の破壊の拳。ならば、破壊の具現として、己も最強の拳で臨もう。そのうえで、貴様を上回ろう。
「ぅおらあああアアアアアアアアッ!」
「ぬぉああああアアアアアアアアッ!」
拳が激突し――ピシリとひび割れた。
アーヴァン・ゲーテンブルグの拳は、血を噴き出した。




