『暴食』
「貴様ら如きを――明星に触れさせるものかァアアアアアアッ!」
鋼鉄の花火が咲いた。
咲いて、咲いて、咲いて、咲き乱れて。
殻人たちが次々と天辰狐王白月の羽衣餌食になる中で、山をも上回る巨体――入道が動く。
体内を蠢く蟲たちによって、白月に空けられた腕の穴は既に塞がった。肉体は万全なのだから、次は攻撃に移るべきであると、体内に存在する『脳』とも呼べる蟲たちが言う。
ああ、わかっている。入道は動き、その腕を振るった。
動きは遅い。しかし、殻人たちに意識を向けている白月には動いたことに気付かれていないようであった。
「数押せば勝てるとでも思うたか、舐めてくれるなよ雑兵風情がッ!いくら束になろうが群れようが、この御霊は潰せんぞォッ!」
長い戦いの経験から、桜花と衣の判断力はかなり優れていると言えるが、今回は相手が過去の仇であるため、心中穏やかでいられないのだろう。広いはずの視野が狭まり、そのため入道の動きに気付かない。
風を切る、これは速いものを表現する際に用いられる表現であるが、入道は風など切らない。その巨体は、雲を切る。そして、空間を切る。
彼が巨腕を振るうことにより空が開け、爆風と共に雲が開く。そしてなにより、巨大な腕が即座に移動することによってある種の真空状態が起こり、カマイタチを発生させる。
入道の腕ではなく爆風の一つ一つが風を切り、カマイタチとなった爆風は多くの殻人を切り刻み、白月へと向かう。しかし白月にはその程度の攻撃は大したものでは無いため、背に受けて終わりだ。
人は扇風機の風を警戒しない。それは扇風機程度が巻き起こす風によって怪我をすることはありえないと確信しているからである。白月にとって、殻人が切り裂かれるほどのカマイタチもそういうものだ。己に危害を及ぼすほどの力がないから、警戒しない。背に受けて終わり。せいぜい「ああ、風が吹いたな」程度の認識である。
さらに言うなら、今の白月は殻人を殲滅するという行為に完全に意識が向いている。このカマイタチの正体について考えていれば――むしろカマイタチの発生に気付いていたのなら、入道の腕の動きに気付けたはずなのだ。
だが、もう遅い。
入道の巨腕が振るわれた。
腕が視認できる距離まで近づいたところで、白月はようやく腕の存在に気付く。しかし大したことはないだろうと、殻人を引き裂く羽衣の一つを呼び戻し、その腕を切り裂いた。
この判断もまた、彼女の過失である。
彼女は、すべての意識を入道へ向けるべきであった。
「なんだ、これは……。」
入道の腕の内には、骨がない。肉もない。ただ不気味な何かが蠢き、まるで入道の着ぐるみをかぶった何者かが存在しているかのように、何もない。
それも当然か。入道は吽禍の眷属、『暴食』の具現である。吽禍自身が蟲で出来ているのだから、その眷属も蟲で出来ていて然り。
腕の切断面には、蠢く数え切れないほどの蟲。一つ一つが巨大化した雲霞のようである。
腕の切断面から血のように零れた蟲。
切断面からは蟲が飛び出し、群れとなる。零れた腕を繋ぎとめるように蠢く蟲たちはやがて、再び腕を繋げて白月に向けて腕を振るう。
しまった。
その言葉を発することもないままに、白月は入道の巨腕に薙ぎ払われた。
その一撃は雲を裂く。その一撃は真空を巻き起こす。
入道にとって、白月は蠅のようなものだ。自らの周りを五月蠅く飛び回り、足元で群れる一応の同族たちに害を及ぼす害虫だ。ならば遠慮する理由がどこにある。
情け容赦のない一撃が白月の肉体を吹き飛ばす。
残り数十秒かけて着地するハズだった地面に巨大なクレーターを形成し、白月は一瞬にして殻人の群れへ叩き付けられた。
「――ごふッ」
白月は吐血した。
入道の体験、感覚からして、あばらは幾つか折れた。吐血したところからみて、臓器が二、三か所内部破裂していてもおかしくはない。
だが、まだ生きている。ならば、どうするか。
蠅を落とした。しかし、蠅はまだ生きている。その汚らしい肉体で動きを再開し、また空を飛ぶかもしれない。ああ、気味が悪い。気色が悪い。――とどめを刺そう。
さながら人間のような心理で、入道は身体を折り曲げしゃがみ込み、その拳を再度振り下ろした。
逃がしはしない。外しもしない。ただ殺す、逃さない。此処で死んで、殻人の餌になればいい。
雲を切る拳を、再び白月へ振り下ろした。
砂に埋まった。
けれど、まだ形は残っている。原型は留めている。
なら、潰そうか。
更に拳を振り上げ、入道はその腕を再度振り下ろす。
振り下ろす、振り下ろす、潰す。――潰す潰す潰す潰す潰す。
要らない蟲を殺す。邪魔な蟲を殺す。これは子供でも行う無邪気な行為。生きているから殺す。生きていると鬱陶しいから殺す。気持ちが悪いから殺す。動いていると気持ちが悪いから殺す。
ただそれだけの行為で、本人からしてみれば残虐だとは思わない。
一方的に殴る。一方的に殺す。
これはただの弱肉強食、この世の道理。なんら不思議はない、弱いものは消えるだけ。
砂が爆ぜる。周りの殻人を巻き込んで、白月を殺すために入道は拳を振う。
何度殴っただろう、しばらくすると、白月は動かなくなった。すると、入道は腹が減る。
それも致し方ないことか。
白月には握り拳から肩にかけて大穴を空けられた。あれを修復するのには多大な時間とエネルギーを消費した。更に一度腕も切断されたため短時間で修復、もう一度多くのエネルギーを消費した。そもそも、入道は動くこと自体多大なエネルギーを消費する。
そのエネルギーを補給するためには、どうするか。
なに、食べればいい。
そう――暴食すればいい。
大口を開いた入道は、近くにいた幾千もの殻人を広げた腕で掴み、口に放り込んだ。
殻人たちの不気味な悲鳴が聞こえたが、知らない。お前たちは何の役にも立たないのだから、大人しく喰われろと、暴食の具現は肉体を断末魔ごと噛み砕く。
殻人は柔らかすぎて、噛みごたえがない。にちゃにちゃと歯にへばりつくその腐った肉片は、非常に不快だ。しかし腹が減った。他に食べるものはないかと周りを見渡した時、白月が『門』を塞ぐために巨大化させ広げた鉄扇が目に付いた。
……まだ、消えていない。
これはすなわち、白月が生きていることを表している。
入道は、土に埋まったハズの白月を見た。
そこに白月の姿はない。代わり、大地が盛り上がり巨大な砂柱が形成され、その頂点に白月の姿。
どうやら、砂を振り払い跳躍したらしかった。
「この程度で、我が倒せるかァッ!」
もはや死にかけの分際で、何を吠える。
入道が白月を掴もうと手を伸ばすと、その腕が切断された。
体内の蟲が入道の腕を繋げるが、しかし再び切断された。そしてもう一閃、白月の羽衣が入道の腕を切り裂いた。
傷は治した。しかし白月は切り裂く。治しても治しても切り裂いてくる。このままではキリがないと、修復を諦めて腕を切り裂かれたまま白月に向けて手を伸ばすと、入道の手のひらを貫き、腕から駆け昇ってくる白月の姿があった。
その姿は血まみれで、ボロボロで、今にも倒れそうな足取りだった。
それでも白月は走り、入道を淘汰せんと向かってくる。
ああ、厄介だ
こいつはおそらく、蠅じゃない。蜂だ。
吽禍が襲ったなんたらとかいう惑星。それを攻撃されたから、己が子孫と仲間、そして巣を守ろうと、小さな針を武器にしておれに向かってくるのだ。
くだらないと、入道は思う。
入道の中に有る世界には、「吽禍」「吽禍の眷属」「それ以外」というくくりがまず存在し、そのすべては大きく二つに分けられる。それが「食べられるモノ」「食べられないモノ」である。
食べられるモノというのはすなわち、吽禍以外の全てを指す。
食べられないモノというのはすなわち、吽禍そのもの、そして己を含めたタタリの具現である。
一応敵味方という大まかな判別はあるものの、彼は『暴食』の具現だ。食べられるか否かが世界の総てで、それだけが彼の基準。
食べられないモノは自分の一部。
食べられるモノは皆同じ、おれが食べるために存在している。
ただの食料が、他の食料を守るために戦うという行為。それが、入道にはどうやっても理解できない。食料は所詮食料で、それも殻人同様誰がいなくなろうが補充できるもので、一つ一つの食料に個別の価値や意味はない。
ただおれに喰われるために存在しているのだから、いちいち怒るな騒ぐな五月蠅いのだ。
おれの腹に入ってみれば皆同じだろう、早く死ね。
余さず喰らってやるから、この拳の前に沈め。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ」
入道は咆哮し、その圧倒的な衝撃で白月を吹き飛ばそうと試みる。
しかし白月はまる蜘蛛のように羽衣を展開し、入道の腕に突き刺してその場に止まった。
咆哮の衝撃によって白月の後方にある砂地は抉れ、殻人の多くが宙を舞っている。にもかかわらず、白月はまだそこに居る。
音とは、大きな空気の振動だ。その振動を広い、人間の耳は音として認識している。その空気振動を、入道のような巨体が耳元で叫べばどうなるか。
鼓膜が破れる。それは当然として、しかしそれだけには止まらない。内臓も、脳さえもが大きく揺さぶられ、破裂する。
なのに、目の前の小さな虫は離れない。
「この程度で、我が潰せると思うたかァアアアアアアッ!」
どころか、小さな体で啖呵を切り、吠える。そして、入道へと向かってくる。
なんだコイツは。なんだコイツは、なんだコイツは。なんだコイツはなんだコイツはなんだコイツは――。
入道は初めて、知らないものを感じた。
これまで食べられるモノ、食べられないモノという大きなくくりで構成されてきた世界に、大きな亀裂を感じた。
コイツは、食料だ。食料は所詮食料で、それも殻人同様誰がいなくなろうが補充できるもので、故に世界には、勝手に食料は増えていく。勝手に繁栄し、増えていき、そしておれに喰われていく。一つ一つの食料に個別の価値や意味はない。
なのになんだコイツは。
どうして倒れない。どうして死なない。
気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。
コイツを食べたくない。コイツを見たくない。コイツに触れたくない、コイツと関わりたくない、戦いたくない、近寄りたくない。
おれを見るな。おれに近づくな。
こっちに、来るな。
――――それは、恐怖。
それは入道が知らない概念で、本来吽禍の内には存在しない概念でもある。どうしてこの感情が生まれたのかはわからない。しかし入道は、確かに『恐怖』を感じていた。
「はぁあああああああああああああああああッ!」
入道の咆哮が止まると同時、白月は羽衣を戻して入道の眼前に迫る。
入道の眉間にまで白月が近寄った直後、入道は激しく入り乱れる世界を見た。
空が回る。大地と空が交互に入れ替わり、殻人たちが宙に舞いながら吹き跳び、しかしその景色は安定せず、ぐるぐると回転する。
いつも一方的に敵を喰らっていた入道にとって、それは初めての経験だった。
どうやら白月に蹴り上げられ、吹き飛ばされたようだった。
地面に落下し、数秒間動けず、その事実をようやく理解する。
自分は、一方的に喰らうべきモノに地を這わされたのであると。
ああ、ふざけるなよ。なんだこれは。食料如きが、このおれに歯向かうんじゃない。
食料は食料らしく、大人しく喰われていればいいのだ。死ね、朽ちろ。その臓物をまき散らし、おれの腹で溶かされていればいいのだ。
恐怖を知った入道は、次に怒りと憎しみを知る。
理不尽な己の価値観を世界へ押し付け、吽禍こそがこの世界の総てだと信じて疑わない『暴食』は、その大口を開いた。
咆哮するためではない。声を上げるためでもない。――喰らうために。
入道はその大口で、大地にかじりついた。
そこには多くの殻人がいただろう。しかし知らない、所詮は食料、量産型だ。おれの腹に入れることを光栄と思え、俺の糧になれることを諸手を上げて歓喜しろ。
喰らう、喰らう、喰らう。
咀嚼もしない。ただ口に入れ、それを体中の胃袋へと流し込む。
そして口に入れれば入れるだけ、入道の肉体はより巨大に、そして強固になっていく。
これが『暴食』、その真の特性である。
ただ万物を暴食する――喰らったものをただエネルギーとして変換するだけでなく、エネルギーとして変換する代わりにその特性を一時的に身に付ける。
殻人はもともと吽禍の眷属であるために喰らったところで特性に変化はないが、しかし殻人の中には吽禍の一部である蟲がある。それを更に肉体へ加え、自己再生。
この砂は、生命ではない。しかし、食料だ。その特性は堅いことである。であるならば、固いという特性を吸収することはできる。
喰らい続ける入道に、この行為がただ事ではないことに白月は気が付いたのだろう。すぐさま入道へ向かって来た。
「オアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」
入道はその拳を振り、白月を叩き潰さんと咆哮する。
その拳を破壊しようと白月が羽衣を煌めかせるが、この拳は既に先ほどまでの軟なものでは無い。固く、固く、まさに砂の如く硬質なモノと化している。故に、切れない。
驚愕に目を見開いた白月へ、入道はその拳を叩き付けた。
白月は吹き飛んだ。
それこそ虫のように、遥か後方へ吹き飛んだ。
もう動かないだろう、あとは喰らうだけ。
入道は立ち上がり、念のために白月を踏みつけようとした時だった。
「顕現――神威之神咒!胎蔵曼荼羅・外金剛院、衆合地獄――」
声が、聞えた。
入道は咄嗟にその場から離れようと試みるが、しかしどこに逃れようと意味がない。この大きすぎる肉体が仇となる。
「火盆の焔ぁあああアアアアアアッ!」
瞬間、入道の右足そのものが根元から消え去った。
炎の爆発、マグマの奔流。地獄の業火が白月より吹き出し、その熱波によって入道の右足が完全に蒸発した。
のみならず、その炎は多くの殻人を飲み込み、焼いていく。
数十秒間もの間辺り一帯を燃やし、焦土とした炎は消え去り、白月はガクリと膝をつく。
入道は片足を失ったが、この好機を逃す手はない。
残る脚でバランスを取り、その巨大な拳を振り下ろした。
白月は虚ろな目でそれを見つめる。どうやら力は完全に使い尽くしたらしい。
殻人のほどんどは消えた。この脚もなくなった。
けれど、それがどうした。奴らの巣には殻人となるべき肉体がある。そして、おれの肉となるべき餌がある。それらを喰らってしまえば、総ては戻る。
さらばだ、天児。




