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仇の獣

「とうとう、二人になったな」

 変わらない景色の中を、鈴と飛鳥は走る。

 道は果てしない。否、そも道とすら呼べないどこまでも砂ばかりの、砂漠を彷彿とさせる死の世界だ。

 砂漠を抜けるにはとんでもない精神力がいるんだなと思いながら、二人は走り続けていた。

「なんだか寂しいね。初めはみんなが隣に居てくれたから安心できたけど、今はわたしたちだけだから、進むべき場所がこれでいいのかわからない」

「そうだな。大人がいないっていうのは、なんか心細いよな」

「あ、鈴くんが頼りないってことじゃないよ?」

「わかってるさ。俺も、同じ気持ちだったから。飛鳥は頼りになるんだけど、やっぱり大人の存在って大きいよ。いつも後ろで支えてくれる、見守ってくれる。上手くはいえないけどさ、俺らはまだまだ子供なんだって、教えてくれる」

「……うん。本当に」

 こうしてみると、大人という存在は本当に大きい。

 桜花と衣が、『門』で先へ進めてくれた。

 ハワードとオーガストが道を切り開き、アーヴァンが俺と飛鳥を先へ進めてくれた。

 彼らがいたから自分たちは此処に居るし、彼らがいなければ自分たちは此処に居なかっただろう。

 言葉にうまくできないけれど、引っ張ってくれる何かを彼らは持っていた。

 けれど今はもういない。

 居ないものはいないし、もともとこういう作戦だった。

「不安だけど、進むしかない」

 ここで止まったり引き返したりしようものなら、みんなの頑張りが無駄になる。

「自分には自分の役割が、みんなにはみんなの役割があるから、ってことだよね」

「そう、それ。お前には、自分の役割は見えてるか」

「大丈夫。わたしはしっかり、自分の役割が……すべきことが見えてるよ。辰人くんがね、ヒントをくれたの」

 飛鳥は胸に手を当てて、その手をぎゅっと握った。

「辰人くん、最後の最後に鈴くんだけじゃなく、わたしにも手紙をくれた。それがね、凄く力になってくれてる。もちろん、内容もわたしを信じてくれてるんだって内容なんだけどね。でもそれ以上に、手紙をくれたことが嬉しかった」

「あいつ、飛鳥に伝えたいことばかりだったと思うけどな」

「そんなことないよ。だからね、鈴くんが思っている以上に、わたしは手紙のことが嬉しいの。わたしたちは一緒にいることが多かったけど、鈴くんと辰人くんは本当にいつも一緒だったじゃない。三人一緒っていうより、二人と一人って感じだった」

「そんなことないだろ。俺も辰人も、お前のことは認めてるさ」

「どうかなぁ。わたし結構疎外感感じてたし、正直二人の仲に嫉妬してたから」

「なんだよ、俺たちの仲に嫉妬してたのか」

「そうだよ。龍神兄弟とか、二人で一人とか、お前がいれば何でもできるとか。わたしそんなこと言える友達いないから、凄くジェラシー」

「ジェラシーね……」

「そう。だからね、“草枕”と戦ったときに鈴くんが背中任せてくれたの、凄く嬉しかったんだよ。鈴くんとなら、なんでもできるって思った」

「……なぁ、飛鳥」

「ん、なに?」

「俺は、お前を尊敬してるよ。父親の死を、お前は乗り越えた。苛めという問題を、お前は乗り越えた。俺がもしお前だったら、多分どこかで潰れてる」

 父親がいないのは寂しい。

 友達がいないのも、味方がいないのも辛いことだから。

「だけどお前は、乗り越える強さを持っている。それはきっと、誰にも負けないお前の凄いところなんだ。それを俺は、よく知っている」

「褒めても何もでませんからね。それにそんなに強くないよ、わたし。鈴くんたちがいなかったら、きっとダメダメなまま終わってた」

「でも今は、強い水無月飛鳥が此処に居る」

 黙り込んだ飛鳥に、鈴は力強く告げた。

「お前がいなけりゃ、俺は潰れてたぜ。まず、辰人を目の前で殺した責任に押し潰れてた。もしかしたら、衣の特訓で無茶して死んでたかもしれない。そんな俺を支えてくれたのはお前だ。止めようとしてくれたのはお前だし、俺を心配してくれたのもお前だ。お前が支えてくれないと、俺は全然ダメなんだ。だから……だからさ。そんなこと言うなよ。お前は仲間外れなんかじゃ、ないぜ」

「……なにそれ、嬉しいじゃんか」

「だから、勝てよ飛鳥。勝て。負けんじゃねえ。絶対、負けんな」

 もう、失いたくない。

 ここで飛鳥までもを助けられなかったら、俺はどうなるかわからない。

 きっと、二度と這い上がれない奈落の底へ沈んでしまう。

「そんでさ。帰ったら、美味い手作り料理を作ってくれよ」

 だから隣に居てくれよ。辰人みたいに、どこかへいなくなったりしないでくれよ。

 だから、「いなくなってごめん」なんて、絶対に言わないでくれよ。

 不安に襲われる鈴に、飛鳥は笑った。

「なんかたくさん嬉しいこと言われて、一生分の運を使い果たした気がするんですけど」

「そういう縁起でもないこと言うな、俺は真面目だ」

「そんな褒め殺し、帰ってからにしてよね。わたしたちみんな、生きて帰るの。吽禍を倒して、みんなで帰るの。鈴くんだって、絶対勝ってよね」

「……ああ、分かってる」

「帰ったら、お腹はち切れるくらい料理食べてもらうんだからね」

「ああ、楽しみにしてるからな」

 それきり、二人は会話をしなかった。

 二人とも、同じ気持ちでいるとわかっていたから。

 次に話すときは、この夜明けに勝利を刻んだ時だから。


       ☆


「鈴くん、先へ行ってくれるかな」

 アーヴァンと離れてしばらく走った二人の前に、一匹の獣が立っているのが見えた。

 それは、鵺。

 辰人を殺した化け物。頭は猿、体は狸、手足は虎、そして蛇のような尾。まさしく日本の文献に残された和製のキマイラ。

 獣の唸り声で威嚇するそれを前に、飛鳥は立ち止まる。

「……勝てよ、飛鳥」

 言って走り出す鈴に、

「そのセリフ、そっくりお返しのブーメラン」

 微笑んだ飛鳥は業天『乙姫』に埋め込まれた水晶を光らせた。

 走り出した鈴は、加速する。

 これまではアーヴァン、飛鳥という通常の世界で走り続けていた鈴だが、しかし今は遠慮など必要ない。己の持てる力『加速』を発動させ、その場を高速で抜けていく。

 姿を消そうとする鈴の姿を追い、飛鳥から目を逸らした鵺の前には、後ろにいるはずの飛鳥の姿があった。

「あなたの相手はわたし……でしょ。いつかの決着もつけなきゃだしね」

 即座に水弾を構築した飛鳥は、鵺の腹部へ『水玉・流円』を放つ。

 以前ほどのダメージを与えられたとは思えないが、しかし距離を離すことには成功した。これが飛鳥の距離だから。

 初めて鵺と交戦した時も、鵺の腹部へ向けて流円を放った。

 それを思い出したが、飛鳥は完全に気持ちを入れ替える。

 わたしは天児。わたしがすべきことは鵺を倒すこと。そして、みんなを信じること。

 勝ちましょう、みんなで。

 帰りましょう、みんなで。

「水無月飛鳥、純情可憐に参ります」

 左手を突き出し――鵺に向けてビシリと指をさす飛鳥は、他の何よりも美しく見える。

 純情可憐には、確かに『可愛らしい、愛らしい』という意味もあるが、『邪心がなく、心が綺麗』また、『心身が清らかで私欲や雑念の無い、自然な状態』という意味も持つ。この場合の意味合いは、当然後者の二つだ。

 自分はただ、人の為に純粋なる武力を行使し、人に害なすあなたを殲滅すると、そういう意味になる。

 実に彼女らしい決め文句だといえるだろう。

 対する鵺は、大した言葉を放つこともないまま、流円を弾いて立っていた。

「……ィ」

 猿の口を、静かに開く。

「憎い……貴様らが、憎い」

 鵺が口にしたのは、呪詛の言の葉。

 憎い。確かに鵺はそう言った。

 鵺が言葉を発したことに飛鳥は驚きを感じたが、考えてみれば自然なことだ。ここは天津国に近しい場所。天津国では互いの言葉が直接相手に伝わり、会話が可能である。使用言語などを超えて意思の疎通ができるのだから、今こうして鵺と意志が疎通できることに何も疑問に思うことはなかった。

 それにしても、開口一番のセリフが「憎い」である。

 鵺は相当、飛鳥たちを嫌っているようだ。

「……憎い、か……。わたしも、あなたがちょっと憎いかな。辰人くんを殺したあなたを前に平常心を保つのは、難しいよ」

 けれどその呪詛を前に、「でもね」と、飛鳥は笑う。

「守りたいものがあるの。返したい恩があるの。こんなところで、止まっていられないの」

 再び水弾を放った飛鳥に言葉を返すが如く、鵺は咆哮する。

 殺す、殺す、殺す。この腕の借りは返す。あの時の屈辱を返す。

 鵺が走った。

 水弾を軽々と避けた鵺は赤黒い爪を尖らせて、飛鳥へ向かう。

「――譲れない約束(おん)が、あるのよ」

 広げた右手のひらを大地と平行にずらしていくと、その軌跡をなぞるように水弾が並んでいく。まるで空中に浮かんだピアノの鍵盤。それらの水弾をなぞり、放つ。

 寸分の狂いもなく、水弾は鵺に向けて飛ぶ。

 鵺は避けた。避けたけれど、飛鳥の放った水弾はなにも、鵺だけを狙ったものでは無い。飛鳥はその水弾で鵺の動きを誘導し、逃れられない道筋を造りだしていた。

 その動きはまるで獲物を追い込む狩人だ。

 飛鳥の攻撃、その一つ一つは大した威力を持たない。しかし、それが束になれば話は別である。

 彼女の主な攻撃は水弾による中・遠距離の射撃であるが、その弾は水である。水であるが故に傷口に弾が残ることはないが、その形状は自由自在。

 鵺が避けた水弾、そして放たれ、鵺が避けきれない水弾。その総てが一瞬のうちに収束し、獣を捉える縄となった。

「縛れ、(ミズチ)

 繋がり、繋がり、繋がり、総ての水弾が一つとなって鵺に絡みつき、水で構築された縄が鵺の両手を封じる。

 しかし鵺は止まらない。この腕がなければこの脚で。この脚がなければこの顎で。お前を、殺す。

 それこそ、殺戮への執念。

 何がそこまで鵺を掻きたてるかは知らないが、しかし鵺の憎悪は本物だ。

 一瞬、鵺の殺戮の視線に怯えた飛鳥は、思わず目をつむる。

 すぐに目を閉じてはいけないと目を開いたが、そこには『蛟』を粉砕して飛鳥へ突き進む鵺の姿があった。

 飛鳥の『蛟』には、確かに鵺を拘束するだけの力があった。

 以前一度戦っているし、あの頃から飛鳥は格段に強くなっている。なのに、『蛟』が破られた。目を閉じてしまったのは己の過失であるが、しかしそれが『蛟』を破る決定打にはなりえない。鵺が以前と比べてそれほど力を増したとは思えないし、ならば一体……。

 考える飛鳥の前に、鵺の腕が迫る。

 飛鳥は咄嗟に右腕を水で纏い、衝撃を和らげて防いだ。しかし、鵺の腕力は相当なものだ。メキメキと腕が軋み、激痛が走る。

 このままでは、折られる――。

 腕が壊される前にと、飛鳥は足を振り上げ、鵺の頭蓋へと一撃、蹴りを打ち込んだ。

 しかし脳を揺さぶることは叶わなかったらしく、鵺は残された左腕で飛鳥の頭を殴りつけた。

「――――ッ」

 ぐらりと、飛鳥の世界が揺れた。

 運悪く頭の上部へ当たった鵺の拳は飛鳥の首を揺らし、その脳すらも揺らした。

 激しく脳が揺さぶられたために視界は定まらず、ひどい嫌悪感と吐き気を催した。

 倒れるものかと、震える両足で己の肉体を支えるのがやっとで、次の鵺の一撃を逃れる術はない。

 鵺の拳が、運悪く飛鳥の胸を強く殴りつけた。

「か――ふッ!」

 飛鳥の時が、止まった。

 これはボクシングにもあるハートブレイクとも呼ばれるもので、心臓に強い衝撃を受けた際に生じる一時的な心臓停止。

 動けない。身体が、動かない。

 焦る飛鳥に向けて、鵺は容赦なく殺しに掛かる。

 鵺にここで止まる理由はない。殺せる機会なのだから、殺すに越したことはない。

 まさに鵺にとっての好機で、飛鳥にとっての危機。拳が再度飛鳥の肉体へ届く前に、飛鳥は何かしらの行動を起こさなければならないのに、身体が動かない。

 まだ、ダメ。

 こんなところで、終われない。

 約束したの。鈴くんと一緒に帰るの。

 まだ、鈴くんから受けた恩を返してない。まだ、辰人くんから受けた恩を返してない。桜花からも、ハワードからも、アーヴァンさんからも。いろんな人から受けた恩を返してない。

 動いてよ、この身体。終わらないでよ、わたしの命。

 力を貸しなさいよ、わたしの中の神様!

『――――幸福たれ』

 ほんのりと、声が飛鳥の内で囁いた。

 飛鳥を襲う鵺の拳。しかしそれは、運よく片足を蹴りによって振り上げていた飛鳥がバランスを崩したことにより、飛鳥を吹き飛ばし、その威力を僅かながら軽減させた。

 鵺の遥か後方に頭から地面を転がり、倒れこんだ飛鳥は指を動かした。

 指は、動く。肘も、肩も動く。足も動く。まだ立てる。

 立ち上がった飛鳥は、歯を食いしばって立ち上がる。

「……ああ――やっぱり。なんとなくだけど、あなたの特性が掴めてきた」

 鵺はただの獣に非ず。かといって、ただの地球外生命体というわけでもない。ソレは吽禍の眷属、その左腕――風間辰人と同じく荒御魂(アラミタマ)である。

 風間辰人が天児に近しい存在であったと同様に、この鵺もまた天児に近しい存在だ。独自に結界を構築することも可能だし、また、その『祈り』すらも胸に秘めている。

 そしてその『祈り』はおそらく――『呪い』だ。敵を不幸に、どこまでも不幸に。

 元来『鵺』という妖怪は『凶』を象徴する存在である。同じ姿、同じ名を持つその化け物が、鵺と同じ特性を持っていたとして何ら不思議はない。姿と本質というものは嫌でも似通っていくものであるし、鵺を『鵺』と呼ぶのは嚆矢――知識を司る神である。彼が鵺を『鵺』と名付けることを、見た目だけで決定するとは思えない。故に、鵺は不幸を呼ぶ祈りを持つのだと、飛鳥は戦う前から推測していた。

 細かいことは解らないが、おそらく自分以外の対象に向けて不幸をまき散らす祈りである。故に飛鳥の『蛟』が切れた。鵺が狙わずとも、飛鳥の急所にその拳が当たった。

 運を操作する程度の能力と言ってしまえばそれまでだが、しかし運は時として絶対的な実力差もひっくり返す。どの状況、どの場面においても最終的に勝利をもたらすものは、力でもなんでもなく、運である。

 故に、これほど恐ろしい敵はいないだろう。

 そして――飛鳥の内に宿る神は飛鳥と気持ちを同じくする。

「……悲しい力。誰かを不幸にすることで疑似的な幸福を感じる、悲しい祈りだね」

 ――あなたが先を行くならば、わたしは迷わず足を引く。あなたがどこかで転ぶなら、それはきっと蜜の味。行かせない、幸福なのはわたしだけ。他の事情は知らないから、そしてわたしは不幸であるのだから、神様どうか、万物に不幸を。そしてわたしだけには祝福を。――

 あなたに恩を返したい。そう願う飛鳥にとって、他者の不幸を望むこれは天敵に相違ない。故に、飛鳥の内に眠っていた彼女が目を覚ます。

 先行く他者の背中は押すもので、その足を引くものではない。誰かがどこかで転ぶなら、その前に手を差し伸べ立ち上がらせるのが世の道理、人の愛。あなたが他人の不幸を望むなら、わたしは総てに幸福を与えよう。

『あなたに受けたその恩を、今こそ返す時。不幸になどさせない。万象よ、幸福たれ』

 ここに、水無月飛鳥は内に眠る真の力を目覚めさせた。


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