再び『門』へ
風間辰人は消えた。
笑顔で、俺は最高の幸せ者であったと告げて、消えた。
「どうして……」
どうして、消えなきゃならなかった。
どうして、辰人が死ななきゃならなかった。
「クソ……」
二度も失った。
己の力不足。己の無力さ。
その想いが時神鈴を苛ませる。
足りない、今のままでは、大切なものを助けられない。
強く、なりたい。
願った時神鈴は、静かに帰路へとついた。
形見はない。風間辰人は残らず消えた。灰の一粒も残らない。
「助けられなかった」
親友を助けられずに、何が『助けたい』という祈りだ。
大切なものを二度も失って、何が“明星”だ。
昇る朝日の中、家にたどり着いた鈴の家の前に、一人の少女が立っていた。
「お帰り、鈴くん」
ボロボロで。その綺麗な顔も傷だらけ。けれど、最高の輝きを持った笑顔で鈴を迎えてくれた彼女――水無月飛鳥を見て、これが鈴にとっての明星だと思う。
彼女のいる場所が、きっと鈴の帰る場所。鈴が絶対に守り抜かねばならないもの。これ以上取りこぼせない、その手は絶対離さない。
「ただいま、飛鳥……」
だから、助ける。どんな危機にあっても、お前だけ必ず助けるよ。
彼女を目にした安堵からか、鈴の足が絡まって、倒れこみそうになる。そこを、飛鳥が支えた。
飛鳥に支えられたまま、鈴は「なぁ」と口を開く。
「飛鳥。辰人が生きてた」
「……うん」
「俺は、辰人を殺したよ」
「……うん」
「なぁ、飛鳥。俺はさ、吽禍が許せないよ」
誰かの幸せを奪っていく、あの悪魔が許せない。
飛鳥の幸せを、吽禍は奪った。
自分を救ってくれた人。その恩を返せない。
恩を返したいという祈りを持つ飛鳥が、恩を返す機会を失うということは、どれほどの辛さなのだろう。辰人受けた恩は、大きなものなのに。
晴子さんの幸せを、吽禍は奪った。
一人息子を失う悲しみ、それはどれほどのものだろう。子供の自分には想像できないけれど、きっと生きる理由総てを奪われたのと同義の悲しみなのだろう。
辰人と関わってきた総ての人を不幸にして、辰人の心も踏みにじって。
「俺は……吽禍を倒したい」
アレは、存在しちゃいけない。野放しにしたら、もっとたくさんの人が不幸になる。
誰かが、止めなくちゃいけないんだ。
「俺は、みんなを助けたい」
みんなの笑顔を、守りたいんだ。
「うん……」
飛鳥は、ぎゅっと鈴を抱きしめた。
☆
飛鳥と別れ、各々の家で一度睡眠をとる。
本日は土曜日、学校はなく、午前は寝て体を休めた。そして午後現在、飛鳥と二人で鈴の部屋に集まった。
とりあえず集まってみたものの、何を話そうかと悩んでいたところ、「話がある」と女の声がした。
何事かとそちらを向くと、桜花の姿があった。
いつの間に此処に居たのかと思っていると、飛鳥も気付いていなかったようで、びくりと体を震わせている。
「前の時もそうだったけどさ、お前どうやって無断で部屋に入ってんの」
鈴が辰人の死に落ち込み、飛鳥に抱きしめられていたとき、桜花はいつの間にか隣に居た。アレは相当恥ずかしかったから、以降、二度とされまいと周囲に注意を払っていたつもりだったが、どうやら気が緩んでいたらしい。まったく気が付かなかった。
「変なことを聞く。妾の移動方法ならば、汝らも知っておろう。これだ。」
尻尾でくるくると円を描くと、桜花は曰く『門』を造りだす。
これは辰人の葬式へ行くときや、嚆矢の結界の中へ行くときに使用したものだ。
「その門って、桜花の能力に関係したものなの?」
飛鳥が問うと、桜花は否と否定した。
「いわば三次元世界とは異なる次元世界を呼び起こし、天津国へ近しい場所へと至る。天津国へ一度赴いた汝らならば理解できるだろうが、アレは地球の個であり全だ。それを利用し空間移動を可能としたのが、妾たちの呼ぶ『門』だ。」
「へぇ。そんなら、俺たちにも使えるようになるのか?」
「妾たちと同等以上の位の天児になれば、使用は可能となるだろう。この『門』は嚆矢様にも、衣にも使えるもの。深層心理へと至る者であれば使用できるはずだ。昨日の吽禍の『門』、あれもこれと原理は同じ故。」
「昨日の『門』?」
鈴はその時間、辰人との戦闘を繰り広げていた。
何の話かが分からない。
「鈴くんが辰人くんと戦っている間にね、わたしたちは殻人の侵略を阻止していたの」
「……なに?」
飛鳥と桜花から話を聞けばなるほど、どうやら吽禍が本格的に動き出したらしい。
鈴は右腕である辰人と、そして飛鳥、桜花らは吽禍の開いた『門』から流れ出してきた大量の殻人と戦っていたという。
「だからお前らもボロボロなのかよ」
「他の皆も、あり得ないほど無数の殻人を相手に奮闘していたからの。そこで、治癒のために嚆矢様の結界に汝らも呼ぼうと妾が来たわけだ。なに、今から行けば夜には動けるようになろうよ。」
では、『門』を……。
桜花がその尾で『門』を開こうとしたとき、部屋がノックされた。
「やべぇ、ウチの親だ!」
飛鳥はともかく、この得体の知れない狐が見つかるのはマズイと咄嗟に判断する。
桜花は見た目だけでいうと、どこかの風俗嬢だか怪しい店だかの店員にしか見えない。絶対に見つかるわけにはいかない。
動いた鈴は、桜花の襟首をひっつかみ、押し入れの中へ押し込んだ。
「なにをするか!」
「うるせぇ黙って言いなりになれ!」
なにやらわめく桜花の顔に枕を押し付け、押し入れをバシリと閉める。
「鈴ー」
ドアの向こうから声が聞こえる。これは母親の――美月のものだ。
「飛鳥、桜花を隠せ!」
小声で叫ぶと、なんでそんなに焦っているのかという顔をしていた飛鳥が困ったように頷いた。
本当に内容が理解できているのか不安であったが、疑う時間はない。
早めに美月に返事をしなしなければ。
ちなみに飛鳥に壊されたドアは、とうに直っている。
「えと、どうしたの母さん」
最後に尻目で桜花が押し入れから出ていないか確認した鈴は、ドアを開いた。
「鈴、お客さんが来ているわよ」
「え、客?」
「そうよ。風間晴子さん」
「お久しぶりです」
鈴が玄関へ出ると、風間晴子がそこに立っていた。
「久しぶりね、鈴くん」
互いに会釈すると、晴子は「あの時はごめんなさいね」と謝罪した。
おそらく葬式での一件の事を言っているのだろうが、その件は既に学校で謝罪されている。
「いえ、もう終わったことですし」
言うと、ありがとうと晴子は告げた。
「それで、今日此処へ来た理由なのだけれど……」
部屋へ鈴が戻ると、何故か美月が部屋の中心で正座していた。
何事かと部屋の全域を見渡せばなるほど、めちゃくちゃ服のはだけた桜花と、何故か服の乱れた飛鳥も正座している。
「えと、うん。……じゃ、俺が戻ってきたからもういいよ、母さん」
何事も無かったかのように美月を部屋から追い出そうとすると、静かに「鈴」と名前を呼ばれた。
「はい、何でしょう……」
あー、これはマズいかもしれない。なんていうか、変な誤解をされているんじゃないだろうか。頭を掻いた鈴に、見たこともない母親の笑顔が向けられた。
見たことがないのに、どこか既知感。
ああ、この顔、怒ってる時の飛鳥に似てるんだ。
「鈴、あなたがどんな女の子を好きになろうと勝手な話ではあるけれど、二人同時というのは……どうなのかしら」
「違うんだよ、これは!」
「二人とも服をはだけさせて。着物の彼女なんか胸が出ていたのよ。彼女は、玄関から入った気配もないし、いつから家に上げていたのかしら」
「だから、違うって!」
「なにがどう、違うのかしら」
「…………」
どう違うと聞かれても、なにがこう違うと誤解を解けるほど語彙がない鈴には黙り込むしかなかった。
焦りに頭が回らず、何を言えばいいのかわからない。
何がどう違うんでしょうね、ホント。けど、やましいことはなにもないんですよ……。
「とりあえず、飛鳥ちゃんに聞いてみたら、共通の知り合いだそうね。本人に聞いたら、テンコがどうとか言うのだけれど、よくわからないの。だから鈴に聞こうかと思って」
「あー……」
しばらく考えた鈴は、事実を交えながら母親に説明することにした。
「そこの狐はアレだよ。なんとかっていう魔法少女のコスプレイヤーでさ。自分は魔法が使える設定があるからって、窓から部屋に入ってくる変な奴なんだよな。あっはっは」
「伊達や酔狂ではない。鈴、汝なら知っておろう。」
桜花に睨まれた。
しかし今はそれどころではない。
「ほら、言葉遣いも違うだろ? なんていうの、行動から入る人みたいでさー」
「あら、そうなの。なら、どうして服がはだけていたの」
知らんがな。
思わず真顔になった鈴は、
「こんなオタクな知り合いがいるなんて母さんに知られるのは、なんか恥ずかしかったから、押し入れに無理やり詰め込んだときにはだけたのかも」
もうどうにでもなれと適当に言った。
桜花から殺気を感じたが、もう無視してやった。
代わり、飛鳥になんとかしろという視線を送る。
まかせて。言わんばかりに、飛鳥は手を挙げた。
「あの、服がはだけていたのはわたしのせいなんです。鈴くんが静かにさせろっていったから、黙らせようとして、それで喧嘩に……」
じろりと美月が鈴を見た。
なぁ、飛鳥。それじゃあまるで、俺が攫って来た女を見つからないよう隠した誘拐犯みたいじゃないか。
結局、桜花が二階の窓から侵入し、できれば見つかりたくないと思った鈴が押し入れにしまい込み、その過程で服がはだけたのだということになった。
美月を引かせることはできたが、「二股はよくないと思うの」と去り際に言ったあたり、誤解は解けていないようで、頭が痛くなった。
「それで、鈴。汝、何用で外へ出ていたのだ。」
美月が部屋から出た後も頭を抱える鈴に、鉄扇で仰ぎながら桜花は問う。
「ああ、辰人のとこのお母さんがな。晴子さんっていうんだけど、その人が手紙を届けてくれたんだ」
「……晴子さんが?」
辰人を死なせてしまったという後悔が残る飛鳥には、思うところがあるのだろう。飛鳥は俯いた。
「お前の分もあるぞ、飛鳥」
鈴は『水無月飛鳥へ』と書かれた手紙を差し出した。
「ありがと」
受け取った飛鳥は、その手紙を開き、すぐ読んだようで、ポケットにしまった。
鈴も自分の手紙を見てみると、「時神鈴へ」と風間辰人の文字で書いてある。
「辰人――というと、アレの眷属、右腕か。」
桜花は言いながら、鉄扇をしゃりんと鳴らす。
「まぁ、そうだな」
「何故、其奴から手紙が届けられる。其奴はアレに心を喰われていたはずだ。」
「いや、それは違う。辰人は喰われていなかった。戦っている最中、吽禍に喰われ始めたように俺には見えた」
「はっ、あの外道が心を残したまま眷属を傍に置いたというのか。汝はアレを知らぬから言えるのよ。アレは人の心を好まない、それ故にまずは心を喰らう。」
ギリっと、桜花は奥歯を噛みしめた。
衣もそうだったが、“金色夜叉”の二人は吽禍を毛嫌いしている節がある。確かに吽禍は許せない相手であるが、しかし彼女らの吽禍に対する憎悪は並みではない。
けどね桜花と、飛鳥が口をはさむ。
「ハワードは、『吽禍が人の闇を好むが故に、人が闇に落ちる姿を至高とする』と言っていたわ。『敢えて心を残すことで鈴くんと辰人くんの友情を壊させる、そのために心を残していた』とも。ハワードは、辰人くんとは既に顔を合わせていたみたいなの」
「……アレは人の闇落ちを是とするか。なるほど、それならば確かに納得できないことはないな。」
頷いた桜花は鉄扇をしゃりんと閉じ、尾を回転させて『門』を造りだした。
「まぁ、良い。まずは汝らの回復が優先であろう。」
では、我らが主の下へ征こうか。
☆
――風間辰人から時神鈴へ。
この手紙がお前の下へあるということはつまり、お前が俺を倒したということなのだろう。
まずは、ありがとう。俺は既に死んでいる人間だ。生きていてはならない。だから最後に、お前と戦って死にたかった。お前になら、命を絶たれてもいいと思った。
お前だからこそ、倒されてもいいと思った。
そして、すまない。
嫌なことはたくさん言っただろう、お前の癪に障ることばかりを言ったと思う。もしか俺を恨んでいるかもしれないが、今だけは水に流して続きを読んでほしい。
本当に、すまなかった。
鈴、この手紙を読んでいるということは既に承知だろうが、吽禍が本格的に動き出した。
アレは放置しちゃならない。必ず、お前が倒せ。お前の断罪の一矢ならば、必ず砕ける。
他の天児を何人か見てきたが、やはりお前が適任だ。お前でなければ、吽禍は倒せない。確かにお前は未熟だが、それを覆すほどの強大な神を秘めている。だから、頼む。俺に出来なかったことだが、お前になら出来るはずだ。
龍神兄弟の拳を持つ、お前ならば。
そして、吽禍を憎悪の呪縛から解き放ってやってくれ。助けてやってくれ。
確かにアイツは悪だ、看過できない悪魔だ。それでも、助けてやってくれ。
お前の拳で、その罪を償わせてやってくれ。
☆
「桜花」
「なんだ。」
門を潜る最中、鈴は問いかける。
「吽禍を倒す適任はいるか」
「妾も衣も、アレには因縁がある。が、能力の特性上、倒せぬ可能性が高い。残りの者たちにしてもそうだ。故に、汝が適任なのではないかと多くの天児が考えている。おそらく、嚆矢様も汝に吽禍打倒の命を出すことだろう。」
「……そうか」
「不安か。」
「そりゃあな。けど、俺がやるよ。嚆矢に言われなくても、俺がやるつもりでいた。俺が、吽禍を倒す。倒さなきゃ、いけないんだ」
飛鳥は何も言わなかった。
けれど、鈴に同じく、辰人の手紙を読んだ飛鳥も、なにかしら覚悟を決めたようだった。




