最高の幸せ者
朝が、訪れた。
あらゆるものが無彩色に染まった世界に、朝が訪れた。
総てを闇で包み込み、悪のはびこる夜は終わる。総てはゼロに。新たな夜明けは始まった。
悪夢は終わり、時神鈴の望む朝が訪れた。
それはきっと誰もが笑顔でいられる朝。それはきっと、誰もが幸せでいられる世界。
解かれた結界から現実世界へと戻った二人は、どこまでも優しい朝の中、結界へ入る前の教室で、静かに朝日を眺めていた。
辰人の胸には大穴が空いているが、不思議と血は流れ出ない。代わり、その肉体が少しずつ灰になって崩れていた。崩れた灰は空気に溶け、光となって消え失せる。鈴はそれに気づいていないようだが、辰人は己の命がもうすぐ消えることは察していた。
当然か、この肉体はもとは吽禍の構築したもので、現実世界に存在する物質とは異なるものなのだから。吽禍が不要と判断すれば、この身はいつでも腐って消える。
「なぁ、辰人。お前、ワザと飛鳥を泣かすっつって、俺を怒らせたろ」
暗い世界を照らし、地平線の彼方から日の出の光が見えた。
その光を見つけたと同時、鈴は辰人に問いかけてきた。
どう返事を返そうか。というか、返事を返すのも億劫だな。
しばらくだんまりを決めた辰人だったが、ため息をついて言った。
「……あぁ、そうだ。優しいお前たちの事だ。こんな身体になった俺を、なんなく受け入れたろう。でもって、こんな身体になった俺を、救おうとするだろう。それはダメだ。俺が俺じゃなくなる前に、俺は死ななきゃならなかった」
吽禍の眷属になった時点で、いつか自分が喰われることなどわかっていた。だから、鈴や飛鳥に新たな居場所を与えられたところで、辰人に生きる意志などなかった。
どうせ死ぬなら、お前の腕で。そして俺の望む未来を手に入れるために、死にたかった。
「なに、気にするなよ鈴。バチが当たったんだよ。ほんの少しでも、お前という最高の親友がいなければ、なんて思ったバチがな」
それに、俺は死んだ直後、お前を助けたことを後悔したんだ。誇ることであるハズなのに、後悔したんだ。どころか、お前が代わりに生きていることに激しく嫉妬した。だったら、これぐらいの罰は当然だろう。
「……お前、人間だよ。どうしようもないぐらい、人間だ……」
泣きそうになる鈴の肩にもたれ掛りながら、辰人は空気を和ませようと目を閉じていった。
「あーあ、最後ぐらい、飛鳥に肩貸して欲しかったよ。なのに相手は男だ、正直キモい」
これじゃあ、本当に女の子から「ホモだとは知らなかった」とか言われても仕方ない。
「うるせぇ。頭押しのけるぞお前」
「暴力はんたーい」
はははっと笑って、辰人は力なく微笑んだ。
「……ふざけんなよ」
肩を借りているためにその顔は見えないが、鈴は怒っていた。
「なに怒ってんだよ。俺はいつも、こんな感じだろ」
「勝手に、もう俺は死ぬ、みたいな顔しやがってさ。……ふざけんなよ!」
「……ふざけてないさ」
俺はもう死ぬ。もう、お前たちとはいられない。
「俺はさ、お前と、ずっと……ずっと一緒に居たいんだよ。まだまだ、お前と遊んでいたいんだよ。飛鳥も一緒に、また、これまでみたいに。だから、死ぬなよ……俺たちを……置いていくなよぉ……っ」
辰人の頭に、暖かい何かが零れ落ちた。
耐えきれなかったのか、どうやら鈴は泣いているらしい。その涙が、辰人の頭まで流れ落ちてきたようだった。
「そりゃあ、無理な相談だ」
「どうして……っ!」
「甘いんだよ、お前は。だから優しすぎるんだよ、お前は。俺は、お前を本気で殺そうとしたんだぜ。お前の不幸を一瞬だって望んだんだぜ。こりゃあ、吽禍と同じだ、だから俺は死んで当然なのさ」
「当然なわけあるかよ!」
「なぁ、俺は悪だ。お前を殺そうとしたし、飛鳥を悲しませようとした悪だ。悪は存在しない方がいいだろう?正義の味方さんよ。仕方ない、仕方ないんだよ、俺が死ぬのは、当然のことなんだ」
「だったら、どうして泣いてるんだよ、お前は!」
頬に触れると、自分の目から液体が零れていた。
ああ、泣いているのか、この俺は。
吽禍に作られた此の身体、吽禍のために作られたがために、他の必要な部分――中でも感情を強く表す涙腺なんかは存在しないと思っていたのに、俺はまだ泣けるのか。
まだ、人間らしいところが残っていたんだな。
思わず、辰人は苦笑した。
変な話だ。今まで、泣きたいなんて思ったことはない。飛鳥に振られた時でさえも涙なんて出なかったのに、今泣けることが、どうしようもなく嬉しいなんて。
「……お前が泣いてばかりいるから、もらい泣きしちまったよ」
口を開くと、鈴ほどではないにしても、涙声になっていた。
「……死ぬなよ。……辰人、なぁ、死ぬなよ……一緒にいろよ……ずっと、ずっと一緒に居ろよぉ……」
教室の床に、ぽろぽろと雫が零れている。
お前泣きすぎだろって思うけれど、鈴の肩も自分の涙でなかなかに濡れていた。
あんま人の事言えないな、これじゃ。
「……ゴメンな、鈴。俺、先にいくわ」
既にその左腕は存在せず、また右手までもが消えかけているのがわかる。
感覚はとうに無く、この肉体はもう終わるのだと分かった。
それでも。死ぬと分かっているにもかかわらず、この心だけは何処までも穏やかで安らいでいる。
それはきっと、お前が隣に居るからなんだな、鈴。お前が隣に居てくれて、お前が俺の死を悲しんでくれて、お前が俺の死を、文句言いながらもなんだかんだ看取ってくれるって、知っているから。
「最後に、一生のお願い、聞いてもらっていいか?」
なんだよ、言ってみろ。言おうとしたのだろうが、呂律が上手く回らなかったのか、無言になった。
恥ずかしくなったのかそれ以上何も言おうとしなかったが、辰人はそれを無言の肯定と受け取った。
「飛鳥を、幸せにしてやってくれ」
それは俺の心からの願いだ。
俺では幸せにできないから、代わりにお前が幸せにしてやってくれ。お前なら飛鳥を任せられる、お前ならきっと、飛鳥の笑顔を絶やさずいてくれるから。
「最後の最後で、好きな女の心配かよ……優しすぎるんだよ、お前……」
「お前ほどじゃあないさ」
俺は、お前ほど優しくなれないよ。
お前みたいにみんなの幸せなんて願えない。だから、好きなヤツの幸せぐらいは願える人間じゃないと、きっとお前の親友だなんて胸張ってあの世にだっていけないよ。
「ところで、返事は。親友の一生のお願い、聞いてくんないのかな、時神クンは」
「……安心しろ。飛鳥の笑顔は、絶対に守る」
「ハッ、流石正義の味方様だね。いっちょ前に臭ぇセリフ吐きやがるわ」
「ほっとけ」
ははっと笑う辰人だったが、けれど安心せずにはいられない。
それは俺とお前がいつか誓った約束だから。俺とお前が龍神兄弟であることのあかしだから。
飛鳥の笑顔は、消えることのない、俺とお前の絆だから。
「……なぁ、鈴」
「………なんだよ」
「もう一つだけ、一生のお願いいいか?」
「……言ってみろ」
二回目かよ、とでも文句を言いたげな口ぶりだったが、鈴、お前ならちゃんと聞いてくれるよな。
「お前も、幸せになれよ」
「――ッ!」
何かを深く噛みしめて、鈴は溢れる思いを押さえつけた。
なんだ、また泣くのかよ、こいつは。笑う辰人だったが、自分の視界も涙に濡れてぼやけている辺り、俺ってこんなに泣き虫だったのかと思う。
「バッカ野郎ぉ……ッ!」
「……何度も聞かせるなよ。返事は?」
「……ああ、なってやるよ。お前の分も、幸せになってやるよ!お前は、天国で指でも加えて羨ましがってるがいいさ、クソメガネッ!」
「ははっ、そりゃ楽しみだな」
「あぁ、楽しみにしてろよ!お前が羨む毎日を過ごしてやるからな!お前は血の涙を流して、俺を妬みやがれ!俺に幸せになれっつったこと、後悔させてやるからな!そんで、そんで――」
一気にまくし立てようとする鈴の口を、辰人は消えかかった右手で塞いだ。
「……悪いな、もう……意識が……」
なぁ、鈴。これだけは最後に言わせてくれよ。聞いてくれよ。お願いとかそういうんじゃなくて、最後の最後の独り言だ。
俺と友達になってくれて、ありがとう。
俺を尊敬してくれて、ありがとう。
俺を半身だとか、最高の親友だとか思ってくれて、ありがとう。
飛鳥を守るって誓いをしてくれて、ありがとう。
本当に、感謝してもしきれないぐらいに助けてくれた。俺の背中を叩いてくれた。俺に希望を与えてくれた。つまらない毎日を打ち壊してくれたし、俺に充実した日々を与えてくれた。それは全部お前がいたからで、お前がいなかったらこんな日々は絶対にありえなかったと言い切れるよ。
――だから。
「あり、が……とう……」
ありがとう、本当に、ありがとう。何度言っても足りないくらい、ありがとう。
じゃあな、鈴。
お前と出会えてよかった。
お前と親友になれてよかった。
飛鳥にもよろしくな。
お前らと出会えたんだから、俺はきっと、最高の幸せ者だったのさ。
ここで一端区切りがつきました。
残るは吽禍との最終決戦。何故、吽禍は時神鈴に対して、一瞬とはいえ強い憎悪を抱いたのか。何故、吽禍はタタリ神となったのか。
二度親友を失った鈴は、その憎悪に囚われずに吽禍と戦うことが出来るのか。
風間辰人の描く脚本は、どういった結末を迎えるのか。彼のいう『あの子』とは誰なのか。
楽しみにしていただいている皆さま、ストックが尽きましたので次の話までしばしお待ちください。




