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時神鈴の夜―過去編『アストロメリア』  作者: 九尾
タタリノハジマリ
32/65

“脇役”と“逃避”

 ――ほぼ同時刻。

 時神鈴が風間辰人との死闘を繰り広げている最中、高天原では新たな殺し合いが始まろうとしていた。

「あー、なんだ。流石にこの数はなかなか驚きだな」

 巨体が肩を竦めると、口に咥えた葉巻からはらりと灰が零れ落ちた。

 男が見つめるのは、空に開いた巨大な門。古代の城にみるような巨大な門。

 この門は災厄――吽禍の造りだしたもので、いわゆる吽禍の住む深層意識から、この現実世界へ渡るための架け橋だ。しかしこれほど巨大な架け橋であるというのに、所狭しと人外どもが互いを押しのけあい、この高天原に迫ろうとしている。

 それら異形の目的は一つ、この高天原を犯し、かつて偉大な神の造りだした結界の核を破壊すること。そして、結界を破壊し、全世界にこの現実世界へ渡るための門を吽禍が造りだせるようにするために。

 どのみち地球総てを喰らうのならば、天児が多く存在する高天原は通らなければならぬ道。そう考えた吽禍は、ならばまずは高天原を落とすべきだと考えたのだろう。方法としては、世界を犯した後に高天原を落とすことが理想に思えるがしかし、流石は害蟲のタタリ、己が欲しいものを第一に狙ってきたのだろうか。否、もしか、吽禍は天児を障害とすら思っていないのかもしれない。

 群れとなって異なる次元の壁から押し寄せる無数の化け物たち。身体の何処かにはいづれもツギハギのようなものがあり、それらの姿はまさに死霊。迫る様はまさに害蟲の進撃、農作物を荒らす雲霞(ウンカ)の群れ。

 その数――少なく見積もっても数千といったところか。

 貴様らの愛を寄越せ。情を寄越せ。余さず喰らってやるからそこに居ろ。抵抗など無駄意味がない。さぁ喰らわせろ、総てをなくして殺し合え。

「……なるほど、タタリとはよく言ったもんだ」

 これほどの数が迫ってきては、正直どうしたもこうしたもあったものでは無い。総てが荒らされ無に消える。

 この地球には平将門だとか、菅原道真だといったタタリ神というものが存在するが、なるほど、この吽禍はそのタタリの比ではない。あれらタタリ神も疫病を流行らせるだの雷を落とすだのと、多くの人間を殺す力を持ち、社会問題と化した。ああ、確かに恐るべき相手だよ。

 だが――この吽禍は規模が違う。

 社会問題、なんだそれは。その言葉が生まれる前に、この地球は喰われ荒らされ総てが消えるだろうが。

 雷、疫病、飢饉に害蟲。この日本においても御霊信仰なるものが存在し、その荒御魂を鎮める儀が存在するが、その儀など執り行っている暇などそもそも与えられない。

 門より進行するこの害蟲は、一匹一匹が人を十人は数秒で殺せる力を持つ。それが幾千と同時になだれ込む。移動距離などを考えても、単純計算で一時間もしないうちに主要都市が一つ以上は滅ぶだろう。そんな害蟲共が全世界各地に現れてもみろ、成す術もなくこの星は蹂躙され、この蒼い星は血に染まる。

 皆がこのタタリ神を恐れていた理由も頷けるものだ。そして納得する。今まで幾つもの文明を星ごと滅してきたわけだ。

 それだけの力が、暴食の崇り率いる軍勢には存在する。

 ならば一体、暴食の崇り本体である吽禍の実力は如何なものか。ああ、考えるだけおぞましい。

「それでも……」

 例え勝てないと知っていても、例え他の総てが死を受け入れようとも、人類のため、この星のため、足掻くのが俺たち天児の、“天神”の仕事だ。

 ならばやることは決まっている。

「俺らの“明星”が光を放つ限り、俺らは絶対に終わらない」

 葉巻を指に挟んで胸の前にかざした巨漢は、その右手で火を消し、ポケットより取り出したコンビニ袋に放り込む。

 一人でもはや勝ち目がないほどの、数の暴力ともいえる軍勢に立ち向かおうとしている巨漢――アーヴァン=ゲーテンブルグの背中に、声がかかる。

「阿呆だな。あの軍勢に一人で挑むつもりか」

 背後に立っていたのは、黒いスーツの男。痩せ細り、顔色も悪いが、それが彼にとってのデフォルトだ、今更指摘はしない。

「なんだ、オーガスト。お前もいたのか」

 大日本帝国異常災害特別対策機関“天神”、第一級災害直接殲滅活動部隊“草枕”所属、オーガスト・ステファン・カヴァデールである。

「いくら此方の影が薄いからと、あまり仲間外れにしれくれるなよ」

 普段寡黙な男であるが、今日はいつにも増して良く喋る。それはつまり、誰かと話していなければこれほどの敵を眼前にやっていられない、ということであろうか。

 ――否、それはないか。

 能力の特性上、オーガストを倒すことのできるのは嚆矢、そして吽禍らのように、普遍的無意識の底に単独で至ることが可能である者たち――すなわち神の領域へ至った者のみである。

 逆にいえば、普遍的無意識の底へと至った者と戦った場合には、必ずといえるほどオーガストに勝ち目はない。がしかし、そこに至れぬ敵が相手では、ダメージ一つ負うこともない。例え天児最強の腕力を誇るアーヴァンであろうと、相方のハワードであろうと、現状天児最強の戦力と謳われる金色夜叉であろうとも、彼にかすり傷を一つ負わせることは不可能である。

 時神鈴との戦いでは負傷したが、それは慢心とハワードへの配慮、そして時神鈴の特性ありきの結果である。眼前に無数に迫る害蟲共――殻人相手では、当然油断も慢心もない。そして相方のハワードがいないため、配慮する者も他にはいない。そして時神鈴のように速度を生業とする輩も存在しない。故に、この戦場に於いてオーガストには傷一つ負わせることは何人たりとも不可能だ。

「仲間外れにするなってことはつまり、お前が背中を守ってくれるのかい」

「ああ、いいだろう。此方一人では負けぬとはいえ、火力に欠ける。今回の作戦目的はあれらの殲滅ではなく、進行の阻止だ。であるなら、アーヴァン。お前の腕を振う時だろう」

 それに、この状況はお前にとって最高の舞台であろうから。

 背中は案ずるな、此方が守る。故にお前は(かいな)を振え。我らで殻人を一匹残らず駆逐する。一匹として、高天原には行かせない。

「まさか、お前が俺の背中を守る日が来るとはな」

「不本意であるが、仕方ない。我儘を言えるような状況でもないだろう」

 タタリは始まった。

 今までちまちまと人を襲っていた醜悪の災禍は動き出し、総てを喰らわんと動き出す。

 喰らわせない。守りきる。例えどれほどの困難が待ち受けようと、必ずそれを乗り越えて見せる。それがきっと、力を与えられた我らの役割だから。例え辛くても、苦しくても、乗り越えられない試練を神は与えない。であれば、神の期待を受けた我々のすべきことはただ一つ。

 その試練を乗り越えるのみ。

 吽禍の右腕――風間辰人と戦闘を繰り広げている後輩がいる。その右腕を倒すのが時神鈴(しゅやく)の役割ならば、彼と彼の戦いに水を差しかねない亡者を食い止めるのが我らの仕事。であるなら、(わきやく)がどうすべきかなどは今更問うようなものでもない。

「テメェら残らず此処で落とす。ただの一匹も通さねぇ」

「いいぞ、アーヴァン。その意気だ」

「お前もなんか吠えてみろよ、オーガスト」

「ガラではないので止めておこう。しかし、これだけは言っておく。此方も、お前と変わらぬ気持ちであるよ」

 己にとっての最高の役回りを与えられた巨漢――アーヴァン=ゲーテンブルグは、静かに祝詞を口ずさむ。

「――掛けまくも畏き大殿籠る御霊に恐み恐み申さく。蒙り奉る御神徳を仰ぎ奉る我、今し御前に参上り来て、清き心を振り起こし、この身を捧げ奉り拝み奉る――」

 覚悟しやがれよ、吽禍の眷属。俺の拳はちっとばかり響くぜ。

「平けく聞こしめして、『此の身をうとび疎び来む物を障る(かいな)へと成したらしめ給へ』と、恐み恐み申す――」

 見せてやるよ、天児最強の腕力ってやつを。

 来たれ、業天“腕岳(わんがく)”。

 己の鎧を身に纏った彼は、高らかに、そして誇り高く宣言する。

「始めようじゃねぇか、塵屑ども。“明星”が吽禍の右腕とタイマン張ってんだ、ならば野暮な真似をさせないのが――テメェらを葬り去るのが、俺らの仕事だ」

 俺は主役ではない。けれど、主役を引き立たせることこそが俺の役割だから。

 空に開いた門を巨大な結界に閉じ込めたアーヴァンは、今こそ己の腕を振るう時だと拳を握る。

 モノクロ世界。その異なる空間に閉じ込められた亡者たちは、何事かと周囲を見回すが、やがてアーヴァンとオーガストをその瞳で捉えた。

 行くぜ、化け物共。この地は絶対に渡さない。

「なぁ。そうだろう、オーガスト」

「然り。では征こうかアーヴァン――我らは我らの戦場へ」

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