表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時神鈴の夜―過去編『アストロメリア』  作者: 九尾
タタリノハジマリ
31/65

崩レル友情、ヒビ入ル愛

「よう、よく此処が分かったな」

 深夜の学校。二人が所属したクラスの教室。日付が変わり、誰もが寝静まる時刻に、二人の少年は再会を果たした。

 片や、正義の味方を志す少年。彼は誰もが幸せになれる世界を求め、強さを求める。

 片や、正義の味方を志した少年。彼は己の幸せになれる世界を求め、強さを求める。

 どちらも強さを求めるものであるのに、なぜこうも違うのか。

「久しぶりだな、辰人」

 教室へたどり着いた少年は、窓の外に輝いた満月を見上げていた。思えば、目の前の彼が死んだときも、これ以上ないほどの綺麗な満月の日であったと思い出す。

「待っていたよ、鈴」

 朝、下駄箱に入れられていた手紙。その文字を見て、時神鈴は一人の少年を連想した。いつもノートを見せてもらっていたためによくわかる、間違いなく風間辰人の文字だった。

「俺は、お前を待っていた」

 柔らかに微笑むその表情は、まさに生きていた頃の風間辰人、その人であった。

 何も変わらない。いつものようにふんわりとした髪に、トレードマークであるメガネ。知的な顔に、朗らかな話し方。なにも、変わらない。

 けれど、だからこそ鈴は問わずにはいられない。

「なぁ、辰人。お前は、本当に辰人なのか」

「変わらずおかしなことを聞くよな、お前は。……ああそうとも、俺は辰人だ。風間辰人、お前の相棒だよ」

「なら、どうして……」

 辰人は死んだ。鈴の目の前で死んだ。それがどうして此処に立って、鈴と会話しているのか。

「どうして此処に居るのかって?簡単な話だ、蘇ったのさ。それだけだ」

「一体、どうやって蘇った」

「吽禍、ってヤツがいてな。そいつはどうも、いたく俺のことを気に入ったらしい。そいつが俺に命をくれたのさ」

 やはり、辰人を蘇らえらせたのは吽禍。

 衣が嫌悪するほど醜悪で、この地球を犯そうとする悪魔と聞いているが、しかしどうしてそれが辰人を蘇らせる。そこが、鈴にはどうしてもわからない。

「なんで吽禍が俺を選んだのか疑問に思っている顔だな」

 笑った辰人は、仕方ないといつもの調子で話し始める。

「吽禍ってのは、人の不幸が好物だ。固い絆であればあるほど、それが壊れる様を見ることに快感を覚えているのさ。家族、恋人、親友……多くの絆の形があるが、それらを壊したくて仕方ないらしい。だから俺が選ばれた」

 ああなるほど、吽禍が最悪なクソ野郎だってことは理解できた。けれど、それで何故辰人が選ばれたのかが分からない。

 鈴と辰人は親友だ。互いが互いの半身で、互いが互いの欠点を補うことで完璧ともいえる存在になる。それが、龍神兄弟。どちらが欠けても不完全といえるほど、固い絆で結ばれている。それが壊れるなどと、鈴は欠片も思わない。

 だからこそ、辰人は告げるのだ。

「俺は、お前が憎くて堪らないんだよ、鈴」

 告げると同時、辰人は結界“空繰”を構築。世界は灰色に染まった。

 この結界は、辰人の意思表示。これからは時神鈴と風間辰人ではなく、神の魂を宿す者と崇りの眷属として向かい合おうという意思表示。

「結界――?」

 辰人は今や、タタリ神とはいえ神の眷属、神の力を分け与えられた存在だ。肉体構造云々はともかくとして、その能力は天児と比べてもそう大差はなく、故にこの結界。

 隔離された鈴はしかし、辰人と戦うという情景が思い描けずに戸惑ってしまう。

「俺はな、お前がずっと羨ましかった。あわよくばお前になれたらと思うほど、お前に憧れていた」

 けれど、俺の願いは叶わない。

 だから、死んでくれよ。俺のために、死んでくれよと、辰人は言った。

「だって、これが普通だろ。お前を助けるために俺は死んだ。お前は本来死んでいたんだよ。つまり、俺が蘇りお前が死んでこそ、俺の新たな生は真の産声をあげることが出来るのさ」

「何を、言ってるんだ……」

 こいつは、誰だ。

 辰人は鈴の半身だ。二人はいつも同じ気持ちで、感情を共有しているんじゃないかと思うほど息ぴったりで、片方の常識はもう片方の常識なんじゃないかと錯覚することもあった。

 なのに、そんな辰人がどうして鈴に敵意を向けているのか。それが鈴にはまるで分らない。

「ほら、纏えよ業天を。纏わないなら、容赦なく殺すぜ」

 一歩。また一歩と辰人は鈴との距離を詰めて来る。

 空に昇る満月は変わらず二人を照らすが、しかし嘲笑っているかのようだった。

 ――崩れる友情、ヒビ入る愛。血に塗れた貴様らがこれまで築いてきた大切なものを自ら捨てるその様を、このおれの前で見せておくれよ。さぁ始めろ、塵屑同士喰らい合え。自ら愛を壊しておくれ。

 赤い瞳は笑う。そう、それでいい。それこそがおれの求めたものであると。

「どうして、どうしてだよ辰人!どうして俺たちが……」

 鈴の悲痛の叫びも、辰人の胸には届かない。

 いや、そもそも鈴の言葉などは辰人に届いてなどいなかったのかもしれない。辰人にとって、鈴はその程度の存在であったのかもしれない。

「俺は約束したのさ、最高の舞台を見せてやると。それだけだ」

「俺は、お前と戦いたくないよ……」

「だけど、俺はお前を殺したい」

 一歩距離を詰める辰人に、思わず鈴は一歩退いた。

「なら、なんでお前は俺を助けたんだよ……」

「さぁな、俺にもわからん。ただ、お前が死んで、飛鳥が傷つくのは嫌だと思ったんだろ」

「飛鳥は、お前が居なくなっても、悲しんでたよ」

 飛鳥はきっと、鈴以上に苦しんだハズだ。鈴とは違って辰人を守る力があった。それでありながら鈴と辰人の隣にいたのだから、辰人の変化にも気付けたのではないかと、何度も何度も自分を責めただろう。

 しかし辰人は、冷静に「俺とお前では飛鳥の悲しみの度合いは違うだろう」と告げた。

「そんなことは――」

「そんなこと、あるんだよ。まさかお前、まだ気付いていないのか?」

 辰人の問いに、鈴は何を言っているのかわからないという顔をする。

 自然と拳が強く握られた。いつも冷静であろうとしていた辰人だったが、しかし冷静を保てない。悔しさと、惨めさとが胸に渦巻く。どう足掻いても届かない輝きに、身を焼かれるような思いだった。

「どうして、お前なんだ。どうして俺は選ばれない」

 わかっていた。

 飛鳥は、鈴の人柄に惹かれていたのだと。鈴の、どうしようもなく子供のようなところに惹かれていた。鈴の曇りない笑顔に、彼女は惹かれていた。そしてなにより、人のために本気になれる鈴に、どうしようなく惹かれていたのだと。

 全部全部、わかっていた。

 どれだけ努力したところで、辰人は鈴になれやしない。

 ならば。それならば――。

「――壊してやるよ」

「……なにを?」

 辰人の不吉な言葉に、鈴は顔をしかめた。

「総てだよ。全部、全部――全部全部全部!お前の総てを、壊してやるよ!」

「一体、なんの意味が――」

「意味なんてねぇよ。ただ、気に入らないから壊す。思い通りにならないから壊す。なにより憎いから、ぶち壊す」

「そんな子供みたいなことが、許されると思うのかよ、お前……」

「許されるね。俺はガキだからな。身も、心も。ただ好きな人の幸せを望むなんて、俺には出来ない。俺だって一人の人間だ。幸せになる権利ぐらいあるハズだ、ないワケがない、否!なければ、ならない」

 彼女の笑顔が離れない。彼女の声が離れない。彼女のやさしい匂いが、彼女のほのかに暖かい体温が、全部全部、まるで書き換えられないCDのように焼き付いている。

 どれだけ上書きを重ねようとしても、それができないから、彼のCDに焼き付いているのは結局、もとの曲のまま。好きになった人は変えられない。だからどうしたって忘れることはできなくて、いつでもその子のことを考えてしまう。

 自分なんかじゃ、彼女に釣り合わない。どれだけ努力しても、自分では彼女に相応しい男にはなれない。そう思うのに、彼女へ想いは変えられない。

 自分は彼女が好きだ。けれど自分を残して彼女だけが幸せになれる世界がどうしても許せなかった。どうしても、許容できなかった。

 ああ、エゴだ。自分はエゴにまみれている。どうしたって、自分は自分以外の何かになることは叶わなくて、自分の限界に気付いてしまったが故に、救われない。

 汚い人間だ。本当に自分は、汚い人間だ。

 見ろよ吽禍。笑えよ吽禍。これが俺だ、風間辰人という人間なんだ。お前が見たかった俺の結論だ、本性だ。お前の大好きな、周りに不幸しかばら撒かない害蟲なんだ。

「俺は、幸せになりたかった」

 呟く辰人に、でもと鈴は言う。

「俺は、幸せだったよ。お前がいて、飛鳥がいて。みんなで勉強して、ふざけて、遊んで、バカやって、怒られて。そんな、そんな……ありきたりだったけど、毎日楽しかった。毎日、幸せだった。ずっと続けばいいと思ってた。……お前は、違ったのかよ」

「幸せだったさ、あぁ、幸せだったとも。だが、それと同じだけ、不幸でもあった」

「なんで――」

「お前には、わからない。好きな女に振り向かれないとわかっていながら、いつまでも一緒に笑いあう苦しみは、お前には絶対わからない」

「それは……わからないけど」

「俺は最高の幸せ者でありながら、最高の不幸者だったのさ。だから、世界を愛する。だから、世界を憎む」

 そんな辰人の本心が、鈴にはまるで理解できない。

 ああ、そうだろうな、辰人は歯噛みした。彼の想いは、みんなが幸せになれると本気で信じて疑わない時神鈴には、絶対に理解などできやしない。

「知ってるか。愛の対義語は怒りや憎しみじゃない。無関心なんだ。ならば俺ほど、世界に関心を持っていた人間もそうそういないだろう。……ハハッ、まだ二〇にもならないガキが何を言ってるんだって話だよな。でもよ、それだけ愛していたってことさ。世界も、お前たちも」

「なら――」

 愛していたのなら、どうして壊す。

 鈴の問いを遮って、辰人は呟いた。

「それ以上に憎んでいたのさ。世界も、お前たちも」

 だから辰人は世界を壊す。

 世界を愛しすぎたが故に。

 世界を憎みすぎたが故に。

 さぁ、総てを壊そう。もう愛など知りたくない。もう憎しみなど知りたくない。こんな世界は壊れてしまえばいい。中途半端な幸せは手に入っても、自分の願う幸せにはどう足掻いても届かない。これはなんという不平等。――だから壊す。総てを壊す。誰もが今この瞬間に死ぬというのなら、ああこれはなんという平等だ。

 皆が不幸()という共通した事象を被ることで、この世界はようやく平等を掲げることが出来るのだ。

 では手始めに、自分は何を壊す?

 ああ、それこそ愚問、決まっている。

 いつか考えた物事を、辰人は語る。

「まずはお前の身体を壊す。安心しろ、まだ殺しはしないさ。そうだな……敢えて生かしておいて、お前の前で飛鳥を犯すとかどうだろうな」

 ピクリと、鈴の眉間が動いたことを辰人は見逃さない。

「お前、今なんつった」

「ああ、わからなかったか。なら懇切丁寧に説明してやるよ。飛鳥が嘆き、悶え、苦しむ様を見ながら、芋虫のように這い蹲りつつ、歯ぎしりでもして悔しがるお前を見たいと言ったのさ」

「――っけんなよ」

「あ?」

「ざっけんなよッ、辰人ぁあああああああァアアアアアッ!」

 瞬間、業天“白煌”を身に纏い、常人には知覚すらできない光のような速度で、鈴の拳が飛んできた。

 速い、確かに速いが、今の辰人も既に人の身に非ず。

 鈴と同等の速度で拳を突き出し、互いの拳が激しく激突する。

 辰人が想像した以上に鈴の拳は速く、また鋭い。互いの拳が教室という狭い空間の中で激突したことによって発生した爆風は収まることを知らず、教室内総てのガラスを突き破る。

 鈴が話題に食いついた。ここぞとばかりに、辰人は鈴の怒りを沸騰させる。

「嫌がる飛鳥を無理矢理犯す。その光景を、動けないお前に見せてやると言った。優しくする気は毛頭ないから、きっと飛鳥は嫌だと痛いと泣き叫ぶだろうな。力みすぎて、腕やら足やらも千切れちまうかもしれん」

「お前、好きだった女を泣かせるのか」

 鈴の拳に、更なる力がかかる。あまりの力に、辰人の肉体はわずかに後方へ下がった。

 しかし、辰人は怯まない。

「あぁ、泣かせるね。苦しませるね。だが、勘違いするなよ。人間様には、そういう愛し方もあると言うことだ」

「――人間じゃねぇ」

 ぼそりと、鈴が言う。

 人間とは、精神によって生きる動物だ。

 精神によって自我を保ち、精神によって考え、精神によって行動するか否かを判断する。

 人間にとって最も大切とするべきものは、金でもなく、権力でもなく、精神である。精神の中に存在する、欲望を抑えるための理性である。

 その理性を失った人間は、もはや人ではない。

 獣である。畜生である。本能の赴くままに活動する、野蛮な怪物である。

「人間じゃねぇッ!」

 ああ、こいつは既に人間じゃない。風間辰人という皮をかぶった、悪魔の眷属。

 辰人ならば飛鳥を泣かせない。辰人ならば飛鳥を悲しませない。

 かつて、共に彼女を守ると誓った。共に彼女を笑顔にすると誓った。例え辰人の心を持っているとしても、その誓いを忘れてしまったお前は既に、風間辰人ではない。あの日の誓いだけは、例えお前本人でも侮辱することは許さない。だから、必ず止める。お前の友として、お前の親友として、半身として、俺が、必ずお前を止めてやる。

 助けてやるよ――その悪魔の呪縛から。

「ハッ、人間じゃない?あぁそうさ俺は人間じゃない、今頃気づいたのか馬鹿が。この身は既に、人成らざる化物だ!この心は既に、悪魔に喰い潰された抜け殻だ!」

 返せよ、辰人を。返せよ、俺の親友を。俺の尊敬するアイツの顔で、ふざけたこと抜かしてんじゃねぇぞ悪魔、てめぇぶち殺すぞッ。

「風間辰人ッ!お前はもう――人間じゃねぇえええええエエェッ!」

「気付くのが遅ぇんだよォッ!正義の味方ぁあああああアアァッ!」


        ☆


「ぐッ、けひゃッ――げひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃッ!」

 下卑た笑いが、その暗闇に響いた。

 その空間にいる他の者たちに心はないため何故主が腹を抱えているのか理解ができないがしかし、ひどく醜い出来事が行われているのであると深い意識の何処かで理解し、彼らは無関心を貫いた。

 彼らの主は、止まらない。

 止まらない、止まらない、なんだこれはふざけるなよ笑いがどうにも止まらない。面白い、面白すぎるだろうあいつらは。

 何が友情だ笑わせるなよ塵ども、見ろよこの様を、己の半身を自称していた親友同士が殺し合っているではないか。

 ほんの数か月前まで二人で一人であると信じて疑わなかった少年たち。であるのに、互いに罵倒し、殺意を抱き、見事始まったのは人の域を超えた殺し合い。

 家族を超え、恋人を超え、あらゆる絆の頂点ともいえるまでの友情を信じて疑わなかったあの二人、しかし少し心を喰らってやればどうだ、すぐさま殺し合いが始まった。

 醜い嫉妬、醜い信頼、醜い誓いに醜い願い。素晴らしい、素晴らしいぞ風間辰人。お前を眷属にしてよかった、お前の感情を喰わずに残してよかった。いいぞ、最高の舞台だ。舞えや踊れや、より一層おれを楽しませてみせろ、笑顔にさせてみろ。

 最高の友情が壊れる様を、ソレは人の不幸が美味いとただ笑う。

 故に畜生。故に外道。地獄の鬼より醜悪で、殺戮機械よりも残忍だ。この世の如何なる言葉を持ってしても表現しきれる言葉はなく、故に醜悪の災禍。どこまでも純粋に、どこまでも際限なく、人の愛が壊れゆく様を笑い貪る姿はさながら暴食の崇り。

 人畜無害という言葉の対象になり得る、万象有害とでもいうべき存在だ。

 人の不幸は蜜の味とはいうが、吽禍ほどその言葉に意味を持たせる存在はそういない。

 他人の不幸がなにより美味い。お前らの絶望が甘くて甘くてたまらない。三度の飯より他人の不幸、さぁ貴様ら、泣けよ喚けよ、おれに新たな甘美を与えておくれ。

 人の恐怖が美味い。その恐怖に引き攣った顔でおれの空腹を満たしておくれ。

 人の絶望が美味い。愛するものを殺したくないと泣き叫びながら、お前のその手で殺すところを見せておくれ。

「この様はまさに崩れる友情。そしてヒビ入る愛」

 血に塗れた貴様らがこれまで築いてきた大切なものを自ら捨てるその様を、このおれの前で見せておくれよ。さぁ始めろ、塵屑同士喰らい合え。自ら愛を壊しておくれ。


        ☆


 机が吹き飛ぶ。椅子が窓の外へ落下し、黒板も壁も構わず突き破って、両者の戦闘は一瞬ごとに、より激しさを増した攻防へと加速する。

 殴った、殴られた、蹴った、避けられた。拳と拳がぶつかり、蹴りと蹴りが交差し、互いが互いを排斥せんと猛攻を繰り返す。

「思えば、俺たち龍神兄弟は高天原で最強だったな」

 体が休まらない中で、辰人はやはり冷静に言う。

「ああ、最強だ。俺たちは、今でも最強だ」

 対する鈴は怒りが含まれた言い方であるがしかし、その心は驚くほど凪いでいる。

「けど、これは考えたことはなかったよな。最強の二人が戦ったとき、どちらが勝つのか」

 どちらが、本当の最強なのか。

 知能では辰人、運動面では鈴。確実に決まりきっていた力関係だが、今ではその関係に何の意味もない。

 天津国へ至り、意図せぬところで多くの知識を手に入れることとなった鈴。

 悪魔の眷属となり、人を超えた肉体を手に入れることとなった辰人。

 だが二者とも、その結果は議論にすらならないと、心の内で確信している。

「決まってんだろ」

 常に喧嘩してきた俺からしてみれば、お前の動きなど所詮は初心者同然。衣にしごかれてきた俺を舐めんじゃねぇぞ。だから――。

「ハッ、そりゃそうか」

 もともと、頭のアドバンテージは此方にある。そしてこの肉体を手に入れた以上、俺に余計な肉体は必要ない。故に――。


「「――勝つのは俺だァッ!」」


 同時に拳を繰り出し、互いの顔面を粉砕せんと最高の一撃が叩き込まれる。

 出すも同時、威力も同じ。今まで見たこともないほど見事なクロスカウンターが互いに決まり、双方は頭から吹き飛んだ。

 辰人に掛けられていたメガネは既に吹き飛び、跡形もなく砕かれたが、今の辰人に支障はない。例え目を潰されようが、五感総てがイカレようが、第六感だけでも鈴と戦える自信があった。

 それはなにも、彼我の差が圧倒的なものであるからということでは断じてない。

 鈴の速度はもはや音速を超え、光速にまで迫っている。また辰人も、鈴と同等レベルの速度で交戦しており、その攻撃力もほぼ同等である。であるのに、辰人は負ける気がしなかった。それはおそらく、鈴にとっても同じだ。

 速度は同じ、攻撃力も同じ、だけれど絶対に負ける気がしない。

 これは俗にいう、フロー状態というものだ。フロー状態とはゾーン状態とも呼ばれるもので、極限にまで集中力が高められ、本来の実力、もしくは本来の実力以上の力を発揮することが出来る状態であるという。

 その極限の戦闘の中で、辰人は笑い出した。

「楽しい!楽しいな!なぁ、鈴ッ!」

 後方へ吹き飛んだ後、すぐに体制を整え鈴に向かうが、やはり鈴も辰人の動き読んでいた。

 空気でわかる、感覚で察知する。次はこう、そしてこう動くだろうと推測できる相手の動き。

 もはや未来予知ともいえる速度と精度でそれらを推測し、彼らは再び超高速の肉弾戦を展開する。

「楽しくねぇ!ぜんっぜん楽しくねぇよッ!」

 辰人の造りだしたこの結界。初めは日常風景と大差ないものであったが、今ではただの荒れ地である。

 教室という教室は破壊され、椅子や机などは瓦礫のように積み重なっている。校舎はまるで大地震にでも襲われたかのように断裂し、グラウンドは既に月面が如くクレーターだらけになっている。

 自分たちの学び舎が、自分たちの殺し合いによって破壊されている。その情景はまるで、今の自分たちをそのまま体現したものだと鈴は思った。

 かつて存在していた幸福な日々の象徴である学校は、もう戻らない。代わり、破壊がそこにもたらされていく。その様に鈴は、二度と戻らない辰人との友情を嫌でも重ねてしまう。

 どうしてこうなった。どうして俺とお前が殺し合わなくちゃならない。本来俺とお前が倒すべきは、あの悪魔だろう。災厄を振りまく崇りだろう。なのになんだって、お前はあいつの味方をする。間接的とはいえ、お前を殺したのはアイツだ。そして、今この地球を襲う脅威もソイツだ。ならば、力を貸せよ。俺とお前は最強無敗の龍神兄弟だろうが。

 力の差だとか、そういうのは関係ないだろう。俺とお前の二人ならば、龍神兄弟ならば、例え吽禍だって倒せるはずなんだ。飛鳥の笑顔を、みんなの世界を、守れるハズなんだ。

 ――正義の味方に、なれるハズなんだ。

 しかしそんな鈴の思いとは裏腹に、辰人は「楽しい」と笑い続ける。

「親友同士殺し合って、何が楽しいってんだッ!」

「こうして、本気でぶつかり合えることが楽しい!互いの本音をさらけ出し、互いの総てをさらけ出し、文字通り命張って殺し合ってるこの今が!ああ、俺は確かに愛している!お前を愛している!飛鳥を愛している!俺は、世界を確かに愛している!」

「歪んでんだよ、お前の愛は!どうしようもないぐらい、歪みすぎてんだよ!」

「恋も知らない、好きという感情も知らない。人を愛したこともないやつが、よくも偉そうに愛を語れるもんだな!えぇ、鈴ッ!これだからてめぇはいつまでたっても理想バカなんだよ!」

 好きだから大切にする。愛しているから守りきる。そんな道理が通るなら、人の世に殺人などあり得ない。

 恋人を奪われた。彼氏に振られた。浮気をされた。時として人の愛は憎しみとなる。

 光と闇。表裏一体の関係性は、愛と憎しみにも当てはまる。

 愛の対極に位置するものは無関心、これらが一転することは難しい。がしかし、愛と憎しみは、時として瞬く間に入れ替わるものだ。

「信じれば叶う?ハッ、いつまでも夢見てんじゃねぇぞ、理想主義のちんけな腐れ脳みそでよォッ!」

 辰人の拳が鈴の顔面を強打する。倒れこみそうになる鈴だったがすんでのところでとどまり、拳を握る。

「わかってんだよ、俺が甘いことぐらい!理想バッカほざいてる、ガキだって事ぐらい!」

 握ったその拳で、辰人の顔面を殴り返した。

 俺はバカだから、理想を吠えるぐらいしかできない。吠えた理想に向かって走ることでしか、自分を表現できないんだ。わかってるよ、そんなこと。

 ――でも。

「でも、信じたいんだよ!みんなが幸せになれるって!俺も、飛鳥も……お前もだッ!みんなが笑顔になれる世界を、俺は信じたいんだよ!」

 甘いのはわかっている。でも、願わずには居られない。お前を含めた、みんなの幸せが時神鈴の夢だから。それこそが、時神鈴の幸せだから。偽善者だと貶せばいい、笑えばいい。それでも鈴は、みんなの幸せを願っている。願わずには、いられない。

「俺は“正義の味方”だから――だから倒れろクソメガネぁああああああああッ!」

 辰人が鈴の幸せだけじゃなく、飛鳥の幸せまで壊すと言うのなら、鈴は辰人をブッ飛ばす。天児としてじゃない。もう泣かせないと誓った、飛鳥の為にも。親友に、かつて誓った約束を破らせない為にも。なにより、辰人を不幸の淵から助け出すために。

 俺はお前の親友として、時神鈴として――お前を止めるんだ絶対に。

 強く、鈴は咆哮する。

「口だけは達者だな、空っぽ脳みそが!具体案も一人じゃ出せないくせによォッ!」

「俺はバカだ、知ってんだろ!俺の代わりに案出すのがお前の仕事だろうがァッ!」

 爆発する。二人の感情が爆発する。

 かつてないほどの感情が、鈴の心を“助けたい”という願いに染め上げられる。

 譲らない、絶対に譲らない。俺はみんなの幸せを願ってる。この気持ちが本気であると証明するために、この勝負は絶対に勝ちを取る。後悔はさせない、失望もさせない。だから辰人、お前は引っ込め主役は俺だ。エゴ丸出しの自分大好き野郎が、俺の正義を穢すんじゃねぇぞ。お前も飛鳥もまとめて幸せにしてやるから、お前一発喰らって今すぐ其処で寝てやがれ。

「喧嘩で俺に勝てると思うなよクソメガネ!ぶっ潰してやるよ!」

 鈴、それがお前に出来るのか。できるならばやれよ、俺を超えて見せろ。できなければお前はそれまで、用無しだ。

 だから――。

「やって――見せろぉおおおおおおおおおおおおォオオオオオッ!」

「やって――見せらぁああああああああああああァアアアアアッ!」

 ――超えてやる、俺はお前を超えてやる。

 その強い思いが、鈴の業天“白煌”を次なる段階へと進化させる。

天地(あまつち)初めて(ひら)けし時、神ら、高天(たかま)の原に天踏みて立てり。業天“白煌”――天踏段(あまふみのだん)

 鈴の意識しないところから紡がれた祝詞は、かつて衣との組み手によって進んだ、業天の進化したカタチを呼び起こす。これより時神鈴には、いかなる足場であろうとその意味を為さない。

 空気が――水分が、埃が、窒素が酸素が二酸化炭素が――ありとあらゆる物質が、すべからく彼の足場となる為である。

「見せてやるよ辰人、俺の次なる段階を――更なる加速を」

 言った刹那、均衡していた肉弾戦のバランスが一気に崩れた。

 鈴の速度が格段に上昇し、また空中での方向転換を可能としている。空中に於いて身動きが取れない辰人は所詮、地面という平面上基盤ありきの二次元的移動が限界だ。

 しかし、鈴の移動は空中の如何なる場所さえも地面同様に走り、蹴り上げる。直線、そして奥行というX軸及びY軸によって構成される二次元的動きに加え、自由自在の空中移動というZ軸までもを行動範囲に含めたいわば三次元的行動範囲。

 確かに辰人も跳躍という手段で多少なりとも三次元的な動きは可能であるがしかし、空中での方向転換が不可能である以上、どうあがいたところで辰人に勝ち目がない。

 けれど、辰人には焦りも何も見られない。かといって、諦めたようにも見えない。

「強いな、お前は。ああ、確かに強い。喧嘩という面ではやはり、お前の方が上手なのかもしれんな」

 だが、それは彼我の能力差ありきの差である。その能力差を埋めてしまえば、先ほど同様に均衡が戻る。

 ならば俺はどうするか、決まっている。鈴、お前の立つその場に俺も立つだけだ。

「天地初めて発けし時、神ら、高天の原に天踏みて立てり――」

 鈴の唱えた祝詞を、辰人もまた口にした。

 しかし、それは意味がない。例えその祝詞が一字一句、発音の機微でさえも鈴と同じものであったとしても、辰人が唱えた時点で意味はない。

 それは鈴が本心より助けたいと願い、そして内に宿る神がその願いを叶えることにより発現を可能とする異能であるためだ。

 ――だというのに。

 辰人は、鈴に同じく更なる加速、そして空中における方向転換を可能にした。

「馬鹿な――ッ!」

 鈴の祈りは彼一人だけのものだ。

 故に桜花や衣、飛鳥が鈴の祝詞を唱えたところでなんら変わらないし、逆に鈴が彼女らの祝詞を唱えたところでその祈りは届かない。だというのに、彼は鈴とまるで同じ能力を身に着けた。

 これは一体――。

「なぁ、鈴。忘れるな、俺は悪魔の眷属であると同時に、一柱(ひとはしら)荒御魂(あらみたま)と化した。言ってみれば俺は一つの(やしろ)そのものであるわけだ」

 すなわち、今の彼は天児と同等の存在であるらしい。

 なるほど、であれば彼が鈴と同様の力を持っていたことは頷ける。しかし、それで鈴と同じ祝詞によって同じ異能を手に入れる理由にはならない。

「そして俺の祈りは……さっき言ったよな」

「お前の、祈り――?」

「“俺はお前が羨ましい。あわよくば、お前になれればと思うほどに”」

 風間辰人は時神鈴が羨ましい。あわよくば時神鈴として生まれたかったと思うほどに、風間辰人は時神鈴という人生を渇望している。喉から手が出るほど?否、甘い。もはや人の語彙では表現できぬほどに、時神鈴としての生を風間辰人は渇望している。その欲望に際限はなく、また時神鈴がその場に存在するが故に叶わない。故に、満たされることはあり得ない。

 ――この身はもはや人ではない。この心も既に人に非ず。ならばせめて、この異能だけは時神鈴のものとしたい。その業を受け入れよう。その感情を受けいれよう。お前の感じた喜びも、楽しみも、恐怖も、絶望もなにもかも、俺は総てを受け入れよう。なればこそ寄越せ、其の力。ああ、俺は時神鈴として産まれたかった――。

 それこそが、風間辰人の祈りだ。

 故に、彼の祈りに限界はなく、どこまでも時神鈴へと近しい能力を手に入れることが可能となる。言ってみれば、時神鈴の完全コピー。

「つまりは、お前の力の完全再現さ。お前が強くなればなるほど、俺も同様に強くなる。お前がどれほどの高みへ登ろうと、俺もその境地へ達しよう。そうすることで俺は俺を捨て、時神鈴へと近付ける」

 なんだよそれは、ふざけるなよ辰人と、鈴は憤怒する。

 それじゃ、お前が積み上げてきたお前の人生は何になる。無意味なものだったとでもいうのか、ふざけるな。お前の誕生を喜んでくれた人たちがいるだろう。お前の人生に期待をかけてくれた人たちがいるだろう。お前が助けた人がいる、お前を心配してくれる人がいる、お前を大切に思ってくれた人がいる。お前はきっと俺よりも愛されて、大切にされてきているだろう。

 なのに、その人たちとの思い出や、その人たちの想い、それだけじゃない、お前の努力とか気持ちと、二〇も生きてない短い人生だけど、短いなりに積み重ねてきたなにもかもを白紙に変えて、なかったことにして、こんな時神鈴(たにん)になりたいっていうのかよ。

「なら、お前の人生はなんだったんだよ……」

 お前が風間辰人という人生を肯定せずに、どうするんだよ。己の人生をこんなんじゃ満足できないって捨てちまって、じゃあ風間辰人っていう存在の意味はなんだったんだよ。

 今まで俺たちが築いてきた絆は、どうなる。今まで積み重ねてきた思い出はどうなる。確かにあった幸福な日々は、叶えばいいと思った俺の夢は、今までお前が存在してきたことによって人々が感じてきたモノは、どうなるんだよ。それすら総て無駄だったと、それらすべからく無用の産物、ただ俺が時神鈴になれるのならば、総て捨てても構わないと、そう言いたいのかよ。

「なんなんだよ、そのクソッたれた祈りはッ!」

 鈴の速度は更に上がる。もはや光速にすら匹敵する速度で辰人へと突っ込むが、しかし辰人はそれを難なく凌ぎ、これまで通りの均衡した肉弾戦闘が再開された。

 彼らの土俵は、辰人の祈りによって常に同様である。鈴が強くなればなるほど、辰人もまた同じ土俵へと昇っていく、永久不変の持久走。鈴が速度を上げても辰人はすぐさま追いつく。辰人が鈴を抜かすということはあり得ないにしても、しかしどう足掻いたところで引き離せない。故に彼らは対等、同じ土俵でしか戦えない。

「クソみたいな祈りだろう、ああ、自分でもわかってるさ。それでも、俺は願わずにはいられない」

 辰人の頭には、飛鳥の姿が焼き付いていて、何度振り払っても振り切れなかった。他の女と付き合ってみたら振り切れるかと思ったけれど、幸か不幸か、そんなことはなかった。

 飛鳥の笑顔が離れない。飛鳥の声が離れない。飛鳥のやさしい匂いが、飛鳥のほのかに暖かい体温が、全部全部、まるで書き換えられないCDのように焼き付いている。

 どれだけ上書きを重ねようとしても、それができないから、辰人の心というCDに焼き付いているのは結局、もとの曲のまま。好きになった人は変えられない。だからどうしたって忘れることはできなくて、いつでもその子のことを考えてしまう。

 自分なんかじゃ、飛鳥に釣り合わない。どれだけ努力しても、自分では飛鳥に相応しい男にはなれない。そう思うのに、彼女へ想いは変えられない。

 彼女は自分とは違う男のことをずっと想っている。けれど、その男はいつまでも彼女の気持ちに気付かない。彼女はきっと、それが叶わない恋なのだと思っている。

 叶わないと知っているのは辰人も同じだった。追いかけても、追いかけても、彼女はその男を追って遠くへ行ってしまう。どれだけ走っても、血反吐を吐くほど走っても、どうしても彼女には追いつけない。彼女に追いつけないならと、自分がその男の背中を超えようとしても、大きすぎて超えられない。

 時神鈴を、超えられない。

 クラスメイトは辰人のことを羨ましいと言うけれど、自分ではそうは思わなかった。

 本当に羨ましい人間っていうのは、多分、自分でやりたいことが出来る人の事だ。意思を強く持って、事を成せる人間のことだ。正しいと思えることが出来る人間のことだ。周りに流されるなんて、誰にだってできる。けど、その場から浮くことがわかっていながら、大切なものの為にその流れに逆らっていける人間が、心底羨ましいと辰人は思う。

 本当に嫌なことに対して嫌だと言える。どんな敵が相手でも、それは違うと拳を握ることが出来る。そんな時神鈴を誰より尊敬すると同時、たまらなく羨ましかったのだ。

 神童だの、天才だのと周りからは評価されているが、所詮自分なんて一皮剥けばこんなものだ。

 弱くて、醜くて、ちっぽけだ。

 自分はエゴにまみれている。どうしたって、自分は自分以外の何かになることは叶わなくて、自分の限界に気付いてしまったが故に、救われない。

 自分が自分である限り、この恋は報われない。

 結局のところ、好きな女に幸せになってもらいたいなどと言っておきながら、辰人は自分が幸せになれなければその状況に耐えられないのだ。

 それがわかったとき、自分がエゴの塊であることを自覚した。

 この恋が叶わないモノなら、こんなもの、知りたくなかった。この恋を芽生えさせたのだから、叶えてくれよ神様。こんなのは、辛すぎる。忘れたいのに忘れられない。叶えたいのに叶わない。

 自分は頭がいいから、叶わないという知りたくないところまで分かってしまうのだ。

 だからこそ、願わずにはいられない。

 俺は自分勝手な人間だから、自分の幸せを優先してしまう。だから、悪い意味で賢い人間だから、お前みたいになれないことを知っている。

 それが、堪らない。悔しくて、辛くて、堪らない。頭なんかよくなくたっていい。バカでよかったんだよ俺は。ただ、お前みたいに、自分以外の誰かのために本気になれる自分が欲しかった。自分よりも誰かの幸せを願えるようなバカな自分が、欲しかった。

 誰かのために自分を犠牲にするとか、正直バカだと思う。損だと思う。もっと自分のためになんかしろよって思う。もっと、自分の幸せに貪欲になれよって思う時もある。それでも、俺はお前みたいになりたいと思うんだ。

 こんな汚い自分では、綺麗すぎるお前と一緒にいるのが辛くなるんだよ。

 ああ確かに、毎日が輝いていた。なんか俺、青春してるなーって、柄にもなく思ってたよ。でもさ、それだけじゃダメなんだよ。お前が輝きすぎて、お前が眩しすぎて、誰かのために生きてるお前が、堪らなく羨ましいんだ。

 俺は、お前みたいに強くなりたかったんだよ。

 自分の幸せとかゴミ箱に捨ててでもさ、本当に大好きな人の幸せを願えるぐらい、バカなヤツになりたいんだよ。

 願うと同時、辰人は嫉妬した。時神鈴に、どうしようもないほど嫉妬した。

 鈴に嫉妬して、嫉妬して、嫉妬して嫉妬して嫉妬して。どうして自分が時神鈴として生まれることができなかったのだと嘆いた。

 鈴がいなければ、自分は飛鳥と結ばれていたかもしれない。鈴ではなく、自分が飛鳥の幼馴染だったら、自分は飛鳥と結ばれていたかもしれない。

 けれど、鈴がいたからこそ不登校だった飛鳥と出会うことができた。鈴がいたからこそ、あの虐め問題から飛鳥を救うことができた。鈴がいなければ、自分はただ勉強ができるだけの木偶の棒だったのは事実で、鈴の喧嘩の強さがあったからこそ、飛鳥を助けることができたのだ。

 鈴の存在によって生まれた恋。けれど、鈴の存在によって叶わない恋。

 どうしようもない気持ちが心の中で渦巻く。嫉妬、友情、恋、嫌悪、悲しみ、エゴ、様々な感情が自分の中でもみくちゃになって、ごちゃごちゃに絡まって混沌としている。ネバネバした黒い何かが、自分の心を掴んで離さない。

 ――俺はお前が羨ましい。あわよくば時神鈴になれればと思うほど。

 辰人の掴めなかった勇気を鈴は持っている。辰人の欲しかった彼女の愛を鈴は持っている。辰人の欲しいと願う総てを、時神鈴は持っている。それを隣で見せつけられて、欲しいと願わぬ輩がどこにいる。お前になりたいと思わぬ輩がどこにいる。

「俺はお前が羨ましい……羨ましくて堪らない!もしもお前になれるなら、俺は風間辰人であることを捨ててやる」

 だから、死んでくれよ。(ニセモノ)程度に敗北するようなら、お前は要らない。風間辰人が時神鈴として生きるから、お前は死んでくれて構わない。時神鈴が存在する限り、俺は完全な時神鈴にはなれないのだから。この世に時神鈴は二人と要らない、故に死ね。

 辰人の拳が、心からの叫びと共に鈴の顔面を強打し、吹き飛ばす。幾つもの壁を貫き、柱をへし折って吹き飛んだ。主柱を失って崩れた校舎が、鈴の上に覆いかぶさる。

 痛かった。痛かったけれど、なにより心が痛かった。

「なら、お前の人生は……なんだったんだ」

 瓦礫に埋まり、押しつぶされそうになりながらも、鈴は小さくつぶやいた。

 ――俺だって。

「辰人、俺もお前が羨ましかったよ」

 瓦礫を押しのけ、破壊し、時神鈴は立ち上がる。

「あわよくば、お前になれればと願うほどに!」

 喉が張り裂けんばかりに叫び、鈴は辰人に殴りかかる。

「お前が、俺を羨やんでいた?」

 この風間辰人が羨ましかった?何を言う。

 鈴の拳を弾いた辰人は、バカを言えと、激昂する。

「俺の何が羨ましいんだ言ってみろッ!何も知らないくせに……飛鳥の本当の気持ちすら気づかないくせに!俺の苦しみもわからないくせに!俺の何が羨ましいというんだ、ふざけるなァアアアアアアアアアッ!」

 しかし鈴は、本心から俺はお前が羨ましいと叫ぶ。

 辰人と出会えたから、俺は守ろうと誓った飛鳥を助けることができた。

 一人じゃ絶対成功しなかったし、もしかしたら飛鳥を助けることを諦めていたかもしれない。けれどお前がいたから、もう一度頑張ろうと思った。お前がいたから、俺は今の自分でいられるんだ。お前がいなかったらきっと、時神鈴は皆に好かれる時神鈴ではなかったハズだ。己の事ばかりを考える、エゴの塊になっていたと思うから。

 だから本当に感謝してるんだよ、お前には。あわよくば、お前になりたいと思うほど、俺はお前に憧れているんだよ、辰人。

 ぶっちゃけ喧嘩弱いし、運動もそんな得意じゃないお前だけどさ。

「俺と違って頭がいいから、話すことができるだろ!説得することができるだろ!」

 みんなが幸せになればいいとか思ってるわりに、俺は喧嘩しかできないから。俺が話し合いに持ち込もうとすると何故か喧嘩になるし、だいたい相手は逆上してそれ以降なにも聞いてくれなくなる。だから、お前みたいに頭がよくなりたいって思ったんだ。

 そうしたらきっと、いまよりたくさんの人を幸せにできると思うから。

 破壊からは憎しみしか生まないとか、力は人を狂わせるとかいうけどさ。本当にその通りだよ。無駄に喧嘩強いから、それは身に染みてよくわかる。殴ったら生まれる友情なんて、そんなんそうそうありはしないよ。恨みを買って、憎しみを買って、いつかはその憎しみや恨みを清算しようと喧嘩売られて、説得しようとしてもまた喧嘩。

 それでも鈴は勝ってしまうから、相手の恨みは増すばかり。

 喧嘩が強いなんて、ロクなもんじゃない。本当に俺が欲しかったのは、いじめっ子をぶん殴るこの拳なんかじゃなかったんだ。

「俺はみんなの幸せを願ってる!喧嘩なんて強くなくていいんだよ……ただ、平和な解決ができるだけでよかった!誰の憎しみも恨みも買わずにやりくりできる……」

 己は正義感が強く喧嘩は強いけれど、それだけでは意味がない。暴力で解決できるのは結局暴力だけで、その根底にある恨みつらみはどうにもならず、故に虐めはなくならない。

 しかし辰人は暴力に頼らず、その頭脳を駆使して相手と分かり合う方法を選んだ。悪く言えば、喧嘩ができない辰人にはその方法しかなかったといえる。けれど、己とは違う、そして確実な方法で、辰人は見事虐めを止めて見せたのだ。己にできない正義を、己の眼前で平然とやってのけたのだ。

 故に、時神鈴は誰よりも風間辰人を尊敬している。それと同時、己のできないことを平然とやってのける彼が、堪らなく羨ましかった。時神鈴という喧嘩の道具を明確な正義のために行使できる彼が、たまらなくカッコよかった。

 本当にみんなを幸せにできるのは、自分ではなく彼のような人間だと思ったから。

「だから俺は、お前が羨ましかった!」

 しかし鈴の叫びは、辰人には届かない。

 俺が羨ましいから、だからどうした。俺はお前になりたいがため、それが“祈り”となり力になるほど渇望しているのに対し、お前の祈りは“助けたい”。気持ちの規模が違うんだ。病的なまでに、狂気的なまでに、俺はお前になりたいと渇望している。

 本当に俺になりたいと思うなら、今すぐ変われよ、エゴにまみれた醜い俺をくれてやる。だから代わりに寄越せよ、誰より正しくあろうと前へ進むその正義を。

 お前のその力を――。

「お前の輝きを、俺に寄越せェエエッ!」

 美味い、美味いぞ。崩れる友情、ヒビ入る愛。さぁ、塵屑同士喰らい合え。

 辰人の中で蠢く蟲は嘲笑う。感情を喰われている振りをしていた辰人だったが、事実は違う。吽禍が喰らった振りをして、辰人を遊ばせていたのだ。しかし今の激昂した辰人に、己の感情を制するだけの冷静さはない。辰人の気付かぬうちに、吽禍は蟲を行使して辰人の目論見を叩き潰そうと動き出す。

「甘えんな、いい加減目を覚ませ!」

 どれだけ焦がれたところで、人は人で、己は己。それは結局変わらないから、自分が変わるしかないだろう。羨ましいのなら、本気で自分を変えたいと思うなら、努力をしろよ。自分を変えようと歯を食いしばって変われよ。俺たち人間には、それしか自分を変える術がないんだから。

 それができないと知ったから努力できない?ふざけるな。何様だよお前、自分の何を知ってんだよ。勝手に自分の限界定めて悟ったような顔してんな馬鹿野郎。お前は仏かよ、神様かよ、ブッタかよ釈迦かよ違うだろう、お前は風間辰人だ。努力も何もかも放棄して、勝手に自分じゃダメだと諦めて、揚句に「俺はお前になりたい羨ましいんだ、だからお前の総てを寄越せ」だ?甘ったれんなよクソメガネ。

 そんなこともわからなくなるぐらい、吽禍はお前を喰ったのか。俺の半身を狂わせたのか。ならば俺は吽禍を許さない。ここまでお前を人の道から外した化け物を、俺は絶対許さない。

 安心しろ、お前は俺が止めてやる。助けてやるよ、何度でも。

「辰人ぉおおおおおおおおおオオオオオオッ!」

 だってお前は、俺の一番尊敬できる人間で。

「鈴ぃいいいいいいいいいいイイイイイイッ!」

 俺の一番信頼できる、親友だから。

 そいつを助けたいと思うのに、理由なんかいらないハズだ。

 ――助ける。今、助ける。必ず助ける。その手は絶対離さない。もしも離れてしまったら、それでも必ず再び掴んで見せる。もし掴めないほど離れてしまったとしたならば、それでも意地で、その手を掴んで見せる。そう、例え時を止めてでも――。

 みんなの笑顔が好きだから。お前の笑顔が好きだから。

 助けたいと、強く思うんだ。

 新たな祈りが今、時神鈴を更なる加速世界へと誘った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ