始まる夜
「おはよ、父さん」
「おう、おはような」
朝、階段を下りて蓮に挨拶をした。相変わらず不味いとブラックコーヒーを嗜みながら、テレビを眺めていた。テレビから顔を鈴に向けた蓮は、にっと笑う。
「もう、悩みは晴れたみたいだな」
「……そうだね。進むべき道は掴めたよ」
二人とも、ご飯ですよ。
その声に呼ばれて、鈴と蓮は食卓へ向かう。
「それじゃ、行ってきます」
食事を終えた鈴は学校の準備を済ませ、家を出た。
「あら、今日は早いのね」
玄関先まで送ろうと、エプロンをつけたままの美月が駆けてきた。
「水筒持った?ハンカチとティッシュは?ちゃんと忘れ物ないか確認した?」
「そんな心配しなくても大丈夫だって」
「本当に?昨日の夜は調子悪そうだったから、お母さん心配なのよ」
「……ありがと、もう大丈夫だから。じゃ、行ってきます」
「うん、行ってらっしゃい」
居間の方から「気を付けてなー」という蓮の声を聞きつつ家を出ると、飛鳥がインターホンを押そうとしているところだった。
「あ、おはよう鈴くん」
「おう、おはような」
二人で肩を並べて登校を始めると、ねぇと飛鳥が口を開いた。
「どうした」
「昨日、桜花から連絡があったの。“天神”でね、昨日特別な会議があったんだって。それも、嚆矢さまが参加するような大きな会議」
「嚆矢が参加?」
嚆矢は、神と呼ばれる存在だ。基本的には天津国に所属し、其れ以外の場所には自ら赴くことはしない。戦闘能力が低いということもあるが、なにより彼が敵に狙われて殺されることがあれば、“天神”は終わる。“天神”が終われば必然的に“天神”が守護する結界“天界”を守るものはいなくなるし、天児を纏められるだけの才能を持つ者もまたいないだろう。
その嚆矢が足を運ぶとなると、相当規模の大きな会議であったことになる。
「どんな内容なんだよ、それ」
「なんかね、今この地球に迫ってるのが“吽禍”っていう強大なタタリ神らしいんだけどね、それを一体どうやって退けるか、って議題だったらしいの」
吽禍。その名を、鈴は覚えていた。
「最低最悪のキチガイ。人の不幸を何より至高とする、化け物……」
「あれ、知ってるの?」
「いや、昨日偶然衣の口から聞いててな」
「聞いてたのなら話は早いね。えと、それでその吽禍っていうタタリ神の特性……というか、能力というか。それの一つにね、己の細胞を潜り込ませることで己の力を分け与え、眷属にすることが可能になるらしいの。吽禍の細胞一つ一つはあり得ないほど高密度の存在でね、細胞一つあれば、例え微量の血液からでも肉体を再生させ、構築することができるんだって。その細胞を数百分け与えれば、この世に魂を繋ぎとめることもできる」
つまり、何ができるのかと言えば――死者を蘇らせることが出来るということである。
ああ、なるほどな。そういうことかと、鈴は理解した。
吽禍によって始まった連続猟奇殺人事件。そして、噂される辰人の姿。
辰人を殺したのは、お前か。殺したうえで、甦らせたのか。
「吽禍……」
ギリッと、奥歯を噛みしめる。
理不尽に命を奪われた。そしてまた、己の意志に反して蘇った。辰人は今、どんな気持ちでいることだろう。
許さない。俺はお前を、許さない。
鈴が己の言わんとしていたことを察したことを理解したのだろう、飛鳥は自分の手を鈴に重ねた。
「わたしもね、それを知って許せないと思った。わたしたちに出来ることは少ないかもしれないけれど、頑張ろう。一緒に。これ以上、辰人くんみたいな被害者を出さないように」
強く、鈴は頷いた。
辰人は生きている。どんな形であれ、生きている。
彼は今、何を思って生きているだろう。死にたいと願うのか、それとも再び生きていきたいと願うのか。どちらにせよ、鈴は辰人に会わなければならないと思った。
嚆矢の出した問いに、答えなければならないと思ったのだ。
「鈴くん……」
強く決心する鈴を、飛鳥は見つめる。
おそらく今夜、吽禍は動き出す。また、彼の右腕も動き出す。その右腕が誰かなのかを水無月飛鳥は知っていたが、今の鈴に真実を告げることはできなかった。
それが残酷なことだと、知っていたのに。
登校した鈴は、下駄箱に入れられた手紙を見つけた。小さな封筒に入れられたそれには、見覚えのある文字で書かれていた。
『今夜日付が変わる頃、教室で待つ』




