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時神鈴の夜―過去編『アストロメリア』  作者: 九尾
高天原に巣食うモノ
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悪夢の始まり 1/2

 闇の中、少年は歩く。音はない。此処はそういう場所だから。

 しかし、歩くというのもおかしな話か。何故ならそこには、距離という概念は存在しないのだから。

 少年と共にそこに居るのは、数多の人型をした怪物。

 体中がツギハギだらけで、やけに肉が少なくスリムな点を除けば、ゾンビ映画などで現れる、典型的な異形であった。腰は人のものとは思えないほど細く、また腕も細い。しかしその異形を見て、真っ先にフランケンシュタインの怪物が連想される。

「よう、お前ら。元気か」

 異形を目にしても、表情一つ変えない少年が問うが、答えはない。

 それも当然か、彼らには心がない。主――吽禍(ウンカ)によって、その心は奪われている。彼らの主は、人間が嫌いだ。人間の綺麗な部分が、特に嫌いだ。吽禍が人の美しいとされる部分を見ることを嫌悪するのは、虫嫌いな人間が群れるゴキブリを目にして嫌悪感を抱くことに似ている。嫌いであるから徹底的に排斥する。あまりに単純な理由だが、それ故に、遠慮も容赦もなく、吽禍は感情を奪う。故に彼ら殻人は、人の心を持つことを許されない。

 綺麗と一言にいっても、殻人の元になった人間の感情と言えば、家に帰りたいだの、一人は寂しいだの、家族やら恋人やらとの愛を求めた程度。しかしそれが、吽禍には気持ちの悪いものに見えて仕方がないらしい。

「アニメや漫画みたいに、あるはずのない感情が湧き上がる……とかはやっぱり無かったか」

 残念に思った少年は、意識をツギハギから己の主、吽禍へと向ける。

「ただいま帰りました、我が主」

 少年が吽禍へと意識を向けると、眼前には、先ほどまで存在しなかったハズの異形が姿を現した。

 どこまでも長い白髪、そして黒染めされたような、ほんの先だけ黒い髪。長く長く、それは三メートルはあろうかという大男を包み込むほどの長さになっていた。長い髪の隙間から除く血にまみれた赤い瞳はこちらを向くこともないまま、楽しげに細められている。

 黒い布きれのような服からちらちらと覗くのは、人の手足。

 何をしているのかと思えば、玩具で遊んでいたらしい。吽禍にとって、人は玩具。人の群がる惑星は、大きな大きな玩具箱。

 子供が人形の手足を千切ると同様に、ソレはツギハギが攫ってきた人の手足を、なにを思うこともなくもぎ取った。血が舞い、肉が飛び、悲鳴が辺りを切り裂いた。その様を見せた別の玩具に、吽禍は問う。

「さて、次はどいつかな。王たるお前が選ぶが良い。」

 歯を震わせ、次は自分ではないことを願いながら、玩具は別の玩具を指差した。すると吽禍はにんまりと笑みを見せ、ああそうだ、それを待っていたと歓喜する。

 吽禍が先ほど千切ったのは、女の手足だ。手足をもいで女を殺した後、女の友人である男に、次は誰を殺すかと問いかけた。普通の人間ならば、あの様を見せられて、己を殺してくれとは言えないだろう。だから男は、己とは別に最後まで残った女を指差した。

 しかし当然ながら、指を刺された女は、ふざけるなと憤怒する。

 お前は私のためなら死ねると言っただろう。だったらお前が死ね。私は死にたくないから、お前が私の犠牲になれ。喉がはち切れんばかりに叫び、女は極上の憎悪をぶちまける。

 彼らは、複数人で旅行へ行こうとしていた大学生だ。しかし旅行の最中殻人に捕まり、こうして吽禍の生贄として差し出されている。そして、残った男と女はかつての恋人同士。かつてという言葉を使用したのは、互いが互いに死ねと罵り合っている時点でもはや別物であると判断したためである。

 これは、簡単なゲームだ。

 まず、全員の前で一人を殺し、そして王様ゲームのように一人を選んで王様とする。以降は、王様に誰を殺すかと問い、王様が指差したものを吽禍が殺す。できる限り残酷に、楽しめる限り残虐に。これはゲームだ。人と人との絆が崩壊し、本音が零れる。愛を信頼を悉く破壊する、人の醜さを極限に表す至高の遊戯。

 男は言う。誰でも自分の命は大事だ。お前だって、俺が死ぬときは私も一緒だと言っただろう。ならば先に死んでくれ、俺はいつかはそこへ行く。

 いつかとはいつだ。ふざけるな。生きるのは私だ、お前は死ね。私は地獄など知りたくない。

 ほんの数日前までは愛を囁き合っていた二人だが、己の命がかかった状況でどちらが犠牲になるかと、醜い言い争いを行い始めた。二人を見て、吽禍は、ああそれが見たかったのだと喜び始める。

 故に畜生。故に外道。地獄の鬼より醜悪で、殺戮機械よりも残忍だ。この世の如何なる言葉を持ってしても表現しきれる言葉はなく、故に醜悪の災禍。どこまでも純粋に、どこまでも際限なく、人の愛が壊れゆく様を笑い貪る姿はさながら暴食の崇り。

 人畜無害という言葉の対象になり得る、万象有害とでもいうべき存在だ。

 人の不幸は蜜の味とはいうが、吽禍ほどその言葉に意味を持たせる存在はそういない。

 他人の不幸がなにより美味い。お前らの絶望が甘くて甘くてたまらない。三度の飯より他人の不幸、さぁ貴様ら、泣けよ喚けよ、おれに新たな甘美を与えておくれ。

 人の恐怖が美味い。その恐怖に引き攣った顔でおれの空腹を満たしておくれ。

 人の絶望が美味い。愛するものを殺したくないと泣き叫びながら、お前のその手で殺すところを見せておくれ。

 崩れる友情、ヒビ入る愛。血に塗れた貴様らがこれまで築いてきた大切なものを自ら捨てるその様を、このおれの前で見せておくれよ。さぁ始めろ、塵屑同士喰らい合え。自ら愛を壊しておくれ。

「御指名が入ったぞ、さてどうする、さてどうする。死ぬか媚びるか、それとも男を贄に差し出すか。」

 吽禍がいうと、女は必至で男を殺してくれと言った。

 男は殺されてはたまらないと、女を殺してくれと言った。

「ならば殺し合え。塵屑同士、喰らい合えよ。」

 しばらくの争いが続いたのち、男が女を殺した。それを見た吽禍はにやりと笑う。

「お前の望みは叶えたよ。ああ、けれど、女の望みも叶えてやらねばなるまいなぁ。」

 此処に来てようやく男は悟った。初めからコレに、自分たちを生かすつもりはなかった。初めから皆殺しにするつもりでいたのだ。しかし、気付くのが遅すぎた。彼らの友情は崩壊し、その愛すらも今、己の手で破壊した。もう戻れない。

「せめて、同じ体に加えてやろう。」

 吽禍は男を殺すと、まるで粘土を捏ねるかのように形を作る。それはまるでフランケンシュタインの怪物だ。ああつまり、ソレが殻人。心を喰われ、命を喰われ、人として大切なものを根こそぎ奪われ死んだ者たちは、その肉体を再利用されるのだ。

 人の身体の再利用。ああなんと環境にいいことかと、吽禍は満足気にほころんだ。

 崩れる友情、ヒビ入る愛。血に塗れた貴様らがこれまで築いてきた大切なものを自ら捨てるその様を、このおれの前で見せておくれよ。さぁ始めろ、塵屑同士喰らい合え。自ら愛を壊しておくれ。

 コレの存在はまさに、害蟲だ。コレはこの世に存在してはならない。近くに存在するだけで周囲へ禍いを振りまき、誰彼構わず万象喰らって奈落へ落とす。コレを前にして幸せなど語れない。コレの内は既に、芯の芯まで腐敗し犯され、歪んだ欲望という害蟲を、猛毒の病原菌と共に際限なく孕み続ける。

 誰が道徳(さっちゅうざい)(ふりま)こうとも、意味がない。

 誰が(くすり)語ろ(あたえよ)うとも、意味がない。

 それほどの数の蟲。それほどの質の猛毒。

 際限なく湧き出す(よくぼう)は、誰もを犯す猛毒(ふこう)をばら撒き、万象全てを喰らって奈落へ落とす。

「サネモリさんのお通りじゃ、サネモリさんはどこへ行く、西の国の果てまで。サネモリさんのお通りじゃ、(さき)()け先除け、(さき)下がれ。」

 くるくると宙を舞いながら歌う吽禍は、己に語り掛ける存在に気が付いた。どうやら玩具遊びに没頭しすぎて、気付かなかったらしい。けれど、歌うことは止めない。

 気にせず、少年は話しかけた。

「あなたを楽しませる代わりに、俺は一つお願いを聞いてもらう。いつだったかの約束を果たしてもらいたい。構いませんか」

 問いかけると、吽禍は歌うのをやめた。

「なに、願いとな。何を願うか、お前はおれに、何を願うのか。」

 ああ、お前はこのタタリに何を願う。破滅をもたらすこのおれに、暴食を望むこのおれに、一体何を望むのか。

 にんまりと、災厄はその口を歪めた。

 まだ力が欲しいか。強くなりたいか。そんなにも、お前は破滅をもたらしたいか。

 狂気にも匹敵するほどに強さを求める少年は、しかし災厄の期待には応えない。

「いや、たんに外出許可を。親に手紙渡しておきたいだけですよ。別れの一環として」

 別に何でもないことのように少年が言うと、げひゃひゃひゃひゃと、騒音じみた笑いを災厄は思わず発した。

「お前に情は無しか、悪魔のようだな。家に帰りたいと思わぬか、肉体があるのだから、蘇りたいとは思わぬか。親より先に死んで申し訳ないと思わぬか。」

「なに言ってんですか。俺の良心も自制心も理性も、道徳すらも、大方あなたが喰らっちまったんでしょ。そりゃ情なんて、ほとんど無くなるわ」

「おれは大して喰らっておらぬよ。つまりは、お前が元来持ち合わせている冷酷さというやつではないのか。」

 再び笑った災厄は、ギロリと髪の隙間から少年を赤い瞳で見つめる。

 その瞳に怯む事も臆する事もなく、ただ親しい者と会話するかのように、少年は述べた。

「そんな才能、嫌すぎですよ」

「まぁどちらでも良いがな。お前がおれを楽しませればそれでいい。おれを笑顔にしてくれよ。それと……手紙だったか、好きにするがいい。」

 このタタリ、吽禍は災厄だ。海が人を溺死させるよりも残虐に人を殺し、地震が人を飲み込むかのように総てを喰らう。その心ですら例外ではなく、故に殻人に心はない。またこの少年も、ある程度残されているとはいえ、吽禍の放った蟲によって喰われ、心に穴が開いている。やがてその心は壊れ、ソレの人形となるだろう。

 吽禍は、それを信じて疑わない。

「ああ、後悔はさせない。笑顔にしてみせますよ、必ず」


 歩き出した少年は、天津国と酷似した空間を抜け、高天原へと降り立った。

 ああ、後悔などさせないさ。人の愛が壊れる様を見たいのだろう。だったら見せてやるよ、その様を。

「俺は、あんたを笑顔にしよう」

 少年が握った拳から、アブラムシほどの小さくおぞましい蟲一匹が零れ落ちた。

 アスファルトに落ちた蟲は、小さな羽を広げて再び少年の手に乗ると、皮膚を喰らって体内へ潜り込む。蟲が喰らって出来たハズの傷口は、たちまち再生され、何事もなかったかのように元通りになった。

 それを、苦い顔で少年は見た。

「あんたが外道と呼ばれようが畜生と呼ばれようが、俺は知っちまったからな」

 この身は既に人のものではない。だけど、俺をこんな体でもまた生を与えてくれたあんたには、一応感謝してるんだ。だから――。

「なぁ、鈴。俺たちで見せつけてやろう。そして、最高の殺し合いをしよう」

 俺とお前なら、必ずできる。

 だって俺たちは龍神兄弟、俺たちにできないことは何もない。

 ああ、総ては俺の脚本通りだ。多少の誤算はあるものの、それでも多少の誤差だ、支障はない。

「悪いな、鈴。飛鳥。これより地獄が始まる」

 暴食のタタリ神、吽禍の眷属――風間辰人は、己の主を助けるために、そして主の眷属として、種としての役割を全うする。そのタタリを、此処に開始する。

「さぁ、今宵の悪夢を始めよう」


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