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時神鈴の夜―過去編『アストロメリア』  作者: 九尾
高天原に巣食うモノ
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桜花の目に映る明星

 いつものように衣との組み手を終え、鈴は中学校のグラウンドへ座り込む。前のように吐くほどの動きをしているわけでないが、しかしそれでも疲れないわけではない。

 軽く休んでいると、近くで飛鳥と組み手を行っていた桜花が隣へやってきた。

「どうした、桜花」

「いやな。衣が忘れているようであるから、妾が直接聞いておこうと思うてな。」

「……辰人と出会ったらどうするのか、って話か」

「なんだ、覚えておったのか。」

 実を言うと、忘れていた。けれど、辰人が現れたという噂が後を絶たないだけでなく、日に日に辰人を見たという目撃者が増えているのだ。

 嫌でも考えてしまう。

 嚆矢はもしかして、未来を知ったうえで俺にあの問いをぶつけたのかと。

 辰人が再び現れることを知っていて、俺にどうするべきか決めさせようとしていたのかと。

「それで、どうだ。答えは出たか。」

「出るわけないだろ……」

 辰人は俺の親友だ。俺の半身で、頭脳だ。飛鳥と同じぐらい、失いたくないと思っている存在なんだ。それを生かすか否かなんて答え、すぐには出せない。失ってしまった。それを取り戻すことに意味はなく、取り戻したとしてもそれは別物だ、頭の中ではわかっていても、あの幸福な日々が取り戻せるならば取り戻したい。一緒に年をくって、親になって、互いの子供を自慢したい。ジジイになって、未来の孫たちの顔を見てみたい。

 みんなで一緒に、陽だまりの下で。

 もう叶わないと思っていた夢が叶うかもしれないんだ。一番欲しかったものが、目の前にあるかもしれないんだ。なのに、もう一度失えというのか。もう一度あの気持ちを味わえと言うのか。そんなの、残酷すぎる。

「そうか、答えは出ぬか。」

 呟いた桜花は、鈴の隣に座り込んだ。

「妾もな、決められぬよ。もし衣が死んだとして、それを蘇らせる術があるのなら、妾はおそらく、その術に縋ってしまうだろう。例え禁忌とされている呪法であろうとなんであろうと、妾は迷わず取り戻すことを選ぶだろう。妾にとって、衣は半身だ。アレが欠けては、妾はこの世を生きられぬ。風間辰人という男……それは汝の半身であったのであろ?」

「……ああ。辰人は、俺のただ一人の相棒だった」

 あいつが脳で、俺が肉体。

 あいつは脳として最高の働きをしてくれた。俺が迷ったときには道を示してくれる。俺が悩んでいるときは解決してくれる。誰より信頼できて、また、あいつも誰より俺のことを信頼してくれた。だから成り立った、龍神兄弟。

 今では、この高天原に龍神兄弟という名は都市伝説のようになっているだろう。あいつがいたから頑張れた。けれど、あいつがいなけりゃダメなんだ。

 いつまでも死者に囚われていてはダメだとわかるけど、どうしても、辰人を捨てきれない自分がいた。

「ならば、汝は強いよ。」

 悩む鈴に、桜花は尊敬と羨望の眼差しを向ける。

「俺が強い?」

「ああ、汝は強い。妾ならば正誤など関係なく、己の信じた道を往く。されど汝は、己の信じた道を正しいのか否かを客観的に判断しようとしているだろう。主観でしか動けぬ妾とは違う、汝はもっと大きなモノのために動くことが出来る。なるほど、嚆矢様が“明星”と名付ける理由も頷ける。眩しいよ、汝は。」

「俺は、お前が言うほど大層なもんじゃない。ダメなんだよ、俺は。ホントは正しいことがなんなのかわかってる」

 死者を蘇らせたいなんて思ってちゃあ、ダメなんだ。

 それはある意味で、死者への冒涜だ。

 人は皆、いつか死ぬ。それが自殺ではない死に方ならば、それは生きたということだ。精一杯生きて、その上で死んだということだ。言い方を変えれば、死因はどうあれ、長年の人生に疲れ、永眠についたということだ。ならばどうして、誰もがその精一杯の生き様を認めてやらないのか。

 葬式へ集う人々は決まって、「どうして死んだ」「死んで悲しい」「残されたものの気持ちを考えて」と揃ってのたまう。揃って、死ぬのが早すぎると嘆くばかり。遺産がどうの、未来がどうの、ああこれから生きるのが大変だどうしよう。葬式などと大層なことをしていながら、しかし誰しもが自分のことしか考えておらず、弔うべき死者の事を何も考えてはいない。

 真に死者の事を考えるならば、どうして拍手を送ってやらない。素晴らしいことをした者に拍手を与えるのは当然だ。であるなら、どうして誰も拍手を送らない。「よく生きた」「よく頑張った」、どうして誰も、お前は生きたと労いの言葉をかけてやらないのか。

 労いの言葉もかけず、お前は死者を蘇らせるというのか。だとすれば、それは死者への冒涜だ。死者を蘇らせるということは、その死者にしてほしい何かがあるということなのだろう。ということはつまり、その死者の死を認めていないということだ。その死を認めないということは、その者の人生すらも認めないということだ。

 お前は頑張って生きてなどいない。まだやり残したことがあるだろう。故に死ぬことは許さない。そう言っているようなものだろう。

 どうして、その生を讃えてやらない。よく生きたと言ってやらない。どうしてその死を認めない。誰の許しを得て、二度も、死の苦しみを与えるのか。

「けど、願わずにはいられないよ。お前にはもう一度生きてほしいってさ。結局俺も、自分の事しか考えてないのかもしれないな。辰人の思いなんかは二の次で、自分の気持ちを最優先に考えてちまってんだよ」

 思えば、鈴はまだ辰人に礼を述べていなかった。彼の命を犠牲に命を助けられたというのに、「どうして死んだ」「どうして俺なんかを庇った」とのたまうばかり。ああ、これでは自分も、死者を冒涜する生者と変わらないだろう。

「……やはり汝は優れておるよ。輝いておるよ。蘇らせることが死者への冒涜か。ふふ、千年近くも生きながらえてきた妾だが、なるほど。人はそのように考えるモノなのか。妾は弱い生き物であると自覚はしていたが、まさかこのような場面で思い知るようになるとはのう。」

 己は弱い。己は一人では生きられない。だから、大切な人の死を桜花は許容することができない。

 ――追い出されるのは、もう嫌だ。居場所がなくなるのは、もう嫌だ。一人でこの世を生きるなど、とても寂しくて叶わない。一人は嫌なの。だから誰か、傍に居て。どうかわたしを抱きしめて。一人ではないと教えてほしいの、わたしを必要としてくれる人のいる、わたしのための居場所が欲しいの――

 それこそが、彼女の願いだから。その思いこそが、彼女の強さの総てだから。

 己の居場所を守るという願いが彼女の願いには含まれているとはいえ、結局はすべて自分のための願いだ。己の願いが他人の願いと重なるために、守りたいという願いは綺麗に見られがちであるが、根本的にはやはり違うのだ。

 己が守るのは、己の居場所を守りたいから。帰る場所が欲しいからに他ならない。

 己の願いと言えど、やはりある意味で人間らしく、桜花は自分が嫌になる。

 対する鈴の願いは、どこまでも美しい。助けるという願いは、それは確かに自分のためであるだろう。己の大切をなくしたくない――己の居場所に在るべきものを失いたくないという思いもあるだろう。けれど本質は、もう誰も泣かせたくない、誰も不幸にさせないという強い思いが現れていると思う。

 どこまでいっても、優先すべきは自分よりも人のため。例え己を捨ててでも、あなたのために。

 世界に生きる生命として破綻した願いであるが、しかしそれ故に美しい。

 居場所を守るために人を守るという桜花の願いは、例えるなら川の水だ。遠目に見てみればとても美しいものであるが、よくよく顕微鏡で覗いてみれば、そこには実に多種多様な自己中心という不純物が紛れ込んでいる。守るという言葉が付属しているために、綺麗に見えるだけなのだ。実際はそう綺麗でもない。

 しかし、必ず助けるという鈴の願いに裏はない。例えるならば、完全な分子配列を持った宝石だ。遠目で見ても美しく、また細部まで覗いても完璧な分子配列である故にどこまでも美しい。天然でそのようなモノが存在するというのは異質なことであると思うが、しかし彼の精神構造はそういうモノだ。『我よりも人』という異質の構造でありながらも、隙が無く美しい。そういう願いを、彼は持っているのだから。

 だから桜花は、鈴が羨ましい。どこまでも美しく、誇れる願い。夜明けの象徴、雨上がりの空。まさしく我らの希望の光。こうあるべしと正義を示し、そしてどこまでも他人のために、自己もいとわぬその精神。明けの明星。

 言ってしまえば、人の美しい部分だけを集めた正の極限。

 少なくとも桜花には、鈴がそう見える。

「なあ、鈴。汝なら、きっと答えを見つけ出せよう。」

 なぜなら彼は、我らの夜明け、希望の光。こうあるべしと、その背中が示してくれるハズだから。

 彼に自信がなくとも、自覚がなくとも、彼はきっと、見つけ出す。それこそがおそらく、もう一つの彼の業とでもいうべきものなのだろう。

 二人が話していると、何を話しているんだと衣がやってきて、鈴の膝の上に座った。

「どうしたんだよ、衣」

「いや、なんかいい雰囲気だったからな、どうせなら自然に混じろうと思った。」

 いや意味わかんないんだけど。今めっちゃ真面目な話してたのに、どうしていい雰囲気だと思えたのかわかんないんだけど。

 疑問に思う鈴だったが、桜花は長年の付き合いから衣が何を思ったのか理解したのだろう。ニヤリと笑った。

「ほう、いい雰囲気とな。なれば、衣が混ざれば家族のように見えるであろ。妾と鈴が父と母で、衣が幼子といったところか。」

「衣は子供じゃないぞ!」

「いや、この状況を見たら誰でもそう思うような……」

 二人の女の子と一人の男という状況だとしても、衣の体型的に両手に花とは見られないだろう。衣が母親で桜花が子供などというのはもっとあり得ないし、桜花と衣の子供が俺なんて言うのは、なんていうかもう意味わからん。

 桜花と俺の子供というのが、この状況では一番しっくりくる。

 なのに、衣に睨まれた。

「おい鈴、もう一度目を見て言ってみろ。」

「桜花みたいなナイスボディになって、その幼児体型脱却してから出直しやがれ」

 目を見て言ってやった。

「お、お前……言ってはならないことを……!」

 わなわなと拳を握って、衣の周りを漂う羽衣が針のようにとがり、彼女の顔を半分隠すようにかぶった狐面が、衣の心情を表すかのように鬼面へと変化する。

 あ、これマジでヤバいやつじゃん。

「ちょ、ちょっと待ってくれ衣、それは痛い、それは実に痛い。だから止めよう、これは無益な争いだ」

「だったら今すぐ謝るといいぞ。ほら、衣お姉さまは『ないすぼでぃ』ですぅ、ぼく悩殺されちゃいますぅ、とかなんとか言ってみろ。」

「ごめん、俺、嘘はつけない主義なんだ……」

「よし、処刑だな。」

「待て待て待て!お前が膝の上に乗ってるから避けられない、回避不可能だから死ぬから死んじゃうから!」

 しゃりんと広げた鉄扇で口を隠し、桜花はくっくと笑いだす。

「そこまでにしておけよ、衣。あまり鈴に懐きすぎると、飛鳥が嫉妬してしまうぞ。」

 ちらりと、桜花が少し遠くに立っていた飛鳥に目をやると、彼女は「別になんともないし」とでも言いたげな顔で遠くを見ながら口笛を吹いていた。

 本人は誤魔化せていると思っているのだろうが、口笛が下手糞すぎる上に顔が真っ赤なので、まったく誤魔化せていない。

「なんだ、飛鳥も鈴の膝の上に座りたいのか。」

 衣がキョトンとした顔で問うと、真っ赤な顔をさらに赤く染め上げて、ぼんと飛鳥は水蒸気を噴き出した。

「あ……あの、えと、そのね、わたしはね、別に鈴くんの膝に座りたいわけじゃなくてね、でもそれって密着できるよねとか思いつつ、やっぱ羨ましいなぁとか思って座りたいなって考えに帰結しちゃ……あ、いや、羨ましいわけじゃないんだよ?ないんだけど、なんかわたしだけ疎外感っていうかね、蚊帳の外っていうかね?ちょっと寂しいなぁ的なね?だから決して、鈴くんの膝に座りたいとか思ってなくてね?でもとりあえず、その場のノリで座っておきたいなぁっていうかね?」

 お前、実は座りたいだろ。絶対座りたいだろ、座りたいんだろ。

 鈴は思うが、この年でそういうことをするのはなんだか気恥ずかしかったので、敢えてなにも言わなかった。

「鈴の膝に座りたいなら、半分貸すぞ。」

 衣が体の位置を桜花によせて、左半分を開ける。こいこいと手招きをするが、飛鳥はやはり動かない。

「あ、でもわたし重いし?衣みたいに軽くないし?あ……あと座らなくてもいいし?」

 やたらと疑問形で応える飛鳥に、衣は「別に座りたくないなら座らなくてもいいんだぞ。」と無情に告げた。

「ごめんなさい嘘ですホントは座りたいです全力で座りたいんです座らせてください!」

 全力で座るのはなんか痛そうだから、座るなら座るで、せめて普通に座ってくれよ頼むから。

 心の声を押し殺して、鈴は衣の座っていない左足を差し出した。

「ほら、座れよ飛鳥」

「……お願いします」

 その隣では、桜花がクスクスと笑う。

「くだらんな。くだらん日々だな。けれど、楽しいな。」

 こんな日々がいつまでも続けばいいと、桜花は笑う。そのためにも、守るべきモノを守りたいと、桜花は強く思う。


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