奇妙な噂
衣と行う朝の組み手を終えて学校へ向かった鈴の隣を、飛鳥が並ぶ。
「よう、飛鳥」
「おはよ、鈴くん」
相変わらず顔色が優れない鈴だったが、それでも初期の頃よりはだいぶ良くなっている。
「聞いてくれよ飛鳥。衣のヤツ、まだまだ本気じゃなかったんだぜ。あり得ねぇよ、あいつの力は底なしかよ」
へらっと鈴が笑うと、飛鳥はなにも答えずに鈴の顔をじっと見つめた。
「……どうした」
「朝ごはん、吐いてない?」
どうやら体を心配してのことのようで、ここまで心配されると流石に申し訳なくなる。
「ここ数日から、これ以上の無理は意味がないって衣に言われてさ。最近は吐くほどのことはしてないぜ」
それに、今の俺はもう、足手まといにはならないらしい。他の天児と比べても劣らないぐらいの力を身に着けた。初めは冗談かと思ったが、「衣は嘘はつけないぞ」と言われては、疑う気にもならなかった。
「そっか……」
ほっと胸をなでおろした飛鳥は、笑顔を向けた。
「これからは、あんな無茶しないでよね」
「死なない限り、なんとかなる」
「無茶して死んだら、わたし怒るよ。特訓だったら尚更に」
「あんなんじゃ死なないって」
「毎日吐いてたくせに、よく言うよね。美月さん、あんまりも心配だからってうちのお母さんに相談してたよ」
「ハイ、スンマセンシタ」
家に帰ったら母さんにも謝っておこう。
二人が学生通りを抜け、学校へ到着する。クラスへ入り、それぞれの席に別れた。鈴が机に荷物を仕舞っているところで、佐々木と永田が鈴の席へとやってきた。
「よう時神、おはようさん」
「おはおは、今日も飛鳥ちゃんと登校とか羨ましいねぇコイツぅ」
「おう、おはような」
普段は二人でエア野球やらエアバスケやら、エア剣道などをやっているお調子者の彼らだ。顔を合わせたら挨拶はするものの、わざわざ挨拶をしに来るのは珍しい。
何か、話したい話題があるのだろうか。
疑問に思ったところで、「なぁ、時神はこの噂を知ってるか」と永田が聞いてきた。
「どんな噂だ?」
「風間の幽霊が、この学校を徘徊してるって噂だよ」
耳に手を当てて、小さな声で佐々木が言う。
風間の幽霊?
疑問に思ってしばらく考えるが、やはり風間と言えば一人しか思いつかない。
「どういうことだ」
鈴が問うと、佐々木は親指を立ててトイレを指す。此処では話し辛いからトイレで話そうということか。だとしたら、己の考えた風間とはやはり、その風間のことかもしれない。
息をのんで、佐々木、永田と共に鈴は男子トイレへと向かう。
もうすぐSTが始まるからか、思いのほか他の生徒の姿はなかった。
「それで、どういうことだよ佐々木」
トイレに入って他に人がいないことを確認した鈴は、すぐさま佐々木に問いかけた。
「まぁ、落ち着け。これは噂だから、あんま期待すんな」
風間――風間辰人。鈴の片割れ、親友である彼がこの学校を徘徊している。それを聞いて、鈴は落ち着いてなどいられない。
「もったいぶるな、どういうことだって聞いてんだ!」
怒鳴ると、まぁまぁと永田が鈴を宥めた。
あくまで噂だ、俺が見たわけじゃないと佐々木が念を押して、口を開く。
「俺の友達がな、夜に学校に忘れた筆箱を取りに来たらしいんだよ。そしたら、この教室にいたらしい。青白い顔で佇む、風間辰人が」
「――っ」
思わず、息をのんだ。
辰人の死を眼前で目撃していた鈴には、彼が死んだのだと強く認識している。しかし、他のものはそうではない。潰れた右腕と大量の血液を残し、消え去った。葬式は行われたものの、明確な死は不明なままだ。
生きているわけがない。辰人が生きているわけがない。けれどやはり希望は抱いてしまうもので、心の何処かでは、アレは悪い夢であったのだ、と思う自分も確かに存在している。
「本当に、辰人なのか。見間違いとかじゃ、ないのか」
思えば、最終下校時刻を過ぎても鈴は衣との組み手のため長く学校に残ることがある。この教室を使うこともしばしばあった。もしかしたら、自分と辰人を見間違えたのではと考える。けれど、佐々木は「いや」と首を振る。
「教師にも、風間を目撃した奴がいる。ほら、英語のハルちゃんだよ。あの人、その日は見回りの日だったらしいんだが、教室に風間の姿を見かけたらしい。声をかけようとしたら、その姿が消えたそうだ」
「馬鹿な、なんで……」
辰人は確かに死んだ、俺の目の前で。巨大な大口に呑み込まれたんだ。何度も夢に見た、何度も悔やんだ。葬式だって行った。死んでないハズがない。生きているハズが、ないんだ。
震える鈴を見て、永田は頭をぽりぽりと掻いた。
「なぁ時神、信じられないのはわかるよ。実際、俺だって信じられない。けど、ホントらしいんだ。ハルちゃんや佐々木の友達だけじゃない、他のヤツだって目撃してるって話も出てるんだ。なんつーの、信ぴょう性?結構、高いと思うんだ」
「――ふざけんなッ!」
思わず、鈴は永田の胸倉を掴んで吠えていた。
「もし辰人が生きてるなら、どうして俺の前に出てこない!どうして家に、この学校へ帰ってこない!バカなこと言ってんなッ!」
わからない、わからない、わからない。なんで、どうして、今になって辰人が。
死んだんだ。死んだんだよ。アイツは俺の目の前で、俺を庇って、死んだんだ。もう会えない。もう話せない。失ったんだよ、居なくなったんだよ。だから、アイツがいるハズはないんだよ。失ったものは取り戻せない、二度と帰ってはこない。
だから、変に希望を抱かせるのは止めてくれ。
「時神、苦しいよ」
「……すまん」
永田から手を離すと、鈴は後ずさり、壁にもたれかかった。
「時神、俺らだって困惑してるんだ。ハルちゃんだって、みんなだって。だって俺ら、葬式に行ったんだぜ?葬式行って、線香あげてきたんだぜ?お前が、風間の母さんに責められるのだって見てたんだ。なのになんだって、アイツが現れるんだよ……。なぁ、アレは夢だったのか?風間の葬式は、本当に行われたのか?」
困惑しているのは、自分だけではなかった。
佐々木も永田も、それ以上は何も言えず、暗い顔で俯いている。
俺が辰人が死んだのが夢だと思っているように、こいつらもあの葬式が夢だと思っているのかもしれない。だから、鈴は言った。
「夢じゃ、ない。俺も覚えている。みんなが葬式にいるのを見た、お前らの前で、俺は晴子さんに怒鳴られた。辰人が死んだのはお前のせいだって……」
夢では、ない。辰人は、死んだんだ。
風間辰人は、もういないんだ。




