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時神鈴の夜―過去編『アストロメリア』  作者: 九尾
高天原に巣食うモノ
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「あぁ、良くない。良くないな。盗み見など実によくないなぁ、少年」

 闇から男が姿を出すと、少年は大して驚きもせずに後ろを振り返った。

 芝居がかった口調で話すその男は、笑っていた。

 何が面白かったわけでも、誰を貶すわけでもない、ただ、笑っていた。

 奇怪な男だなと思う。

「盗み見してるヤツを盗み見とは、いい趣味してるぜオッサン」

 少年の眼前に立っているのは、白いスーツに、赤髪、赤髭、そしておどけた態度の奇妙な男。

 諸手を広げて愛おしいものをみるような眼差しを向ける男は、敵。おそらく、少年が盗み見ていた“彼”と“彼女”の守り手といったところか。

「盗み見とは本来、最後まで隠れてようやく完了するものだろう。堂々と君の前に姿を表したのだから、私はこの行為を盗み見と言われることに些か抵抗があるね。訂正を求めよう」

「訂正はしねぇよ。知ってるんだぜ、お前が長い間俺を付けていた事ぐらい」

 気付いていたのかね。

 見開いた目を細めたスーツの男は、にんまりと笑った。

 己を付ける影がありながら、この少年は盗み見をした。己が見られていることを知りながら、何故この少年は私を振り払うこともせずに気付かぬ素振りを見せていたのか。

 考えていたとき、少年は大したことでもない、とでも言うように笑った。

「アンタはあの二人を守りたい。俺は無為な争いは避けたい。それだけの話だろ」

 それは確かにその通り。もし少年と戦闘を行うにしても、スーツの男に“彼”と“彼女”を巻き込む意思はない。どころか、少年に行動を起こされた場合、如何にして悟られぬよう引き離すかと方法を模索していたところである。

 少年と戦うつもりならば、見つけたその場で襲っているし、そうでないならば、男には別の目的があるということだ。

 別の目的があると判断し、少年は自分を尾ける男の存在を敢えて無視していたというなら、それだけの知能があるということである。

 本来、眼前に立っている少年――いわゆる、殻人と呼ばれる存在に知能はない。人語を理解できるかどうかも怪しいところであるのに、彼はなんなく男の言葉に返事を返す。

 男――ハワード・マクラウドは、思った疑問を口にした。

「キミの主は畜生以下の外道だろう。なにゆえお前に知能を与えたのかね。アレは、物言わぬ人形を好んでいた筈だが」

 アレ。

 ハワードの言うアレ、少年の主たる存在は、冗談でも比喩でもなく、名を口にするのもはばかられるほどの化け物だ。鬼というには過小表現、畜生というにしてもまだ足りぬ。外道という言葉でさえも、ソレの前では可愛いと思えてしまうほど。

 故に畜生。故に外道。地獄の鬼より醜悪で、殺戮機械よりも残忍だ。この世の如何なる言葉を持ってしても表現しきれる言葉はなく、故に醜悪の災禍。どこまでも純粋に、どこまでも際限なく、人の愛が壊れゆく様を笑い貪る姿はさながら暴食の崇り。

 人畜無害という言葉の対象になり得る、万象有害とでもいうべき存在だ。

 人の不幸は蜜の味とはいうが、アレほどその言葉に意味を持たせる存在はそういない。

 他人の不幸がなにより美味い。お前らの絶望が甘くて甘くてたまらない。三度の飯より他人の不幸、さぁ貴様ら、泣けよ喚けよ、おれに新たな甘美を与えておくれ。

 人の恐怖が美味い。その恐怖に引き攣った顔でおれの空腹を満たしておくれ。

 人の絶望が美味い。愛するものを殺したくないと泣き叫びながら、お前のその手で殺すところを見せておくれ。

 崩れる友情、ヒビ入る愛。血に塗れた貴様らがこれまで築いてきた大切なものを自ら捨てるその様を、このおれの前で見せておくれよ。さぁ始めろ、塵屑同士喰らい合え。自ら愛を壊しておくれ。

 チッと、ハワードは笑顔を曇らせ怪訝な顔を見せた。

 他の誰かの都合は知らぬ。私一人が良しと思えば、それが私の桃源郷。我ながら中々に歪んだ願望を持っていると自覚しているハワードですら、アレの存在には虫酸が走る。

 ましてや今この時、この地球を己の玩具箱(モノ)にしようと、アレがこの星で呼吸を繰り返していると思うだけで、あぁもう耐えられない、身体の奥底から途方も無いほどの吐き気がこみ上げる。

 アレの罪は生きることだ。アレの罪は産まれたことだ。アレが産まれた経緯をハワードは知らないがしかし、アレをこの世に産み落とした事こそが、アレの親の最大の罪である。

 アレの存在はまさに、害蟲だ。アレはこの世に存在してはならない。近くに存在するだけで周囲へ禍いを振りまき、誰彼構わず万象喰らって奈落へ落とす。アレを前にして幸せなど語れない。アレの内は既に、芯の芯まで腐敗し犯され、歪んだ欲望という害蟲を、猛毒の病原菌と共に際限なく孕み続ける。

 誰が道徳(さっちゅうざい)(ふりま)こうとも、意味がない。

 誰が(くすり)語ろ(あたえよ)うとも、意味がない。

 それほどの数の蟲。それほどの質の猛毒。

 アレの際限なく湧き出す(よくぼう)は、誰もを犯す猛毒(ふこう)をばら撒き、万象全てを喰らって奈落へ落とす。

 そんな人とは呼べぬ異端者が、己の玩具に意思と知恵、思考、そして動く身体を与えた。

 ハワードには、それが疑問に思えて仕方がない。

 アレにはおおよそ人の常識が通じないが、それはつまり、アレが人の常識の枠に嵌ることを良しとしないということ。究極的な外道であるが故に、人の行わないであろうことを推測すれば、ある意味ではその行動を推測できるところがある。少なくとも、常人が行う程度のことを、アレが行うことはないハズだ。

 ハワードが疑問に思っていると、簡単なことだと少年が肩をすくめた。

「なに、俺はあのキチガイに気に入られたのさ。お前は人並み外れた矛盾の心を持っている、天の光と奈落の闇、お前はどちらを選ぶのだろうかおれは知りたい……とかなんとか言われてな」

「天の光と奈落の闇……。キミがかつての輝きの継続をを選ぶか、それともかつての輝きに自分が含まれないことに絶望し、その光を壊して奈落へ落ちるか、ということかな」

「ああ。実際、俺にはあいつらを見て二つの思いが沸くからな。俺がいなくても幸せになって欲しい。けどその反面、俺のいないどこかで幸せを見つけるのが、たまらなく悔しい」

 人の心はさながら陰と陽。完全なる白など存在しなければ、欠片の輝きもない黒もまた存在しない。闇がなければ光は存在できぬし、光がなければ闇もまた存在できぬが故に。

 この少年は、おそらくその境が顕著なのだろう。かつて確かに在った幸福な日々。己の居場所のなくなった光を良しとするか、己の存在しない輝きなどに価値はないと破滅を願うか。前者が善人、後者が悪人であると道徳の枠に嵌められるがしかし、前者のみを良しとするこの道徳世界の、なんと罪深いことか。ハワードはそう考える。

 ならばお前は妬まぬか。己など存在不要である世界を見せつけられて、壊したいと欠片も願わぬと言いきれるか。

 私であれば、否と答えよう。

 聖職者ならば、断固私は光を良しとすると口にするだろうが、心の欠片では良しとしないに決まっているだろう。どんな聖人君子だろうとも、人である以上、心の闇は少なからず持っているはずなのである。

 居場所を失うということは、己の存在意義を失うと同義である。私がいなくても、お前たちは幸せだから私も幸せだと?は、ふざけるなよ阿呆が。己の存在意義を否定されて尚、あぁ他の人は幸せだなぁ良かった良かった、などと戯けた戯言をほざける輩が、この世のどこにいるものか。

 もし心より、自分がいなくなってもあの人たちが幸せならば構わないと思うならお前、今すぐ死ねよ。お前など居ようと居まいと変わらぬ。どの道幸せになるのだろうから、お前、今すぐ死ねよ。

 時間が経てば皆はお前を忘れ、幸せに生きていくだろう。皆の幸せが好きなのだろうが、己の幸せなど必要ないのだろうが、ならば此処で死のうが生きようが、そこに大差はない。結果としてお前がいなくても皆が幸せになれるのだから、どちらにしても変わらないのだ、今すぐ死ねよ。もしそれが嫌だと言うのなら、もし自分の死に誰かが悲しんで欲しいと願うなら、それはもはや聖人ではない、ただの醜悪な人間だ。己の死という事象によって、大切な人に悲しんでもらいたい――すなわち、不幸な気持ちになってもらいたいと、心の底では願っているに他ならないからである。

 私が死せども皆が幸せ、これに勝る幸福はない。黒を黒と認めず、己こそは完全なる白であると言い張る無知蒙昧な聖職者どもめ。ハッ、反吐が出る。それに比べて、この少年のなんと人間らしいことか。

 それこそ人間、己の幸せを求めるからこそ、己の居場所を求めるからこそ、我々は桃源郷を求めずにはいられないのだ。

 白は白、黒は黒。知っているけれど、己は黒に近い白だから、己の居場所がなくなることに耐えられない。己がなんたるかを知っている少年の、なんと潔いことか。

 我々はただの畜生に非ず。理性を持ち、道徳を重んじ、成り立つ法の上に正しくあるべしと生きる人間だ。真に己を理解し、己の内に潜む悪と戦い、正義を貫く。これこそ、古来よりある、我々人間の美徳ではないのか。我々人間の誇りではないのか。

 己を理解できぬなどとは無知蒙昧。己の内の悪に敗北した罪人などは、ただの精神的弱者。誰かのため、己のため、時には法を破ってでも正しいと信じた道を征く。それこそ、我々人間ではないのか。これが出来ぬならば、ソレは人の皮をかぶった畜生だ。

 少年は、ハワードの思ったとおりの人間だった。少年を見ていてハワードが抱いた仲間意識は、なるほど芯が己と似通っているからか。

 ハワードは、そんな少年の最後を見届けたいと思った。そして、人間の心にある光を見たいと――残された者たちの幸せを願って欲しいと思った。

 それと同時、ハワードは気づく。ならばなるほど、少年が意志を持ち動けることは納得だ。人の思い描く“邪悪”にそのまま当てはまる少年の主……アレならば、少年が苦悩し葛藤し、悩みに悩み抜いて選ぶ、奈落の未来を望んでいるということだろう。

「なるほど、アレがキミを今のまま置いておく理由はわかった。けれど、ならばキミはどうしてアレの下にいる。アレは人を狂わせる。こうして話せている以上、狂っているようには見えないが」

「目に見えないだけだろ、多分。俺は狂ってるよ、自分の幸せしか考えられない最低の下衆だ」

「だとしたら、尚更アレの下にいることは耐えられないだろう」

 アレは下衆の極みだ。己の快楽にしか興味がなく、その為になら他者がどうなろうと構わないと考える。もしアレの隣にいるのなら、究極的な自己中心の生き方を見せられる。それはつまり、人間の醜い部分をそのまま具現化した姿でもある。であるから、人はアレの隣が耐えられない。誰しも、醜い己を直視したくないから。

「まぁ確かに、隣はキツいよ。けどさ、なんか変な話だけど、俺は救いたいと思ったのさ。主を助けたいと思ったのさ。だから、隣にいる」

「アレを救う?」

 アレは暴食の悪魔だ。存在してはならない存在だ。それを救うだと、馬鹿を言え。アレには道徳を語ろうが愛を語ろうが、まるで意味をなさない。それらの概念を、アレはそもそも知りえないし、知ろうともしない。持ち得る価値観が違うのだ。

 救いようのない化け物だぞ、アレは。

「救いようがないと思うかい。うちの主は死んで消えて当然だと思うかい。俺もおっさんの立場ならそう思ってただろうけど……けど、知っちまったんだよな、いろいろと」

 少年の瞳の上を、一匹の蟲が這いずり回り、再び彼の内へと戻っていった。

「うちの主は外道だ。畜生だ。人の心なんざ欠片も持っちゃいないし、悪魔と呼ばれても仕方ない。最低最悪の祟りだよ、アレは。下種の極みって言葉でもまだまだ生温い、その程度の言葉じゃ嫌悪感を表現しきれない。わかっているよ。でも俺は、そんな外道を助けたいと思っちまったんだよな」

 それだけ呟いた少年は、馬鹿だろ俺、と呟いて、歩き始めた。

 無防備に背を向けて歩く少年に、ハワードは言う。

「如何なる道徳も、如何なる愛も、アレの前では意味がない。それぐらい、隣にいればわかるだろう」

「ああ、主はもはや殺戮の道具だ。殺し、奪い、殺し合わせ、その様を見て笑い愉しむ地獄の災禍だ。それでも、思っちまったもんは仕方ないだろ。恋と同じだ、消そうと思っても消えないんだぜ、こういう感情は」

「アレは、キミのその思いすら、何も知らずに裏切るぞ」

 そもそも、裏切るという概念をアレは知らない。何故なら、この世は総じて己の玩具であると信じ、アレは微塵も疑わぬから。

 ああ死ねよ、やれ死ねよ。塵屑同志潰し合え。愛を喰らえ、絆を断ち切れ、己一人のために他者を踏みつけろ、ああ貴様らの醜い姿を見せておくれ。おぞましい毒のような快楽を、子供が童謡でも口ずさむがごとくに歌いながら、アレは周囲に死を振りまく。

 信頼、裏切り、なんだそれは。それはお前らの中に存在する者だろう、このおれには要らない。おれは、お前たちとは違う存在なのだから。アレは、それを信じて疑わない。

「ああ、裏切るだろうな。わかってるよ。それでも、俺は助けたいと思うんだ」

「そこまでいくと、お人好しもとんだ病気ではないかね」

「お人好し?そうか、これは確かに、言われてみればお人好しか。……ありがとよ。俺にとっては最高の褒め言葉だ」

 そこまで言って、少年は今度こそ姿を消した。

 ハワードもこれ以上この場にいる理由は無かったのだが、しかしどうにも、その場から動けなかった。少年が姿を消した闇をただ、見つめていた。

「キミがお人好しでなければ、“彼”はもう、この世にはいなかっただろうよ」

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