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 君に聞いておきたいことがある。

 もとの世界に返される前に、嚆矢は言った。

 天津国に入った鈴には、過去の歴史も知ることができた。それはすなわち、桜花の述べていた『神話の元となる出来事』が事実として存在していたということを知ることである。そして、これから数年後に起きるという大災厄の存在すらも、予言などという中途半端なものではなく、未来予知というに相応しいだけの確信をもっていた。

 そんな鈴に、嚆矢は一体何を伝えようというのか。

「キミは、誰かを助けたいと強く願っているよね。」

「そうだけど、何か変だったか?」

「もし、もしもの話だけど――助けられなかったら、どうする。もし取りこぼしたのだとしたら、どうする。一度失ったものを、取り戻したいと願うかな。」

「何が、言いたい」

「いやね、素朴な疑問さ。助けたいと願う者が、大切なものを助けられなかったとき、どんな色に染まるのか……それを、聞いておきたくてね。」

 鈴の本質、御霊に宿す神の願い、そして天児の力の源は、『助けたい』という願い。もとは白紙であったその神が、助けるという色に染まったということは即ち、その神があらゆる願いに染まりやすいという可能性を示している。

 今は“助けたい”という願いでも、この先の展開によっては変化するかもしれない。もし変化するのであれば、その願いはなんなのか。

 彼は即ち、そういったことを聞きたいのだろう。

「もの分かりがいいね、キミは。キミの宿り神はどうやら純粋らしくてね、それ故染まりやすい。つまり……染まらぬか否か、もしくは何色に染まるかどうかは、すべてキミの意思一つになるわけだ。」

 だから、聞いておきたい。

 なるほど、己の部下である者たちの力量や可能性を知っておくのも上に立つものの務め、それを聞くのも道理だ。

 ならば、答えるのもまた道理だろう。

「俺は、一度無くしたものに価値はないと思う」

 一度も無くせないから、尊い。

 なんの代償もなく取り戻せるものがあるとすれば、それは大切なものがその程度の価値であったということ。二度と取り戻せないからこそ、取りこぼしたくない。だから、取りこぼさない。


 かつて、伊邪那岐と伊邪那美という夫婦がいた。彼らは新たな神を産んでいくが、火の神を産んだ際に伊邪那美は死んでしまう。伊邪那岐が伊邪那美を生き返らせようと黄泉の国へ向かったとき、伊邪那美は黄泉から出る支度をするから、私の姿を見ないで下さいと言ったそうだ。伊邪那岐はそのいいつけを守らずに、伊邪那美の姿を見てしまう。

 するとそこには、蛆が湧き、身体の腐敗した伊邪那美がそこにいた。伊邪那美の体と言ったら、それはひどい有様であったという。彼女は既に黄泉の国の食べ物を口にしており、黄泉の住人となっていたのである。

 一度失ったものは取り戻せない。壊れたものは、二度と同じものには戻らない。これはきっと、そのことの暗示だ。

 話を続けよう。

 醜い姿を見てしまった伊邪那岐は、これはたまったものではないと逃げ出した。それを知った伊邪那美は、鬼の形相で伊邪那岐を追いかける。

 伊邪那美に加え、黄泉の国の住人までもが伊邪那岐を追いかけるが、なんとか振り払い、黄泉の国から住人が自由に出入りできぬよう、伊邪那岐はこの世とあの世の堺を大きな岩で封じた。その時に、岩越しに二人は会話を交したという。

「これより毎日千人、私は人を殺します。」

 憎い。どうして汝ら男はいつも、我ら女との約束を守らない。呪ってやる、呪ってやる。お前が憎くてたまらない。お前は必ず許さない。お前の子孫も許さない。末代まで呪い、殺し尽くしてやる。一人も許さぬ、生かさぬ、共に地獄へ墜ちようぞ。

 数多の呪詛を込めて、伊邪那美は言った。

「ならば私は、毎日一五〇〇の産屋を建てよう。」

 ああ、勝手にしろよ。お前のことなどもう知らん。ここにようやく悟ったよ。失ったものに価値などない。取り戻したとて意味などない。それはもはや、失う前のものとは別物故に。もしか失ったのなら、それに代わるものが在れば良いのだ。その代わるものを失えば、またそれに代わる何かが在れば良い。さすれば万象世界は廻る。

 新たな考えを胸に、伊邪那岐は告げた。

 そして、伊邪那岐は二度と、失ったものを取り戻したいとは思わないようになった。

 ――つまり、鈴が言いたいことはこういうことだ。

 何かを失ったら、それはもう失う前とは別のもの。

 確かに伊邪那岐の裏切りを見れば、伊邪那美の怒りも頷ける。しかしそれ以上に、鈴には伊邪那岐の考え方に共感ができたのだ。失ったものは、取り戻せない。

 だからこそ、嚆矢の問いは鈴にとって簡単な問題だった。

「俺の願いは変わらない。失ったものは、取り戻さない。だから、取り零さない」

 それだけだ。

 取り戻せないなら、取り零さなければいい。それがどれだけ難しいことだとしても、後悔だけはしたくない。だからこそ、その手を掴む。

 ――たとえ、時を止めてでも。

「そうか。それは素晴らしいね。なら、ただ一つ、聞いておきたいことがある。」

「さっきので終わりじゃないのか?」

「その関連なんだけどね。もしか、キミの取り戻したいものがキミの目の前に現れたらどうする。もしか、キミの知る形で現れたらどうする。」

「それは……」

 どういう、意味なのだろう。

「例えば、失ったキミの片割れが、もう一度キミの目の前に現れたとしたら、どうするのかな。仲良くするのか、それとも偽物だからと滅するのか。ぼくは、それがすごく知りたい。」

 要らない、世界の断りから外れたモノは滅するべきだ。言葉にするのは簡単だ。その時心に決めることも、簡単だ。けれど、やはり願ってしまう。

 もしも叶うなら、あの“幸福な日々”を取り戻したい。けれど願ってはならない、叶ってはならない、それはこの世の法則に反するものだから。

 だけど……。

「もし、辰人が俺の前に現れたなら、俺は……」

 己の半身を――風間辰人を前にして、俺は失ったものは偽物などと言えるのか。伊邪那美が変わってしまったように、辰人も変わっているから必要ないと言えるのか。お前の代わりに飛鳥が俺を支えるから、お前はもう不要だと、言えるのか。

「……わから、ない」

「キミの願いは確かに美しい。けれど、輝きが強すぎる故に闇がある。それは、そこの彼女にも言えることなのだけれどね。」

 闇があるから光がある。光があるから闇がある。これらの性質は正反対のものだが、だからこそ、片方が消滅してしまってはその概念そのものが消えてしまう。闇があるからこそ、光は光として存在できる。もしこの世総てが光ならば、明るさという概念から消滅してしまうために、光は光足りえない。その逆もまた然り。

 美し過ぎる願い。確かに美しく光り輝いているが、その対面には光にふさわしいだけの闇が潜んでいるのだと、嚆矢は言いたいらしい。

 鈴の場合に於いての光とは、『必ず助ける』という、どこまでも人のために働きかける美しい願い。対する闇は、取り零せないものを取り零した時、そして取り零した者が現れた時に起こり得る、願いと矛盾する事態の発生、及びそれに伴う願いの変化の可能性。

 光と闇、善と悪、決して交わらない陰と陽。それらは常に相対し、互いを排斥し、しかし互いに存在しなければ成り立たないという共存関係にある。その性質故に、その色は何かのキッカケによって瞬く間に入れ替わる。


 『羅生門』という近代文学がある。

 これは近代文学作家、芥川龍之介が記した有名な著書の一作であるが、この作品に登場する主人公などはまさに陰と陽を表す典型だ。

 悪事を良しとせぬ正義を貫いていた主人公であったがしかし、とある出来事により瞬く間に悪人へと変貌する。そこに悪意はない、ただ、生きるために道徳を捨てた悪となる。

 善人や悪人などは対立するが、しかし変わらぬ心などない、ということがこの作品には表されていると言えるだろう。


 つまりは、光と闇、善と悪などというものは、陰陽の勾玉のようなものである。完全な白というものはなく、また完全な闇はない。その二者の中間点はひどく曖昧なもので、時と場合によってどちらにも傾く。黒ずんだ白があれば、わずかに明るい黒もある。それが普通の人間であり、人の願いであるからだ。

 しかし鈴の願いは美し過ぎる。輝きすぎるあまり、光と闇が明確にわけられた。それ故に強力だが、それ故に色が入れ替われば問題となる。

 もし死者を蘇らせたいと願ったら、彼は簡単に死者を蘇らせるだけの力を得るだろう。

 彼はそれだけの願いを祈る力があるし、また彼の宿す神にはそれを可能にするだけの力がある。

 神だからといって、万能ではない。しかし、幸か不幸か、彼の宿す神は万能といえるほどに優れている。万能故に、彼の御霊に宿る神は色を持たなかったのだから。そしてそれは、逆にいえば如何なる色にも染まるということ。また、如何なる色に染まろうと、それを叶えるだけの力があるということ。

「答えられないかい。」

 嚆矢の問いに、答えられないと鈴は言う。

「今すぐ答えを出せとは言わないけどね、早めに答えを出しておくれよ。……そうだな、宿題にしよう。答えが出たら、桜花なり衣なりに伝えてくれ――。」

 ――。

 ――――。

「――ぇ。ねぇ、時神くん。聞いてるの、時神くん」

「え、あ、はい!」

 鈴が顔を上げると、英語教師の大山春奈がこちらをじとーっと見つめていた。

 彼女は若い英語教師で、三組の副担任だ。

 おっとりした性格で物腰が柔らかなところが生徒たちから人気があり、ハルちゃんと呼ばれて親しまれている。が、本人はあまり好んでいないようで、それを気にしているらしい。また、身長が低いこともコンプレックスだ。

「え、えと…….なんでしょう」

 うわやべぇ、やっちまったこれ。完璧怒られるやつだ。

 どんな問題が来てもいいように視界の隅に映る英語の教科書を見ようとしたら、教科書は机に出ているものの、開かれてすらいなかった。

 あ、うん。これもうアレだね。

 はい、終わった。

「……時神くん」

 はぁとため息混じりに呟いた彼女は、じとーっと鈴を見つめた。

 いつもなら「ちゃんと話を聞きなさい。聞かないなら教室を出て貰いますよ」と厳しい口調で言うものだが、今日は違った。

「次は、もう少しキツく注意しますよ」

「あ……はい、すみません」

 頭を下げた鈴に、彼女――ハルちゃんは優しく告げる。

「これからのあなたに、期待しますからね」


「妾は今後の汝に期待しておる。故、精進せよ。」

 授業後、鈴と飛鳥はやはり天児としての修行を行っていた。

 その中で、開幕桜花が言い放った。

「……え?」

 あまりに突然の出来事に、鈴は首を傾げる。

「汝の可能性は無限だ。嚆矢様曰く、今後汝は飛鳥と、そして新たな天児と共に、いつか訪れる夜明けの明星となるらしいな。ならば、期待して然りであろう。」

 相も変わらず嚆矢を信頼しきっているような発言だが、“普遍的集合意識”の先――天津国へ至ればその言葉の意味の深さがよくわかる。桜花だけでなく、鈴も己がいつか訪れる夜明けの明星となることを疑わなかった。

「そのために、強くあれ。守りたいものを守れるような強さを、身に付けよ。“助けたい”、その望みを果たせるように。」

「……おう、任せとけ」

 期待を受けた。そして嚆矢がいうなら、己には可能性があるのも確かだろう。

 守るべきものを守れず後悔なんて、もうしたくない。俺には力がある。なら、その力で二度と後悔しないように守るんだ。

 今自分にできることを、やっていくべきだ。

 改めて認識した鈴は、拳を握る。

「じゃあ始めようじゃないか、桜花」

「いい忘れていたが、本日より妾は飛鳥の相手をする。汝の相手は、衣だ。」

 桜花が指をさしたのは、少し離れたところで飛鳥と戯れている幼女だった。

 いや、なんていうか、アレだ。前に会ったとき、衣は強いからお前も守ってやる、みたいなことを言ってはくれたが、大丈夫なのか。

 女性差別も年齢差別もするわけではないが、どうにも衣が己より強いという実感がない。

 年上の桜花ならまぁそこそこ本気になれたが、衣を相手に俺は本気を出せるのか。今までは、業天を纏えなかったために本気を出さなければならない状態だった、というのはあるけれど、今の俺は業天を持っているんだぞ。

「ホントに衣が相手なのか?」

「然り。アレは並ならぬ防御力を誇っておる。それを切り崩せねば、汝はこれから先の戦いには勝ち抜けんよ。故、アレの鉄壁を切り崩して見せよ。」

 まだ、ハワードだとかオーガスト、アーヴァンの方がやりやすい。大人だということもあるけれど、いずれも男であるし、ハワードとアーヴァンの二人はタフそうだ。オーガストに至ってはどの程度攻撃が当たるかもわからない。

 どちらにせよ、攻撃に加減は必要ないとわかる。

 けど、女の子……それも女子小学生にしか見えない小さな娘を全力で殴るというのは……男として、どうなんだろう。

「先に述べておくが、衣は強い。汝程度ではたちまち吊るしあげられるぞ。前のようにな。」

 それだけ言った桜花は、衣のもとへ向かった。

 何かを話したあと、交代するように衣がこちらへ来る。

「どうだ、鈴。少しは強くなったか。」

 あれから、鈴は飛鳥から戦いの指南を受け、多くの攻撃を避ける術を学んだ。もう以前のように、あの羽衣に捕まったりはしない。

「ああ、試してみるか」

「ふふっ、大きく出たな。なら言葉に甘え、試させてもらうぞ。」

 ――掛けまくも畏き大殿籠る御霊に恐み恐み申さく。蒙り奉る御神徳を仰ぎ奉る我、今し御前に参上り来て、清き心を振り起こし、この身を捧げ奉り拝み奉る。平けく聞こしめして、“此の身をうとび疎び来む物を障る拳へと成したらしめ給へ”と、恐み恐み申す――。

「来たれ業天――“白煌”」

 銀、銀、銀。

 銀髪、銀の水晶、銀に染まったその瞳。

 白銀の鎧に身を固めた少年は、準備はできたと対する少女に目を向けた。

「言っておくが、衣はスパルタだぞ。覚悟はいいか?衣は桜花や飛鳥と違い、遠慮などせずに格の違いを見せつける。絶望しないように気を付けるんだぞ。」

「任せとけ。……行くぜ」

「いつでも来るといいぞ。」

 鈴が駆けた刹那、衣の周りを浮遊する羽衣が動くのが見えた。

 あの時は油断していた。しかし今は違う。衣は、鈴の動きに追いつけない。あの羽衣は捕まれば確かに驚異かもしれないが、ならば捕まらなければいい。

 一瞬とも言える時間の中を鈴は駆け抜け、たちまち衣の眼前へと迫る。これほどの距離ならば、この拳は外さない。外しようがない。

 見たところ、衣の攻撃手段はこの羽衣のようだ。この羽衣さえ切り抜けられれば、此方の拳は当たる。この羽衣が如何に強固な防壁であろうと、隙間はある。その一点を狙えば切り崩せる。攻撃を防げなければ、壁としての意味を持ちえないのだから。

 眼前へ迫った後に背後へ移動、拳を振った鈴だったが、衣の幼い容姿を見て、僅かながら握った拳に力が抜け、緩む。

 やっぱやりにくいなぁ、こいつ。

 思った瞬間だった。

 鈴の振った拳の前に、鈴より速く動いた衣の手の平が現れる。衣の細腕が拳を逸らし、鈴の腹部には、逆に衣の拳が叩き込まれた。

「――っ!」

 何が起きたのか、わからなかった。

 鈴の能力は加速、そして体感時間の低下である。言ってみれば、世界の動きが遅くなり、その中で己だけは変わらない速度での行動が可能になるわけだ。

 なのに何故、衣は俺と同じ……否、それ以上の速度の行動を可能としていた――。

 その先を考えることもできず、腹部に激痛。鈴は衣の拳に吹き飛ばされ、数十メートル先へと飛ばされた。しかし尚も勢いは止まらない。転がりながら、遥か後方へと飛ばされる。

 一撃が、重い。彼女の拳は小さく、柔らかい。だというのに、自分の拳とは比べ物にならないほど、重い。壁を貫く?アスファルトを砕く?違う、これはそんな生易しいものじゃない。この拳の一撃ならば、例え天児の盾――神の鎧、業天ですら貫けると鈴は悟る。今は加減をしていただけだ、衣が殺す気でいたなら、自分は一度死んでいた。

 あの細腕のどこに、それだけの力があるという――。

 転がりながらも、鈴はなんとか地に足をつけて体勢を戻す。

 あまりに重い一撃に動揺していると、今度は伸びた羽衣が四方より迫った。

 回避しようと力を込め、己を加速する。が、しかしやはり羽衣は遅くならない。

「なんで――」

 なんで、こいつは変わらず、俺の速度に付いてこれるんだ。

 叫ぶ間もなく、鈴の四肢は羽衣に捉えられ、その正面には衣が迫る。

 抜けようとするが、その羽衣からは逃れられない。当然か、この羽衣は衣の業天の一部、いわば神の鎧だ。今の鈴には振り払うだけの力も、壊す術もない。

 咄嗟に正面を向くと、くるくると舞うように回転した衣が、その足を己の顔面に叩き込もうとしているのが見えた。

 衣の回し蹴りが鈴の頭を捉え、脳を揺さぶられる激しい衝撃が眩暈を起こす。彼女の蹴りに耐えられなくなった肉体が羽衣から外れ、再度吹き飛び、頭から大地へ沈む。大きなクレーターを作ったが、それでも勢いはとどまらず、並の人間ならばありとあらゆる骨が砕けてもおかしくないほどの勢いで大地を転がった。

「おいおい、大丈夫なのか。」

 今尚転がり続ける鈴に羽衣を伸ばし、右足首を掴む。転がり続ける中で急に動きを止められたため、慣性の法則によって脳が揺さぶられた。先の蹴りよりは幾分もマシなものだったが、頭を揺さぶられた後なので非常に気分が悪くなる。

 羽衣で片足を掴んだまま、衣はその鈴を己の前まで引き寄せた。

「生きてるか、鈴。」

 宙吊りになった鈴の顔をつんつんとつついて、衣は問いかける。

「……あぁ、なんとかな」

 それだけ言うと、肺から入り込んだ大量の土砂を吐き出そうとしたのだろう、身体が勝手に咳き込んだ。

「あれだけ豪語していた結果がこのザマか。どこにそれだけの自信があったのか、甚だ疑問だぞ。しかもお前、衣に加減しただろ。」

「……はい、反省してます」

 いやだってさぁ、誰だって小さな女の子殴るには抵抗あるでしょ。それに、衣がここまで強いなんて聞いていない。飛鳥はかなり強い部類だと聞いていたから、その飛鳥にある程度対抗できるだけの実力をつければいいと勝手に思っていたわけで。

 ぐわんぐわんと揺れる頭で、鈴は密かに言い訳をした。

「飛鳥に対抗できれば、衣になど余裕で勝てると思っていたのか。」

「……う」

 図星です。

 確かにここ数日、桜花の扱きとは別に秘密特訓を行っていた鈴は、飛鳥の技を多く回避できるようになり、ある程度自信をつけていた。まさか数日かけて築き上げた自信が、ほんの数秒によってここまで無残に引き裂かれるとは思ってもみなかった。

「阿呆め、慢心するなよ小童が。飛鳥が強いと言われているのはあくまで、宿した御霊を指したものだぞ。」

 それは初耳だった。

「それとだな、確かに鈴にも飛鳥同様のポテンシャルはあるし、速度の変化という能力も強力だ。だが、だからといって常に相手より優位に立てるとは限らないぞ。」

 今回のようにな。

 はぁとため息をついた衣は、ゆっくりと鈴を地上へ下ろした。

 心身共に傷を負った鈴は、何も言えない。

 慢心があった。優位に立っていると錯覚し、油断があった。加減するなと言われても尚加減して、その結果がこれだ。

 殴られた腹部が痛む。蹴られたこめかみが、口を開くたび阿呆と痛みを訴える。

 肺に入り込んだ砂塵のお陰で、咳き込んだ。

 最悪だった。

「鈴、ひとつ勘違いをしているようだから忠告するぞ。」

「……なんだ?」

「現状、お前は隙だらけ、また攻撃方法も単調で読み易い。それでありながら、お前は速さを利点としている割に衣より遅い。絶望的だぞ。」

「なんだよ、それ……」

 速さが取り柄の鈴が、遅い。

 なら自分はなんなんだと、鈴は眉をしかめた。

 取り柄となる速度すら他の天児を超えられない、無力な天児。……それが、時神鈴だというのか。

 ふと、初めて業天を纏った時のことを思い出す。

 始めこそ攻撃があたったものの、二度目以降はハワードやオーガストにほとんど攻撃を当てられなかったのは、それが理由か。飛鳥もまた、鈴の速度にある程度付いてこられていた。それはつまり、長期戦になればいつかは必ず目が慣れて、相手と同じ土俵で戦うことになるということ。

 相手は能力を所有しているのに、鈴には有利な点はない。それで勝ち目があるのか、本当に。

 守れるものがあるのか……。鈴は、考えずにはいられない。

「なにを勝手に絶望している。衣は言ったぞ、『現状』と。天児の能力は進化する。鈴、お前は強くなるぞ。」

「なら、どうやって……」

「今現在お前は己の世界法則をほんの僅かに書き換えているわけだが、無駄な力が多い。周りの空気にすらも影響を与えている。例えるなら、伝えるべき電気エネルギーのうち半分を、不要な熱エネルギーに変換しているようなものだ。その力を、己のみに総て余さず収束させろ。そうすれば、世界を書き換えるだけの破壊力を秘めた一撃必殺の大技が繰り出せるハズだぞ。」

「……意味わかんねぇよ。己の世界を書き換える力?それを収束?どうやって加速してるのかもわからんのに、できるわけがないだろ」

「追いつかれたくないのなら、新たな世界を作れ。結界には大きく二種類、今此処にある通常結界“空繰”。そして、ハワードや嚆矢さまの使うような特殊結界だ。後者である特殊結界の中であれば、鈴の力は最大限に活かされるハズだぞ。のみならず、効果範囲を好きに設定出来るために――」

「だから、わかんねぇって言ってるだろ!」

 力の使い方なんて、そんなもの鈴にはわからない。

 ただ、今のままじゃダメだということだけは、嫌になるほどわかる。どうすればいいのかわからないという苛立ちを、鈴は僅かとはいえ衣にぶつけてしまった。

「……大声出してすまん」

「不安になるのもわかるが、力の使い方を教えるのが、衣たち先輩だ。安心しろ、必ず強くしてやるぞ。鈴は衣たちの希望、明けの明星だからな。」

 明けの明星、希望の象徴。

 今の鈴はきっと、薄汚れた石ころだ。けれど、もしそれがダイヤの原石だというのなら、磨くべきだと思う。そのためにも、今は凹んでる場合じゃないと、自分自身に喝を入れる。

「お前の言ったこと、俺に出来るか」

「できないと思ったなら、今すぐ諦めて何処かで震えているといいぞ。」

「それはないな」

「なら、自分を信じろ。信じること、それが天児の力になる。」

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