鈴と飛鳥、桜花と衣
「なぁ飛鳥。なんなんだよ、ここは」
すっと、飛鳥は襖を開く。その何メートルか先にはまた襖があり、幾ら襖を抜けても襖、襖、また襖。この襖がいくつも続いており、何度襖を開いても目的の場所にたどり着ける気がしない。
もうかれこれ、何十何百という襖を開いてきたが、しかし、一向に終わりは見えない。
あの大木は確かに大きなものであったが、しかしそれにしても襖の数は多すぎる。今まで歩いてきた距離の半分もあれば、あの大木を横に一度は囲めるだろう。かといって上に上っているという感覚もなく。
木の独特な質感と香りが漂うトンネルの中を、鈴は飛鳥に続いて進み続ける。
「わたしもよくわからないんだけどね、神様は人の深層心理、っていうのかな。心の深いところにいるらしいの。だから神様の姿は、人には見えない。そこに確かに存在はしているけれど、人の知覚情報は限られてしまうから、その姿を捉えられないの」
「なんかよくわからんけど、その深層心理の領域にたどり着けば、神が見えるようになるってことか?」
「上手くは言えないけれど、そういうことかな。説明が下手でごめん、ちょっと頭で纏めさせて」
言って、飛鳥は再び襖を開く。
人間の思考のうち、自分自身で自覚できる部分はおよそ一割であると言われている。残る九割の無意識の部分では、自分自身の制御が直接及ばない要素が多く存在すると言う。
その己の制御が及ばない場所を、桜花や衣は“普遍的無意識”や、“人類すべてを繋げる赤い糸”などと表現していた。
かつて――といっても、人間からしてもそう昔の話ではないが――カール・グスタフ・ユングというスイス人の男がいた。彼は幼き頃から善と悪、神と人間についての思想に没頭し、学生時代にはゲーテやニーチェの「ファウスト」「ツァラトゥストラはかく語りき」などに感銘を受け、精神医学を学ぶようになったと言われている。言ってみれば、哲学的な物事に興味を持つ少年時代を送っていたようなのだ。
彼が成長したあるとき、精神疾患者らの語るイメージに何かしらの不思議な共通点があること、そしてそれらは、世界各地に伝えられる神話・伝承などとも一致する点が多いことに気付く。やがて偶然か必然か、彼は曼荼羅――仏教における神々の絵の描かれたものに出会った。そして行き着いたのが、“普遍的潜在意識”という思想だったそうだ。
彼が言うには、人間の知覚できない無意識の遥か奥底には、人類総てが共有する場所があると言う。この思想はさながら、一枚の絵にいくつもの神々が描かれた曼荼羅の世界を人の世に置き換えたものではないか。
精神疾患者らは、誤解を恐れずに言うならば壊れている。否、壊れていると言うよりは、彼らは人としての枠組みを超えた存在――超越者とでも言うべきか。壊れているというのは決して、人として壊れているという意味ではなく、人として生まれ持つべきリミッターが壊れているということだ。
人は、ドーパミンやエンドルフィンの過剰分泌によって知覚の制御がなくなり、飛び込む情報を制御できなくなると言うが、おそらくは彼らの一部がソレに当たる。本来、人に架せられているはずの知覚情報の制限が壊れているため、彼らには常人には知覚できないものまでもを知覚できてしまうのだ。ということはつまり、彼らは人の自覚できない深層心理――“普遍的潜在意識”の一端すらも知覚できる者が存在してもおかしくない。逆にいえば、精神疾患者は人としてたどり着けない境地へ至った者らであるかもしれないということだ。それ故の、超越者。
人間は無意識に仲間意識を求めたがる。しかし逆に、己よりも優れたモノ、異なるモノ、なにかしら集団から飛び抜けた何かを持つ者を排斥しようとする。これに関しては魔女狩りなどがいい例だろう。超越者であるが故、異端者であるが故、彼らは区別されてしまうのだ。
また、人として知覚できないモノを知覚し意識してしまう彼らは、まともではいられなくなる。本来架せられている制限は、人が人としての『人格』を保つために必要不可欠なものであるが故に。人の知覚を超える代償に、己の“自我”であったり、“人格”であったりを犠牲にしてしまうのだろう。
――話を戻そう。
精神疾患者然り、神話を書き記した者たち然り。彼ら、人という枠組みを超越した者のイメージが共通しているという事実が確かに存在する。これはすなわち、ユングのいう“普遍的潜在意識”が存在しているということではないだろうか。そして、一般の人間には知覚できないどこかには、人類総てが共有する別の世界が広がっているということではないだろうか。
それが桜花らのいう“普遍的無意識”であったり、“人類すべてを繋げる赤い糸”――すなわち、人の自覚できぬ深層心理へ至ることで知覚がようやく可能となる、新たな世界。
そしてそれこそが、古より神話として語り継がれてきた、神々の住まう場所。
現在、飛鳥と鈴が開いているこの襖こそが、その“普遍的潜在意識”と呼ばれる世界にたどり着くための門というわけだ。
そのことをかいつまんで飛鳥が鈴に伝えると、鈴は何度かの説明やいくつかの質問をして、ようやくだが理解する。
「つまり、俺らは“普遍的潜在意識”まで至ることで神様とようやく対峙できるわけだな」
「そういうこと。桜花や衣なんかは、その存在そのものが今となっては限りなく神に近いから、この襖を数枚開けるだけでそこにたどり着けるんだよ」
「ってことは、意識の持ちようで時間は短縮できるのかね」
「なのかな。わたしもよくわかってはいないんだけど……」
「よし、試してみるか」
鈴と飛鳥を見送った桜花と衣は、二人が潜った襖が消えていくのを確認した。
彼の前に立つことを許されたのは、鈴と飛鳥のみ。彼らを煮ようと焼こうと、それは全てぼくが決める。お前たちは手を出すな。桜花や衣が入る前に襖が消えたというのは、つまりはそういう意図が彼にはあることを意味するわけだ。
あの方の考えはやはり、いつも理解できない。けれど、おそらくそれが最善の未来を進むために必要なこと。であるなら、我らはそれに従うのみである。
「ところで、衣。」
「ん、なにか用か。」
「何故、汝は此処に居たのだ。」
「あー、すっかり言い忘れていたぞ。嚆矢さまに伝言を頼まれたんだ。桜花にだぞ。」
「阿呆、大切なことを忘れるではないわ。して、伝言とは何用だ。」
「――『此度の戦は並みではない、“金色夜叉”は覚悟を決めよ。また冷静であれ。』だぞ。」
金色夜叉とは、桜花と衣の所属する迎撃部隊名である。しかし、衣にその伝言を伝えた者が言う金色夜叉とは、また異なる意味合いとして桜花に伝わった。
「そうか。いつまでも、妾と衣だけではいられない、ということか。」
「然り、だぞ。桜花でもなく、衣でもない。“我ら”が必要とされる時が来る。……怖いか?」
「なに、脅えてなどいないよ。鈴にも、飛鳥にも、数多の天児にも、我らは多くを求めている。人に多くを求めておいて、我らだけが出し惜しみをするわけにもいくまいよ。」
「……だな。勝たなければならない。例え外道に落ちようと。」
「同害報復、怨敵退散、滅、滅、滅。我は閻魔の眷属、罪を裁く白金の夜叉なり。故に罪人、首を差し出せ、その罪狩りて魂喰らう。逃がさぬ許さぬ、その罪余さず祓い清めん――ふふ、懐かしい響きよな。」
自嘲気味に笑った桜花は、空を見た。
彼女は夜叉と呼べれることを忌み嫌い、忌避している。しかし、その名を敢えて衣と二人の部隊名にしたということは、あの人は己を受け入れろと遠まわしに伝えようとしているのだろう。あの人のすることには、総て意味がある故に。
けれど、心の内ではやはり、恐怖は拭えない。真なる己を受け入れきれない。
罪深き自分を、見たくない。
現実逃避と言えばまさしくその通り。人には強くあれというものの、己が一番弱いことを桜花は知っている。
「これでも妾は“をとめ”だからの。あの姿はやはり、少し怖いよ。」
「……衣も、同じだぞ。」
だからこそ、この相棒の存在が堪らなく愛おしい。一人でいたらきっと、この罪を背負うことはできないから。共に罪を背負ってくれる相手が、慰めの言葉をかけてくれる存在が、永劫自分には必要なのだ。
例えそれが、自慰とも呼べる惨めなものだとしても。
共に十字を背負うもう一人の自分、それが桜花にとっての衣という存在だ。
「――だけど。だけれど、桜花は衣と誓ったぞ。我らには我らの役割がある。であれば、その役割を全うするのみだと。」
「ああ、全うするさ。例えこの身が朽ちたとしても。」
ああ、汝がいれば妾は強くなれる。妾は一人ではないのだから。
「もう一つ、誓ったぞ。例え外道に堕ちようと、共に逝くと。二人ではなく“我ら”と逝くと。だから桜花、一人じゃないんだぞ。」
確かに、彼女は子供だ。コロコロと態度が変わるし、我儘なところも多くある。たくさんぶれる様に見えるかもしれないが、しかしその芯だけはいつも揺るがない。千年という時の中でも変わらない衣の本質だけは、変わらず桜花を助けてくれる。
本当に、本当に心から思うよ。隣にいてくれて、ありがとう。片割れが汝で、ありがとう。
「ああ、そうであったな。」
けれど感謝は口には出さず、桜花はくすりと笑った。
「なぁ、衣よ。たまには二人で、『ぱふぇ』とかいう物を食べぬか。」
「パフェか!いいな、衣、パフェを食べたいぞ!……でも、お金はどうするんだ。」
なに、気にするな。今日はちょうど、裁かねばならない罪人がいる。あれらに罰の一環として払わせればいいだろう。我らは我ららしく、その罪余さず喰らってやろうぞ。
「なに、今日に限っては大丈夫だ。さて、征こうか衣。」
往こうか、衣。どこまでも、どこまでも。例え修羅の道、鬼の道、外道の道であろうとも。我らには我らの守りたいものがある。我らには我らの意地がある。
譲れぬものが、あるのだよ。故、どこまでも共に往こう。
何物にも代えられぬ、我が親愛なる友よ。




