門を抜けて
桜花に連れられて、鈴と飛鳥はとんでもなく広い森を歩いていく。
この森は、おそらく鈴が、一度だけ桜花に連れてこられた森だろう。あの時は意識を失っていたため、己の意思で入るのは初めてになる。
樹海のように、どこまでも立ち並ぶ木々。道といえる道などは存在せず、桜花が前を歩いていなければ自分が何処にいるのかもわからない。太陽があるとも思えないのにキラキラと輝く木の葉に、柔らかな空気。肺に入り込む空気が、先程までの傷を癒し、心が安らいでいく。
ここは病院のような場所だと、鈴は思う。
ただ、病院とは違い待合室などはないし、白い壁に囲まれているという圧迫感などもない。本当に、心も身体も安らぐ不思議な場所だった。
この美しい景色を目にすればなるほど、登山家が山は素晴らしいだとか自然は偉大だとか豪語する理由も大きく頷ける。鈴も、休日などには登山をしたくなるほどだった。
思えば、ハワードの特殊結界“常世”も、世界を果樹園のような場所に塗り替えるものであったが、アレとこの空間は何かが違う。確かに、どちらも自然を創り出す特殊結界である。しかし、うまく言葉にすることは出来ないが……誤解を恐れずにいうのならば、“常世”は何かしらの後悔に満ちており、こちらは慈愛に満ちている、といったところか。
以前と変わらず、神聖ともいえるまでの神秘的な印象を受ける森だった。
「すまなかったな、鈴。飛鳥。」
今まで無言で歩いていた桜花が、ようやく口を開いた。
何かを言おうとしている態度は察していたが、此方から聞くべきか否か悩んでいたところだったので、ありがたいと思う。
「なんで桜花が謝るの?」
飛鳥が問う。
「妾の不手際だよ、アレらの暴走は。」
アレらとは、おそらくハワードとオーガストのことだろう。
彼らは今、共にこの結界で傷を癒し、休んでいる。アーヴァンはその監視役として向こうに残った。
もっとも、ハワードもオーガストも、既に己の役目を終えたと思っているようで、これ以上は事を荒立てないつもりのようだが。
「……まぁ、仕方ないんじゃないか」
「妾を責めぬのか。」
「なんでお前を責めるんだよ。お前が悪いわけじゃないだろ」
「妾は、汝に伝えなかったろう。汝は危険な存在として認識されておると、警戒しろと。あわよくば、汝の存在によって『長考派』と『排除派』に割れたと伝えて然るべきであった。」
なんの話だと聞くと、桜花は“天神”内で起きていた論争について語った。
業天を纏わずして異能の力を発揮した鈴の存在は、天児の中では異例中の異例。前代未聞のものであったらしい。それ故、誰が言い始めたかは知らないが、鈴が天児ではなく、天児に酷似した――もしくは、天児に似せた地球外生命体なのではないか、という可能性が浮上した。
その結果生まれたのが『長考派』と『排除派』。そのうちの『排除派』の代表格――ハワードとオーガストが、今回の事の首謀者であるらしい。
飛鳥はその事を既に聞いていたようで、驚きは見られない。
鈴は始めこそ知らされていなかった事実に驚いていたが、業天を纏った今、今後起こりうる何かしらは無用な心配であると知り、もう落ち着いている。
しかし、奇妙な話ではないだろうか。天児は人を大きく超えた力を持つ存在だ。だというのに、不測の自体には弱いように思える。弱いというか、上手くは言えないけれど、未知を恐れているとでもいうのか。不測の事態に病的なまでに恐怖しているような――。
言われずとも、この星を守らなければならないのはわかる。ミスが許されないのも、失うことが許されないのもわかる。取り戻せないからこそ取りこぼせないというのも、鈴にはよくわかる。けれど、それにしても臆病になりすぎではないだろうか。
彼らは、何か、とてつもなく大きなものを病的なまでに、狂気的なまでに恐れている。そのことに、疑問を持たずにはいられなかった。
「数年後の話だ。」
「ん?」
鈴があれこれと考えていると、やはり心を読んだかのように桜花が言う。
「数年後、この世界には、空前絶後の大災厄が起こると予言されておる。皆、それに脅えているのだ。多くの地球の神々は死んだと、汝に言うたことがあったろう。その際に起きた大戦争を超える争いが、この星を中心に巻き起こるそうだ。」
「神々が死ぬほどの戦争?」
イマイチ、実感がわかない。
鈴の疑問に、飛鳥は、
「鈴くん、ラグナロクは知ってる?」
と鈴に問いかけた。
「まぁ、そうだな。なんとなくだけど、どんなものなのかってのは知ってる」
北欧かどこかの神話には、ラグナロクというモノがある。これは神々の黄昏や神々の運命との訳があり、終末の日であるとされるそうだ。
詳しくは知らないが、神々が強大な敵と戦う、と言った内容だったか。
つまりは、それに近いことが数年後に起こる、ということなのだろうか。
「歴史は繰り返される、と言うだろう。かつてこの星に起きた大戦争は、代を替えて再びこの世を苛む。『排除派』がやけに怯えて見えるのは、そういう背景が潜んでいるからなのだ。」
「けど、変な話だろ。この国で神々の戦争が起きたとかお前は言うけどさ、誰がそんなん記録してんだよ。だいたい、日本神話の記述にしたって、『天皇の祖先はこんなスゲーやつらだったんだぜ、ヤベーだろ』みたいな内容らしいじゃないか」
最近では、実は聖徳太子はいなかった、という説だってある。どうして聖徳太子なる人物が作られたのかといえば、学者曰く、『大和民族にだってこんなスゲーやつがいる。どうよ外国、大和も負けてねーだろ』といった具合で外国に舐められないようにするため、だそうだ。
日本神話にしても、ラグナロクの記されている北欧神話にしても同じだろう。他の国にも神様の伝説があるのだから、俺らの国でも神様の伝説作ろうぜ、みたいなノリで作ったのではないだろうか。
その証拠に、日本神話の神々は、他の神話に比べても人間味に溢れている。その物語も、良し悪しの基準を後世に伝えるため、道徳的な考えに基づいて書かれたのではないだろうか。
あくまで推測の域はでないけれど、彼らだって協調性の強い日本人の祖先だ。外国と対等の立場に立ち、下に見られないために神話を作っていても不思議はない。もしかしたら、同じことをすることで仲間意識を持たせようとしていたのかもしれない。
どちらにせよ、ただの創作物だ。
「だったらさ、昔起きたっていう神々の戦争だって、あったかどうか疑わしいと思うぜ」
それは、誰かがきっと、面白半分で書き記した物語なんだ。
楽観視する鈴だったが、桜花の表情は変わらない。飛鳥も、うつむいた顔をあげようとしなかった。
「おいおい……なんだよお前ら。俺、なんか変なこと言ったか?」
「なぁ、鈴。ならばどうして、この地球上の様々な神々に関しての記述が存在していると思う。」
「だから、誰かが面白半分で……」
「面白半分で記したにしては、出来過ぎていると思ったことはないか。例えば、日本の神である天照大御神は、仏教における大日如来と同一視されることがある。また、ギリシア神話におけるデメテルなどは、天照大御神と境遇が似ているそうだな。これらの偶然を、偶然であると証明できるか。」
何が言いたい。笑い飛ばすことなどできなかった。
「――ありとあらゆる神話の元となる出来事が、かつてこの星で起きていた。そう考えれば、総ての神話に不思議な関連性があることも合点がいくとは思わぬか。」
妄信ともいえる彼女の言葉。しかし彼女の言葉を一概に否定することは、鈴にはできなかった。
そも、神話というものは国によって様々であるという印象があるが、根本的な部分はさほど変わらない。多神教だろうと、一神教だろうと、大まかな部分はあらかた同じだ。
特に神話の冒頭部分における一致具合は、偶然という一言で片づけるにはあまりに出来過ぎていた。
それらの一例を上げていく。
『むかしこの世に国も土地もまだないとき、ちょうど青海原の中の浮き油のようなものができ……そしてあとに残ったにごったものが、次第に固まって島となった。』
――アイヌ神話より。
『この世界はそのむかし暗黒につつまれ、とらえどころなく、物と物とを差別する目標もなかった。悟性によってその概念を得るということもできず、またそれを示現することもできず、まったく眠りに沈んだようなありさまであった。』
――インド、ベーダ賛歌より。
マヤ文明では、『原初の世界には、暗闇のなかにただ静かな海と限りなくうつろに広がる空だけがあった』と記され、
エジプトでは『宇宙が出来上がる前は、波の起こらない水をたたえた果てしない海が暗黒の闇の中にあった』とされている。
また、旧約聖書では『地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた』とある。
そして、この冒頭が似通っているというのは此処、日本にある古事記に於いても変わらない。『それ混元すでに凝りしかども、気象いまだあつくあらず、名もなく為もなく、だれかその形を和らむ。国わかく、浮かべる脂のごとくして水母なす漂へるときに……』。
これら冒頭では、どの神話も、『暗くてどろどろ液体のようだったが、次第に固まり、陸地となり――』といった内容で統一されているのだ。
多少の違いはあれど、なにか共通の雰囲気があることは確かであろう。
人には、人の数だけ感性がある。小さな動物や虫一つとってみても、気味が悪いと言うものがいれば素敵だと思うものもいる。可愛いと思うものがいれば、気持ちが悪いというものもいる。
だというのに、何れの神話であっても、もとは『暗黒とよべるもの』もしくは『不気味なもの』から神話が始まっている。誰も、美しいものからこの世界が生まれたとは述べないのだ。現在では地球の誕生は隕石の衝突から雨が降り……という形であったのではと言われている。
しかし、この説が出たのはここ数百年の話だ。その何倍何十倍も昔を生きた人々が、どうして地球の誕生を知っているものか。これまで地球が平たいものだと信じて疑わなかった人々が、今ある世界はもとはおぞましい『暗闇』に在ったのだと、誰が想像するものか。これを偶然という一言で片づけるには、いささか以上に無理がある。
日本とアイヌが似ている、これはまだ偶然で片がつく。食文化の違いなどはあれど、住む地域が近い上に、どちらも“八百万の神”もしくは“それぞれに宿るカムイ”という『万物の神』を崇める多神教だ。専門家の間でもこの二つの宗教は近いものであるとされている。
インドが似ているのも、まだ土地が近いから話が伝播したのか、と考えられなくはない。
だがしかし、メキシコのマヤ文明、エジプトに旧約聖書まで似通っているとなればどうだろう。伝播などと言うには無理がある。
更に言うならば、これらの神話は、細かな部分は異なれど、やはり同じ展開へと至る。
創造神に於ける大地の創造だ。やがて創造主は植物を造り、魚、動物を造り、最後に人間を創造するのである。
これだけのことが世界各国で共通していながら偶然の産物などと、一体誰が言えようか。
何も反論できず、しかし理解はできても納得はできない鈴は、ただ無言になるしかない。
桜花のいうことは一理ある。自分程度の知識では神話など語れないし、それだけの偶然を偶然と片付けるだけの例外たる知識を有していない。桜花の言ったことが間違ってはいないと思うのもまた事実だ。
――しかし、納得はできなかった。
まるで頭にプロテクトでもかけられているように、鈴は付きつけられた現実に順応することはできない。
「妾は言ったよな、多くの地球の神は死んだのであると。なれど、生き残った神もいる。これから汝が出会うのが、嚆矢様。この地球の神であり、かつてこの星を守るために戦われたお方だ。そしてあのお方の坐し坐す場所までたどり着けば、汝にも総てが理解できようよ。」
「此処だ。」
桜花が言って辿り着いた先には、裾が膝まで届かないほど短い白い着物を身にまとい、天の羽衣を彷彿とさせる宙に浮いた布を纏った、身長一三〇ほどのちんまりとした少女が立っていた。肌の色は白く、また髪も白い。髪はセミロングとでもいうのか、肩の辺りまで伸ばしており、眠たげな瞳と、身長相応の可愛らしい顔、そして顔の左半分を隠すように付けられた奇妙な狐面が特徴である。
「おー。ようやく来たのか、遅いぞ。」
言われてみれば確かに、この宙を浮いているようにも見える布は神々しさを感じさせなくもないが、しかし、なんだ。いかんせん威厳と呼べるものがまるでなかった。
まだ桜花の方が神々しさを感じさせるし、その態度から何年も生きてきたんだなあという長寿の雰囲気が漂っている。
それに比べてこの幼女ときたら。神どころか、女子小学生にしか見えないぞ。
「……おいおい。まさか桜花、こんなガキが神様なんて言うんじゃ――」
鈴が笑って言うと、幼女が顔を青ざめさせ、ふるふると小さな握り拳をつくる。。
「衣は、ガキじゃないぞ。まだ百年も齢を重ねていないクソガキが、この衣を前に生意気言いうんじゃないぞ。呪うぞ、お前。」
しかしあまりに小さな声だったので、鈴は気付かない。
「神様って聞いたから、アーヴァンみたいにごっつい神様みたいなのかと思ったよ。女神なら、てっきり桜花みたいにむっちりした神様が出て来るかと思ったら……」
胸はまな板。色気もない。凹凸の少ない体は少年と言われれば信じられるほどだ。
いやいや、こんな魅力の欠片もない神様とかあり得んだろ。というか何の神様だよ、布が周りをふわふわ浮いてるってことは、これはもしかしてあれか、有名な妖怪、一反木綿の神様か。布だけに「洗濯板が擦り減っていくように、わたしの胸板も擦り減っちゃったんですぅー」っていう、面白くもなんともないギャグでもやりたいのかコイツ。
「鈴くん、それ以上は……」
流石にこれ以上言わせるのはマズイと思ったのだろう。飛鳥が言うが、鈴は止めなかった。
「だってな、飛鳥。拍子抜けっつーか、なんつーか……」
人は見かけによらないとはいうが、それでも九割は外見が表すと言う。鈴の目からは、頼りにならないという印象しか受けなかった。
大丈夫なのか、こいつ。
言おうとした時だった。
彼女の周囲を取り巻く白い羽衣が蛇の如く蠢き、鈴の両手両足を束縛、たちまち近くに根を張る大木へと打ち付ける。
速い。その上、動きは精密。一片の狂いもなく、また無駄のない正確動きで、彼女は鈴の動きを封じた。
「そろそろ黙らないと、その口を引き裂いて心の臓を握りつぶすぞ。」
遅かった。飛鳥は宙を仰いだ。
やれやれといった様子で鈴と彼女を見ていた桜花は、「子供の言うことであろ、捨て置け。」と宥め始める。
「いやいや、俺子供じゃねーし、こいつのが子供だし」
「桜花、やっぱりこの異端分子は殺した方がいいぞ。害悪だぞ。」
「それは汝の勝手な見解であろうが……。なぁ、鈴は煽るな。衣は静まれ。嚆矢様の御前であるぞ。恥を晒してくれるなよ。」
衣と呼ばれた子供が舌打ちして鈴を睨み付けると、その拘束を解いた。
「次の許しはないぞ、変態。」
背を向けて歩を踏み出す彼女を尻目に、次は捕まらなければいいだけの話だろうと、鈴は心の中で呟いた。
しかし、彼女の実力は本物だ。あの速度であれほど精密な動き。速度を生業とする自分からしてみれば、彼女から習うべきものは多くあるのかもしれない。
拘束から解かれたばかりの腕を見ると、軽い痣になっていた。速度に加え、力の方もあるようだ。
「案外、やるな……」
子供だと思って、侮り過ぎていた。
天児にとって大切なのは、見かけではない。その精神だ。いつか桜花に教えられた言葉を思い出す。第一印象は最悪だし、神様として崇めるのは癪だが、この小さいの、それ相応の資質は持っているようだった。
「なにを言っているんだ、小童。」
唐突、振り向いた彼女が言った。
「衣は、衣だ。神ではなく、大日本帝国異常災害特別対策機関“天神”第一級災害直接殲滅活動部隊“金色夜叉”所属の天児だぞ。」
まるで心を読んだかのような物言いだが、そこは桜花もよくやることだ。さほど疑問には思わなかった。それよりも、彼女が神ではなく天児であったことに驚いた。
「え、違うの?お前神様じゃないの?」
「当然だぞ。衣は神ではなく天児だ。……だが、いいなお前。わかっているな。そうだ、衣は凄いんだぞ。もっと衣を褒めるといいぞ。もっと衣を崇めるといいぞ。」
案外やるな、と思った鈴の心を除いたのだろうか。口に出したわけでもないのに、彼女は見た目同様、褒められたと子供のような笑顔で笑う。
「悪くない、うん、悪くないぞ。衣は、衣の凄いところがわかるヤツは好きだぞ。」
何度も頷いてニヤニヤしているこいつは、凄いんだろうけど、やはり子供のようだと思った。
「改めて名乗ろう、衣だぞ。これから宜しく頼むぞ、……えっと、その、小童」
こいつは本当に子供のようにコロコロと表情を変えるし、相手によってあからさまに態度も変わる。けれどどこか憎めなくて、結構いいやつなんじゃないかと思った。
もともと、怒らせたのは俺の失礼が原因だったわけだし。
握手を求めて差し出された手を握り、鈴は言った。
「時神鈴だ。まだまだ新米だが、こちらこそ頼む」
「仕方ない、頼まれてやるぞ。」
彼女の手は、身長相応に小さい。その手は誰かを殴るために使うこともないだろうから、大きな傷も見えない。見た目相応に、やわらかい手だった。言ってしまえばそれは子供のもので、こういう存在を、自分たちは守っていかなければならないのだと実感する。
「子供のようで頼りないか?だが安心しろ、衣は強い。だから守ってやるぞ、お前のことも。」
またも心を見透かしたようなことを言う彼女の微笑みは、なぜだろう。子供なのに、どこか桜花にも似た、何年も生きた老婆ですら浮かべないような優しさを感じさせる、不思議な笑みだった。
「さて汝ら、馴れ合いは終わりだ。飛鳥、汝はもう勝手は解るだろう。鈴を連れ、大殿へ参られよ。」
桜花が言うと、いつからそこに在ったのか、数多の大木の中のでも特に大きな大木の一つに、襖が付いていた。その大木はとても大きく、その高さは雲すらも突き抜けるほど大きく見えて、言いえて妙だが、それこそ山のようだった。
まるでその大木そのものが、大きな山であり家のようである。
「それじゃ行こうか、鈴くん」
「行くって、どこに」
「決まってるよ。神様のいるところ」
天を指して、彼女は言った。




