理想主義(コドモ)VS現実主義(オトナ)
――助ける。今、助ける。必ず、助ける。 その手は必ず離さない。もしも離れてしまったら、それでも必ず再び掴んで見せる。もし掴めないほど離れてしまったとしたならば、それでも意地で助けて見せる。そう、例え時を止めてでも――。
己の本質、己が内に眠る神をうっすらと理解したとき、鈴は目覚めを感じた。
『あぁ、長かったよ。死の間際に願ったこの祈り、ようやく果たす時が来た。さぁ、振るえ。偉大なる神の力を、存分に振るえ。そして、我らの祈りを果たそうか』
「――掛けまくも畏き 大殿籠る御霊に恐み恐み申さく。蒙り奉る御神徳を仰ぎ奉る我、今し御前に参上り来て、清き心を振り起こし、この身を捧げ奉り拝み奉る。平けく聞こしめして、『此の身をうとび疎び来む物を障る拳へと成したらしめ給へ』と、恐み恐み申す――」
大切なものを傷付ける奴らを止める力を、奴らをぶん殴れるだけの拳が欲しい。
助けたいと願うその手を、時を止めてまで掴もうとするこの思いを糧に、大切なものを必ず助けられるカタチを与えてくれ。
「来たれ業天――『白煌』ォッ!」
天児、時神鈴の下へ、“天”より賜りし“業”物が、彼の望んだカタチとなって舞い降りた。
☆
完全に、負けた。
これが、経験の差か。経験があるだけで、ここまで差がでるのか。
目の前の大津波を前に、水無月飛鳥は声を出せずにいた。
考えてみれば、当たり前。
いくら基礎運動能力が高くても、特定分野に特化したスポーツ選手に、その特定分野で一般人が勝てないのと同じだ。
数年の経験があるといっても、飛鳥はまだ己の内に宿る神が何かすらもわからない。基本となる型がわからないのだから、場数を踏んで己に相応しい戦い方を学ぶこともできなかった。
対するオーガストは違う。己に宿る神を理解し、その祈りに共感し、己の持てる力の全てを余さずに発揮できる。
この差こそが、今の状況を生み出すのは必然だ。
――勝てない。わたしじゃあ、この二人には勝てない。彼を、守れない。
「ごめんね、鈴くん……」
敗北を悟ったとき、何者かが飛鳥の頭に手を置いた。
「諦めるには、まだ早い――」
「――え?」
何者かの声が聞こえた。わたしは、この声を知っている。だけど、この声の主はここに居るはずがない。なのにどうして――。
それだけでない。声の主が、その拳の一振りでオーガストの作り出した災害を破壊した。
見事に両断された海を見たオーガストは、それの登場によって威力を抑えたとはいえ、己の祈りを断ち切った何者かに目を向ける。
現れたのは、銀髪の少年。
銀、銀、銀。その髪も、その瞳も、その背中も。
確かに、見たことがない姿だった。しかし、それが誰なのか、飛鳥は知っている。
彼に助けられたあの日から、心の隅では望んでいた。本当は、彼を助けたかったんじゃない。もう一度、守ってほしかった、彼の背中を見たかった。そして、今度はその背中を支えたかった。ただ守られるだけでなく、共に背中を合わせたかった。
気付けば目で追っていた彼。
飛鳥にできない“正義”を、平然とやってのける、彼。
誰よりも眩しく、なによりも輝いていた、世界で一番かっこいい彼。
――時神鈴が、そこにいた。
まるで天使と言わんばかりの白い服。神々しいという言葉がまさに的を射ていると言えるその服は、白く煌めくという文字通り、“白煌”のその名に相応しい。一目見ただけではスーツのようにも見えなくはないが、所々に銀色の水晶が、両手の甲にまで伸びた袖の部分、左右双方にそれぞれ一つ。首から垂れ下がった厚く太いベルトのようなものが、膝まで垂れており、その両端にそれぞれ一つ。計四つの水晶が、その服には埋め込まれているようだ。
まるで、飛鳥の業天“乙姫”を象るかのように。
「よう、飛鳥。待たせたな」
突然現れた彼、時神鈴は、いつもと変わらない笑顔で飛鳥に言った。
どうして、鈴が此処に?そもそも、その姿は一体?
聞きたいことは多くあったが、今問いただすものでもないだろう。
多くの言葉を飲み込んで、飛鳥は言った。
「……ばか。待ちくたびれたよ」
「はっはっは。遅れてくるのが正義の味方だからな」
誤魔化すように笑った彼は、膝をついたままの飛鳥に手を伸ばす。
「大丈夫か、飛鳥」
「……大丈夫じゃなかった。でも、いまさっき大丈夫になった」
飛鳥はぐっと鈴の手を握り、鈴は飛鳥の体を持ち上げる。
「そりゃ良かった。……さて、飛鳥よ。俺ぁこっから、反撃の狼煙を上げてやろうと思うんだが、どうする。休んどくか?」
「冗談言わないで。わたしも戦うよ」
「お前ならそういうと思ったよ。まぁ、アレだ。男的に、本当なら俺一人で片付けたいところなんだよ。けど、二対一は流石に初心者には荷が重い。だから、なぁ。今回ばかりは頼むよ、飛鳥。全力でサポートしてほしい。俺の背中を、お前が支えてほしい」
鈴の背中を支えられる少年は、もういない。だからもう、鈴の背中を支える存在はいなくなったと思っていた。けれど、違った。彼は任せてくれた。こんなダメダメなわたしにも、彼は背中を頼むと任せてくれた。
それが何より嬉しくて、今まで支えたかった背中を支えられるのだと思うと、今までの痛みも苦しみも、全部どこかに吹き飛んだ。
代わりに、彼女は強く思う。
「その背中、わたしが支えてみせる。だから、たくさん見せてよ。鈴くんのかっこいいところ」
この背中だけは必ず支えると、強く思う。
「ああ、嫌ってほど見せてやるぜ。惚れんなよ」
もう、惚れてるよ。その言葉を胸に秘め、飛鳥はうんと頷いた。
ニッと笑った彼は、飛鳥から視線を外し、眼前に立つ二人の男に目を向ける。
「よう、お二人さん。久々だな」
ハワード・マクラウド。そして、オーガスト・ステファン・カヴァデール。
「ふむ……。まさか、これほど早く君と再会できるとはね。流石の私も、そこのオーガストも、完全に予想外だったよ。ああ、実に驚きだ」
それも、業天を纏った姿を見せてくれるとは。
鈴が業天を纏った以上、彼が天児であるということは証明された。正直なところ、ハワードらに戦う理由は既にない。けれど、あれだけ若者が活気づいているのだ。それを宥めるのも、また彼らの実力を見極めるのも、我々大人の仕事といえよう。
時神鈴と、水無月飛鳥。彼らの力が如何なるものか、ついでに見極めるとしようか。
「構わんかな、オーガスト」
ハワードが、口数の少ない友人に声をかけると、その意図を理解したオーガストは頷いた。
「構わんさ。ただし……」
「ああ、わかっている。責任は私が負うさ」
「ならば、此方から言うことは何もない」
口の減らないハワードと、口数の少ないオーガスト。相対する二人だが、なぜだろう。いつからか、共に行動していた。いつの間にか、二人だけの部隊“草枕”に、お互い所属していた。今では、隣に互いがいなければ違和感を感じるほど、近くにいる。
神の魂とやらが引き合うのか。それとも、なにか別の関連があるのか。わからないが、一つだけははっきりしていることがある。彼らはもう、自他共に認めあう親友だということだ。口に出さなくとも、目配りで会話が可能になるほどに。
故、ハワードは理解する。
ああ、お前も同じだろうオーガスト。どこにあるかもわからない楽園を求め、我々は旅をする。満たされぬ心を満たすため、我々は戦う。それは、今も昔も変わらない。
ならばこそ、見せてもらおうではないか。お前たち二人が、この先の戦いに必要か否か。お前たち若者が、これからの時代を如何にして切り開いていくのかを。お前たちが見せる、新たな景色を見せてくれ。あわよくば我らの求める旅の終焉を、行きつく先の楽園を、見せておくれよ。
「どこからでもいいぞ。掛かってきたまえ、若人よ」
「ああ、言われるまでもない」
四人の――否、四柱の天児は、此処に激突する。
「行くぜ飛鳥。ぶっこむぞォ、開戦の号砲だッ!」
戦争が、始まった。
まず、鈴がハワードに向けて突貫する。
「つぁらぁぁあああああああ!」
しかし、実に単調な動きだ。拳が当たる距離まで走り、その拳を振るうだけに見える。まるで子供の喧嘩だ。牽制もなにもあったものではない。
だが、速い。圧倒的に速い。己と彼の速度を比べようと思わないほど、速すぎる。
例えるなら、まさに光。白い煌めき。ハワードが瞬く間もなかった。目が閉じきる前にはもう、彼が目の前にいる。
天児は人を超えた存在で、人を超えた力を持つ。しかし、それにしても速すぎた。この場にいる全員が鈴の速度に驚愕し、反応どころか、ロクに目で追うことすらも出来ていない。
――これは、まずい。
ハワードが思う頃にはもう、彼の目は鈴を見てはいなかった。視界は大きく右にそれ、その半分は鈴の拳が視界を狭めている。そして次の瞬間にはもう、ハワードの身体は地面を擦って転がっていた。
殴られたとは感じなかった。ただ頬に痛みを感じ、気づけば転がっている。
「……なるほど、速度が武器なわけか」
確かに、彼は速い。目で追えないし、反応も難しい。だが、だからどうしたという。速度の分、彼の攻撃力も大したものではない。ならば、対処のしようはある。
立ち上がったハワードは、オーガストに目を向ける。オーガストも鈴の能力について察したようだ。転がったハワードを、無表情ながらも心配した素振りを見せる。
「なに、気にするな。次はない」
ハワードは、己の拳を見つめる鈴を見た。
「この拳が、届いた……」
今まで、桜花には掠るどころか届かなかったこの拳。けれど、届いた。当たった。対等かどうかはわからないけど、奴らと戦うことが俺にもできる。
その実感が、さらに鈴の気持ちを昂らせる。
足手まといじゃない。もう、守られてばかりじゃない。俺も、守れるんだ。助けられるんだ。
ぐっと拳を握り、鈴は再びハワードに突貫する。しかし、相手は大人だ。同じ手は二度通じない。
ハワードに殴りかかると、鈴の眼前にはオーガストが立ちふさがった。そのまま共に殴り飛ばしてやろうと拳を振るうが、当たらない。業天を貫き、肉体を貫き。まるで空振りでもしたかのように、鈴の拳は何も捉えることができなかった。
「な――」
オーガストは確かに其処にいる。確かに、立っている。であるのに、雲を掴めないように彼の肉体を捉えられない。
何が起きたのかわからないまま、鈴はオーガストに頭を捕まれた。
「――ぐぅっ」
何が、起きた。こちらの攻撃は当たらないのに、なんでお前の手が俺を掴んでんだよ。なんの冗談だ、これは。
遠距離ばかりでオーガストを攻撃していた飛鳥にはわからない。オーガストの肉体には確かに、存在する部位と存在しない部位が同時にあった。
一体、どういう――。
考える間に、オーガストの胸から三本目の腕が伸び、その拳が鈴に迫る。否、三本目の腕などではない。この腕は、ハワードのものだ。オーガストの身体を貫いて、その拳は鈴のみを穿つ。
腹部に激痛。同時、オーガストが鈴を放り投げ、宙に浮いた鈴を華麗にハワードが蹴りとばす。
「鈴くんっ!」
鈴の位置する超高速の世界に、ようやく飛鳥の目が慣れてきた。吹き飛んだ鈴を水で優しく包み、その場に下ろす。
「助かった、飛鳥」
「うん。それより、大丈夫?」
「体のことか?なら、大したことはない。んなことより、なんだあいつは」
オーガスト・ステファン・カヴァデール。彼は一体何者だ。天児だというのはわかるが、にしても特殊な存在ではないだろうか。
「天児っていうのはね、もともと宿す神様の魂や、心の底からの願いによって個々の特殊な能力があるの。ハワードなら身体能力強化、わたしなら物体の生成。鈴くんなら多分、加速。オーガストは、幻覚の類の能力を持っていると思うんだけど……」
「あの幻覚、思いっきり俺を掴んできたぞ」
それは飛鳥も目にした。どころか、飛鳥も彼に何度か攻撃されているのだ。ただの幻覚ではないことは確かだろう。
アレはさながら蜃気楼。そこに在るオーガストが確かに存在しながら、しかしそこには存在しない。元来の蜃気楼の如くに光の屈折をひん曲げて、己の所在位置をずらしているのだろうか。しかしそれにしては、彼からの攻撃は的確に彼の肉体を通して行われていた。
もしか偶然かもしれないが、思い至った推測が正しいとすれば案がある。一つ、試してみるか。価値はある。
「……飛鳥、サポートを頼めるか」
「頼まれるのはいいけど、わたしはどうすればいい?」
「極力、白い赤髪スーツを狙ってくれ。俺は黒いヤツを落とす」
「先にオーガストを倒すの?でも、彼に攻撃は当たらないんじゃ……」
「なんとかなる」
「いやいや、なんとかなるって言われても……」
「考えは、ある。任せろ」
任せろ、その言葉が胸に響いた。ならば、言うことは何もない、飛鳥は鈴を信じよう。
「……うん。任せるよ」
信じることに大きな理由はない。ただ、彼はなんとかなると言った。任せろと言った。であるなら、彼を全霊でサポートし、その背中を守る。それが、彼の背中を任された自分のすべき事だと思うから。
疑うことなど、何もないハズだから。
「んじゃあ、飛鳥。そろそろ」
飛鳥の瞳から覗く意思を汲み取ったのか、鈴は笑顔を向けた。それはやはり、いつも笑い話をするときの笑顔とは違う。
例え道行く先に困難があろうとも、必ず乗り越えて見せる。例えこの世界が非情でも、強く生き抜いて見せる。敵は強い。勝てるかもわからない。けれど、負けない。必ず突破して、次へ進む。彼の笑みは、それを物語っているかのようだった。そんな強さを秘めた、笑みだった。
生きるか死ぬかというこんな状況だというのに、笑える彼は強いと思った。また、その笑顔は飛鳥にも伝染する。
今まで守られていたばかりだった自分が、彼の背中を、今度は守ることができる。今まで夢のまた夢でしかなかった出来事が、今目の前で起きているのだ。嬉しくないわけが無い。
「うん、行こう」
飛鳥も笑う。
互いが互いを支え合い、また守るべきものとして力の限り守りあう。どちらかの士気が上がれば、ならば己もと二者の士気が同時に上がる。鰻登りに、士気は上がっていく。
天児の戦いにとって必要なものは強い精神。共に戦うことで士気が上がり、また天児としても強くなる。だとすれば、彼らほどいい関係はあるまい。
「あいつら、ぶっ潰してやろうぜ」
年上がなんだというのか。天児としての経験がなんだというのか。鈴とならば超えられる。どこまでも、高みに登って行ける。負ける可能性なんて、これっぽっちもあり得ない。
今ならハッキリと言いきれる。時神鈴と水無月飛鳥は、最強のチームであると。
「当然!」
飛鳥は空気中の水分を集め、圧縮する。
「水玉・流円!」
オーガスト、そしてハワードに向けて打ち出された弾丸と共に、白銀の弾丸となった鈴もまた、二者に向かって高速で突っ込んだ。
「行くぞォッ!」
白銀の一閃は、飛鳥の打ち出した弾丸よりも速い。既に己の拳を振りかぶって、オーガスト目掛けて殴りかかる。
がやはり、オーガストには当たらない。その後ろに控えるハワードにも当たらない。しかし、想定内だ。当てるつもりで拳を振るえばバランスを崩すかもしれないが、当たらないことなどわかっていた。初めから牽制のつもりだ。
しかし、続く本命は確実に当てる。
「おらぁあああああああアアッ!」
何度かオーガストに殴りかかる、だが当たらない。ハワードとオーガストは互いに後方へ下がる。それを追いかけるが、やはり当たらない。掠りすらしない。
「当たらないな、小僧」
が、もちろんこれも牽制。
「いや、当てる!」
再び連撃を繰り出す鈴の拳が止まる瞬間を待つハワードだったが、なかなか止まらない。一瞬でも隙を見せればそこを崩そうと思っていただけに、何かがオーガストを突き抜け、明らかに彼の攻撃範囲から離れたハワードの胸に、鈴の一撃が食い込むなどとは、思っても見なかった。
「ごはぁっ!」
肺の空気が無理やり押し出され、ハワード自身情けない声だと思う呻きが漏れた。
こんな距離まで、拳が――否。これは、違う。拳ではない。
弾丸だ。水で構成された弾丸だ。初めから鈴の目的はその拳で敵を攻撃するのではなく、後方より飛来する弾丸をその拳で再び打ち出すことだった。
そして、敵の隙を狙っていたのはハワードだけではない。鈴にとっては、この隙は最高の好機といえる。逃す理由はない。
アスファルトが砕けるほどに踏み込み、鈴はそこに姿が映るだけのオーガストを通り抜け、ハワードとの距離を一気に詰める。
鈴が眼前に現れたことに気づき、咄嗟の判断で拳を振るったハワード。しかし遅い。
右、左、右。鈴のフックが無防備なハワードの腹部に叩き込まれる。だがこの程度では終わらない。終わらせない。
確かに、時間はない。ハワードにはこのまま連撃を叩き込めるにしても、オーガストがそれを許さないハズだ。ならば、どうするか。なに、簡単なことだろう。――加速しろ。もっと速く。速く、速く。何よりも速く。一撃で終わらないのならもう一発。それで終わらないのならもう二発。まだ終わらないのなら、十、百、千。それらをすべて、一瞬のうちに叩き込めばいいだけの話だろう。
「おおおおおオォ――ッ!」
連打、連打、連打。休むまもなく、隙も与えず、鈴はハワードを狙い続ける。
一撃は軽い。鈴の特性は攻撃力を上げるものではないし、そもそも鈴からして一撃で終わらせるつもりがない。回数を重視した攻撃を繰り返すだけだ。だが、塵も積もれば山となる。僅かずつとはいえ、ハワードの身体にダメージが蓄積していく。
その流れを止めようと、オーガストの拳打が鈴の後ろから飛んできた。
あぁ、そう来るだろうと思ったよ。そして、それを俺は待っていた。
完全に不意をついた状況でなければ、オーガストは自ら攻撃しない。それは何故か。簡単なことだ。
もともと攻撃力が低いこと。そしてなにより、一つ大きな欠点があるからだ。
いくら蜃気楼のようにつかみどころのない彼と言えど、弱点は発生する。蹴りならば足。拳打ならば拳。攻撃するときだけは、必ず攻撃に使用するその部位だけは存在しなければならない。でなければ、敵に対しての攻撃となり得ないゆえに。逆に言えば、攻撃するときにのみ、コイツが攻撃に必要とする部位が、弱点となるわけだ。
つまり――。
「そこだァアアッ!」
今、オーガストの拳は攻撃できるということ。
鈴は意図的に、ハワードに対して必殺とも言えるだけの拳打を出さなかった。すべては、この一撃を確実に極める為に。
己の特性――加速を利用し、鈴は即座に振り向いた。刹那、彼の意図しないところで祝詞が口から紡がれた。
「撃ちてし止まむの鋭心以ちて臨む其の戦、攻む状は稲妻の如く。戦法正しく、今、誉の勝鬨を上げむ――」
加速の力を持たないハワードも、オーガストも、鈴の企みに気付けなかった時点で動けない。今の彼らの速度では、先手を打たなければ間に合わない。
鈴は、全身全霊を持って拳を握り、打ち出した。
「滅裂ッ・瞬牙ァアアッ!」
次の瞬間、オーガストの拳と鈴の拳が衝突した。
空気を裂くような感触はない。確かに、鈴の拳はオーガストを捉えた。今まで蜃気楼のようにのらりくらりとしていた彼の身体を、腕だけだとはいえ捉えたのだ。ならば、この機会を逃す理由はないだろう。このまま振り抜くのみ。
バキバキと、オーガストの腕を確かに砕いたという感触。効いている。やはり予想通り、今この瞬間、彼の拳は唯一攻撃が当たる部位となっている。
――ぶち抜く!
思い切り拳を振り抜くと、オーガストは腕から吹き飛んだ。
「――ぬぅ」
吹き飛び、地面を擦りながら転がった。
転がりながらも即座にバランスを整え、すぐさま鈴へとオーガストは向き直る。
鈴の追撃を警戒したオーガストだったが、今の一撃で彼の腕も負傷しているらしく、血まみれになった右腕を抑えていた。どうやら、すぐには追ってこれないようだ。
それも当然か。そも、彼の特性は尋常ならぬあの速度。オーガストが知る限りでは、彼の瞬間速度を超えられる天児は未だ存在しない。そこに、敵を一撃の下に葬り去る力までもが付加されているとするならば、もはや反則的な強さだ。強力な一撃を打ち込む代わり、己にもダメージがあるというならば、まだ頷ける。
そして当然、ハワードがその隙を見逃すことはなく。
鈴の背後を狙ったハワードが、派手な回し蹴りを決めようとした時だ。
水の上を滑るように水無月飛鳥がその間に現れ、高速回転する水を纏った右腕で、ハワードの蹴りを押し返す。
「背中ががら空きなんだけど、鈴くん。もう少ししっかりしてよね。なんかもう、ガラガラすぎて見てられないよ。思わず前線に出てきちゃったでしょ」
「ハッ。言ったろ、飛鳥。俺の背中は任せるってな。お前を信頼してんだよ、これでも」
お前なら、俺の背中を守ってくれる。どんな状況だろうとも。俺は信じている。
もはや他力本願とまでも言える信頼が、しかし今の飛鳥には心地いい。
「なら、鈴くんもわたしを守ってよね」
それならば……あなたがわたしに背中を全て預けるのならば、代わりに、こちらの背中も預けるよ。ちゃんと背中を守ってくれなきゃ、一生恨むから。女の執念は怖いんだよ。
「おーけー、任せとけ。指一本触れさせねぇよ」
鈴は、飛鳥の背中を守ると誓う。
飛鳥もまた、鈴の背中を守ると誓う。
互いが互いを信じ、互いのために戦う。これほどの信頼が、脆いわけがない。これほどの信頼が与える気持ちの高ぶりが並であるハズがなく、また『勝利する』という気持ちも揺らぐハズがない。
そして、精神力がそのまま戦闘力に比例する天児にとって、これほど好条件な戦いもない。故に、彼らは強くなる。一秒ごとに、その力は増していく。
「勝つぞ、飛鳥!」
「言われなくてもっ!」
鈴はオーガストに、飛鳥はハワードに向けて走り、決め手となる最後の一撃を与えんとした時だった。
「お前ら、少し頭を冷やせや」
「もう良い。双方矛を収めよ、嚆矢様の御前であるぞ。」
鈴の拳を、片手で止める男がいた。
飛鳥の無数の弾丸を、残らず弾く尾があった。
鈴の拳を止めたのは、アーヴァン=ゲーテンブルグ。飛鳥の弾丸を弾いたのは、桜花。
己の拳がいとも容易く止められた、そのことに驚きはしたが、しかし問題はそこではない。なぜ、アーヴァンがここに居る。なぜ、アーヴァンがこちらの攻撃を止める。敵か味方か、はたまた第三の勢力としてここに居るのか、その意図がまるで分らない。
この状況をいち早く判断したのか、桜花の影にいるハワードが、隠し持っていた多くの果実をバラバラと落とした。
「やれやれ、ここで夜叉に加えて怪力バカの登場かい。適わないね、困ったものだ。これでは、私の本気はもう見せられないか」
肩をすくめ、おどける様に言ったハワード。彼からしてみれば、まだ祝詞を唱えるほどの大技は使用していないのだ。消化しきれずに終わっているところもあるだろう。
桜花が、「二度と妾を夜叉と呼ぶな。」と睨む。
「今回の件、余さず嚆矢様へ伝えるが、異論はなかろうな。もしかと思うが、言い逃れでもしてみるか、汝ら。」
「まさかまさか。この状況で言い逃れなど出来ないよ。ああ、そうだとも。万引きがバレた子供のような気分さ。煮るなり焼くなり好きなようにしてくれたまえ、白金の狐殿よ」
ハワードが言うと、降参とばかりに、オーガストも無言で両手をあげた。
「オーガスト。お前も悪ふざけが過ぎる」
鈴の拳を止めたアーヴァンも、振り返ってやせ細った男へ告げる。
「……此方は、ハワードの案に従っただけだ」
「あいつが快楽主義者なのはお前も熟知のことだろう。ならばお前も同罪だ」
「……恨むぞ、ハワード」
無表情で砂埃を払うと、オーガストはため息をついた。
今、どのような状況に立たされているかわからない鈴と飛鳥は、ポカンと口を開くばかり。
説明しなければならないが、まずは彼らの傷を癒すことが先決だろう。
全員の戦意が失われたことを確認した桜花は、静かに告げる。
「これより門を開く。汝ら、妾に付いて来いよ。」




