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時神鈴の夜―過去編『アストロメリア』  作者: 九尾
諦めるには、まだ早い
11/65

草枕

 わたしが、守るから。

 鈴と別れ、家に入るのを見届けた後、飛鳥は改めて己の誓いを胸に秘めた。

 自分が、守らなきゃいけない。取りこぼしたものもあるけれど、取りこぼしたからこそ、これ以上のものは落とせない。

 大切な宝物だから。彼は他の何にも変えられない、自分の大切なもの。友達、家族、それらと比べても他の何にも変えられない、大切なものだから。

 誰も彼もが敵に見えていたあの頃、唯一己に手を差し伸べてくれたのは彼だった。己に光を与えてくれたのは、彼だった。だからこそ、彼には光を返したい。彼に与えられただけの幸せを、彼にも与えてあげたい。

 自分はきっと、そのためだけに生きている。

「だから、守るの」

 不幸になんて、させない。あなたが不幸になる世界なんて、許さない。

「わたしは、好きだから」

 あなたの笑顔が、わたしは何より好きだから。

 あなたの笑顔を、わたしは何より守りたいと願うから。

「もう二度と、悲しませない」

 そのためにも、今はできることをしよう。

「――それで、あなたはいつまで彼を監視するつもりなの」

 長い黒髪を揺らし、背後に建つ民家の屋根を飛鳥は睨みつける。

 すると、「ほう」と何もないところから声がした。

 突如、何もないところから黒い紳士服の男が現れる。

 肩をすくめた黒いスーツの男――オーガスト・ステファン・カヴァデール。アメリカ人で、常に無表情であるし、口数も少ないため、何を考えているのかわからない寡黙な男だ。痩せて細長い身体。血色が悪く、大きなクマが特徴的な顔を持つ。

飛鳥と同じく、大日本帝国異常災害特別対策機関“天神”に所属する天児である。

「いつから気付いていた」

「多分、初めから」

「なるほど。まだまだ小娘だと侮っていたが、なかなか貴様も天児としての才を開花させている様だ」

 感情のこもらない声で、感情を表さない男はいう。無表情で褒められても、皮肉か何かとしか思えない。

「お褒めに預かり、光栄です」

 欠片もそんなことは思っていないが、建前として、飛鳥は答えた。

 顔は笑っていても、目は笑っていない。

「いや、此方は素直に感心している。なにしろ、まだ中学生の身だ。内に宿す神は強力だとしても、精神が幼ければ力は使いこなせない故に」

「それよりも、再度問います。あなたはいつまで、彼を監視するつもりなの」

 オーガストの上から来る目線に軽く苛立ちながらも、飛鳥は平静を装って問いかける。

「此方が満足するまで、といえば満足か」

「不満ですね」

「何故だ」

「桜花の指示では、彼の監視はわたしに一任されています。あなたの出る幕はない」

 桜花は、“天神”の中でも最初期の天児であり、能力も高い。故に、“天神”ではかなり上の階級に存在している。その彼女の命によって己が鈴の監視を行っているのだから、命も与えられていない他の監視が現れることに不満を持たないわけが無い。

 だが、不満は残るものの、納得はできる。

 何故なら、鈴の存在は――。

「小娘。アレは、異端子だ。規格外の存在だ。我々“天神”としては、既に無視できない域にある」

 そも、天児とは己の内に眠る神を目覚めさせ、己の渇望を強く願うことで力を発揮する。また、その力を発揮するためには、業天を纏うことが最低条件だ。であるにも関わらず、時神鈴は業天を纏わずして人外の力を発揮した。

 これが意味するものはすなわち、一つの可能性である。――彼が天児以外のナニカである可能性に、他ならない。

「けれど、あまり多くの人員を彼に割けるほど“天神”も暇ではないでしょう。だからこそ、わたしが彼を監視するの。幼馴染みであるわたしであれば、彼の些細な異常にも気付けるから」

「古い馴染みであるからこそ、その目が曇るとは思わぬか」

「なんでもかんでも疑わしいと食って掛かるあなたたちよりは、随分マシな視点で見れると思うけど」

「であるならば、単刀直入に言わせて貰う」

 今まで無表情を貫いてきたオーガストは、ほんの僅かだが眉間にシワを寄せた。

「役不足なのだよ、貴様のような小娘では」

 問題は既に、飛鳥の知る幼馴染みが何なのかわからない、ということではない。前代未聞の化け物が、この高天原にいるということだ。

 もし、時神鈴が、かつて神々が造りし結界を破壊するためにアレの送り込んだものであったなら、どう責任を取るという。

 もし高天原の結界が破壊されれば、悪意ある地球外生命体はいい機会だと次々地球に攻め入るだろう。現状では高天原の他には攻め入ることができないため、数少ない天児でも対処が出来ているものの、世界各地に侵攻されれば打つ手がない。瞬く間にこの平和は破壊されるだろう。慈悲もない化け物たちに蹂躙され、蒼き星は血に染まる。

 理想を掲げるだけでは守れない。一度の過ちも許されない。彼ら天児が、そして“天神”が背負っているものは、決して軽いものではないのだから。

「仮に奴が敵であったとして、止められるのか。貴様は」

「自慢ではないけれど、わたしは天児の中でも戦闘面では優れていると思う」

「否、聞きたい答えはそれではない。ああ確かに、戦闘能力と御霊だけでいえば貴様も規格外と言えるだろうな。だが、そうではない。問題なのは、貴様が時神鈴をその手で殺める覚悟が有るのか否か」

 飛鳥にとって、鈴の存在は己の存在意義と同義である。それを殺せるのかと、オーガストは問う。

 残酷な話だ。この寡黙な男は、年端もいかない少女に己の大切な宝物と世界を天秤に掛けろという。もし宝物が世界に悪影響を及ぼすならば、世界のために、宝物を己の手で壊せという。

 出来ぬのならば其処を退け。代わりに私が壊してやろう。例えこの手を汚そうと、例え誰かに恨まれようと、私が世界を守る故。

 オーガストの言いたいことは、よくわかる。また、正論だとも思う。

 人にはそれぞれ、優先順位が存在する。

 同じ一人が死ぬとして、その死ぬ一人を己が決められるというのなら、己が好感を抱く者から死なす者が何処にいる。誰だって、好感を抱く者は隣に置いておきたいものだろう。悪いとは思いつつも、己の大切なもののために無意識下で見知らぬ他人を切り捨てる。それが、人間の奥底に潜む優先順位。

 オーガストが危惧しているのは、飛鳥にとっての時神鈴が、この地球に釣り合うか、もしくはそれ以上の存在であることだ。もし彼女が世界と時神鈴を天秤に掛けたとき、時神鈴を取るというのなら、彼女の監視としての役割は意味を成さない。どころか、彼女は世界の敵になるだろう。

 オーガストは彼女を良くも悪くも信頼している。彼女の力は本物だ。逆に言えば、彼女はそれだけ強い意志を持って戦っている。ならば、戦うのは何が為?彼女の事情は知らないが、彼女は今まで時神鈴が特別な存在であると気付きながらも、その存在を“天神”に隠していた。それはおそらく、時神鈴の為。――であるなら、彼女の戦う理由の一つには時神鈴も関連していると考えるのが妥当だ。故に、彼女が天秤に於いて世界を選ぶ道理はないだろう。

 命を捨ててまで守りたいと強く願うモノが危機に立たされた時、彼女がどうするのか。強過ぎる意志を持つが故に、その結果は明白だ。彼女は迷うことなく世界を捨てる。もはや、天秤にすらならないかもしれない。その結果、己がどうなろうとも、例え世界の全てを敵に回すことになろうとも、彼女は時神鈴を取るだろう。

 だからこそ、彼女には監視を任せることはできないとオーガストは考える。

「……覚悟は、できているわ」

「問おう。それは如何なる覚悟であるのか」

 その場は静かだ。

 秋の風が吹き、落ち葉がアスファルトを掠る音がする。近所からは、包丁でまな板を叩く音であったり、小さな子供達の騒ぐ声が聞こえてくる。

 それほど静かであるにも関わらず、その場の空気とも呼べるものは、さながら黒い雷雲が如く危険を予見させる。

 睨み合う少女と男。二者はまさに一触即発。

 いつかこうなることぐらい、飛鳥には解っていた。業天なく人外の力を発揮する時神鈴がどれほど異常な存在なのかぐらい、天児になって間もない飛鳥にだってわかる。

 ああ、ここで嘘を吐くことがどれほど楽なんだろう。建前だけを並べて、この場を逃れることができれば、きっと心が楽になるんじゃないかな。緊張も、全部解けて楽になれる。だけど、ここでバレバレの嘘を吐いて、その場を濁す程度の覚悟で、飛鳥は此処にいるわけではないから。

 飛鳥は、再度覚悟を決める。

 

「――総てを裏切り、敵に回す覚悟よ」


 わたしは、世界を捨てる。全人類よりも、一人の少年の生を取る。

 きっぱりと、飛鳥は言い切った。

「血迷ったか小娘。我々“天神”が望むべくは世界の救世、あまねく生命の守護だ。化け物一人を生かすために人類総てを、肉親でさえも捨てるか」

「彼は化け物なんかじゃない。例え天児じゃなくたって、彼は人間。わたしにとって唯一の、正義の味方。彼のためなら、わたしは神だろうと敵に回す覚悟よ」

「ああそうか。ならば小娘――此処で果てるか」

 その一言を聞き、もう一人の男があごひげを撫でながら、電柱の影から姿を表した。

「ふむ……ふむ、ふむ。水無月飛鳥よ、お前はもう少し利口な娘だと思っていたのだが……ああ、どうやら見込み違いだったか。非常に残念だよ。それにしてもいやはや、私の目も腐ったものだな」

 オーガストとは対照的に、白い紳士服。赤い髪に、赤い髭。健康的な肌に、三〇代半ばに相応しい、外人らしい見た目の男。

 いつからそこに居たかは知らないが、オーガストがそこに居るのなら、彼も近くにいるのだろうと思っていた。それ故に驚きは少ない。

「あなたが、ハワード……」

 ハワード・マクラウド。

 オーガストと共に大日本帝国異常災害特別対策機関“天神”第一級災害直接殲滅活動部隊“草枕(くさまくら)”に所属するアメリカ人だ。

 彼らとの面識はほとんど無かったが、業天の形が紳士服という特殊な二人組という話を桜花から聞いたことがある。また、その実力も並みではないと。

「なあ、水無月飛鳥よ。オーガストのいう通り、私たちは世界を救わねばならん。例え心を悪魔に売り渡そうとも、例え如何なる犠牲を伴おうとも、我らは救世の神とならねばならんのだ。だからこそ、我々の祈願のために、人類のために……」

 まだ見ぬ、最悪の結末を回避するために。

「彼を殺せ、というのかしら」

「然り。うむ、然り。ああ、物わかりのいい子供は好きだよ、私は」

「まだ彼が人類の敵だと決め付けるには早いと、わたしは思うのだけど」

「うむ、君の言い分もわかるよ。だがしかし、しかしだね。天児に限りなく近い存在で在りながら、天児とは異なる存在の可能性がある。これは危険分子と認識するには、十二分といっても足りないほどの要素であると、私とオーガストは考えているのだよ」

 始め、桜花が時神鈴に声をかけたのは、“天神”の頂点に君臨する嚆矢(こうし)という存在が天児ではないかと唱えたためである。

 嚆矢は知識の神であると言われている。彼はこれまで何人もの天児を見つけてきたが、この時ばかりは「天児ではないか」という推測だった。

 これまで天児となった人物には例外無く「彼、彼女は天児である」と断定してきた彼が、天児と断定できぬ、天児と推測される存在。それでありながら、業天を纏わず人外の力を発揮する未知なる存在、時神鈴。

 彼は一体何者なのか。それが誰にもわからない。せめて業天を纏えれば天児であると納得できるのであろうが、しかしその気配もない。これまで天児であった者たちは一週間も掛からずに業天を纏うことに成功しているがしかし、彼の場合は既に三週間が経過しようとしている。

 もし、業天を纏えないのではなく、業天を持っていないのだとしたら。もし、天児ではなく、この地球に害なす存在であるとしたら――?

 彼という未知の存在が、これまで統一されてきた“天神”の意志に二つの派閥を作った。

 危険の可能性があるため時神鈴を早急に排除すべきであるという『排除派』と、まだ決めるには早いのではないか――天児という可能性を信じるという『長考派』である。

 大日本帝国異常災害特別対策機関“天神”の頂点に君臨する嚆矢は『長考派』ではあるものの、“天神”に所属する多くの天児はそうではない。彼らには彼らの守るべきものがあり、戦う理由がある。彼らには彼らの、優先順位が存在する。

 要するにこれは、優先すべきモノが異なる者同士の争いであるわけだ。

 全人類を脅威に晒す可能性のある一人の無垢な少年を殺すか、それとも、生かすという危険な道を選ぶのか。天児は神の魂をその身に秘めているとはいえ、多くは人間だ。己が万能ではないことを知っている。また、己の大切なものを守るためには、切り捨てなければならないものがあることも知っている。

 飛鳥にとって、全人類を捨ててまで守りたいものが存在するように、オーガストやハワード、また多くの『排除派』と呼ばれる天児にとって、一人の少年を切り捨ててでも守りたいものが存在するというだけの話だ。

 決して交わらない平行線。二者が交わる方法は一つだけ、ほんの微塵の誤差なく重なるのみである。すなわち、飛鳥と彼らの意見が交わる時はただ一つ――時神鈴が、天児である場合のみ。

 しかし時神鈴が業天を纏うことが不可能である現状で、天児としての証明は不可能だ。

 故に。

「故に――」

 ハワードの言葉に続き、オーガストが締めくくる。

「故に、此方は貴様ごと時神鈴を排除すべきであると、先の瞬間に決定した」

 それこそ、水無月飛鳥が世界を捨ててまで時神鈴を生かすと宣言したその瞬間に。

 世界が、ぐにゃりと曲がる。

 直感的に、オーガストもしくはハワードが、結界の構築を開始したのだと飛鳥は悟る。

 天児の作り出す結界には、大きく分けて二種類ある。ひとつは、天児が共通して作り出すことのできる、モノクロ写真を切り抜いたような結界『空繰(カラクリ)』。もう一つは、天児が各々の特性に合わせ、有利な戦場を構築するための特殊結界。

()が君申さくまま、我、時じくの(かく)()の実求めしたまひき――」

 ハワードの祈りが、求めし世界が、特定の存在をその未知なる異界へと招き入れる。

 彼の祈りがなんなのか、飛鳥にはわからない。けれど、『本気』なのだと感じた。ああ、本気も本気。嘘偽りなく心より祈るからこその、この結界。心の内より真摯に願う理想を、今、彼はこの場に顕現させる。

「特殊結界『常世(とこよ)』」

 呟いて、ハワードは飛鳥へと歩を進めた。

 ハワードが一歩踏み出す度、アスファルトを貫いて、見たこともない木々が瞬く間に生い茂る。

 ツルが、枝が、結界内に写真として切り抜かれた世界を包み、貫き、ほんの十数秒のうちにそこは植物の楽園と化した。

「豊穣神……なのかしら」

 天児が心に思う強い祈りや、願い。それらは、転生する前の神々の祈りや願いにも通じる場合がほとんどだ。そこから彼のルーツとなる神や存在を導き出すことができれば、少しは戦いも楽になるとは思う。しかし、つい先日まで目的を同じくして戦う同志であると信じて疑わなかった存在だ。己を高めこそすれ、他の者について調べている時間などあるわけがなかった。

 備えあれば憂いなしとは、よく言ったものだ。くっと、飛鳥は歯噛みする。

「なかなか特殊な結界なのね」

 生い茂った木々には、赤い果実、青い果実、黄色い果実……限りなく原色に近いそれらの果実がたわわに実る。

 しかし、この果実はなんだ。一体、何の意味がある。唯一わかるのは、この果実は自分にとって危険なものであること。なぜそれがわかるかといえば、一目瞭然。いくらなんでも、色が綺麗すぎる。

 自然界の動植物において、毒を持つものは奇抜な色をしていることが多い。奇抜な色を持つことで、己は他とは違うとアピールするためだ。まさしく、これらの果実も同じ。己はお前の知る果実ではないと、お前にふさわしい果実ではないと、その色が物語っている。

 鋭い視線で警戒する飛鳥とは異なり、大きく手を広げたまま余裕の表情でハワードは笑った。

「面白いことを言うな、君は。特殊であるから、特殊結界なのだろう。もっとも、その中でも特殊な部類であると、私自信も感じているがね」

 言い終わると同時、瞬く間に成長した枝がハワードに伸び、その目の前に大きな赤い果実を実らせる。

「ああ。ここはさながら、エデンの園だよ。人里離れた桃源郷であり、誰もが夢見る理想郷。であるならばこの果実はさながら、禁断の果実……そうは思わないかね」

 目の前に現れた赤い果実を手に取り、迷いなく齧ったハワードは、にやりと笑う。

 対する飛鳥は、そういうことかと警戒に目を細めた。

「……禁断の果実といえば、どの神話にも似たような言い伝えがある。不老不死、知恵……何かしらの人知を超えた力与えるモノ。つまりはそれも同じなのね。口にした者には、『人を越えし力』を与えるというワケね」

「ああ、いいぞ、実にいい。肯定肯定、実にその通りだ。正解も正解、座布団五枚だよ、水無月飛鳥。だが、喰らうには気をつけろ。この果実には意思がある。主と認めぬ者には、たちまち首に喰らい付くぞ」

「ご忠告、痛み入ります」

 言いながら、飛鳥の姿は人のモノから天児のそれへと変化した。

 水色の髪、水色の巫女服、そして埋め込まれた水色の水晶。

 ――業天『乙姫』。

「ならば此方からも、一つだけ忠告を」

「ふむ、なんだね」

「…………」

 顎髭を撫でつつ問うハワード。視線だけを飛鳥に向けたオーガスト。

「例え同じ天児だとしても、わたしは容赦しない」

 言い終わるが早いか、飛鳥は指先に集めた超高圧縮された水弾をオーガストに向けて打ち出した。

 とっさに身体を後ろに倒して回避したオーガストだったが、流石に今の一撃は驚いたのだろう。顔は無表情だがしかし、その目からはハッキリとした驚きが見て取れる。

「速度、威力、そしてタイミング。いずれも申し分無い。合格だ」

 パクリと頬が裂け、血が流れた。

「桜花が絶賛する理由も頷ける」

「お褒めいただき、どうも」

「だが、此方の相手はやめておけ。その程度では、ハワードの相手だけで手一杯のハズだ」

 それくらい、己が一番わかっている。例え能力は此方の方が戦闘向きで、実力も上だとしても、経験が圧倒的に足りない。対するオーガストやハワードは、かれこれ一〇年ほど“天神”にて地球外生物と戦っているのだろう。彼らの経験によって実力の差はたちまち埋められる。どころか、適いもしないだろう。

 だが、だからといってオーガストを放置するわけにもいかない。彼はまだ能力を見せてはいないが、油断はできない。ハワードの相手だけをしていれば、オーガストが鈴を襲うことは目に見えているのだから。

 この現状に於いて己がするべきは、オーガスト及びハワードの両者を止めること。

 できなければ、意味がない。

「だけどこっちは、そうこう言ってられる状況じゃないの」

 力が足りない?経験不足?知ったことか。負ける要因を考えたところで、意味はない。一つでも多く、己が導き出せる最良の結果を手に入れるために善処するしかない。

 再度指先に圧縮した水弾を作り出し、オーガストに向けて放った。

「必要以上に此方を狙うつもりか」

 水弾を体を逸らして避けたオーガストは、ならばとハワードに支持を飛ばす。

「この少女は此方が相手をしよう。お前は時神鈴を潰せ」

 自分に目も向けない余裕の態度に、飛鳥の眉間に皺がよる。いくら経験の差があるといっても、己の力はかなり高いと桜花はいった。それも、桜花ですら凌駕するポテンシャルを秘めていると。

 であるのに、彼らのこの余裕はなんなのか。

 わかっている、自分はまだまだ力不足だろう。けれど、これほどまで余裕でいられる事も無いハズだ。……ハズなのに。

「――っ!」

 かれこれ一〇を超える水弾を打ち出しているが、未だ当たったと言えるのは最初の一つ。それも、頬を裂いた程度だ。以来、オーガストに当たるどころか、その業天にすら掠りもしていない。

「ふむ、なかなかの御霊(みたま)を秘めているようだが、いかんせん経験不足だな」

 オーガストの指示に従わず、飛鳥を見定めていたのだろうハワードは、顎髭をジャリジャリと擦るのをやめた。

「オーガスト、ここは任せたぞ」

 やがて飛鳥に見切りをつけたのか、オーガストの指示通りにこの場を去ろうとする。

 ――彼を行かせては、ならない。

水玉(すいぎょく)一閃(いっせん)!」

 咄嗟に体が動き、圧縮した水を高速回転させた水の一閃をハワードに対して打ち出した。

「ふん」

 初めは驚いた表情を見せたハワードだったが、その拳のひと振りで水玉・一閃の方向をねじ曲げた。

 ハワードの横を抜け、目標を失った一閃は見当違いの方向へ飛び、壊す必要のない結界内の近所の家を貫通し、やがて見えなくなる。

「……嘘」

 己の攻撃がいとも容易く無効化されてしまったことに、飛鳥は動揺を隠せない。

 この際、冗談でもなんでもいい。ただ、嘘だと言って欲しい。思わず開けた口を塞ぐことも忘れて、飛鳥は彼方へ飛び去った一閃を見続けた。

 現在、飛鳥が戦闘で使用でき、かつ効果的な技は、流円(ながれまどか)、一閃、そして五百箇(いおつ)。大技三つのうち、一つがハワードにやすやすと弾かれた。また、もう一つはオーガストに掠りもしていない。

 ……勝てるのか、この二人を相手に。

「――ダメ。怯えちゃダメ。挫けちゃダメ」

 思わず折れかけた己の心に、飛鳥は喝を入れる。

 天児にとって、勝利するという意思は必要不可欠。こんなことで挫けるようでは、世界など敵に回せない。こんなことでは、鈴を守れない。

 自分の後ろにいるのは誰なの。守らなければならないのはなんなの。守らなければならないのは、プライドとか自負とか、そういうのじゃないでしょう。歯を食いしばれ、自分。意地を見せるんだ。彼に、みっともないところは見せられないから。

 もしも、わたし一人の力でどうにもならなかったとしたら……。そんな不安を、食いしばった歯で噛み砕き、強く握った拳で粉砕する。

 やるしかない。決めたのだから。例え世界の全てを的に回しても、わたしは守るんだから。力がないのなら、求めればいい。その結果、掴めばいい。経験がないのなら、手に入れればいい。今この戦いを通して、経験とすればいい。それだけの話でしょう。

「行かせないんだから!」

 我に返った飛鳥は、一閃を跳ね除け、再び鈴の下へと走ったハワードを止めるために、彼の眼前へと巨大な水の壁を作り出す。

 気にすることはないと壁を抜けようとするハワードだったが、壁に触れた途端手のひらから血が舞った。

 回り道をするしかないか。

 壁の高さは計り知れない。が、その横幅は数百メートルと言ったところだ。通れないなら、通らなければいいだけだ。

 そこまで、ほんの一瞬の思考。思考から実行に移そうとしたとき、水の壁が消えていく。ならばこのまま直進するかという結論に思い至った刹那。

 水の壁を貫いてか細い腕が伸び、ハワードの腹部を捉えた。

「――むぅ」

 壁の向こう側に存在する腕の持ち主が何者かはわからない。

 だが、恐るべき頭の回転というべきか、それとも長年培われてきた彼の戦闘による経験からか。これは危険だ、離れなければならないと即座に判断した。ハワードはその細腕を掴み、投げ飛ばして一旦距離を離そうとするが、腕が離れない。

 がしりとハワードの腹を掴んだか細いその手は、ものの数秒のうちに水の壁をほとんど吸収し、己の掌へと集めていた。

 今のハワードは、この結界に存在する果実を口にしている。天児の腕であるにしても、この程度であれば握力だけで、へし折ってでも、引きちぎってでも逃れられる細腕だ。なのにどうして離れない。なのにどうして砕けない。

「当たらないなら、確実に当てられる距離で放てばいい。弾かれるなら、弾くことのできない距離で放てばいい。倒せないなら、倒せるだけの威力で放てばいい……!」

 水の壁が吸収され、眼前の敵が姿を消した時にようやく理解する。いつの間にここまで移動していたのか……これは、水無月飛鳥の腕だった。

 おそらく、流れる水の力を利用して己の身体を移動させたのだろうが、それにしても速いと感じた。これも、彼女の意思の強さか。

 天児の強さというものは、その精神状態に大きく比例する。この手で彼女の腕を離せなかったということは、瞬間的とはいえ、今の彼女の感情が彼我の経験を埋めるほどのものであるということになる。

 ――だとしても、我々は負けはせんがね。

「水玉・流円ぁあああああっ!」

 ハワードの腹部を掴んだ右掌――ほぼゼロ距離から、飛鳥は超高圧縮した水弾を発射する。打ち出した本人である飛鳥の腕が悲鳴をあげるのを、ハワードは聞いた。己の身体を顧みることもないほど、今の彼女には躊躇も遠慮も無かった。

「ごふっ!」

 超高圧縮された弾丸により、ハワードの肋骨が折れた。胃は押しつぶされ、肺がはち切れる。激痛が腹部を襲い、尚ハワードの後方へ向けてベクトルが作用する。

 むう。なるほど、彼女が現状、とてつもない感情を爆発させているにしても、これは途方もない威力だな。彼女にとって、時神鈴という存在は余程大切であると見える。

 巨大な水の壁に使用した水を全て圧縮し、弾丸と打ち出した、水玉・流円。もしかしたら、彼女が素面であっても、私の最大攻撃より此方の方が重いかもしれない。

 呑気なことを考えながら、ハワードはオーガストのいる後方へと吹き飛んでいく。

「ぬぅああああああっ!」

 後方へ吹き飛びつつ、彼はこの流円から逃れる機会を見つけ出した。地面に叩きつけられ、転がる直前、ハワードは己の左拳を木々の楽園となった大地に突き刺す。それを軸に、身体を捻った。捻った勢いのままに、右手で流円を、食らいついたすっぽんでも引き剥がすが如くに弾き飛ばす。

 遠くに飛んでは行っては困るのか、飛鳥は流円の圧縮を解く。すると、たちまち小さな池がその場に出来上がった。

「何を遊んでいる、ハワード」

 咳と共に吐血するハワードを尻目に、オーガストが隣に並んだ。

「此方の目的は、彼女の力を測ることではない」

「いやなに、彼女が想像よりも強くてね。参ったものだよ、ああ困った困った」

 先の流円をもろに受けた彼からしてみれば、もう肉体面に余裕はない筈なのに、ハワードはにやりと笑った。近くの黄色い果実をもぎ取り、齧る。

「ところでオーガスト。私は彼女に敬意を払いたくなったよ。そこで、どうだろう。彼女が私たちを相手にしている間は、私たちも時神鈴に手は出さないというのは」

 肉体に大きな怪我をしていたはずのハワードは、ケロリとした顔で立ち上がり、齧った果実を投げ捨てた。

「何を戯けたことを、これは遊びではない。そも、彼女程度では此方一人が相手ですら勝てん。無駄な敬意だ」

 相も変わらず表情を変えないオーガストは、淡々と述べた。

「……ならば」

 対し、ニヤリと笑ったハワードは彼に提案を持ちかける。

「ならば構わんだろう。どの道彼女は私たちの邪魔をする。であるなら、要らぬ芽を先に摘み取ることも、やぶさかではないと考えるが」

「……二度言わせるな。これは遊びではない」

「ああ、確かに。確かにこれは遊びではないがね、賭けてみても悪くはあるまい。私は彼よりも、彼女の目覚めを見てみたくなったのだよ」

「彼女の目覚め?何を言う」

「既に目覚めているではないか、と?……違うな。彼女はまだ、目覚めきっては居らんのだよ、おそらくは。だからこそ、もしか、彼女はこの戦いで進化するかもしれない。己の真の力を見つけるかもしれない。見たところ、彼女の祈りは『守る』こと。もしくはそれに近しい何か。であるのなら、彼を守ろうとすればするほど、彼女は新たな力を得るのではないかね」

「それが、アレへの勝機となると?」

「可能性の話だがね」

「……その提案、受けてもいい。ただし、発案した以上、責は全て貴様が取れ」

「ああ、構わんよ」

 更に深く笑みを浮かべたハワードは、両手を広げて飛鳥に言う。

「なぁ、水無月飛鳥。こちらから一つ、ルールを提案しようと思う。なに、聞いて損はさせんよ」

 何を言っているのだと顔をしかめた飛鳥だったが、「聞くだけ聞くわ」と述べた。

 先ほどオーガストに提案したように、飛鳥にもルールを説明する。ルールは簡単、飛鳥が倒れない限り、ハワードらは鈴に手を出さないというものだ。

 飛鳥からしてみれば、初めから二人を相手にするつもりであったし、片方を相手にしている間、片方が鈴に向かう可能性を危惧せず居られるというのは有難い申し出だった。それでありながら、デメリットはほぼない。

 ハワードらになんのメリットがあるのかは考えてみるも、わからない。どちらにせよ、彼らがこのルールを守るか否かはわからないが、初めと比べて条件は対して変わらないのだ。飛鳥はその提案を受けた。

「此方は全力で貴様を潰しにかかる。加減はない。構わぬか」

 オーガストが問う。

「お気になさらず。それはわたしも同じだから」

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