神の資格 後編
「如何した、時神鈴。動きが止まっておるぞ。」
「ざっけんな、お前の要求は敷居が高すぎんだよ!」
唐突に金色の尻尾を振るい、攻撃を始めた桜花は、聞く耳を持たないまま、やはり攻撃の手を休めることはない。
「こっちはまだ業天を纏えないって知ってるクセに!」
天児とは、人を超えた人ならざる超越者である。
かつて神と呼ばれたモノの魂を、その身に宿したモノを総称して天児と呼んでいるのだが、しかし、天児が天児として活動するためには、『業天』と呼ばれる特殊な装甲を纏わねばならない。
業天の形は十人十色で、飛鳥のように巫女じみた服装であったり、桜花のように着物であったりと、バリエーションは多岐にわたると聞いているが、その形がどうであれ、業天の存在によって人は天児としての力をようやく発揮できる。
逆に言えば、業天を纏うことができなければ、天児としての力を振るうことはできない。人の域を出ることは、できない。それが、天児の絶対条件だとされている。
「なればこそ言っておるであろうが。早う業天を纏えるようになれと。天児となれと。」
「そんな簡単になれたら、こんなに苦労してねぇよ!」
都合四回ほどになる桜花の尻尾による攻撃を避けた鈴が叫んだ。
次の瞬間、鈴の避けた尻尾が、屋上のアスファルトに激突し、爆音をあげながらアスファルトを打ち砕く。
人の持つ破壊を目的とされたハンマーだろうと、ここまでアスファルトを破壊するのは不可能だ。これほどの威力でアスファルトを砕こうとすれば、ショベルカーでも持ってこなければ叶わない。
それを――人が機械に頼ってようやく成し遂げられる物事を――目の前のこの女は、どこから生えているかもわからない金色の尻尾で軽々と行えてしまう。
それも、尻尾を手のように使って鉄扇を鏡のように扱い自分の耳についた小さなゴミを取り除いたり、自分の他の尻尾にある毛玉を指先で摘まんでポイと捨てたり、残る尻尾を扇風機のように回して風を起こすことで砕かれたアスファルトの埃を遠くに飛ばしながら行うのだから、たまらない。
鈴からしてみても、避けることが精一杯で文句の言えない立場であるにも関わらず、もう少し真面目にやれよと思う。
逆に言えば、有り得ないほど不真面目な態度でも、人にできないようなことを軽々と成し遂げてしまう。――それが、天児。
「どうした、時神鈴。まずは業天を纏わねば始まらないであろう。お主の願いは何だ。お主の求める力は何だ。その形を、妾に見せておくれよ。」
「くっそぉおおおおおお!」
感覚的に、こうすれば避けられるだろうか。これくらいの速度なら、当たりはしないだろうか、まるで豆腐に触れるような慎重さで、桜花は尻尾を振るう。
「どうすれば、本気になれるのかのう……。」
己の危機に力が出せず、一体どこで己の力がだせようか。
こうして命の危機に晒すことで、多くの天児は天児としての才を開花させたがしかし、この鈴はどうもうまくいかない。
桜花が尾を振るう速度をわずかにあげる。
すると、鈴の身体に少しずつ当たるようになった。どうやら、今の速度が鈴の限界だったらしい。このままのペースを維持すれば、きっと彼は壊れてしまう。
「……飛鳥の際は、もう少し楽であったのだがな。」
水無月飛鳥は、明確に己の願いが見えていた。それでありながら、己の求める力も朧げながらだが見えていた。しかし、この少年は何も見えていない。己の守るもの、やりたいことはわかっていても、どのように守るのかが見えていないのだ。
天児とは、神の魂を宿した存在だ。
それ故に、天児は神――すなわち己の内に潜む明確な形を持たない“魂”を信仰し、己の力を強く願うことでその力を発揮する。つまり、己が何をできるのか知ること、そして己をどこまで信仰できるのがが鍵となる。逆に言えば、己の力を信じることができなかったり、己に何ができるのかを見誤ったとき、その力は意味を成さなくなる。
自分に何ができるか、どのような能力を扱えるのか、すべて把握をした上で、己の強さを信じる。そうすることで、天児は天児としての力を発揮できるわけである。
「……だというのに。」
彼は己が何を求めるかを知らない。己に何ができるかがわからない。あの日、親友を失った彼は激昂し、何かしらの方法で人を超えた。業天を纏わずして、人を超えた。
それが如何なる意味を持つのか。桜花は分かっていたが、けれどこの少年には何かがあると信じている。必ず我らの希望になると、信じている。それ故、彼には業天を纏ってもらわなければならない。己は天児であると、我々に知らしめてもらわねばならない。
でなければ、彼は天児の手によって消されてしまうだろう。それは、防がねばならない最悪の事態だ。それを回避するためにも、一刻も早く、彼には己は天児であると証明してもらわねばならない。
「鈴、一度休もうか。」
尾の動きを止め、桜花は言う。
「なんでだ。俺はまだやれるぞ」
また唐突に攻撃を仕掛けられると思っているのだろう。桜花の尾を警戒しながら、鈴は額の汗を拭った。
「うむ。そうさな、業天を纏う上でのアドバイスをしよう。……天児に必要なのは、イメージだ。魂に刻まれた己が欲するモノがなんなのかを、明確にする事だ。なぁ、時神鈴。汝は、何を求める?」
「……俺は」
俺は、何が欲しい?
決まっている。力が欲しい。もう誰にも何も奪わせない。触れさせない。
戦うための、力が欲しい。
「俺は、強くなりたい」
……皮肉なものだ。友人の死が、彼を戦いの道に引きずり込んだ。だと言うのに、今度は友人の死が、彼の望んだモノを曇らせる。そのことに、彼は気づかない。
「俺は、強くなりたいんだ」
「だから言っておろうに。強くなりたい、だけでは意味がないと。大切なのは、己が何を望むかだ。何が為に、戦うかだ。」
強くなることを望む。そして、敵を倒すために戦う。それじゃ、ダメだっていうのか。なら、何が足りない。どうすれば、それは足りる。
答えをいつまでも出せないでいる鈴に、桜花は「もう良い。」と諭すように言った。
「……今までが早すぎたな。必要な過程を取りこぼし過ぎたようだ。なぁ、鈴。しばらく休んでおれ。今の汝は、心身共に疲弊しすぎておる。」
親友が目の前で殺されて、しばらく何もできずにいた鈴。そんな彼に、自身が言い出したとはいえ、戦場へ運ぶというのは、少なからず罪悪感がある。
それに、罪悪感を覚えるのはなにも、彼に対してだけではない。なにより、水無月飛鳥に向けられたものが大きい。
彼女には、とても大きなものを背負わせてしまったと思う。誰が悪いわけでない、ただ運命の悪戯とでもいうべき大きな意思に引きずられている。けれど、もう少しぐらいはどうにか出来たのではと桜花は思う。
こんな展開を、一体誰が予想しただろう――もしかしたら、嚆矢様はこうなることを知っていたのかもしれないが――まさか、時神鈴が我々天児に命を狙われるなどと。
予断を許さないこの状況で、何が最善の選択であったのか、桜花は悩まずにはいられなかった。悩んでも仕方がない。済んでしまったことは、取り戻せない。わかっていても、もやもやとした何かが胸にへばりついて離れなかった。
「――頭を冷やすべきは、妾なのやも知れぬな。」
しばしの間、休んで居れ。それだけ言うと、桜花はフェンスを軽々と飛び越えて飛鳥たちのいるグラウンドへと飛び降りた。
「……いや、休めって言われても困るんだが」
屋上から姿を消した桜花の姿を追うことなく、とりあえず鈴はその場でしゃがみこんだ。
周りを見渡すと、桜花の尾によって砕かれたコンクリートの瓦礫が辺りに転がっている。
「これが、天児か……」
常人には到達できない強大な力。それを、己は秘めていると桜花はいう。
確かに、辰人を殺されたあの日、鈴は人の領域を超えた動きを可能にしていたように思う。以前感じたことのある体感時間の変化。そして、変化した体感時間の中で動く肉体。さながら、加速した時の中を己が駆けているようだった。
「あの力があれば、俺は……」
多くの人々を、父さんや母さんを、飛鳥を守ることができる。辰人の仇を打てる。なにより――奴らを根絶やしにすることができる。この地球に来たことを、後悔させてやる。辰人の痛みを、奴らにも味わわせてやる。二度と同じことができないよう、俺が裁いてやる。
その罪は、他の誰もが裁けない故に。
「強く、ならなきゃいけないんだ」
あんな奴ら、存在して良いはずがない。
「俺が、裁く」
この世に神はもういない。ならば、神の魂を受け継いでいるという己ら天児が奴らを裁かずして、誰が裁くというのか。
誰かがやらなければならないのなら、俺がこの拳で。
鈴が拳を強く握った時だった。
「よぉ、坊主」
ポンと、肩に手が置かれた。
振り向くと、身長が一九〇近くあろうかという巨漢が、葉巻を咥えて立っていた。
「あんたは……?」
ここは灰色の世界。桜花の作り出した結界の内だ。常人を巻き込まないための特殊空間であるこの場所に存在する人間が、一般人であるわけがない。
すぐさま後ろに跳躍し、鈴は攻撃体制を取る。
「おいおい、穏やかじゃないぜ、坊主。俺はアーヴァン=ゲーテンブルグ。天児だよ」
アーヴァン=ゲーテンブルグ……。鈴が桜花の言葉を思い返してみると、そういえば、飛鳥の練習相手がそんな名前だったような気がした。
「嬢ちゃんの面倒みてたら、桜花が乱入してきやがってな。女同士の間に入りづらかったもんだから、男同士で何か話せないかと思ってな」
「あ、そういう訳すか」
「そういうワケだ」
どっかりと腰をおろしてあぐらをかいた巨漢――アーヴァンは、床を叩いて隣に座れと鈴に促した。
逆らう理由もないので、鈴はアーヴァンの隣に膝を抱えて座る。
……タバコ臭い。
葉巻を吹かすアーヴァンの隣は、タバコが苦手な鈴には少し辛い場所だった。
「タバコは苦手かい。不快な思いをさせて悪かったな」
鈴が嫌そうな顔をしたのを見てか、アーヴァンは葉巻を握り潰して火を消し、ポケットから取り出したコンビニ袋へしまった。
「コンビニ袋、タバコの熱で溶けません?」
タバコ用の消臭スプレーか何かを体に吹きかけていたアーヴァンは、「そんときゃそんときだ」と豪快に笑った。
「どうだ、もう臭わないか?」
鈴がアーヴァンの匂いを嗅いでみると、タバコの匂いはほとんど取れていた。
消臭スプレーすげぇ。
「大丈夫っす」
「すまんな、高校から始めたタバコが未だに止められんのだ……それで。君が、時神鈴か」
「……はい、時神鈴です」
「話は聞いているよ。なんでも、目の前で親友を殺されたらしいな」
アーヴァンは、まるで挨拶の一環であるが如く自然に、不幸話を会話に織り交ぜてきた。
「……はい」
「その時、業天もなく人を超えた力を発揮したらしいな」
「……らしいですね。俺ほとんど意識なかったので、よくわかんないですけど」
なんなんだ、この人。
訝しげに思いながらも、事実だからと鈴は頷く。
「悲しいか。苦しいか。今、どんな気持ちだ」
どうしてそんなことを聞くんだ。
普通、掘り返すものではないだろう、そういう記憶は。ましてや、どんな気持ちかなど聞くものではない。不謹慎だとか、そんな次元じゃなかった。失礼極まりない。
けれど、鈴は答えた。
「悲しいです。苦しいです」
「それだけか。悔しとか、親友を殺したやつを許せないとか、そういう気持ちはないか」
ないわけが、ない。
「ありますよ……」
「かなり不謹慎なことを聞いているのはわかってる。だが、大切なことなんだ。教えてくれるか」
「化物を前にして、俺は動けなかった。助けられたのが情けない。親友が目の前で殺されたのに、何も出来なかった自分が悔しい。でもなにより、辰人の……親友の体すらも滅茶苦茶にした奴らを、許せない」
「そうか。なぁ……奴らを、殺してやりたいか」
その問いは、どのような意図を込めたものだったのだろうか。
わからない。だが、この場で答えるべきは否定だとわかる。けれど。
「……正直、殺してやりたい」
ここで嘘を言ったところで、無駄だと思った鈴は心の内をぶちまけた。
「辰人と同じ目に合わせてやりたい。同じ苦しみを味わわせて、自分がどれだけ酷いことをしていたのかと化け物たちに知らしめてやりたい」
辰人の幸せを奪った奴らを許せない。ただ、許せない。
「だったら、坊主。その辰人くんとやらと同じ目に合わせたら、お前の気は済むのか?」
「……わからない。けど、今よりはマシなハズだ」
「なるほどな、お前が業天を纏えないワケだ」
「どういう意味?」
業天を纏えない理由?
今のどこに、そんなものがあるという。
「業天ってのは、天児の鎧だ。天児ってのは、神の魂だけじゃない、その意思をも継ぐ者だ。なぁ、だとしたら、お前が業天を纏えない理由もわかるだろう」
「それは……」
わかるようで、わからない。もしかしたら、わからない気がしているだけで、本当はわかっているのかもしれない。
確信が持てなくて、持ちたくなくて、鈴は何も答えない。
しかし、アーヴァンは容赦なく現実を突きつける。
「簡単なことだろ、坊主。お前は、神として相応しい人間じゃあないってことだ」
「……………………」
何も、返せなかった。
「お前の言う神様って、なんだ?やられたらやり返す、殺されたら殺し返す、どこにでもいるありふれた人間みたいなやつか」
「違う……」
神様は万能の力を持っていて、人を助けてくれて、みんなの幸せのために働いて……。
「あぁ、違うだろうな。やられたらやり返すことが当然なんて神様が考えてたら、聖人君子の存在価値がわからなくなるだろう。だったら、本当に神様に必要なモノって何だ?」
「神様に、必要なもの?」
「全てを圧倒する力か。一人でも生きて行ける強さか。何者にも染められない心か。誰かを幸せにできる、夢の魔法か。……どれも、違う。神様に必要なのは、“許す心”だ」
「許す、心?」
何を、言ってるんだ。
許す心なんてものが神様の資格なら、世界中神様に溢れているだろう。何十億もの神が、世界の至る所に溢れているだろう。言っている意味が、鈴にはわからない。
「何言ってんだコイツ、って顔してるな。まぁそれも当然か。だがよく考えても見ろよ。そうだな……『やられたらやり返す』なんて考えている神が居たとする。んで、その神様の家族が別の誰が……仮にAとしよう。神はAのせいで家族を一人失ってしまったとしよう。そのとき、一体どうすると思う」
「え?」
「神のモットーは『やられたらやり返す』だ。何かをしてきた相手には同じことをする。神がAに家族を殺されたら、どうすると、思う」
「多分、神はAの家族を殺す……」
「あぁ、そうだ。神はAの家族を殺すだろう。やられたらやり返す、それだけだ。だから、神はAを自分と同じ目に合わせるため、Aの家族を殺した。そうしたら、なぁ。Aはどうするよ思うよ」
その神は、やられたらやり返す。だというのなら、Aが同じことをしたとして、どうして咎められようか。
今の俺だったら、きっと、同じことをしてしまうから。
「……神の家族を、殺す?」
「その通り。おそらく、Aは神の家族を殺すだろう。だとすれば?」
「Aの家族を、また神が……」
「あぁ、殺すだろう。だったら、これからどうなるか想像することは難しくないはずだ。神とAは、互いに互いの家族を殺し合う。殺しあって……」
「互いの家族がいなくなるまで、殺し合う……?」
「その通り。そして、家族が居なくなったとき、今度は神やAの親戚たちが殺し合うだろう。神は『お前は親戚を殺した』と、Aは『お前は親戚を殺した』と、互いの正義を主張しながら。なぁ、時神鈴。お前は、どちらが正しいと思う?お前なら、どちらの肩を持つ?」
難しい問題だった。結局のところ、お互い主張していることは何一つ代わりはしない。互いの血縁を殺されて、同じ目に合わせてやろうと思っているだけなのだから。どちらも同じくらい正しく、どちらも同じくらい間違っているのだから。
なら、原因は?
簡単だ。Aが神の家族を殺してしまったから。
「Aは、どうして神の家族を殺したの?」
「そうだな、神の家族に誤って銃を発砲してしまったとかにしておいてくれ。Aに殺す意志はなかったんだ」
Aは、悪くないんじゃないか。だったら、悪いのは――。
「悪いのは、神だ……」
「どうして、神が悪いと思う?」
「家族を殺されたからって、理由も知らないままAの家族を殺してしまったから」
「……そうだな。だったら、神には一体何が足りなかったんだろうか」
「――“許す心”」
神にとって最も大切なものは、許す心。アーヴァンが言っていたことが、ようやくわかった気がした。
「正解だ。確かに、やられて黙っているのは辛いことだ。だが、どこかで誰かが許さなきゃ、争いは終わらない。相手を恨むのは勝手だが、それを攻撃という行動に移しちゃあダメなんだ。……難しいことだがね、それができないようなら、そいつは天児になる資格はないと俺ァ思ってる」
「……………………」
なにも、言えなかった。
お前は仲間に要らない。アーヴァンからそう言われた気がして、鈴はなにも返せなかった。
けれど、ならば天児は一体なんのために戦うのだろう。彼は、何のために戦うのだろう。
天児として戦うということは、敵を殺すということ。敵を殺すということは、敵から恨みを買うことに他ならない。先にアーヴァンが述べた神とAの悲劇が起こったところで、何もおかしいとは思わない。これといって大きな利益はないのに、どうしてこの人達は常に命の危険と隣り合わせの場所で生きているのだろう。
疑問に思う鈴の頭に、アーヴァンの大きな手が置かれた。
「……許せる心を手に入れたとき、俺たちは誰より優しくなれる。俺たち天児は、本当に強くなる」
その言葉には、どのような意図が込められていたのだろうか。
本意はわからなかったけれど、「お前は許す心を手に入れろ」と言われたような気がした。同時に、「強くなれ」と言われた気がした。
それから何も言わないまま、アーヴァンは空を見つめ続けている。
灰色の空。曇っているわけでなく、ただ灰色の空が目の前にある。いつも見ている屋上からの景色だというのに、色が違うだけで大きく違って見える。雲は動かず、モノクロ写真の内側に自分たちは存在しているのだと感じた。
この特殊世界を天児たちは作り出し、動かない時の中、密かに自分たちは戦う。誰にも知られることのないまま、評価されることもないまま、天児は戦い続ける。
一般人を巻き込んではいけない。他の誰にも知られてはならない。
これはまるで、テレビに出てくる正義の味方だ。
今まで龍神兄弟として活躍してきた鈴は、何かしら評価をされていた。けれど、天児として活動するのであれば、誰にも評価されることはなく、またその存在を知られることもない。
――そんなの、孤独じゃないか。
一人で戦うわけではないのに、何故かそう思った。
誰かのために、己の命を捨てて戦う孤独な存在。それが、正義の味方か。正義の味方というのは、こんなにも重いものを背負って戦っていたのか。
「……強いなぁ」
天児は、強い人達ばかりだ。
自分なんか、ダメダメだ。まだ、戦いをどこか甘く考えていた。天児とはなんなのか、考えていなかった。
「俺、ホントダメですね」
自嘲気味に笑った鈴に、アーヴァンはそんなことはないという。
「天児の多くは、何か心に大きなものを抱えている。過去のトラウマだったり、守るべきものであったりな。みんな、強く成らざるを得ない状況に立たされているのさ。まるで、運命とやらが俺たちを導いているかのように、天児は戦いを止められない」
誰も、戦いを望んでなんかいない。
姿形は違うとはいえ、この宇宙に生きる『人』と戦うのが、天児の役割だ。状況によっては、敵を殺さなければならないこともある。
皮肉なものだ。天児という一部の人間の平和を犠牲にして、この地球は平和を保っているのだから。
「なぁ、坊主」
「はい?」
首を傾げてアーヴァンを見ると、彼はこう言った。
「お前は、強くなれる」
根拠はどこにもないのだろう。けれど彼は、自信をもってそういったのだ。
☆
修行を終えた鈴は、飛鳥と共に帰路につく。
時刻は夕方。桜花が結界を張った時刻と、ほぼ同じ時間だ。
桜花が言うには、結界というのはこの人々が生きる現実の世界とは異なり、切り抜いた写真のような世界であるという。それ故、その世界に入っていれば己の時間は進まないし、結界を解けば元いた場所に帰される。
ただ、切り抜くのは写真だけであるため、結界内で負った傷、経験、記憶などはそのまま残る。世界は結界という異界の中で起こる時間の経過を感じていないのに、天児という個人には結界に存在していたという事実が残るのだから、不思議な話だ。
二人で帰路を歩む中で、鈴はアーヴァンに言われた一言を思い出す。
――お前は、強くなれる。
「強くなれる、ね……」
自分はまだ業天を纏えず、天児にはなれない。けれど、隣にいる彼女は既に、天児として敵と戦っている。
自分と彼女の差が、アーヴァンの言う「許せる心を持つか否か」という気持ちを持つか否かの差なのだろうか。考えてみれば、飛鳥は昔から心優しい少女だ。許すということには長けていると思う。
ふと己の手のひらを見てみると、砕けたコンクリートによって皮膚が切れたのだろう、傷だらけになっていた。
「あのアーヴァンっていう人と、何か話したの?」
血がにじむ手を開いたり閉じたりしている鈴に、飛鳥が問う。
「ああ、いろいろと」
「鈴くんが天児になれないことと、何か関係があること?」
飛鳥は、不安気に鈴を見た。
彼女からしてみたら、鈴が天児となるということはすなわち、今まで戦わせたくなかった幼馴染みを自分と同じ戦場に送るということだ。天児となって一緒に戦いたいという気持ちよりも、このまま天児として目覚めなければいいと思っているのかもしれない。
「……さぁ。俺にはよくわからんかった」
鈴は、開いた右手を強く握った。
「んでも、あの人の話を聞いて思ったよ。俺は……強くなりたい」
心も、体も。
心は、誰も恨むことなく、後悔することなく己を突き動かして行けるような強さが欲しい。
体はそれこそ、飛鳥に心配されないほど強く、そして飛鳥すらも守れるような力が欲しいと思った。
誰も泣かせない。悲しませない。全ての弱き者を救える存在になりたい。
「俺は、やっぱ正義の味方になりたいって思った」
その言葉に、飛鳥は何を思っただろう。
鈴が飛鳥の表情を伺うように隣を向くと、飛鳥は複雑そうな顔をして、けれど最後は微笑んだ。
「やっぱり、鈴くんは鈴くんだね」
嫌な気持ちもあるだろう。戦って欲しくないと、思っているだろう。なのに彼女は、そう言って笑った。
「うん、やっぱりそうじゃないと、鈴くんじゃないんだよ」
頷いて、同時に自分の気持ちを誤魔化すようにして、彼女は微笑んだ。
「誰より強くて、誰より優しい正義の味方。昔わたしを救ってくれたのは、そういう鈴くん。わたしが大切にしたいと思ったのも、守りたいと思ったのも、そういう鈴くん。……辰人くんが助けようとしたのも、きっと、そういう鈴くん。偽善でも、誰かのために正義の味方してる鈴くんが、やっぱり一番鈴くんらしいんだよ。そんな鈴くんが――みんな、大好きなんだよ」
自分が彼女の立場なら、戦うのを止めるだろう。戦うのは男の役割だから、お前は後ろにいてくれ。お前が俺たちの勝利を願っていてくれるなら、俺は必ず勝てるから。だから待っていてくれと。
けれど彼女は止めないでいてくれる。そんなことを言っても無駄だと知っているし、なにより俺がその程度で止まらないと知っているから。だから笑顔で、あなたはそうあるべきだと言ってくれる。
言い終わると、飛鳥は鈴の隣から前に駆けた。振り返って向き合い、正面に立つ。
思わず、鈴は足を止める。
「……飛鳥?」
「ねぇ。一緒に戦おう、鈴くん。今度はわたしが、辰人くんの代わりに鈴くんを守る。だから鈴くんは、“龍神兄弟”として、この高天原を守ってよ」
龍神兄弟として、この高天原を守る……。
この言葉は、重い。既に亡くした親友と共にこの高天原を守るということは、きっと、自分にとっては何よりも重い。
それはきっと、辰人の意志を継ぐということ。辰人の守りたかったものを守るということ。
今までは正直、辰人がいたからこそ多くの事件を解決してこれた。けれど今はもういない。飛鳥と二人で、この高天原を守っていくということ。
敗北は許されない。失敗も許されない。
だけど、鈴は頷いた。
「任せとけよ。必ず、守るから」
全部、守ってやる。
父さんも、母さんも。学校のみんなも、先生も、この高天原のみんなも。全部、守ってやるから。この拳で守れるものがあるのなら、俺が守ってやるから。
「――うんっ!」
飛鳥のこの笑顔も、この約束も。この手で守りたいと、強く思った。




