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第一話 異世界へ

 自分の住んでいた世界。まだ、それとは全く異なる時空に存在する……いわゆる異世界が本当に存在することなど、露ほども知らなかった高校1年の夏。まだ7月なので夏本番というほどではないが、じっと座っているだけでじんわりと汗がにじむ日だった。俺の座る机の右側にある、開け放った窓。その向こう側にある木の生い茂った校庭では、蝉がずいぶんと騒がしい。


「……えー、明日から夏休みですが……たばこ、飲酒など……調子にのらないように。また……」


 夏休みに入るにあたっての注意事項を、教師がつらつらと話している。俺はぼんやりと外を眺めていた。時折入ってくる風が、心地いい。


「それでは、これで終わります。 起立!」


 がたがたと椅子を引く音で教室が騒がしくなる。俺も「礼」の声に合わせて、いい加減に腰を折る。明日から夏休みだ。他のクラスメートは、仲のいい友達と連れ立って、教室から早々と退室している。

 俺もやれやれと鞄に荷物をまとめ、家路に着こうと考えていた時、突然背後から声を掛けられた。


「おい! 今日こそは逃がさないぞ!」

「ん?」


 外よりも、じりじりと蒸し暑い学校から早々と帰宅したい俺は、しぶしぶ振り向く。話しかけてきたのはクラスメートであると思われる、手に掃除用具を持った一人の女子だった。

 名前はえーと……なんだっけ。あ、ごめん分かんない。


「俺になんか用ですか?」

「とぼけるな!」

「……?」


 え……。なんでこの黒髪の美少女はこんなに怒ってるんだ?助けを求めて、俺はちらりと、教室に残っている数少ないクラスメートを見回す。だが、「まーた怒ってるの?」「そんなに怒ると美人が台無しだよ」「ばいばい、またメールするから」などなど、目の前の黒髪に声を掛ける者はいるが、誰一人として俺には目もくれない。


 ……なんだ、この差は。


 お怒りの真っ最中の黒髪だが、先ほどまでの剣幕を和らげ「あぁ、またな!」と友達と思しき数名に、笑顔で返事をする。そして、再び俺に向き直って言い放つ。


「今日こそはやってもらうからな!…………放課後の掃除当番を!」

「溜めて言った割には普通だな」


 というか、掃除すっぽかしてたのか。俺。なんか俺の記憶に全く残ってなんだが。


「普通とはなんだ! お前は3日連続で、この私に教室の掃除を押し付けているのだぞ? 記憶にないとは言わせん!」


 そう言って無理やり俺に箒を押し付けてくる。俺は仕方なく箒を受け取った。


「この辺の床はお前が担当しろよ。私は黒板を掃除するからな!」


 えらくはきはきと話す女子である。制服のセーラー服が、チョークの粉で汚れるのにも構うこともない。掃除に責任を持って取り組む彼女の後ろ姿は、俺には輝いて見えた。

 俺は家へ帰ることを諦めた。仕方なく机に鞄を置き、言われた通りにせっせと箒で掃くのだった。

 そして、しばらくするとクラスメートが全員教室から出て行き、掃除当番の、俺と黒髪だけになる。そして、しん……と静まり返った教室で、ある一つの疑問が浮かんだ。場合によっては、相手との人間関係を破壊しうるであろう1つの質問。それを黒髪に投げかけるべきか否か。非常に聞きづらかったが、同じ掃除当番である以上、俺はどうしても聞いておきたい。


 いや、聞かねば!


「なぁ……お前、名前は?」


 俺は、黒板を雑巾で丁寧に掃除する、その艶やかな黒髪に聞いてみた。


「はぁ? 何言ってんだ? それはボケなのか?」


 振り返った彼女の表情は、困惑していた。

 うーむ。この口調だと、俺とこいつは顔見知りらしい。さっぱり分からん。


「え……なにその顔……。マジで分からないのか?」

 

 俺の顔を見て、ふざけているわけではないことを察したようだ。

 俺は真面目な顔で頷く。何を隠そう俺は今、記憶喪失中(本当)なのだからな!ふははははははは!


「私がそんなに嫌いだとは知らなかったよ……うるさく言って悪かったな!」


 クラスメートの黒髪美少女はなにやら勘違いしてしまったようだ。

ひどく傷ついた顔で、ふんっとそっぽを向いてしまい、再び掃除に戻ってしまった。仲が良かったかそれとも悪かったのかは分からないが、顔なじみのクラスメートに名前を忘れたと言われたら俺だって同じ反応をするかもしれない。


 ほーらな。罪悪感ハンパないんですけど。


「あ……おい、違うんだって……!」


 もう一度話しかけるも全く相手にしてくれず……。あーあ。完全に嫌われた。でもさ、じゃあなんて聞けばよかったんだ……。「記憶喪失になったんで君の名前、お・し・え・て?」ってぶりっ子しながら言えばよかったのか……?


 いや、そんなこといったらますます嫌われそうだ。


 俺が記憶喪失になったのには訳がある。ここは己の弁解のため、理由を話さなければなるまい!

 ある日突然そうなってしまったわけでは決してない。突然知らない幼女が現れて、「神様なんだけどこの世界の記憶消して、異世界に行っちゃいなよ!」と言ったわけでもない。

 ある石を拾ったのだ。つい先ほど、この教室の中で。


「きれいな石だな……」


 なんて、柄にもないことを呟いてたら、急にそれが輝きだしちゃってさ。「眩しいいい!」ってなったと思ったら……記憶が……きれいさっぱりなくなってたんだよね。石を拾った辺りから前はどうやっても思い出せない。


「うむ。それでその石はどこへやったのだ」

「うおぁ!」

「うおぁ! ではない」


 俺の背後に、いつの間にか腕組みをして黒髪美少女が立っていた。いつからそこにいたんだ……?


「なんでお前……もしかして今の話……?」

「全部聞いたぞ。何を一人でぶつぶつ言っているのかと思ったのだ。近づいても、お前気づかないんだもん」

「え……と……今のは全部うそ……だよ!」


 苦し紛れにごまかす。若干、声がかすれた。超恥ずかしい。だが、そんな訳の分からないことを、ぶつぶつ呟く変人に見られるのだけはごめんだ。


「私は嘘だとは思わんがな」


 クラスメートはいたって真面目な口調で言う。


「え……じゃあ信じてくれるのか」

「にわかには信じられん。ていうか信じたくないな。その石をまだ持っているか?」

「はい……」


 俺は朝拾った石をかばんから取り出した。


「うーん……」


 黒髪は眉間に小さなしわを作って、何やら悩んでおられる様子。


「単刀直入に聞く。お前、以前の記憶を取り戻したいか?」


 思ってもみない反応が返ってきた。そりゃもう、取り戻したい。これから先だってなにかと不便そうだし。


「もちろん」

「ならば私と一緒に異世界に行くしかないな」


 俺は拍子抜けして一瞬思考が真っ白になった。

 ……え?何この子。さっきから喋り方とか偉そうだし、変わった子だなーって思ってたけど、ちょっと痛い子だったのか? それとも俺、からかわれてんのかも。


「あーわかった。信じてくれてないんだな?」


 俺は後者と判断した。


「だから信じると言っているだろう。この石はこの世界のものではないのだ!」


 俺はかわいそうな子を見る目で黒髪を見た。


「ええい! そんな目で私を見るな! 貴様自分の話は信じろというのに私の話は信じないというのか!」

「もういいからさ……。俺、家に帰りたいんだけど」

「記憶喪失のお前が家を覚えているわけがないだろう」

「え? ……あ」


 それもそうだ、と変に納得がいった。何しろ自分がどうやってこの学校にたどり着いたかも覚えていないのだ。


「今からお前を、異世界【ルエルヴァリス】に連れて行ってやる」

「ル……? なんだそれ?」

「この石は、この世界とは異なる時空に存在する、異世界で作られたものだ。その世界が【ルエルヴァリス】」


 この黒髪いたって真面目な顔である。

 だめだ……頭が痛くなってきた。


「詳しい説明は後だ……転移魔法!」

「は!?」


 転移魔法だと!?

 そんな言葉聞いた直後、自分の手が一瞬で細かい粒子となる。呆然と見ているしかなかった。その粒子は輝きを放ちながら、空中をきらきらと漂う。そして、スゥ……と消えていく。状況が違えば、美しいとも言えただろう。

 その光景の中、意識が遠のき始める。ぼんやりと視界がかすむ目で、黒髪の顔を見た。薄く赤い唇はにやりと笑い、例えるならまるで……悪魔のような。


異世界へ出発です。

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