第1章 日の出
この物語は、架空の植物や生き物、そういう世界観を楽しみたく製作しました。非日常感のあるファンタジーを少しでも楽しんでいただければと思います。
高らかになる鈴の音。地平線から顔を出すのは、この世で一番輝く星。生命の息吹を讃えるように風が吹く。大地の力を確かめるように獣が駆ける。そして、そのすべてを知るために、今日も彼女は騒々しく揺れる目覚まし時計のベルを乱暴に叩き、止めた。
「んんー…」
片付いていない仮眠室。ぐしゃぐしゃに丸められた紙であふれたごみ箱。ベッドでうじうじしているのは、長いくせ毛のぼさぼさの髪、そばかすと左目の涙黒子がチャームポイントのチリ。カーテンのついていない大きな窓に数羽の…あれは鳥?私にはわからない。長い尾羽に小さな牙のついたかわいらしいくちばし。派手な赤と黄色の体をせわしなく動かして光にキラキラと輝く鱗粉を朝の空気を彩るように振り撒いている。
チリは仮眠室の洗面台に向かうと蛇口をひねる。冷たい水が勢いよく流れ出る。チリは気合を入れるようにバシャバシャと顔を洗って、手ですくった水を少し飲んだ。切り傷だらけの手の甲で口を拭うと、タオルケットで顔を拭く。旅行先のお土産で買ったドロップスの小さな丸い缶に入ったゴムを取ってくるくると長い髪を後ろで束ねる。絡まった髪が引っかかって抜けたようだ。チリが顔をしかめる。
ふと玄関の郵便受けを空っぽだったボックスに蝋の印が押された手紙が入っていた。
「あ、審査結果来てる。まあどうせ今回も…」
頭をよぎるわずかな期待を振り払うように息を吐くと、安物のペーパーナイフで手紙を開けた。
仰々しい紙には丁寧な文字が並んでいた。
『チリ・アントネッリ様.
慎重かつ厳正なる審査を行いました結果、誠に残念ではございますが、今回の1000万ベジーの支援金寄付の申請につきましては、承認を見送らせていただくこととなりました。
何卒、審査結果をご理解賜りますようお願い申し上げます。
なお、審査内容および判定基準の詳細につきましては、審査の公平性を確保する観点から、回答を差し控えさせていただきます。
今後ともご活躍を心よりお祈り申し上げます。
国立科学研究助成機構 』
案の定の結果であった。チリはもはや期待などしていない。植物の種子を補完するための倉庫を拡張しようと考えていたが、どうやら政府は個人的に活動しているチリのことをよく思ってはいないようだ。
「あーもうこれだから国研の頭でっかちは…」
大きなため息をついて通達書をぐしゃぐしゃと握りつぶすと、それはごみの山の一部となった。
チリがドアノブを回すと仮眠室のドアが建付けの悪い音を立てて開いた。
ガチャ
それと同時に入り口のドアが建付けのいい音を鳴らす。
「おはようございます!チリさん。」
小汚いフード付きのマントとぶかぶかのズボンをはいた、深緑と茶色のオッドアイの少年、セイがにこやかな笑顔で入ってきた。マントを脱いでセイの背丈には少し高いポールハンガーに丁寧にかけると、頭には柔らかい薄茶色をした耳が生えている。引きずるほど長いマントで隠れていた腰からは同じ色をした尻尾が。
「おはよう、セイ。今日は忙しいよー?」
今しがた起きたばかりのチリ。白衣のまま、研究室に泊まりのため昨日から風呂は入っていない。セイはあきれた様子でチリの姿を見る。
「はあ…またお泊りですか?お風呂ちゃんと入んないと胡虫胡虫」に食われますよ?」
セイは食料貯蔵庫の扉を開け、忙しく動く。
「胡虫がつくならホルマリン漬けにしてやるよ。もう42匹目になる…」
毛を逆立ててセイが身震いした。
「考えただけでも気持ち悪い…さっさとあのサンプル処分したらどうです?」
貯蔵庫から取り出したいくつもの淡い黄色の小さな卵を、茶色の遮光瓶に入った調味料で散らかった台所に置く。
チリはその様子を見て今日は少し豪勢だと思った。
台所の下には丸い輪のついた編んだ紐が伸びていた。セイはそれに指をかけて勢いよく引っ張った。
キュルル
もう一度。
キュルルルル
紐が摩擦で少し溶け焦げた匂いが漂う。
キュル……ボウッ
小気味よい音を立ててコンロに火が付いた。鉄製の手鍋が、赤い炎に充てられて白、青、緑、とテンパーカラーが現れる。
「よっ、お料理テテンカンカいち!」
チリが研究所で唯一綺麗な小さな食卓に着く。テーブルの傍らには濃い焦げ茶色をした液体の入ったガラスのドリンクサーバーが置いてある。チリが取っ手をひねると豆を煎ったような香ばしい香りとともに生温い液体がコップを満たした。
「セイも飲む?」
チリがもう一つのグラスを軽く口で吹いて埃を払い、サーバーにセットする。
「いただきます。いつ煮だしたか知らないですけど。」
十分に温まっていない手鍋に透明な油を少し注ぐ。黄色い花の種からとれる上質な油だ。
セイがもう一度貯蔵庫を開いて中を覗き込む。何が入っているかは知らない大きな木箱。いびつな豆、鮮やかな赤色だが、煮だすと蜜を煮詰めた少しの甘みと、深い苦みのある香ばしさを出す良い飲み物になる。後は細長い爬虫類のサンプルと、たくさんの卵。
「あれ、チリさん、もうブタ肉がないです。」
チリがあちゃーと額に手を当てる。古い流行だ。
貯蔵庫を閉めるとセイは熱くなった手鍋と油の中に卵を素早く割りいれた。この星を照らす大きな恒星、-ステラ・スカーレット-のように赤い卵黄が光る。その輝きに負けじと卵白が、油でじゅくじゅくと白く固まっていく。普段と何も変わらないただの”目玉焼き”は、一日の始まりをもてなす第二の日の出の様だった。
湯気を立てて大きな皿に四つの黄身の目玉焼きがやってきた。
「おお、流石。料理が上手だねおいしそー。」
入れ替わりでチリが立ち上がるとまだ熱いコンロの上に二つのカップを置いた。時期にドリンクが程よく温まると、二人は朝食を食べ始めた。卵によく合う穀物の焼いたものも、水で炊いた美味しい稲もない。たくさんの卵だけの朝食。
フォークで卵を切り分けて食べながら、チリはもう片方の手で紙に何かを書き留めている。
「今日は森林探索ですか?例の植物探し?」
逆さまの紙を覗き込んでセイが言う。
チリは眼だけをセイに向け、口いっぱいに頬張った卵を飲み込んだ。指す先をふらふらとセイに向け揺らして頷く。
「今日は彼らの貴重な姿を見られる年に1度のチャンスなんだ。今年は例年より…」
チリがペラペラと何枚か前の紙を何度も見返す。
「3か月ほど早くチャンスが来た。」
セイは張り切って背筋を伸ばす。
「絶対に観測成功させましょうね!」
二人は互いに目を合わす。セイの眼差しは、研究に対する純粋な探求心と、好奇心に満ちていた。
チリはそのセイの姿を見て優しく微笑む。しかしその眼差しを見た彼女の脳裏には、懐かしい、そして忘れがたい人の記憶が、和紙に落ちた一粒の墨汁のように、鮮明に蘇っていた。
食後、セイは台所で使い終わた食器を丁寧に洗う。チリは使い古した茶色い布地のリュックサックにガラス製のサンプル瓶をいくつかと、ピンセットやハサミなどの入った小さなポーチ、医療セットと万能ナイフを放り込んだ。
資料の積み重なった机を少しずらし、タンスを開くと2着のアウトドアウェアが顔をのぞかせる。
「…入るかな?」
自分の普段の生活を数秒顧み、ケセラセラの精神で2着とも押し込んだ。
セイが洗い物を終えて、新品のように綺麗なカメラを首にかける。
「準備できました!いきますか。」
誰よりもやる気をもってーむしろ娯楽のように楽しんでいるともいえるが、意気揚々とチリのもとへやってくる。
「頼んだよ、助手君。君が頼りだからね。」
ぽんぽんとセイの頭をやさしくたたいた。
セイはふんすと張り切って、研究所の扉を開ける。
チリは思った。研究室にこもりきりだったから久しぶりの外の空気。3日前よりも少し気温は高い。昨日の夜降ったのだろうか、土からほのかに上がってくる雨の匂いが輝く星の下、輝くあの若い緑のように自分もこの星に生きる物であることを痛く実感させてくれる。
「生きてるっていいね。」
何となくつぶやいた言葉にセイが不思議そうな顔でチリのことを見上げる。
「どうしたんですか?急に。」
「なんとなく?」
チリは笑って答えた。
「さ、行こうか。カソラの森にお昼までは着いていたいから、少し頑張るよー。」
二人はそろった気持ちとは裏腹の、ばらばらの歩幅で一緒に歩き始めた。




