第7章:王太子、お忍びで来店する
辺境のヴァインベルク領が、にわかに活気づいている。
そこで作られる珍しい野菜が商業ギルドを通じて流通し始め、貴族たちの間でちょっとした話題になっている。
そんな噂は、当然のように王都で国政を司る、あの男の耳にも届いていた。
エルディオス王国、王太子、レオナルド・フォン・エルディオス。
彼は執務室で届けられた報告書に目を通しながら、面白くてたまらない、といった表情で口元を緩めていた。
「……魔法農業、だと? 相変わらず、面白いことを考える」
報告書には、かつての婚約者、セレスティーナ・フォン・ヴァインベルクが辺境で成し遂げたことの全てが詳細に記されていた。痩せた土地を改良し、見たこともない野菜を作り出し、食堂を開いて村を活性化させた……。
婚約破棄の日の、あの芝居がかった断罪劇。彼女の内心を見透かした上で、彼はあえてその茶番に乗ってやった。彼女が本当に望むものを与えるために。そして、彼女がその類稀なる才能を、窮屈な王宮ではなく、もっと広い場所でどう発揮するのか、見てみたかったからだ。
しかし、その結果はレオナルドの想像を遥かに超えていた。
「……確かめに行くか」
彼は誰に言うともなく呟くと、最小限の護衛だけを連れ、身分を隠して王都を出発した。目指すは、噂の辺境領。そして、彼女が営むという『陽だまりの食堂』だ。
数日後。商人風の簡素な服に身を包んだレオナルドは、目的の村に到着し、その変貌ぶりに目を見張った。報告書で読んではいたが、実際に目にすると衝撃が違う。かつては寂れていたという村は、多くの人々で賑わい、誰もが明るい表情をしていた。
そして、その中心にあるのが『陽だまりの食堂』だった。
彼は店に入り、空いている席に腰を下ろす。店内は活気に満ち、香ばしい匂いが漂っていた。
「いらっしゃいませ!」
元気の良い声と共に、エプロン姿のセレスティーナが注文を取りに現れた。
「……っ!」
レオナルドは思わず息を呑んだ。
王宮で見ていた、完璧に着飾った公爵令嬢の姿はどこにもない。髪を無造作にまとめ、頬には少し粉がついている。しかし、その表情は、今まで見たどんな時よりも生き生きと輝き、幸せに満ちていた。
泥だらけで笑いながら、領民と共に働くかつての婚約者。その姿は、レオナルドの心を強く揺さぶった。
セレスティーナは、目の前の客が元婚約者であることには全く気づいていないようだった。
「ご注文は?」
「……ピザと、この赤い飲み物を」
レオナルドがメニューを指して注文すると、やがてトマトジュースと、焼きたてのピザが運ばれてきた。
彼は恐る恐るピザを一口食べる。
「……!」
衝撃的な美味さだった。トマトの酸味、チーズの塩気、野菜の甘み、その全てが完璧に調和している。彼は夢中で食べ進め、あっという間に一枚を平らげてしまった。
会計を済ませて店を出る際、レオナルドはセレスティーナに聞こえないよう、そっと呟いた。
「……見事だ、セレスティーナ」
彼女は、俺の想像を遥かに超える女だ。
ただ面白い存在、国の未来に役立つかもしれない存在、そう思っていた。だが、今は違う。
一人の女性として、彼女に強く、どうしようもなく惹かれている自分に、レオナルドは気づいてしまった。
この気持ちをどうすればいいのか。彼の胸中に、新たな、そして厄介な感情が芽生えた瞬間だった。




