第9話
「いただきまーす。」
食卓に並んだフレンチトーストの皿を前に、いつかと叶は手を合わせる。声も揃って、同時にフォークを使い始める。カチャカチャと僅かに食器とカトラリーが触れあう音が響いた。
フレンチーストの中心はプリンのように甘く、充分に柔らかく仕上がっていた。砂糖の甘みが若干強いので、また作る機会があるならば今度は量を控えてみようと思う。
叶は大きな口で頬張るから、リスのように頬が膨らむ。いつかは何となく微笑ましく盗み見てほくそ笑んだ。
半分以上を食した頃、叶が紅茶を飲みながらいつかに言う。
「そろそろ良い子の尋問タイムです。」
いつかは目を瞬かせる。
「え?マジで?」
マジ、と返して、叶はマグカップをテーブルに置いた。
「いつか、この町の人間じゃないよね。今まで会ったことない。」
「たまたまかもよ。」
いつかは意地悪くにやりと微笑む。
「それはない。小さな田舎町だし。町民は皆、知り合いみたいなものだから。」
叶は断言すると、いつかをじっと見た。
「いつかは、どこから来たの?何をしに、何のために、そして何が故に?」
「…。」
いつかはフォークを皿の上に置く。海で助けた恩だとしても風呂場と着替え。さらに朝食まで提供してくれた叶には包み隠さず全てのことを話すべきだと思った。
「家出を、してきたの。」
思春期にありがちな鬱屈とした感情ゆえに思い立った行動だと思われたら嫌だな、と思う。
「ふうん。で?」
叶は肯定も否定もせず、いつかに続きを促す。
学校で起こったことや、画集を捨てられかけてさらに家で父親に言われたこと。そうして生まれ育った街を飛び出し、この町に行き着いたことをいつかは話した。
言葉にすると随分と陳腐なものだと思った。だけれど、それでもいつかにとっては耐えがたい出来事だったのだ。
思わず涙が零れそうになって、いつかは唇をきつく噛んで耐えた。
「それは、」
叶がゆっくりと口を開く。くだらない、と言われたらどうしようといつかは身構える。
「ムカつくヤツばっかりだったな。」
「…え?」
「え、じゃない。自分のことだよ、よく考えてみなよ。絵描きですらないヤツに人の絵を貶められたり、親に大事な画集を捨てられるとかさ、そんなことされたら家出ぐらいするでしょ。」
「そう、かな。」
いつかの戸惑いを、叶はうんうんと頷きながら肯定する。
「よくやったよ、いつか。」
「…。」
嬉しかった。叶が共感してくれたのが。怒られたり、けなされたりをされると身構えたが、まさか褒められるとは思いもしなかった。
「いつか、さ。」
「うん、何?」
いつかがぱっと視線を持ち上げると、叶が覗うように見ていた。
「このあと、行く当てはあるの?」
「…ありません。」
目を泳がせるいつかに、叶は笑う。
「なら早く言いなよ。いつか、ここにいていいよ。」
「え、いいの?」
「いつかがいいならね。…あれ、これって誘拐になんのかな。」
叶が悩むよりも早く、いつかは立ち上がる。
「誘拐でも何でもいい。私をここにおいてください!」
勢いよく頭を下げると叶は苦笑したようだった。
「誘拐だと私、捕まるけどね。…まあ、いっか。おもしろいから。」
「! ありがとう!!食器、私が片付けるね。」
いつかはそう言うと皿を片付けようとする。
「待て待て、まだ残ってる!」
半分残ったフレンチトーストを、叶はいつかから取り返すのだった。