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巫女の覚醒(2)


 胸の奥底から湧き出す想い。その熱さに、千鶴は思わず目を閉じていた。

 強く熱い力が身のうちで(うごめ)く。それはやがて全身を巡りだし、大蛇の呪いを断ち切るように自身の中で勢いよく渦巻きはじめる。


 ――それは、今まで千鶴本人すら知ることのなかった彼女の霊力。疎まれ押し込まれ大蛇によって奪われていたその力を、彼女は初めて自分の意思で解放しようとしていた。


 背筋を伸ばして立つ。そっと指先を伸ばせば、呼応するように風が光った。

 優しい光の粒子が周囲を飛び交い、千鶴を促す。その景色に薄く唇を綻ばせながら、千鶴はゆったりと舞を始めた。

 (まぶた)の裏に浮かぶ、母と過ごした日々。あのとき教わった舞は、今でも心に刻まれている。


 軽やかな足運びと、流麗な手の動き。

 まるで時間が止まったかのような静けさの中、心赴くままに千鶴は身体を動かす。光を纏いながら舞うその姿は、紛うことなき神聖な巫女のもの。



「貴様……その舞を止めろ!!」


 大蛇の声に、初めて畏れと焦りが現れた。

 洞窟の中を満たしていく、浄化の光。大蛇の身体を覆う鋼鉄のような鱗がぽろぽろと崩れ落ち、瘴気の毒が薄れていく。


「傷が……癒えた……?」


 身体の傷が塞がっていくことに気がついて、猛が茫然と呟いた。

 千鶴の舞に呼応するように、額にそびえるツノが淡く光りはじめる。尽きかけていた体力が蘇り、全身に(みなぎ)っていく。


 千鶴の舞を(はば)もうと、大蛇が身をよじった。それに気がついて、猛は牙を握る手に力を籠めなおす。

 驚いている暇はない。大蛇が弱っている今こそ好機。大蛇の頭を二本の腕で固定したまま、猛は渾身の力で刀を振るう。


「アァアアアアアア――ッ!」


 今までの苦戦が嘘だったかのように、確かな手応えとともに大蛇の頭がごろりと地面に落ちた。

 残された尾が狂ったように暴れ回るが、それのわずかな間のこと。やがて大蛇の身体はぐったりと動かなくなる。



「良かった、私……」


 それを見届けた千鶴は、ゆっくりと地面へ崩れ落ちていく。すべての力を使い果たして、もう少しも動けそうにない。


「千鶴、大丈夫か!」

「猛さま、私、やりました……! 私、初めて自分の意思で、自分の力で、大切な人を守ることができました……!」


 もはや立ち上がる気力も残っていないというのに、千鶴の胸中には晴れ晴れとした達成感が満ちている。

 慌てて駆け寄った猛は、そんな彼女の満面の笑みを見て苦い微笑みを浮かべた。


「無茶をするなと言いたいところだが……なんて良い笑顔をしてるんだ、まったく。――ああ、本当に今まで見た中で一番綺麗な笑顔だ。これじゃ小言も言えやしないじゃないか」


 でも、と続けながら猛は居住まいを正す。


「実際、千鶴のおかげで本当に助かった。コイツを倒せたのは千鶴の助力あってこそだ、ありがとう。……それから」


 一旦言葉を切ると、猛は千鶴の目をまっすぐに見つめた。一切の誤魔化しがない、誠実で真摯な眼差し。


「普段は気弱なくせにいざという時に勇敢で凛とした強さを見せる千鶴に――俺は、完全に惚れてしまった。最初は形式的なもので構わないと思っていたが……できれば俺は、いずれ千鶴と本当の夫婦になりたい」

「――っ!」


 思いがけない言葉に、ぼんっ、と千鶴の顔が一気に赤くなる。


「その感じだと、どうやら脈ナシってわけでもないようだな」

「っ、猛さま……!」


 猛が明るい声を上げて笑う。光に包まれ薄れていく景色の中で、その嬉しそうな声はいつまでも響いていた――。


○   ○   ○   ○   ○   ○   ○


「俺たち、本当に心配したんだよ? 千鶴(ねえ)が突然消えちゃったかと思えば、兄貴は止める間もなく黒い霧の中に突っ込んでっちゃうし……アレ、千鶴(ねえ)の居るところに繋がっていたのは本当に運が良かっただけなんだからね!?」

「ああ……面目ない」


 ――それから、しばらくして。

 異界が閉じ、無事に現世へと戻ってきた千鶴と猛は、隼人にこってりと叱られていたのであった。隼人の剣幕に、猛は身を縮めて謝罪を述べる。


「反省している。だが、あの時は千鶴が心配で居ても立っても居られず……」

「だ、か、ら! それを反省してって言ってんのオレは!」

「も、申し訳ない……」


 しゅんと項垂(うなだ)れる猛を前に地団駄を踏んでから、隼人は諦めたように首を振った。


「まぁ兄貴がそういう人だってことくらい、わかってはいるんだけどさ……それでも、皆の心配もわかってほしいってハナシ。だって、その結果がこれだよ?」


 隼人の視線を追って、千鶴もその向こうの景色に目を向ける。



 ――そこには、大蛇を討伐した影響がくっきりと残っていた。

 そこだけ何かが倒れてきたように木々が倒れ、地面が剥き出しになった木立。それは丁度、大蛇がのたうち回ったような形で。

 そしてその大蛇の頭部にあたる部分からは、こんこんと冷たい水が湧き出していた。尽きぬことのないその清流は小さな川となり、千鶴のかつて暮らしていた村へと流れていく。


「今はまだこんな細い流れだが……これはきっと、それなりの川になるだろうな」

「オレもそう思う。でもさ、生贄は捧げられず、村の長は殺され、崇めていた水神は居なくなった。それなのに水の恵みが訪れるようになるなんて……あの村の人たちはどう思うんだろう。水神様が偽物だった、千鶴が救ってくれたって、ちゃんとわかるのかな」

「関係ありません」


 隼人の言葉に、千鶴は迷いなく言い切った。


「あの人たちが何を思おうと、もう私が戻ることはありませんから。彼らがどうやって辻褄(つじつま)を合わせるかなんて……、私には本当にどうでも良いんです」


 まっすぐに前を向く千鶴の目に、今までの過去は映っていない。千鶴はもう、生贄の千鶴ではないのだから。

 その力強い決意表明に、猛は満足そうに口角を上げる。


「ああ。そうだな。千鶴の素晴らしさ、価値はそれをしっかり評価できる者にさえ伝われば良い。千鶴はもう、俺たちの仲間で、俺の花嫁なのだから」

「はい。――そして、猛さまの(しるべ)にもなりたいと思っています」


 気恥ずかしさに早口になりながらも、千鶴はかつて言われた言葉を彼に返す。


「あなたが生きたいと思う理由のひとつに、私もなりたいのです。私にとって、猛さまがそうであるように」

「千鶴……!」


 嬉しそうにその手を取られ、千鶴は頬を染めて俯いた。その視線が、猛の背中越しに流れていく水流を捉える。

 もう戻らない村に向けて、静かに流れていく川。それは太陽に照らされ、千鶴の軌跡を示すようにキラキラと輝いていた。


 


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