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巫女の覚醒(1)


 湿った空気と、呼吸するたび肺の中で重く沈むような闇。

 地面に投げ出された身体がズキズキと痛い。徐々に暗闇に目が慣れてきて、千鶴は恐る恐る立ち上がった。

 湿った風が運ぶ苔の匂いを感じる。慎重に伸ばした手が、ゴツゴツとした岩壁に当たる。……洞窟の中なのだろうか。


「待ちかねたぞ――我が(にえ)よ」


 耳の奥で粘つく不快な声に振り向いて、思わず息を呑んだ。そこに居たのは、胴回りが三尺ほどはあろうかという巨大な白い蛇。

 無数の鱗が洞窟の薄暗い光を反射し、まるで夜の水面のように不気味に揺らめく。血のように赤い双眸(そうぼう)が千鶴を射すくめる。気を抜いたらへたり込んでしまいそうなほどの威圧感は、まさに人智の及ばぬ神のもの。


「水神様で……いらっしゃいますか」

「左様。私がこの地を治める水の神だ。――さあ、我が贄よ。早くこちらへおいで。この日をどれだけ待ち侘びたことか。骨まで残さず大切に喰ろうてやろう」


 優しげな声が却って恐ろしい。

 じり、と後退りした足に何かが絡まり、崩れる音が響く。



「ひっ」


 ごろんと転がったそれを見て千鶴は声にならない悲鳴を上げた。不自然な方向に捻じ曲がった四肢と、ぽっかりと空いた眼窩(がんか)

 そこにあるのは、すでに命の尽きた(むくろ)。しかもその顔は、千鶴もよく知るものだった。――村の長だ。

 千鶴の視線を追って、大蛇は「ああ」と感情の篭らぬ声で呟く。


「役に立たぬ男よ。もう一度機会をくれてやったというのに、鬼を殺すことはおろか追跡すらまともにできぬとは」


 まるでゴミを捨てるかのように大蛇の尾が無造作に死体を薙ぎ払う。それを見て、千鶴は短く息を吸い込んだ。


 ――猛さまの言う通りだった……これは()しきモノだ。



『アンタのこれからの人生は俺がもらう。大蛇(おろち)にアンタは、渡さない――』

『俺は、千鶴を現世に引き止める(しるべ)になりたい』


 かつて猛が口にした言葉が、千鶴の胸に火を灯す。


 ――ああ、そうだ。自分で未来を選ぶことが許されるならば、私は。


「どうした。何を愚図愚図(ぐずぐず)しておる。自分の役目が何か、貴様はよく知っているはずだろう」

「……いいえ」


 自分の選択を口にするのは怖い。それでも努めて背筋を伸ばし、千鶴は凛とした声で答えた。


「私は、猛さまの妻。鬼の里へ嫁ぐ者。あなたの贄には、なりません!」

「っ、生意気な……!」


 思いがけない千鶴の返答に、大蛇が激昂する。彼女を打ち据えようと、大蛇の尾が唸りを上げて襲いかかる。

 迫り来るその衝撃に備え歯を食いしばったその時、ふわりと自分の身体が浮き上がるのを感じた。



「良かった、間に合ったか!」

「猛さま!」


 軽々と千鶴を抱え上げ、猛が高く跳躍する。

 次の瞬間、彼らが居た地点に大蛇の尾が叩きつけられた。耳が痛くなるほどの轟音と共に岩壁が揺れ、パラパラと石屑が降り注ぐ。


「っ、なんて力だ……千鶴、しっかり捕まっていろ!」

「はい、お気をつけて!」


 生贄を奪われ、大蛇が咆哮する。その口から黒色の霧が吐き出される。喉への違和感に咳き込みながら、千鶴は懸命に(ささや)いた。


「この瘴気(しょうき)、毒です。あまり吸い込まないようにお気をつけて……!」


 無言で頷き、千鶴をしっかりと抱き抱えたまま猛は洞窟内を走り出した。

 鞭のようにしなる蛇の尾がそれを追う。それを紙一重で躱し続け、逃げ場を求めて猛は岩壁を跳躍する。


 だが。


「何処へ行くつもりだ? ここは異界、我が領土。貴様らが逃げ出すことは許さん」

「ちっ……!」


 嘲笑う大蛇の言葉通りだった。何処まで逃げても洞窟の終わりは見えず、瘴気はどんどん濃くなる一方。

 さらに襲いかかる大蛇の鱗は硬く、全力で振るった猛の刀をもってしてもその身体には傷ひとつつけられない。



 瘴気の影響を受け、猛の動きは精彩を欠く。徐々に鈍っていく彼の足捌きと、荒くなる息遣い。

 そんな状況に気がつきながらも何もできない自分が歯痒かった。猛に抱えられている、守られているだけの自分。


(何か……何か私に、できることはないの……?)


 蛇型のアザが熱く疼き、千鶴は身をこわばらせた。血管の中を何かがのたうち回るような激痛と、その後の虚脱感。

 それが終わった途端に大蛇の目が怪しく光り、更なる瘴気が吐き出される。


(これってまさか……私の力を吸い取っている……?)



 避けきれなかった攻撃に、猛の傷が増えていく。瘴気の影響だろう。その呼吸はととのわず、肩を大きく上下させて苦しそうに喘いでいる。それでも、猛は決して千鶴を離そうとはしない。

 ……だが、もう限界だった。岩壁に追い詰められた猛の足元が突然崩れ、身体が大きくよろめく。


「っ!」

「猛さま!」


 その隙を逃さず、大蛇の尾が急襲する。鋭い鱗が猛の皮膚を裂き、身体を地面へと叩きつけた。

 猛の腕が緩み、千鶴の身体が投げ出される。鮮血が飛び散り、地面に赤黒いシミを作る。


 それでも。


「千鶴は、渡さない……!」


 猛の瞳に、諦めの色は浮かばない。

 ふらつきながらも千鶴を背に庇い、猛はもう一度立ち上がる。満身創痍(まんしんそうい)だというのに、その瞳は熱い決意に燃えていた。



「愚か者め。ならば、死ぬが良い」


 猛を呑み込もうと、大蛇が大口を開けて迫る。そこから覗く、二本の巨大な毒牙。


「くっ……!」


 猛は両の腕でその牙を受け止めるが、その抵抗が風前の灯なのは千鶴の目にも明らかであった。

 大蛇の突進に押され、じりじりとその足は後退していく。猛の胸のすぐ前まで毒牙が迫る。


(嫌だ……猛さまを失いたくない! 私はもう……流されるままでの生贄ではいたくはない……!)



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